人に対して意見をするとき。
最近は突然、ネットから匿名でやってくる、という人が多い。
匿名じゃないけど、偽名、というのもある。
当然、自分とその人の信頼関係は相互にない。
特に辛口にものを言う人間であれば、意見する人とされる人の信頼関係は大切だろう。
せめて、意見をするその人がどんな立場にある人かを教えて、意見された人が反論が可能な環境を整えたうえで、「攻撃」してくる、ということが必要だろう。人をことばで刺すときの、それは最低限の礼儀だ。
だから「匿名の臆病者」には、本当はモノを言う権利はない。しかし、その人がなぜ「匿名の臆病者」にしかなれなかったのか、ということは、「匿名の臆病者」の意見を聞く側として、考慮をしてあげる必要はあるかもしれない。
しかし、無視されても、文句は言えない。匿名だからこそ、安全地帯にいて好きなことが言える、ということでもあるわけだから。
「匿名の臆病者」はその発言に責任を負わないがゆえに、本質的に日陰者である。
人は信頼関係で動く。信頼はことばで作られる。そのことばには、事実の裏付けが必要だ。ことばだけが独り歩きする、ということはない。だから「匿名の臆病者」は、百万遍のことばを使っても、人を動かすことができない。
どんなに苦しく、どんなに恥ずかしく、どんなに心細くても、自分の名前で語ること。
それが、人との信頼関係を築く第一歩だ。自分の意見を聞いてもらえるようにするための、最初のステップだ。
血だらけになる覚悟がないと、人はこちらを向いてくれない。
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