閉廷後、晴れ晴れとした表情で記者会見に臨む原告団副団長の石坂万寿美さん、団長の清水巌さん、下平秀弘弁護団団長(左から)ら=7日午後0時32分、長野市の県教育会館
「訴訟を通じて、非合理な法律、規定が是正された。快挙です」−。静かな法廷に原告団副団長の中国語が響いた。7日、長野地裁で開いた中国残留孤児長野訴訟の口頭弁論。この日を待ちかねたように入廷する孤児や支援者たちは、閉廷後、晴れ晴れとした表情で喜びを分かちあった。今もなお続く苦難の戦後。「大地の子」たちの新たな一歩が始まった。
穏やかな表情で、一言一言を丁寧に述べた。読み上げた言葉は片言の日本語ではなく、残留を余儀なくされた中国で半世紀近く日常で使ってきた中国語だった。
最終意見陳述した原告団副団長、石坂万寿美さん(65)=松本市。法廷の証言台に立つと、持って来たA4判の紙を出し「訴訟がなければ、改正支援法はあり得ない。これで何10年も凍りついた心が解けたのです」と読み上げた。2004年4月の提訴から国と闘ってきた79人の思いを伝えたかった。
1994年3月に帰国。言葉が分からず戸惑っても、わがままも言わず多くを求めず何とか暮らしていたが、あえて国を相手に立ち上がることにしたのは、このままでは、この国で安心して老後を送れないとの思いからだ。
「義務教育も受けられなければ母国語も教えてもらえず長期間年金の納付もない。老後の生活が保障されない。私たちは、日本人としての権利と自由を求めました」
提訴から約4年、傷ついたこともある。07年1月、中国残留孤児東京訴訟で東京地裁は請求を棄却。人格をすべて否定されたように思えた。この日「孤児は地獄に落とされた」と表現した。
「訴訟を通じて、非合理な法律、規定が是正された。前例のない快挙です」「われわれはやっと日本人として胸を張ることができる」−。ひときわ声を強め、語った。