March 2008
2008.03.03
「某会」について…
ブログのコラムやプロフィールなどでよく書いているが、少し某会について触れる。最近、なかには「某会」という名の組織と勘違いしている人が多い。それは違う。これは「正式な名前をいうのがはばかれるからナニガシの会」としているだけだ。正式名称はある。しかし公開しない。
この某会。組織としての体を整えたのはまだ最近である。確かに現会員のなかには一昨年にブログを開設したときに、会員になった人間も少数ながらいる。だが当時は「小島を囲むファンクラブ」のようなものだった。
しかしいまは違う。
詳細はいわない。組織として地下に潜った以上、あらゆる意味で「秘密結社」となった。とはいえ、こうして「秘密〜」と書いているのだから、もはや秘密なのか何なのか分からないが…。
ただ某会が「格技集団」であり、定期的に稽古会を開き、時に幹部会、全国総会を開く、一応れっきとした「組織」であるのは事実だ。連絡はメールや掲示板を利用するが、あまたある「匿名掲示板」ではなく、またそれは連絡の手段でしかない。
1月末、某会初の全国総会を開いた。「裏捌き」という実戦格闘術の講習会を兼ねて行った。全国から飛行機や新幹線を利用して仲間たちが池袋に集結した。
「裏捌き」についても詳しくは書けない。ただ、今は形骸化してしまった某古武術というか合気柔術と、その流れを汲む某実戦格闘技の「秘伝」とされてきた技術のことをいう。中国武術ではあるまいし、私は本来「秘伝」などという胡散臭い言葉は好きではない。だが、「格闘術は型にはめられた段階で形骸化する」というのも私の持論である。
もう30年前、危険ながらも道場では組手乱取りとして行われていた技術が、創始者の死とともに組手乱取りが廃止され、約束乱取りになったが、それも現在では行われなくなった。残ったのは「型」だけである。いま、この技術を型として「演じる」人間はいるが、実戦を知る者はほとんどいない。
更に、この合気柔術のエッセンスを取り入れてより進化した技術に昇華させた天才的な格闘家も逝ったいま、その組織に遺されたのは現在の合気道的な「約束技術」が主になってしまった。
私は「武道家」でも「格闘家」でもない。格技に関しては極めて未熟な人間に過ぎない。ただ妙な縁から私は合気柔術の創始者が組手乱取りを積極的に行っていた時代に道場で学び、某格闘技創始者からもあるキッカケから14の「裏技」を直接指導された。14とはいえ、その応用は無限に存在する。
私も偉そうにツッパってきたが、さすがに体力的な衰えは隠せない。せっかく武道界の天才的な格闘家から学んだ技術をいま映像などに残しておかなくては機会を失ってしまう。息子を相手に度々、勘が鈍らないよう行ってきたが、極めて危険なために全ての技術を仕掛ける前に息子の体が悲鳴を上げてしまう。
ということで、某会の会員はみな例外なく格技のプロフェッショナル揃いである。彼らに受け手になってもらい、同時に彼ら自身にも私が学んだ技術の「実戦性」を体感してほしい。大まかではあっても技術のメカニズムも理解してもらえれば、今後も技術が「死に絶える」ことはないだろう…。そこで全国総会を兼ねて、「裏捌き」講習会を開いた。骨折、脱臼、脳震盪…。予想以上に怪我人が続出した。会員には申し訳なかったが、それだけ「裏捌き」が実戦的だということの証明にもなった。
きっと彼ら1人ひとりが、この「裏捌き」というものを、研究し、または語り伝えていってくれるだろう。全国の某会の兄弟たちが必ずや「裏捌き」を永遠のものにしてくれる。また、これによって某会会員の絆もより深まったと信じている。
