メモ:田上耕作(松本清張「或る『小倉日記』伝」)の実像
>>http://s01.megalodon.jp/2008-0307-2224-42/love6.2ch.net/test/read.cgi/mystery/1188881104/585

> 松本清張「或る『小倉日記』伝」(森鴎外の研究)の解説はネット上にないかな?

http://s03.megalodon.jp/2008-0221-0451-16/homepage2.nifty.com/abecin/04libri/0402seicho.htm
> 耕作の生没年は作品とは異なっており,清張は作品の中で自分と同年として設定
> 現実の耕作には姉がひとりいたが,これも清張がみずからにあわせてひとり息子とした
http://s01.megalodon.jp/2008-0221-0454-29/blog.goo.ne.jp/entertainment_2005/e/89237c32f47ccd2ff8ba48d4fa403db7
> ・田上耕作の没年は昭和二十年。空襲により母と共に死んだ。
> ・耕作は母ひとり子ひとりの家族ではなく、ふたりの姉がいて、さほど貧しい環境ではなかった。
> ・田上耕作の病状も清張作品ほどひどくはなかった。
> ・田上耕作は郷土史家として知られており、鴎外の事跡を調べていたのは事実だが、「小倉日記」の再現だけを目標としていたわけではない。

> ●どの部分が創作か。 
実在の田上は地元の文人(岩下俊作、阿南哲朗、杉田久女など)との交流も多く、鴎外に限らず多くの研究や作品を発表しています。
小説の最後に出てくる、研究をまとめた風呂敷包みは実在しましたが、戦後行方不明になっています。

> ●松本清張は実際に「聞き込み調査」を行ったのか?
実在の田上は行った事実が見られないことと清張自身の談から、ほぼ清張の体験がモデルと考えられています。
ただし作品の取材というより、作家を志す以前の実体験を田上に仮託して作品化した、と考えた方がいいようです。

> ●この短編小説には、森鴎外について研究者も知らないような新事実が書かれていたのか?
小説上で明らかにされた新事実というのはほとんど無いとされています。
ただし聞き込みという民俗学的方法で鴎外自身の言を実証したという評価もあります。

より詳細を知りたい場合は以下の文献でドゾー (^^

「北九州文学案内(3) もうひとつの『小倉日記』伝田上耕作」轟良子
 (雑誌『西日本文化 第274号』(財)西日本文化協会・1991.09、P26-30掲載)
「田上耕作の鴎外顕彰」轟良子
 (会報『北九州森鴎外記念会だより 第22号』北九州森鴎外記念会・1991.12、P1-4掲載)
「或る『小倉日記』伝 - 「実物」出現を巡ってー 」大塚美保
 (雑誌『国文学 解釈と鑑賞 平成7(1995)年2月号』至文堂、P59-62掲載)
「或る『小倉日記』伝 松本清張」
「小倉郷土会と松本清張」
「対談 清張と鴎外と そして田上耕作のことなど」(小林・今村・安間)
 (図録『森鴎外小倉赴任100周年記念 清張と鴎外』
   北九州市立松本清張記念館・1999.6、P11・P12-13・P14-15掲載)
「小倉郷土会と松本清張」小林安司
「記念館研究ノート 『清張と鴎外』展の狙い」藤澤隆文
 (雑誌『松本清張研究 1』北九州市立松本清張記念館・2000.3、P34-41・P122-126掲載)
「巨人・松本清張の世界」(対談 - 安間・赤塚・藤井)
 (雑誌『西日本文化 第390号』(財)西日本文化協会・2003.4、P2-15掲載)
「田上耕作の文業 詩人・エッセイストとして」今村元市
 (雑誌『西日本文化 第360号』(財)西日本文化協会・2004.4、P9-13掲載)

実物の田上含め、写真も多く入手し易い図録『清張と鴎外』(0)がお薦めです。
地方誌や会報は公共図書館のレファレンスサービスで相談すれば、コピー取寄せが可能かも。
(雑誌『国文学 解釈と鑑賞』は大きな図書館なら購入・保存してる所も多いです。)



crooc
投稿日時 : 2008-03-07 22:45:09
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