沖縄の事件。
オーマイニュースにも載ったこの記事。
この記事を書いた京都の岡田記者には、特に女性からの反発が非常に多いばかりではなく、男性の多くの記者からも反発を招いた。その様子はこの記事のコメント欄を見れば明らかだ。
記事を読むと、この人の記事はとても若々しい。若々し過ぎて、生悟りの青臭ささえ感じられる。理屈だけを語り、感情が語れないところなどを見ると、とても60になんなんとする、世間を知り尽くした大人の男性の意見とは、個人的にはまるで思われない。
若いということはすばらしいことだが、「若作り」は敬遠される。
人間には年齢相応の発言や行動、というものがあるはずだが、そういうことも考慮できない、というところが若いなぁ、とは個人的には思う。
とにかく、若いってことはすばらしい(らしい)。
ところで、この岡田さんはご存知ないか、そのあまりにお若い年齢のせいで忘れたのかも知れないが、沖縄はじめ、「基地の町」と呼ばれる界隈には、日本だけではなく、多くの場所で同じような問題が多発している、という事実がある。暴力を仕事とする軍隊の周辺では、古くから多くの同じトラブルが繰り返されてきた。
古い時代、同じようなトラブルがあれば、そのほとんどの場合は女性の側が泣き寝入りになることが多かった。男性社会である日本であればなおさらだった。しかし、今は女性も声をあげられる。そして、「男女平等」の建前も社会的に多く認知されるところとなった。
こういう時代にあって、このトラブルは国際問題となるだけではない。米軍などの軍隊にも多く女性がいる現状からしても、軍の士気低下にも当然つながっていく。加えて、綱紀粛正という観点からしても、「信頼の得られない軍隊」では、当然のことながら、軍事予算さえとれなくなる。軍隊といっても、社会で多くの人との関係の中で成立しているものであることに変わりはない。
「マスコミが騒ぐから問題が大きくなった(マスコミは反軍で左傾化している)」
ということを、岡田記者は記事で書きたかった、というのはわからないではないが、私は納得はできない。
男性、女性に限らず、人間の一生を左右するようなことが一瞬にして、誰か見知らぬ他人の暴力で捻じ曲げられる、ということはあってはならない。それをされてしまった人間の感情にまったく配慮していないこの記事に、反発があるのは当然のことだろう。そして、この記事のみならず、この事件を報道するマスコミもまた、自分のことだけしか考えていない、という意味において、まったく同類である、ということに思いが至るべきだ。
他の人間への想像力や配慮を欠いた人は、特に私の周りの団塊の世代の人たちに多く見る。他人を蹴落して自分が前に出ないと生きていけなかった、という「世代の事情」もまたそこにあるのかも知れない。
でも「今の自分がなぜできあがったか?」ということについては、それがもう直しようのない捻じ曲がった自分であろうと、自分に対して自覚的でいたいものだ。われを忘れた後では、反省をしたいものだ。それができなくなったとき、人間は「ボケた」ということになるのだろう。
人間は「完璧な自分」「平均的な自分」から逸脱する面を、どうしても持ってしまう。それが個性というものである以上、他人からすばらしい、といわれる「個性」であろうと、嫌がられる「個性」であろうと、それらを変化させながら、それでもその個性と一緒に生きていかなければならない。
「自省」のない社会に生まれ育った、現代の日本人のその最初の世代が団塊の世代なのかも知れない。そういう人たちの生存競争は、いつ見ても気持ちの悪いものだ。
何度もあちこちで引用するけれども、ニーチェが言ったことばがある。
「いつかは、自分自身をもはや軽蔑することのできないような、もっとも軽蔑すべき人間の時代が来るだろう」
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