某会の「幹部」は全国に十数名。ブログのプロフィールで追々紹介していくが、みなホンマに「いいヤツ揃い」である。格技以外の活動は内緒だ。当然某会はヤクザでも暴力団でもないし、ましてやオウム何とかのような胡散臭い新興宗教でもない。だが、その結束力や「筋」と「義」を行動原則とする意識においては、その辺のヤクザ以上といっても過言ではない。私は彼らは「家族」であり「兄弟」であると常に思っている。団結力は「血」より濃い。
とはいえ、「兄弟」たちはみな個性的で憎めない、しかし怖いヤツらばかりだ。特に熊本の「ケンカ探偵屋」、高知の「格闘職人」、横浜の「狼柔術家」の3人は人情家でよく泣いているくせに凶暴この上ない。
名古屋の「フロント実業家」は彼らの兄貴分の貫禄。人情も濃いが義理と仁義に生きる今時珍しい「漢」だ。空手、格技No.1の私の「先輩」は某会では異色なほど紳士だが、心に秘めた義侠心と闘争心で某会の「要」となっている。小島よりも今や大志の兄貴分である極真空手家の強豪は美人な外人女性を婚約者にしているだけあって若い、若い。いつも笑みを絶やさないが、この男こそが「凶暴No.1」、そして理屈を超えて小島を好いてくれる。
他流派で黒帯を締めていたのに稽古会でどん底を見て極真会館に入った某宗の僧侶。やはり他流派で幾つもの道場を持ちながら奮起して極真会館に白帯から入った関西のサムライ。間違いなく白帯最強! 1年もしないで黒帯になるだろう。行動が示すように、彼らは男のなかの男である。脱帽するしかない。
元ボクサー、そして再び40を超えてボクシングに復帰した無口な男。彼とも古い仲間だ。無口でシャイな人間だが、内に秘めた熱き闘魂は某会のムードメーカーでもある。最年少幹部である鎌倉の極真空手家は某会1のイケメンである。だが空手は上手くセンスもいい。顔に似合わず挑戦心に富む。可愛い「弟」だ。
いちいち紹介していったらキリがない。後はブログのプロフィールを楽しみにしてほしい。
ただ、これだけは断言する。
今の小島にとって某会の「兄弟」は塚本佳子、息子の大志と並んで「宝」であり、何ものにも代え難い「家族」である。まさに「平成新撰組」(小島は元号が嫌いだが…)といってもいい。いつの日か某会が「表」に出ることがあるだろう。その時、日本は変わる!?
(了)
この某会。組織としての体を整えたのはまだ最近である。確かに現会員のなかには一昨年にブログを開設したときに、会員になった人間も少数ながらいる。だが当時は「小島を囲むファンクラブ」のようなものだった。
しかしいまは違う。
詳細はいわない。組織として地下に潜った以上、あらゆる意味で「秘密結社」となった。とはいえ、こうして「秘密〜」と書いているのだから、もはや秘密なのか何なのか分からないが…。
ただ某会が「格技集団」であり、定期的に稽古会を開き、時に幹部会、全国総会を開く、一応れっきとした「組織」であるのは事実だ。連絡はメールや掲示板を利用するが、あまたある「匿名掲示板」ではなく、またそれは連絡の手段でしかない。
1月末、某会初の全国総会を開いた。「裏捌き」という実戦格闘術の講習会を兼ねて行った。全国から飛行機や新幹線を利用して仲間たちが池袋に集結した。
「裏捌き」についても詳しくは書けない。ただ、今は形骸化してしまった某古武術というか合気柔術と、その流れを汲む某実戦格闘技の「秘伝」とされてきた技術のことをいう。中国武術ではあるまいし、私は本来「秘伝」などという胡散臭い言葉は好きではない。だが、「格闘術は型にはめられた段階で形骸化する」というのも私の持論である。
もう30年前、危険ながらも道場では組手乱取りとして行われていた技術が、創始者の死とともに組手乱取りが廃止され、約束乱取りになったが、それも現在では行われなくなった。残ったのは「型」だけである。いま、この技術を型として「演じる」人間はいるが、実戦を知る者はほとんどいない。
更に、この合気柔術のエッセンスを取り入れてより進化した技術に昇華させた天才的な格闘家も逝ったいま、その組織に遺されたのは現在の合気道的な「約束技術」が主になってしまった。
