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社説:横浜事件 司法の「清算」進まず残念だ

 「横浜事件」の再審裁判の上告審で、最高裁が上告を棄却した。予想されていた結論だが、狭き門とされる再審の扉が開かれながら免訴の確定で終結することに、多くの市民が肩透かしを食ったと感じているのではあるまいか。

 最高裁の決定は、再審控訴審の東京高裁決定と同様に「免訴判決には上訴できない」とするものだ。司法判断は再審1審の横浜地裁から一貫して、「免訴事由がある場合に実体審理はできない」とした60年前の最高裁判例を厳格に解釈している。

 しかし、「無辜(むこ)(罪を犯していない人)の救済」を目的とする再審制度の理念に照らすと、免訴という形式的とも言える結論で十分なのかどうか、疑問なしとしない。再審請求審で東京高裁が「拷問を受け、虚偽の疑いのある自白をした」と認定し、再審が開始された経緯があるだけに、なおさらである。

 「横浜事件」は戦前戦中の言論弾圧事件でも最大規模で、悪法の極みとされる治安維持法の被害を象徴する事件といわれる。それだけに、再審裁判を通じて裁判所当局が言論弾圧や「裁判所の戦後処理問題」をめぐって何らかの見解を示すことが期待されていた。

 治安維持法についてはポツダム宣言受諾によって自動的に廃止されたとの見方もあり、戦後は適用の根拠も必要性も消滅したと考えるべきだったのに、裁判所は戦後も次々に有罪を言い渡した。裁判資料を裁判所内で紛失してもいる。「横浜事件」の再審開始が遅れた事情も、こうした裁判所の混乱と無縁ではない。

 戦後、多くの政治家や官僚らが公職を追放されたのに、ほとんどの裁判官は地位にとどまった経緯もある。言論弾圧に加担した司法の責任なども問われずじまいになっている。

 戦後も自白を偏重して誤判を繰り返すなど過ちを犯している。以前も指摘したように、ハンセン病患者への不当な強制隔離政策については、熊本地裁の違憲判決を機に関係各界が猛省して再発防止を約束したが、司法府は自らが行った差別裁判の検証はしていない。

 折もおり、来春には市民に開かれた裁判を実現させるため、裁判員制度がスタートする。それならば、裁判所当局には市民が納得できるように、負の遺産を批判をも覚悟して直視し、「清算」を図る姿勢が求められるのではないか。

 裁判の権威が揺らぐようでは社会の秩序は維持できないが、一定の年月が経過した事件については、公正な検証を進めることこそが裁判への信頼を高めると考えるべきだ。空前の誤判とされた「吉田岩窟王事件」で63年2月、再審無罪を言い渡した名古屋高裁は、「先輩がおかした過誤をひたすら陳謝する」と述べた。その謙虚な姿勢が、世論から高く評価されたことも想起したい。

毎日新聞 2008年3月15日 東京朝刊

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