帰国

中国は予想以上に埃っぽく、衛生面ではホテル以外で御手洗いに行くのが苦痛になるほど劣悪な環境の場所も多く、食事をするにも常に不安と隣り合わせで、体力的にも精神的にもハードな日々でした。

食事面では、本場の四川料理は大変美味しくて感動したんですが、一度取引先の方にご馳走していただいた時に、手をつけないのは申し訳ないからと、尋常でない量の油がしたたる食事(おそらく普段の摂取量の軽く10〜15倍以上)を無理して食べたおかげで胃が油を消化しきれず、ダウン。
「胃腸は丈夫」と自負していたけれど、本場の中華は限界を超えておりました…不覚。

中国はその他の多くの国同様、入浴はシャワーで済ませる習慣のため、ホテルも中の上クラスという外観も内装も豪華絢爛なつくりでしたがバスタブがなく、ゆっくりお風呂につかって疲れをとることもできないまま毎日資材市場を歩き回りました。
その甲斐あってか、お目当ての材料がもれなく見つかり、新しい素材も沢山集められたので、ようやく秋冬の企画がスムーズに進行できそうです。


しかしながら、今回の出張は元々、私が行けるものではなかったのです。
同行した先輩の社員さんに言われました。
「入社して何年も経つのに未だに一度も行かせてもらえてないメンバーが何人もいるのに、今回、入社して半年そこそこのあなた達が行かせてもらえたのは、社長がそれだけ期待してるから。
社内でもあなた達への評価は高い。
僕もそう思います。」


入社後しばらくして、うちの会社は専門学校の新卒しか採用しない方針なのに、30名以上も面接した結果、私を採用してくれたという話を聞いたことも思い出し、私はとてつもなく申し訳ない気持ちになりました。

私は二足の草鞋だなんて言って、自分のブランド活動も、支持してくれる友人知人やお客様がいるからと中途半端に継続しながら、同時に企業デザイナーとして学び、実績を作って会社に貢献し、それをまた自分の糧にしようと思っていました。
しかし本来なら、両者の両立は不可能です。
事務処理だけの内容なら別として、会社でデザインの仕事を本気でするなら、会社にいる勤務時間以外の日常生活も大いに関わってくるから。
しかも、バッグというカテゴリーの仕事が私一人に任されているのに、中途半端なことはできない。
しかし、バイタリティで何とか両立してみようと都合のいいことを考えていましたが、それは会社にも、オリジナルブランドの取引先やお客様に対しても失礼な話です。
今までは、「それでもいいから」「ご自分の可能なペースでいいから」という有り難いお言葉に甘えてきました。

しかし今回の出張で、会社の経費で海外にまで勉強させてもらいに行き、期待を背負っているのだという実感が否応無しに押し寄せ、私は決めました。

『Foggie』というオリジナルブランドを背負ったクリエイターとしての活動は、今現在までに注文を受けた仕事までで、休止します。


私が以前の会社を辞めてからオリジナルブランドを立ち上げ、自分の好きなセレクトショップで取り扱っていただき、沢山のお客様からお手紙や感謝のお言葉を頂いたこと、そしてそんな私の無謀極まりない活動を応援し、支えて下さった家族や友人、知人、お会いしたこともないけれど、ネットショップでお買い上げいただいたお客様や温かいメッセージを下さった皆様に、心からお礼を申し上げます。
今まで本当にありがとうございました。

ハンドメイドによる創作は私にとってライフワークであり、ブランド活動をする前から行ってきたことで、それをしないからと言って辞められるものではありません。
そしてそれを一生続けるのが私の夢です。
いつかまた違う形で世に出る可能性もあるでしょう。
「来年でも、後回しでも構いません」
そんなふうに言って下さる方がいること。
そのためにも、私はその可能性を自ら絶つことはありません。




話は変わりますが、デザイナーという仕事に就いている人間に、自信がない人間はいないと思います。
私は全く別の分野の勉強をしましたが、ある程度の確信からスタートし、周りからの評価が得られる毎に少しずつ自信がついていきました。
私の人となりがどうあれ、デザインはデザインです。

例えば、敢えて名前は挙げませんが、有名セレクトショップのおそらく半分以上で取り扱いのある高級インポートブランドのシューズデザイナーは、学校へ行ったり、専門的な勉強はしていませんでしたし、10代から40代くらいのファッションに興味のある女性なら誰もが知っているバッグや財布、アパレルからコスメまで手掛けるインポートブランドのデザイナーは元々医者でした。

私は自分のブログにおいて、センスであったり、自分自身の生い立ちや外見や経験において、「こう言われた」という内容のことは書いても、例えば「私はセンスがいい」と言った類の発言はしていません。
なぜなら自分の評価は周りが決めることだからです。

そして私は多くの方々が言って下さったことを「私はこう言われている」と書いてきましたが、私のことを実際知らない人に、言われた内容についてとやかく言われる筋合いはありません。

実際の私を知らない人がどこでどう言おうが、実際の私を知る人の評価が今の私という人間を表しているのです。
また、妄想で人の言った台詞を考えたり、個人やそのブログをターゲットにくだらない所であれこれ書き込みをしたり、見たりできるほど私は暇ではありませんし、実際の友人は知っていますが、ブログにネタとして書いたようなことは氷山の一角です。
ブログのネタを「創作」する余裕は私にはありません。


