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無断踏切は悪なのか「危険なのに作ってくれず、作った」

2008年03月01日

 2月中旬、処分保留で釈放された男性は広島市安佐北区白木町の実家にいた。心境を尋ねると「悪かった。本当に反省している」と小さな声で話した。ただ、「安全と安心を求めた結果だった」ともつけ加えた。

写真JR線路に男性がつくった「踏切」=2月7日、広島市安佐北区白木町井原で
写真舗装された「踏切」を撤去する作業員たち=広島市安佐北区で
地図  

 現場は広島市中心部から約30キロ離れた、山あいの集落。1時間に2〜4本程度の列車が走る単線のJR芸備線(広島―備中神代)に沿って農家が点在する。男性宅を含めて多くの家の前には、住民が線路を横切る里道がある。JRが踏切とは認めていない私設の生活道だ。

 すぐ近くに住む地元自治会長の佐々木武紀さん(67)は「もともと里道は何百年も前からあった道。あとから線路が出来て道が分断されてしまった」と説明した。

 芸備線の線路が敷設されたのは1915(大正4)年。住民の祖先ははるか前からこの地に居を構え、開通直後から自分で安全を確認して線路を横切る習慣ができた。

 男性は「踏切」をつくった事情を少しずつ説明してくれた。

 高校を卒業後、家を出て奈良県内に移り住んだ後も、自宅と安佐北区の実家をよく行き来していた。定年退職後、春から秋にかけては農作業のために自宅に妻を残し主に広島の実家で暮らしていた。

 実家から直線で約10メートル離れた小さな野菜畑との間に線路がある。収穫した米や野菜などを積んだ一輪車を押して歩くこともあり、何十年も前から里道を利用していた。警報機・遮断機付きの踏切を使うには、幅1メートルもない細い山道などを通って数百メートル迂回(うかい)するしか方法はない。

 9年前の夏、買い物帰りに両手に荷物を持ったまま里道を渡った時、線路につまずいて転倒した。「幸い軽傷で済んだが、列車が来ていたら危なかった」。それ以来、付近に踏切を作るようJRや市に何度も要請してきたが難色を示され、昨夏、正式にJRから「踏切は作らない」との文書回答を得た。これが踏切づくりに踏み切った直接のきっかけだった。

 土木関係の仕事をしたことがあり、アスファルトの扱いには慣れていた。知り合いの業者からもらってきて、8月初めから約2週間で仕上げた。

 警察での調べが終わり、実家に戻った男性は近所の家を回り、事件で騒がせたことを謝った。近所の主婦(64)は「ここの生活のつらさは住まないとわからない」。里道を渡りやすくしようとした男性の気持ちを住民たちは理解しているようだった。

 線路を横切る里道は全国のローカル線に存在する。里道を踏切に「昇格」させることを求める住民運動も各地で起きているが、JRは「事故防止のために平面で交差する踏切は新設しない」との方針で、認められるケースはほとんどない。

 かといって、JRは生活道として定着している里道をフェンスなどで封鎖する強硬策をとることもできず、最寄りの踏切への迂回を呼び掛ける看板を設置する程度の対策にとどまっている。

 芸備線を抱えるJR西日本広島支社は「危険であり、近くの踏切を利用してほしいが、生活を脅かすことになるので『里道を絶対に渡るな』とまでは言えない」(広報担当)と話す。

 「踏切」は2月19日、JRによって撤去された。撤去にかかった数十万円の費用は男性に請求されるという。25日に不起訴(起訴猶予)処分となった男性は「実家の前の『踏切』はもう通らない」と話している。

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