日本のパスポートを持つ私のアイデンティティ

名前、国籍、民族を考える

趙 秋瑾(2008-03-10 11:30)
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 私は中国人です、と言うと、日本へ行ったことがありますかと聞かれる。ええ国籍は日本ですからと言うと、ああ在日華僑ですねと言われる。いえ、ずっと北京に住んでいるんですと言うと最後には怪訝な顔をされる。

 私はこのほどオーマイニュースの登録をしなおした。登録氏名も銀行口座も、すべてパスポートに書いてある日本の名前に統一したのだ。「実名」での登録を条件とするオーマイニュースの規約に沿うようにやり直したわけだ。ただ記事を書くときには、これまでどおり中国名で書こうと思っている。その理由や背景が今日の本題だ。

日本国民の証、日本国旅券(撮影:趙秋瑾)

 私は幼いころ母に連れられて日本へ移り住んだ。父が在日華僑だったせいで、日本国籍を取り、それ以来、日本のパスポートを持っている。当時は帰化申請の際になるべく日本らしい氏名をつけるよう指導があったようだし、差別されないようにという親の気遣いもあって、いかにも日本的な苗字と名前をつけられてしまった。それ以来、私は日本人になろうと思いつつ育った。

 転機が訪れたのは、留学先の英国の大学にあった中国研究所での講義を取った時のことだ。Chinese-American や Chinese-Canadian の同級生も多く、私同様に中国語はかなり下手ではあったが、祖籍や家族、習慣など共通の話題が多かった。考えてみれば日本国籍だから日本人だと肩肘張る必要もないことに私は気づいた。私は英国からまっすぐ中国へ戻って中国人として働き始め、今日に至っている。

 今の北京の会社の同僚にも、カナダ国籍やオーストラリア国籍の中国人がいる。彼らは子供の教育のためや、外国相手のビジネスの便宜のために外国籍をとった人たちだ。日本国籍中国人の私に対しては、ビザを取らないであちこち行けて便利でいいね、というのが北京での一般的な反応だ。

国によって違う「~人」のコンセプト

 日本人とかアメリカ人と言う定義はなんだろう。「国民」の定義は、その国籍を持った者という意味だが、日本人とか、アメリカ人という場合の定義は、その国によってかなり違うと考えたほうがよさそうだ。

 高橋完美記者が「国という既成概念を超えて新しい文化を」の記事でこんなことを書いている。 

オーストラリアの永住権を持っているが、中国から移民してきた人を紹介する場合、オーストラリア人と言うべきか、中国人と言うべきか。オーストラリア人としてしまうと、その人の背景(=中国)を無視してしまっているようで悪い気がする。中国人、と言ってしまうと、中国から来て一時的に滞在しているというようなイメージを与えてしまうことがあるため、正しい説明とは言えないだろう。だから私は「中国で生まれて、子どものころは中国で育ち、 XX歳のころ、オーストラリアに移住してきた人」などと説明する。

 アメリカ人とは、アメリカのパスポートを持った人のことだ。だから日系アメリカ人、メキシコ系アメリカ人などという言葉が一般的に存在する。免許証やソーシャル・セキュリティー(社会保険)の申請の際にも、州によっては白人、黒人、アジア人、中南米人など「人種」の区別を書かされる。高橋記者が悩んだように、オーストラリアやアメリカのような、移民が主流の国では、その国の人とは、その国のパスポートを持った人と定義するしかないようだ。

 またユダヤ人とはユダヤ教徒としての生活様式を守っている人たちのことであり、これも人種ではない。一般的な基準は「ユダヤ人の母親から生まれた者、及びユダヤ教への改宗を認められた者」であり、日本人でも改宗すればユダヤ人になれるわけだ。

 それでは日本人の定義は何だろう。長迫厚樹記者は「韓国に留学中の在日の友人の話を聞く」の記事の中で、興味深い観察を書いている。

 「韓国へ留学している在日朝鮮・韓国籍の学生は、日本人より日本的だ」というのだ。「日本人より日本的」なら日本人だと考えるべきだろう。これから見て、「日本人」と言う範疇は日本国籍とは必ずしも一致しないと思う。

「日本人」をどう定義する?