‘そういう所’は随分昔、友人に教えられて一度だけ見たことはありますが、今も今後も見ることはありません。
時間の無駄だからです。

しかしながら、過ぎ去ったこととは言え、自分のことを(真剣度はどうあれ)好きになってくれた人たちのことをネタに面白がって書いたことはどう控え目に見ても人を馬鹿にした行為であり、それに対する誹謗中傷があっても自業自得です。

ただ、今まで、個人としての私や『Foggie』のクリエイターとしての私を応援し、支えて下さっていた家族や友人、知人、お客様に対しては本当に申し訳なく思っています。
こういう事態になり本当に申し訳ありません。
一部しか読んでいないので、もし励ましのコメントなどいただいていたら、読まずに削除してしまっているものもあるかもしれません。
もしそういう方がいらっしゃいましたら、この場を借りてお詫びとお礼を申し上げます。
申し訳ありませんでした。
そして、今までありがとうございました。


また、私がリンクさせていただいていた方は、何かしらご迷惑をおかけする(または既にしている)可能性がある為、リンクを解除させていただきました。
お手数ですが、当ブログへのリンクも解除していただけると幸いです。


そもそも、仕事と個人的内容をごちゃ混ぜに書くこと自体が不適切だったと思いますが、それは私にとって創作というのは、そういう個人としての日常生活の産物だからです。
多くのクリエイターやアーティストと呼ばれる人たちの創作と同様に。
まだまだ同様に、などと言えるレベルではありませんが。

そして、ブログを読んで気分を悪くしたから私の作るものなんて見たくもないと思われたならそれは仕方のないことです。
ただ、私自身はいつも、あくまでもデザインはデザインなので、作る人がどうあれ、好きなものは好きですし、そうでないものはそうでないままです。
それがハンドメイドであろうとなかろうと。
ハンドメイドでよほど気に入ったものなら、そのクリエイターの人となりも知りたくなりますが、それと選ぶか選ばないかは別問題です。
これはあくまでも私の考えですが。


しかしながら、自分でもたまに思い出した記事を読み返してみると、別の人格があるのではないかと思ったことがあります。
親しい友人に「実際会って話すあなたはそんなこと言う人じゃないのに」と言われることもあるくらい。

それはおそらく、私の生い立ちに関係しているのだと思います。

こう書くと「また妄想の自慢話か」なんて言われるか知りませんが、私は幼少の頃から、絵画、バレエ、英会話、学校の勉強などにおいても、「この子は才能がある」とか「努力家でできる子」と親や先生から言われたり、通知表(通信簿)に書かれてばかりいました。
しかし実際の私は、勉強で予習や復習もしたことがなく、テストは全部一夜漬けで、夏休みの宿題や日々の課題も、前日や直前に慌ててやるだけ。
ただ飲み込みと記憶力が良かっただけなのです。
実際、理数系はサッパリでしたから。

なのに周りがそれこそ妄想としか思えない「優等生」像を勝手に作りあげたのです。
外見も同じこと。

コンプレックスだらけの‘ダメな私’なのに、みんなで褒めちぎり、批判してくれる人はいませんでした。

そんな私にようやく‘叱って’くれる人が現れたのは、ここ数年のことです。

しかし30年近くもそんな環境にいた私は、実際の自分と、(自分が努力していないことに対して)周りの人が評価してくれる自分とのギャップに悩み続けて、いつしか精神的に歪みを生じるようになっていたのでしょうね。
自信のないコンプレックスだらけの自分と、そういう他人からの評価だけでむくむくと形作られた自信過剰な自分がいるのです。
こんなことを言っても、実際同じように育った人でもない限り、理解はしてもらえないでしょうが、私にとってはとてつもなく苦しい悩みでした。
そして、実際の親しい友人たちの前では、傷つく心配がないので‘素の自分’、例えばブログのように自分の知らない不特定多数の目に晒される場では、傷つかないように‘鎧を着た自分’を無意識のうちに使い分けてきたのでしょう。
「○○と言われる」と人から言われた事実ばかり書くのは結局、自分が言ったわけではなく人の言葉だから自分の責任にはならないという‘逃げ’です。
それをわかって書いていたのが卑怯ですね。
今思い返して自覚したことですが。

棘のある言い回しや言葉を使っていたのも、自分が傷つかないための一種の予防策でした。
これも卑怯ですね。
人を傷つけておいて、自分が傷つかないようにするなんて。

今思い返して、本当に私が自信のあるところと言えば、肌と、料理と、まだまだですがデザインです。
そう言えるのは、自分が本当に努力してきたことに対して、多くの人が評価してきてくれたからです。
もちろん努力と言っても、他に表現方法が見つからないから言えませんが、好きなことをひたすら追求してきた結果であり、そこには楽しみはあっても苦しみは皆無です。

おそらく暇な人たちは何を書いてもあれこれ言いたいことを言うのでしょうね。

中国はルールやマナーがまるでなっていない国で(←中国人の方がこう言っていました)、道路が青信号だろうが赤信号だろうが皆が渡りたい時に渡る為、青信号で渡っていても平気で車がスピードも落とさず走ってきたり、交差点で大混乱をきたして警官が出動する場面を何度も見かけました。

‘そういう所’に出入りしている日本人はそれ以下のモラルの持ち主なのでしょう。
そして私よりずっと卑怯な方ばかりなのでしょうね。
posted by: foggie | - | 01:49 | - | - |