京都ウトロ地区問題:住民たちは追い出されてしまうのか(上)
京都府宇治市ウトロ地区の土地売買交渉期限(9月末)が再び近付いている。今月過ぎれば解決するのか、再び期限を延長するのか、あるいは住民たちが強制的に追い出されるのか、今のところは分からない。ただはっきりしているのは、住民や支援者の力だけでは限界があるということだ。
ウトロ地区の問題は、表面的にははっきりしている。65世帯203人の在日韓国人たちが6000坪(約1万9800平方メートル)ほどの「他人の土地」で生活しているということだ。地主は「金を払って土地を買うか、土地から出て行け」と主張しており、住民たちは「出て行くことはできない」と主張している。
この問題は、法的にはすでに結論が出ている。日本の裁判所は2000年、最終的に地主の主張を受け入れた。約60年にわたり土地を耕しながら生きてきた住民たちの居住権を認めなかったのだ。
しかし、日本社会における在日・韓国朝鮮人問題がそうであるように、ウトロ問題も歴史的な背景を排除することはできない。一時、日本に住むすべての外国人が特に不満もなく指紋捺印に応じていたときにも、在日韓国・朝鮮人たちの指紋捺印は差別と人権問題という観点で早くから廃止が検討されていたのと同様だ。「日本が仕事をさせるために連れてきたのなら、最小限の人権は保障すべき」という論理だ。戦後何の補償も受けられなかったウトロ地区の住民も、この論理で今日まで来ている。
- 太線の中がウトロ地区。徒歩10-15分ほどの距離だ。/写真提供=ウトロ国際対策会議
◆住民たちはどのようにしてウトロへ来たのか
ウトロを強制徴用と関係付ける見方が多い。日本政府による徴用令により1941年から始まった韓国人強制労働の犠牲者、またはその子孫だというのだ。ウトロ地区の形成は、戦時中に軍の飛行場建設労働者たちが不毛の地だったこの地域に仮住まいを始めたことがきっかけだった。飛行場の建設が始まったのは1941年。こうして強制徴用とウトロを関連付ける先入観が生じた。
しかし、この地で働いていた韓国人労働者1300人は、当時の徴用令により連れて来られたわけではない。ウトロ国際対策会議ホームページには「いくつかの誤解について明らかにする。(ウトロ地区の韓国人労働者たちは)銃剣による直接の武力により移住したわけではなかったとしても、故郷で生活ができなくなった植民地の国民が、経済的問題などさまざまな理由により、自らの思いとは関係なく植民地宗主国へと移住したケース」と説明している。
東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員
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