私は「武道家」でも「格闘家」でもない。格技に関しては極めて未熟な人間に過ぎない。ただ妙な縁から私は合気柔術の創始者が組手乱取りを積極的に行っていた時代に道場で学び、某格闘技創始者からもあるキッカケから14の「裏技」を直接指導された。14とはいえ、その応用は無限に存在する。
私も偉そうにツッパってきたが、さすがに体力的な衰えは隠せない。せっかく武道界の天才的な格闘家から学んだ技術をいま映像などに残しておかなくては機会を失ってしまう。息子を相手に度々、勘が鈍らないよう行ってきたが、極めて危険なために全ての技術を仕掛ける前に息子の体が悲鳴を上げてしまう。
ということで、某会の会員はみな例外なく格技のプロフェッショナル揃いである。彼らに受け手になってもらい、同時に彼ら自身にも私が学んだ技術の「実戦性」を体感してほしい。大まかではあっても技術のメカニズムも理解してもらえれば、今後も技術が「死に絶える」ことはないだろう…。そこで全国総会を兼ねて、「裏捌き」講習会を開いた。骨折、脱臼、脳震盪…。予想以上に怪我人が続出した。会員には申し訳なかったが、それだけ「裏捌き」が実戦的だということの証明にもなった。
きっと彼ら1人ひとりが、この「裏捌き」というものを、研究し、または語り伝えていってくれるだろう。全国の某会の兄弟たちが必ずや「裏捌き」を永遠のものにしてくれる。また、これによって某会会員の絆もより深まったと信じている。
某会の「幹部」は全国に十数名。ブログのプロフィールで追々紹介していくが、みなホンマに「いいヤツ揃い」である。格技以外の活動は内緒だ。当然某会はヤクザでも暴力団でもないし、ましてやオウム何とかのような胡散臭い新興宗教でもない。だが、その結束力や「筋」と「義」を行動原則とする意識においては、その辺のヤクザ以上といっても過言ではない。私は彼らは「家族」であり「兄弟」であると常に思っている。団結力は「血」より濃い。
とはいえ、「兄弟」たちはみな個性的で憎めない、しかし怖いヤツらばかりだ。特に熊本の「ケンカ探偵屋」、高知の「格闘職人」、横浜の「狼柔術家」の3人は人情家でよく泣いているくせに凶暴この上ない。
名古屋の「フロント実業家」は彼らの兄貴分の貫禄。人情も濃いが義理と仁義に生きる今時珍しい「漢」だ。空手、格技No.1の私の「先輩」は某会では異色なほど紳士だが、心に秘めた義侠心と闘争心で某会の「要」となっている。小島よりも今や大志の兄貴分である極真空手家の強豪は美人な外人女性を婚約者にしているだけあって若い、若い。いつも笑みを絶やさないが、この男こそが「凶暴No.1」、そして理屈を超えて小島を好いてくれる。
他流派で黒帯を締めていたのに稽古会でどん底を見て極真会館に入った某宗の僧侶。やはり他流派で幾つもの道場を持ちながら奮起して極真会館に白帯から入った関西のサムライ。間違いなく白帯最強! 1年もしないで黒帯になるだろう。行動が示すように、彼らは男のなかの男である。脱帽するしかない。
元ボクサー、そして再び40を超えてボクシングに復帰した無口な男。彼とも古い仲間だ。無口でシャイな人間だが、内に秘めた熱き闘魂は某会のムードメーカーでもある。最年少幹部である鎌倉の極真空手家は某会1のイケメンである。だが空手は上手くセンスもいい。顔に似合わず挑戦心に富む。可愛い「弟」だ。
いちいち紹介していったらキリがない。後はブログのプロフィールを楽しみにしてほしい。
ただ、これだけは断言する。
今の小島にとって某会の「兄弟」は塚本佳子、息子の大志と並んで「宝」であり、何ものにも代え難い「家族」である。まさに「平成新撰組」(小島は元号が嫌いだが…)といってもいい。いつの日か某会が「表」に出ることがあるだろう。その時、日本は変わる!?