 一番わかりやすく矛盾が少ないのは、「日本語を母国語とする人が日本人だ」という定義だ。ただ帰国子女など日本語が母国語でない日本人もいないわけではないから、「日本語を母国語とする人、および親が日本人の人」と付け加えても構わない。

 「日本国籍だから日本人だ」と言われるよりも、「母国語が日本語だからお前は日本人だ」と言われるほうが、私はよほどすっきりと理解できる。それならば、漢民族の日本人がいてもいいし、朝鮮族の日本人がいても何もおかしくない。

国籍にかかわるさまざまな申請用紙(撮影:趙秋瑾)

 この「漢民族の日本人」という考え方は、私に、ある種の心の落ち着く場所を与えてくれた。だから私は、北京に住む漢民族の日本人として、オーマイニュースで中国の実情を伝えていきたいと思う。

 ただ一般的な感情として、世間に向かってものを書くときには先祖から伝わった名前の方を使いたいと思う。私にとっては中国名も「実名」であって、決して浮世を忍ぶ仮の名ではないこと、北京に住んでいる漢民族である以上、中国名で書くほうが自然であろうことなどが理由だ。オーマイ編集部も、それをペンネームにどうぞ、と認めてくれた。

中国の姓名システムと、私の名前
 
 多くの日本人は、作家や俳優などでない限り名前はひとつで、名前について考える必要はない。一方、中国人は、今でも多くの人が、子供の時は、戸籍名とは別の「小名」というあだ名で呼ばれることが多い。また、新中国ではかなり廃れたが、成人したときに「字」という名前を両親からもらう習慣もある。

 三国志に「死せる孔明と生ける仲達を走らす」というのがあるが、孔明も仲達も「字」で、本名はそれぞれ諸葛「亮」と司馬「懿」だ。また蒋介石の介石も「字」で名前は中正。

 私の名前「秋瑾」は、紹興出身の女侠にあやかって強くなるようにと祖父がくれた「字」である。

 これとは別に昔は自分でつける「号」というのもあったが、いまでは歴史上の話になってしまった(ただ、日本で説明する場合は「字」と「号」の区別が面倒なので、同様に説明してしまう場合もある)。

 中国でこれほど名前をいろいろつけるのは、一つには苗字の数が少なく、同姓同名が非常に多いせいだ。

 陳舜臣先生によると、日本に20万ぐらいの苗字があるのに対し、中国では2000にも満たないそうだ。たしかに私の知り合いにも王欣が3人、李偉が4人いて区別に困っている。

日本的な、あまりに日本的な

 中国遼寧省生まれの女優、李香蘭こと山口淑子さんが初めて日本(下関)へ来たときのことを、自伝『私の半生』に次のように書いている。

旅券をさしだすと、警官は私の顔と見くらべながら吐きだすようにどなった。貴様、それでも日本人か。……いいか、日本人は一等国民だぞ。三等国民のチャンコロの服を着て、支那語なぞしゃべって、それで貴様、恥ずかしくないのか

 この叙述は読むたびに私の胸を刺す。こういう狭量な態度は、日本国籍と日本人と、さらに民族の3つを同一視するところから出てくるのだと思う。

 だからその3つとは別の基準、「日本語を母国語とする者が日本人だ」という定義で考えれば、こんな暴言は出てこないはずだ。まして山口さんは両親とも日本人だ。同時に、長迫記者が書いておられた、「帰化は同化の強制である」とか、「日本国籍取得は民族性の抹殺である」というような、朝鮮族など在日外国籍者の偏狭な考えも意味を持たなくなるだろう。

 日本は、同化作用に富んだ国だ。古代の百済人などだけではなく、平安時代以降も元寇の時に捕虜になった数多くの中国(南宋)人や、秀吉の朝鮮出兵で日本へ連れて来られた朝鮮人など、いつの間にか全部が日本人になってしまっている。

 飛鳥、奈良時代と同様、漢族や朝鮮族の日本人をあたりまえ、と考える時代が再び来たのではないだろうか。野球の王貞治監督は台湾籍だが、多くの日本人が尊敬する偉大な日本の選手ではないか。



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