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残留孤児訴訟 「終結」後に問われるもの

3月9日(日)

 「義務教育も受けられなければ母国語も教えてもらえず、長期間年金の納付もない。…私たちは日本人としての権利と自由を求めました」

 中国残留孤児が国を訴えていた集団訴訟のうち、長野県関係の原告が訴えを取り下げ、長野地裁での裁判が終わった。原告団副団長、石坂万寿美さんが法廷で述べた言葉が、この裁判の意味と今後に残された課題を物語っている。

 残留孤児は国策に背中を押されて中国に渡り、帰ってこられなくなった人たちだ。帰国後もしっかりした支援がなく、多くは生活保護に頼る苦しさを強いられている。長野県関係では、孤児とその遺族79人が1人当たり3300万円の損害賠償を求めて裁判に訴えた。

 東京、大阪など15地裁におよぶ裁判では、孤児らの訴えを退ける判決が多かったものの、支援強化が必要だとする声は政治レベルでも少なくなかった。昨年6月、国民年金の満額支給(月6万6000円)と最高8万円の生活支援給付金上乗せを内容とする支援策を政府、与党が決定、原告団が受け入れて、訴訟終結への流れができた。

 長野県からは3万3000人の開拓団が送り出された。都道府県ごとではいちばん多い。

 孤児たちを日本に呼び肉親を捜す訪日調査は、1981年から国の事業として始まった。きっかけになったのは、下伊那郡阿智村の長岳寺住職を務めた故山本慈昭さんが、民間レベルで始めた調査だった。

 中国への開拓団送り出しと肉親捜しの両面に、長野県は深くかかわってきた。長野訴訟が終わる意義もそれだけ重い。

 大きな課題が残されている。孤児の皆さんが本当に「日本人としての権利と自由」を行使し、享受できるようにすることだ。

 信濃毎日新聞が3年前に連載した記事「日中を生きる」には、帰国した人々と地域との溝が埋め切れていない実情が紹介されていた。あわせて行った県民意識調査では、帰国した人たちに親しみを「感じる」と答えた人は4人に1人。「何ともいえない・わからない」とする答えが7割近くを占めた。

 垣根を取り払うために、やるべきことは多い。まず、日本語教育を強化したい。県や市町村は、住民レベルの交流の支援に一段と力を入れるべきだ。孤児の苦しみがなぜ生まれ、今日まで長引いたのか、学校で教えるのも重要だ。

 中国文化を背景として持つ人たちの力を、地域社会に生かす発想も持ちたい。わだかまりなく解け合うことができれば、長野県は風通しがもっとよくなる。