(了)
2008.03.02
小島は「武道家」ではありません。しがない「物書き」ですけえ!《改訂版》
「あんた武道家だろう? 武道家がまるでヤクザみたいなことをいったりして恥ずかしくはないのか!」
似たような言葉をいままで何度もいろんな人から浴びせられました。ハッキリいっておきます。小島は過去、自分を「武道家」などといったことはありません。また自分が「武道家」だなんて思ったこともありません。
それでは訊きます。「アンタ武道家だろうが…」という言葉にはいかなる意味があるのですか? 小島は謙遜しているのではありません。「武道家」という言葉、また自らを「武道家」と名乗る人間を侮蔑、見下しているのです。まだ「格闘家」というのならば分かります。格技を極めた者、または格技を生業とする者を「格闘家」と呼ぶのでしょう。
勿論、小島は「格闘家」と自称するほど格技を極めてはいませんから「格闘家」でもありませんが…。柔道も古武術も極真空手もみな中途半端、常に道場の末席の末席を汚してきただけの半端者です。
しかし「武道家」と「格闘家」の持つ意味は違うはずです。みなさん、誤解しているのではありませんか? それとも勘違いをしていませんか? 「武道家」という言葉には、「格技・武道を極めていると同時に人格者である」という意味が含まれているのでしょう。つまり「格技を極めた者は人格者でなければならない」とでもいいたいのでしょうか?
バカいっちゃいけませんよ。格技を極めることと人間性や精神性を高めることは全く別ですよ。ならば昨年、問題になった「新極真会支部長の強姦・強盗事件」をどう説明します? 三瓶啓二の弟子もかつて刑事事件を起こしていましたね。新極真会の看板を背負っている塚本徳臣は麻薬事件、鈴木国博は暴行事件を起こしていますが…。彼らを「武道家」と呼ぶのですか?
小島が知る限り、「武道家」といって「確かにもっとも…」と頷けるのは盧山初雄くらいです。盧山先生は齢60にもかかわらず毎日、稽古と鍛錬を怠らず、道場での指導も自ら先頭に立ち続けています。人間的にも尊敬に値する方です。当然、抜群に強い。
「武道家」…、実に胡散臭い言葉です。芦原英幸が口癖のようにいっていました。
「空手の先生とおだてられて、自分が教育者にでもなったつもりの人間が多すぎる。たかが空手家なんて社会のなかではヒヨッコですけん。芦原はただの空手職人で十分です」
これこそ至言というものです。
「武道家」と自称する人間を信用しない…。これが小島の主義です。ましてや格技も中途半端な小島が自分を「武道家」などとバカな事をいうはずがないでしょう。当然、私は人格者でも教育者でもありません。ゴミのような端っばの人間です。
だから小島は三瓶啓二や東孝のように、「空手で教育云々〜」などと公言する人間を心底軽蔑しています。第一、三瓶が「空手で教育〜」といい出した頃、たしか80年代の半ばでした。三瓶が主催する東北大会か福島大会のパンフレットを作る際、彼は私に電話でいいました。
「これからは空手による教育を俺の持論にしていく。だから、その事について論文を書け。大会パンフレットに掲載するから」
私が「月刊空手道」の編集者だった頃でした。あの頃の三瓶は空手チャンピオンという「名声」を武器にして政界進出を計画していました(勿論、たかが空手チャンピオンだけで世の中渡れるほど世間は甘くなく、三瓶の政治家への野望は簡単に頓挫するのですが)。
