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リムコーポレーションの書体の一部。どんな字が読みやすいのか、模索は続く――。書体見本を素材に構成 |
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数センチ角の携帯電話の画面でメールやニュースをさっと読める。そんな用途に合った新書体を考えてもらえないか――。
携帯電話に文字を表示するソフトを作るリムコーポレーション(浜松市)が、千葉大学工学部に依頼したのは05年春のことだ。
デザイナーでもある宮崎紀郎(みちお)教授(当時=現グランドフェロー)とデザイン心理学研究室の日比野治雄教授が引き受け、「読み間違わない字」の開発に知恵を絞った。
苦心したのは、濁点と半濁点。「パリ」か「バリ」かに迷った経験は誰でもあるはず。といって、「゛」や「゜」を大きくすれば、字本体が小さくなる。宮崎さんは「゛」の片方の点だけ大きくしたり、「は」の横棒の端を縮めてスペースを確保したりしてみた。
試作品は、日比野さんが実証実験した。20人の被験者に2.5メートル離れた画面で映した字を見せ、大きさを変えてどこまで読めるかなどを調べた。ひらがなは丸みを持たせて「ふところ」を広く、漢字は「へん」より「つくり」を大きく見せるなどの工夫を加え、昨年末完成した。
リム社のソフトは現在携帯主要各社に採用され、シェア5割を占める。新書体の「ユニバーサルデザインフォント ユニタイプ」は新機種の携帯に登場し始めている。
携帯電話に限らない。松下電器産業も03年秋、真野一則・主幹意匠技師を中心に「フォント研究会」を社内に立ち上げた。家電に使う文字を統一し、お年寄りにも読みやすくしようと、活字メーカーのイワタ(本社・東京)の書体をベースに「間違えにくい字」の開発に取り組んだ。
文字盤などに使う「2〜5ミリ角」に狙いを定め、徹底的に研究した。「『定』が『足』に見える」といった過去の苦情や改善例をもとに「間違えにくい書体」を探るため、海外を含め対面調査をした。100人近くに色々な書体を見せて印象を聞き、難読症などの論文も参考にした。
紛らわしい「6」と「9」、「ソ」と「ン」の特徴を変えて判別しやすくすることなどを、イワタのデザイナーに注文して改良していった。こちらも製品に採用されている。
さらにイワタは研究を発展させ、新書体を1万5000字まで増やし、新商品「UD(ユニバーサルデザイン)フォント」を06年末発売した。反響は上々、預金通帳や駅の表示板などにも採用され、昨年、この書体だけで、イワタの他の書体の合計売上額を上回った。
より読みやすく、より間違えにくく――。私たちの身の回りの文字も、静かに進化している。
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制作した書体を掲げ、発表する学生たち=京都市の京都精華大学で |
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自分らしさ映す手書きの味
職人芸で支えられてきた書体の世界に、誰でも使いやすい「ユニバーサルデザイン」の思想が持ち込まれ、読みやすさの科学的検証を加えることで、新たな書体が生まれた。ただ、どんな書体でも万能ではない。用途や大きさで読みやすさが異なるからだ。
視認性・通読性
千葉大の宮崎紀郎さんは、携帯画面向けに開発した書体について「文学作品のようにじっくり読むのには不向き」という。松下電器産業の真野一則さんも「読みやすいといっても、視認性(見やすさ)と通読性(読み続けやすさ)は違う」。表示用のUDフォントは視認性を重視した。「本や新聞のように長い文章を読み続けるには視認性より通読性が重要」と説く。
進化の行き先
では、書体は今後、どう進化していくのか。一つは、さらなる科学的検証だ。千葉大の日比野治雄さんは「脳の認知過程も考慮した研究を進めていきたい」と話す。もう一つは、手書きの味わいを残したような書体の追求になるかもしれない。
書体メーカーの「字游(じゆう)工房」(東京)は、細部に筆書きの印象を残した「ごくふつうに見える」ゴシック体に取り組み、今年度中に完成させる予定だ。鳥海修社長は「技術は進み、液晶画面はどんどん高繊細になる。そうなればなるほど、理想の字が求められる」という。
コンピューターソフトのアドビシステムズも、藤原定家の書風を参考に、大小や縦長、横長が入り交じった書体を研究中だ。従来の活字の正方形の枠にとらわれず、字ごとに固有の幅を設けることで、筆字の雰囲気を再現する試みだ。
書体へのこだわりの背景には、外国産の日本語書体が増えていることもある。その是非を判断する当の日本人の理解力が乏しくなっている。
タイポグラファーの長村玄さんは「文字は社会インフラ(資本)」が持論だ。デザイナー向けの講演などで、画数や書き順など基本をふまえてデザインをするように訴えている。
例えば「走」の縦棒を同じ太さで一直線に描くようなデザイン。書き順としては「土」を書いてから下を書くのだから、「明朝体では、上と下の縦画を区別する起筆部分をつけてほしい」。ちょっとした不確かな「字形(文字の設計)」の表現が文字を変質させ、誤字が増殖していった例もあるという。長村さんは「文字情報が正しく伝わるように表現するのがデザインの基本」と語る。
1月、鳥海さんが指導する京都精華大の授業で、「京都」をテーマにした新書体を学生が披露した。デザイナーの卵たちは7〜8人で4グループに分かれ、半年かけて仮名と数字を作った。
「苦労の末、開いた小料理屋の看板」「京都弁辞典に使う字」など発想は様々。できた書体は、自分のパソコンに搭載された。「自分の子供みたいな気がする」と涙ぐむ学生もいた。
手書きの字は、その人の個性を反映する。ワープロソフトの普及で薄れた個性を取り戻したい気持ちが、どこかに潜んでいるのかもしれない。
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書体の色々。(1)リムコーポレーション(2)秀英体(大日本印刷)(3)アドビシステムズ(4)イワタ(5)資生堂 |
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こだわり書体は会社のDNA
企業によっては、書体を文化として受け継いでいるところもある。
大日本印刷は06年、東京・DNP五反田ビル内に130年間受け継いだ自社の書体「秀英体」の展示室を作った。3年半計画で秀英体の改良も進めている。総合印刷業となった今では全体に占める書体関連の売り上げは少ないが、高橋仁一主席研究員は「技術は変わっても書体は残る。秀英体は会社のDNA」と話す。
こだわりは印刷業界に限らない。女性的な繊細さが印象的な「資生堂」の字は、中国の宋書体を参考にし、初代社長の福原信三氏が書体として統一、80年以上の歴史を持つ。1974年にデザイナーの山名文夫氏が主要漢字と、仮名、欧文の手引書を作り、05年にさらに整えた。新入社員のデザイナーは必ず先輩の指導で1年間手書き練習して身につける。60人を超す同社のデザイナーは全員書ける。
山形季央デザイン制作室長は「初代社長の理念『リッチ(豊かさ)』を表している」。いわば「イメージの社訓」というわけだ。今も主力商品の広告などに使い、外国向けの商品ロゴはすべて欧文の資生堂書体を使う。最近、ロシア語の書体も作った。
(文・東野真和 写真・鬼室黎)
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