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2008年03月15日(土曜日)付

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世界経済動揺―首相は日銀人事で決断を

 世界の経済金融情勢が動揺している。東京市場では株安と円高が進み、一時は12年4カ月ぶりに1ドル=100円の大台を突破した。円高というより、ドルの全面安。動揺の震源地である米国の経済自体が売られている状態だ。

 発端は、米国の低所得者向け住宅融資(サブプライムローン)を組み込んだ証券の暴落だった。住宅相場の下落が進み、最近は暴落が優良顧客向け住宅ローンへも広がって、第2段階に入った。関連する証券がすべて売られている。

 投資証券の暴落と関連する融資の焦げ付きがふくらんで、大手の投資ファンドや証券会社に対しても経営危機説が流れ始めた。米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長が「中小金融機関の多少の破綻(はたん)はありうる」と発言して、市場はさらに揺れた。

 ドル離れした資金は、値上がりが期待できる石油や金、穀物など資源絡みの市場に流れ込む。ドル安とエネルギー・資源高の悪循環という様相が深まり、米国を中心に物価上昇と景気悪化の板挟みになる懸念が募っている。

 欧米の通貨当局は、短期資金の市場へ大量の資金を供給して火消しに躍起だ。

 いま日本にできることは限られているが、常に欧米当局と情報交換して、市場の急変に備えておかなければならない。場合によっては、主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)を緊急に開くことになるかもしれない。

 そんな不安定な事態のなかで、日本の金融政策のトップ、日本銀行の総裁が決まらない。福井俊彦総裁の任期切れは19日に迫る。福田首相は、野党に拒否された武藤敏郎副総裁の昇格案を再び提案するか、新たな候補に差し替えるか、この週末をかけて考えるという。

 首相には「ベストの人選」と大見えを切った武藤氏を断念することにためらいがあるようだ。意地もあろうし、自らの政権の求心力もかかっている。

 だが、ここは考えどきだ。武藤氏にいくらこだわっても、出口はないというのが客観的な状況ではないか。

 私たちは、武藤氏に対する民主党の反対理由に十分な説得力があるとは思わない。だが、政局への思惑もあって、その反対姿勢は崩れそうにない。

 さらに江田五月参院議長は、いちど不同意となった人事案が再び提示されても、「一事不再議」の原則から審議できないとの見解を示している。首相がもう一度と思っても、参院では門前払いにされる可能性が強いのだ。

 経済の状況によっては、機敏な金融政策やG7としての対応が迫られることもありうる。その時に日銀総裁が不在とあっては、国の利益にかかわりかねない。

 首相は新たな人選を急ぎ、週明けの国会に提示すべきだ。民主党も政局的な思惑を離れ、冷静に判断してもらいたい。

 局面を打開するための勇気と決断を、首相に求めたい。

横浜事件再審―過去の過ちに背を向けた

 1942年から45年にかけて、雑誌編集者ら数十人が「共産主義を広めようとした」として、治安維持法違反の疑いで神奈川県警特高課に次々に逮捕された。取り調べの拷問は過酷を極め、4人が獄死した。いまでは、でっちあげだったことが明らかになっている。戦時下で最大の言論弾圧といわれる横浜事件だ。

 有罪になった人のうち5人が戦後、冤罪を訴えて再審を求めた。拷問による自白が認められ、ようやく再審が決まったとき、すでに5人は全員亡くなっていた。遺族が再審裁判を引き継ぎ、改めて無罪の判決を求めた。

 しかし、最高裁の判決は無罪ではなく、一、二審と同じ「免訴」だった。

 免訴とは、犯罪のあとに法律が廃止されたり、有罪判決の効力をなくす大赦を受けたりしたときに、裁判を打ち切るというものだ。免訴判決では、有罪か無罪かの判断は示されない。

 戦後、治安維持法が廃止され、元被告らは大赦を受けた。これは免訴の判決を言い渡す場合に当たり、再審裁判でも事情は変わらない。それが最高裁の論理である。

 だが、この論理はおかしくないか。

 たしかに通常の裁判なら、法律がなくなったような場合には裁判を打ち切れば済むだろう。しかし、いったん有罪判決が確定した場合には、再審で裁判所が無罪を言い渡さない限り、元被告が名誉を回復したことにはならない。

 最高裁が免訴という法律論だけで最終決着をつけたことは残念でならない。

 横浜事件の再審裁判が注目されたのは、戦争を遂行するための言論弾圧に加担した過去の司法の責任に対し、現在の裁判所がどう語るかだった。最高裁がそれを避けたことは、過去の過ちに目をつぶったと言われても仕方があるまい。

 終戦まで横行した特高警察の拷問が、言語道断であることはいうまでもない。だが、拷問による自白をもとに有罪判決を言い渡した裁判所も責任を免れない。しかも、今回再審を求めた人たちの判決の言い渡しは、戦争が終わったあとなのだから、裁判所の罪は二重に重い。

 戦前、治安維持法で有罪を言い渡した多くの裁判官たちは、戦後もそのまま職にとどまったようだ。

 戦前戦後と裁判官を務めた青木英五郎弁護士は「職務上やむを得なかったで済ませていいものか。裁判官が自己の責任を反省することは、新憲法のもとで裁判官であろうとするものの義務だ」と書き記している。

 だが、司法界では戦前の行為を深く反省することはほとんど見られなかった。

 戦前とは憲法や法律が違い、言論を取り巻く状況も異なる。当時のようなことがそのまま起こるとは思わないが、過去の過ちを直視しようとしない最高裁の姿勢には不安を感じる。

 最高裁は国民の信頼を得る好機をみすみす見逃したというほかない。

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