そこで私は答えました。
「先輩、分かりました。それでは空手による教育について、先輩の考えをざっくばらんに話してください」
すると、三瓶から驚く言葉が返ってきました。
「そんなもん俺には分からないだろが。だからオマエ書けといってるんだよ」
結局その後、三瓶が語る「空手教育論」は、ほとんど小島が適当に書いた評論の焼き直しに終始しています。三瓶の例こそが、教育論だ精神論だと、さも偉そうな事を口にする人間の低俗さ、胡散臭さを表しているといえるでしょう。三瓶の語る教育論の原型は小島が書いた論文にある…なんとバカバカしいことでしょうか。しかし、これは紛れもなく事実です。
「違う! 小島は嘘を書いている」
そういうのならば、三瓶先輩、直接小島にクレームをつけてくださいよ。
繰り返します。
小島は「武道家」と自称する人間を認めていません。武道家と名乗るヤツにはロクなのがいません。逆に頭のなかが空っぽで軽薄なヤツだと小島は信じています。特に最近は空手着さえ殆ど着ないで、「空手ビジネス」や「権力闘争」に夢中になっている人間に限って執拗に自分を「武道家」と宣伝をする…。
酷いのは、私たち物書きのなかにも箔をつけたいのか自分のプロフィールに「武道家」と書く輩までいるというのが呆れます。古くはO、近年ならばMやY。本名出してもいいんですが…。とにかく小島は「武道家」なんて自惚れた人間ではありません。「格闘家」といえるほど、格技を極めてもいません。山田英司のように「戦う編集長」だなんて、恥ずかしい限りです。
ただ、小島は「武道家」でも「格闘家」でもありませんから、未熟な「物書き」ふぜいに過ぎませんから…私にケンカを売るときは気をつけて頂きたいものです。格技のように徒手空拳で1対1、「参った!」で勝敗が決するのは「試合」であって「ケンカ」とはいいませんよ。ケンカにはルールもヘチマもありませんからね。小島は手段を選びません。ガキのそうして生き抜いてきたんですからね。
「小島さん●●にケンカを売るんですか?」
「○○塾(または○●道場、●○会館)にケンカを売るのか!?」
私はたまに、そんなことをいわれます。「ケンカを売るのか?」と叫びながら実はそっちがケンカを小島に売っているのですが…。小島は自分から「筋」も「義」も通らぬケンカなど売りません。
「小島は大道塾、新極真会にケンカを売った!」
未だにそんなアホをいう人間は減りません。小島にケンカを売ったのは東孝でしょうが。弟子たちに懇願されて組織の在り方に疑問を呈したら、翌日から「小島はキチガイだから…」と東は弟子たちに吹聴し始めたものです。小島と東の確執の「事実」は何度も書いてきました。東先生、小島の言い分が違うというならば、直接小島に文句をいってください。陰口いわずに堂々と。だって東先生は「武道家」なんでしょ。
新極真会には紳士的に取材申請を出しました。事務局長の小井泰三は正式に受諾してくれました。ところが、どこから「天の声」が降りてきたのか?突然、取材受諾が白紙に戻された。つまりケンカを売ってきたのは新極真会です。その件を綴った小井からの手紙はいまも私のもとにあります。公表しましょうか?
ちなみに新極真会とのトラブルについて、小島が新極真会からの何らかの圧力に屈したという噂があるそうな。たしかに「新極真会を自称する集団」から凶器で襲撃されたことも何度かありました。しかし小島は一歩も退いていません。冗談じゃない!
ただ新極真会については、取材する必要がなくなったから無駄に関係しないだけです。しかし現在の新極真会は内部がグチャグチャ、三瓶を巡る権力闘争もくすぶり、もはや空手団体とは名ばかりの末期的集団と少なくとも小島は見ていますがね。
そういう意味でのケンカならばいつでも買いますけえ。
合法・非合法に関係なく、「ケンカを売るのか?」といいながらケンカを私に売るのならば、逃げも隠れもしませんよ。喜んでケンカを買わせて頂きます。その代わり、私は手段を選びませんから。また次のような詭弁はもう止めてくださいよ。
「小島は武道家といいながら卑怯なことをする」
「小島はペンの暴力を振るっている!?」
最後にひとつ。
かつて三瓶啓二と東孝は異口同音に私にいいました。
「オマエな、ペンは剣より強しというがなあ、小島のペンなんて簡単に折ってやるよ。ペンを武器にするなんて百年早いんだよ」
この事実だけはご両人、そして読者のみなさん忘れないでください。いまになって「ペンの暴力…」なんて三瓶さん、東さん、卑怯なこといわないでください。だって、あなたたちは立派な「武道家」なんでしょうからね。
(了)
似たような言葉をいままで何度もいろんな人から浴びせられました。ハッキリいっておきます。小島は過去、自分を「武道家」などといったことはありません。また自分が「武道家」だなんて思ったこともありません。
それでは訊きます。「アンタ武道家だろうが…」という言葉にはいかなる意味があるのですか? 小島は謙遜しているのではありません。「武道家」という言葉、また自らを「武道家」と名乗る人間を侮蔑、見下しているのです。まだ「格闘家」というのならば分かります。格技を極めた者、または格技を生業とする者を「格闘家」と呼ぶのでしょう。
勿論、小島は「格闘家」と自称するほど格技を極めてはいませんから「格闘家」でもありませんが…。柔道も古武術も極真空手もみな中途半端、常に道場の末席の末席を汚してきただけの半端者です。
しかし「武道家」と「格闘家」の持つ意味は違うはずです。みなさん、誤解しているのではありませんか? それとも勘違いをしていませんか? 「武道家」という言葉には、「格技・武道を極めていると同時に人格者である」という意味が含まれているのでしょう。つまり「格技を極めた者は人格者でなければならない」とでもいいたいのでしょうか?
バカいっちゃいけませんよ。格技を極めることと人間性や精神性を高めることは全く別ですよ。ならば昨年、問題になった「新極真会支部長の強姦・強盗事件」をどう説明します? 三瓶啓二の弟子もかつて刑事事件を起こしていましたね。新極真会の看板を背負っている塚本徳臣は麻薬事件、鈴木国博は暴行事件を起こしていますが…。彼らを「武道家」と呼ぶのですか?
小島が知る限り、「武道家」といって「確かにもっとも…」と頷けるのは盧山初雄くらいです。盧山先生は齢60にもかかわらず毎日、稽古と鍛錬を怠らず、道場での指導も自ら先頭に立ち続けています。人間的にも尊敬に値する方です。当然、抜群に強い。
「武道家」…、実に胡散臭い言葉です。芦原英幸が口癖のようにいっていました。
「空手の先生とおだてられて、自分が教育者にでもなったつもりの人間が多すぎる。たかが空手家なんて社会のなかではヒヨッコですけん。芦原はただの空手職人で十分です」
これこそ至言というものです。
「武道家」と自称する人間を信用しない…。これが小島の主義です。ましてや格技も中途半端な小島が自分を「武道家」などとバカな事をいうはずがないでしょう。当然、私は人格者でも教育者でもありません。ゴミのような端っばの人間です。
だから小島は三瓶啓二や東孝のように、「空手で教育云々〜」などと公言する人間を心底軽蔑しています。第一、三瓶が「空手で教育〜」といい出した頃、たしか80年代の半ばでした。三瓶が主催する東北大会か福島大会のパンフレットを作る際、彼は私に電話でいいました。
「これからは空手による教育を俺の持論にしていく。だから、その事について論文を書け。大会パンフレットに掲載するから」
私が「月刊空手道」の編集者だった頃でした。あの頃の三瓶は空手チャンピオンという「名声」を武器にして政界進出を計画していました(勿論、たかが空手チャンピオンだけで世の中渡れるほど世間は甘くなく、三瓶の政治家への野望は簡単に頓挫するのですが)。
そこで私は答えました。
「先輩、分かりました。それでは空手による教育について、先輩の考えをざっくばらんに話してください」
すると、三瓶から驚く言葉が返ってきました。
「そんなもん俺には分からないだろが。だからオマエ書けといってるんだよ」
結局その後、三瓶が語る「空手教育論」は、ほとんど小島が適当に書いた評論の焼き直しに終始しています。三瓶の例こそが、教育論だ精神論だと、さも偉そうな事を口にする人間の低俗さ、胡散臭さを表しているといえるでしょう。三瓶の語る教育論の原型は小島が書いた論文にある…なんとバカバカしいことでしょうか。しかし、これは紛れもなく事実です。
「違う! 小島は嘘を書いている」
そういうのならば、三瓶先輩、直接小島にクレームをつけてくださいよ。
繰り返します。
小島は「武道家」と自称する人間を認めていません。武道家と名乗るヤツにはロクなのがいません。逆に頭のなかが空っぽで軽薄なヤツだと小島は信じています。特に最近は空手着さえ殆ど着ないで、「空手ビジネス」や「権力闘争」に夢中になっている人間に限って執拗に自分を「武道家」と宣伝をする…。
酷いのは、私たち物書きのなかにも箔をつけたいのか自分のプロフィールに「武道家」と書く輩までいるというのが呆れます。古くはO、近年ならばMやY。本名出してもいいんですが…。とにかく小島は「武道家」なんて自惚れた人間ではありません。「格闘家」といえるほど、格技を極めてもいません。山田英司のように「戦う編集長」だなんて、恥ずかしい限りです。
ただ、小島は「武道家」でも「格闘家」でもありませんから、未熟な「物書き」ふぜいに過ぎませんから…私にケンカを売るときは気をつけて頂きたいものです。格技のように徒手空拳で1対1、「参った!」で勝敗が決するのは「試合」であって「ケンカ」とはいいませんよ。ケンカにはルールもヘチマもありませんからね。小島は手段を選びません。ガキのそうして生き抜いてきたんですからね。
「小島さん●●にケンカを売るんですか?」
「○○塾(または○●道場、●○会館)にケンカを売るのか!?」
私はたまに、そんなことをいわれます。「ケンカを売るのか?」と叫びながら実はそっちがケンカを小島に売っているのですが…。小島は自分から「筋」も「義」も通らぬケンカなど売りません。
「小島は大道塾、新極真会にケンカを売った!」
未だにそんなアホをいう人間は減りません。小島にケンカを売ったのは東孝でしょうが。弟子たちに懇願されて組織の在り方に疑問を呈したら、翌日から「小島はキチガイだから…」と東は弟子たちに吹聴し始めたものです。小島と東の確執の「事実」は何度も書いてきました。東先生、小島の言い分が違うというならば、直接小島に文句をいってください。陰口いわずに堂々と。だって東先生は「武道家」なんでしょ。
新極真会には紳士的に取材申請を出しました。事務局長の小井泰三は正式に受諾してくれました。ところが、どこから「天の声」が降りてきたのか?突然、取材受諾が白紙に戻された。つまりケンカを売ってきたのは新極真会です。その件を綴った小井からの手紙はいまも私のもとにあります。公表しましょうか?
ちなみに新極真会とのトラブルについて、小島が新極真会からの何らかの圧力に屈したという噂があるそうな。たしかに「新極真会を自称する集団」から凶器で襲撃されたことも何度かありました。しかし小島は一歩も退いていません。冗談じゃない!
ただ新極真会については、取材する必要がなくなったから無駄に関係しないだけです。しかし現在の新極真会は内部がグチャグチャ、三瓶を巡る権力闘争もくすぶり、もはや空手団体とは名ばかりの末期的集団と少なくとも小島は見ていますがね。
そういう意味でのケンカならばいつでも買いますけえ。
合法・非合法に関係なく、「ケンカを売るのか?」といいながらケンカを私に売るのならば、逃げも隠れもしませんよ。喜んでケンカを買わせて頂きます。その代わり、私は手段を選びませんから。また次のような詭弁はもう止めてくださいよ。
「小島は武道家といいながら卑怯なことをする」
「小島はペンの暴力を振るっている!?」
最後にひとつ。
かつて三瓶啓二と東孝は異口同音に私にいいました。
「オマエな、ペンは剣より強しというがなあ、小島のペンなんて簡単に折ってやるよ。ペンを武器にするなんて百年早いんだよ」
この事実だけはご両人、そして読者のみなさん忘れないでください。いまになって「ペンの暴力…」なんて三瓶さん、東さん、卑怯なこといわないでください。だって、あなたたちは立派な「武道家」なんでしょうからね。
(了)