2008年02月29日

やっとその時が来た

1月の終わりに遠藤優子さんの訃報を聞いた。
お昼くらいだったと思う。
瞬間、身体が硬直し、あまりのことのしばらく声も出なかった。

私がCIAP原宿相談室に勤め始めたとき、遠藤さんが所長だった。
以来、彼女が独立開業するまで、10年近くをいっしょに仕事をしたことになる。
現在、私が臨床心理士なのに、臨床スタイルがソーシャルワーク的であるのは、ひとえに遠藤さんの臨床を傍らで経験した事が大きい。
遠藤嗜癖問題相談室を開業されてからは、会う機会も年に一回あるかないかだったが、彼女の存在は私にとっては大きいままだった。
共にアディクションの領域で、精神科医に伍して仕事をしてきたと思っている。

私より7歳も若かったのに。
幼いころ、祖父が友人の葬儀に出るたびに、がっくりと肩を落として帰ってくる姿をみて、幼心に生きながらえることの残酷さを思ったものだった。

遣り残されたこともあったろうが、後継するひとたちはどうか遠藤さんのぶんまでよい仕事をしてください。
Blogに書くには少々重すぎて今日まで持ち越してしまった。
遠藤さん、どうか安らかにお眠りください。
合掌。


2008年02月24日

砂塵の中を

昨日は水戸で講演。
100名近い方たちが参加してくださった。親子劇場のYさん、それとべてる組(これ勝手な命名)のNさんにご尽力いただき実現した。
仙台から同じくべてる組のYさん親子、それとべてるのMさんの長女も地元の大学生なので参加された。
特急スーパーひたちは、水戸の1つ手前、偕楽園にも臨時停車。梅のシーズンだからだろう。
残念ながら、この寒さで、梅の花も3部咲きというところ。列車の窓から紅梅だけが満開の様子が見えた。
講演開始直後から強風が吹き始め、気温は下がってきた。黄砂かと思ったほどに空が曇って見える。終了後、久々に会うひとがいたので、車で向かっている途中、もうもうと砂塵が舞い上がる。車が強風で浮き上がるんじゃないかと思うほどだった。
常磐線は風に弱いという話を聞いたが、まさか本当になるとは思ってもみなかった。その後のケイタイの情報で、常磐線はすべて運転休止ということがわかる。
みなさんと楽しい夕食後、結局20時半発の鈍行で帰京。現役の臨床心理学の大学院生であるYさんのお嬢さんとおしゃべりをしながらだったので、あっというまに着いてしまう。
臨床心理士の資格をとっても、地方都市ではなかなか仕事がみつからないらしい。いったん勤めたひとは、そのポストを明け渡さないし、臨床心理士はどんどん再生産されるし。
ほんとに食べられる資格なのかということが問われている。もちろん国家資格化も必須だが、役に立つこと、国民のニーズに応えていることを積極的に宣伝していく必要がある。
及ばずながら、私のブログも臨床心理士の宣伝になっていることを願う。

今日は小平中央公民館で講演。
昨日と同じように強風が吹き荒れている。電車も一時止まったので心配したが、参加者は150人を超える大盛況。
皆さん、砂塵の中を夫婦、親子連れで聞きに来てくださったのかと思うと、ありがたい。
昨日の水戸も、今日の小平も大変話しやすく、反応もよかった。そうなるとどんどんサービスしてしまうのが癖で、もうエンドルフィンが出まくりだった。
いくつか発見したことがある。参加者に男性が多くなったことだ。
私の講演はこれまで圧倒的に女性優位の構成だったのが、昨年あたりから男性が増えてきた。ポスカンの私に男性の人気が高まったのか(これはありえねー!)、団塊の世代の男性が定年退職を迎えて家族回帰をはかろうとしているのか(もう遅すぎー!)・・・
よくわからないが、小平などは男女半々だった。おまけに質問も男性からが多く、いずれも女性をバックアップ(バックラッシュじゃないよ、念のため)する発言だったし。
いずれにしてもいいことだ。どんどん男性にも聞いてもらいたい。夫婦連れの参加者も多く、これまたナイスだ。
もうひとつは20代、30代の女性が、女らしさ、母らしさの規範意識に強く縛られているという現実が垣間見られる点だ。私たちの子育て期(70年代~80年代)の主婦論争のかまびすしさの残滓すら見られない、ひどく堅固な規範が彼女たちをしばっている。それはたぶん、私たちの世代が娘に託したものではないだろうか。
うう~ん、まずい。どうしたもんだろう。でも、逆にみれば、若い世代に対して私たちの経験を語る意味があるということではないだろうか。な~んちゃって大上段にふりかざすのはあまり得意じゃないので気が引けるが。
小平の帰りは法務省の公務員としてがんばっているTKさんと帰った。風は止んでいたが、猛烈に気温が低く寒かった。
砂塵と寒さの中を、講演を聞きに来ていただいひとたち、ありがとうございました。


2008年02月16日

また転んでしまったので、ついでに謝罪について考えた。

雪で滑らないように注意していたのだが、昨晩は高田馬場の駅の階段で転んだ。
明治安田こころの健康財団主催の講義の帰り道だった。
往きには、昨年に引続き「けいすけ・二代目えびそば」でつけ麺を食べて勇んでいたのだが、帰途、やはり疲れていたのだろうか。西武線の改札とJRとを間違え、おまけに上り階段で転んでしまった。恥ずかしさで状況は覚えていないのだが、周囲のおじさんが「大丈夫ですか?」と聞いてくれたことは覚えている。ありがとうございます、と礼を言い、そのまま山手線に乗って何食わぬ顔をしていた。
このところ、数人の知人が腓骨にヒビが入ったり、足の小指を骨折したり、膝の骨が折れるといった情報が多いので、怖くなっている。北海道出身のひとは、「転んだと思ったとたんに、荷物をポーンを投げ出してくださいね」といつも私に言い聞かせている。両手、片手に荷物を持ったまま転ぶと危ないようなのだ。
生まれて一度も骨にヒビが入ったり折れたりした経験のない私なので、異様に怖い。ただ単に運動をしなかっただけなんだろうけど。

沖縄での米兵による少女暴行事件の報道で、基地の責任者は、教育プログラムを徹底・強化して再発防止を図りたいと述べていた。
教育プログラムと再発防止プログラム、この二つは薬物依存症の治療の柱である。アディクションにかかわっていれば、以前からなじみのあることばだ。
この1年、あらゆる謝罪をTVで見てきた気がする。企業では、謝罪マニュアルまであるという。おじぎのタイミング、頭を下げる時間、角度、などが全部決まっているらしい。その際、決め台詞がいつのまにか「再発防止」になっている。英語ではリラプスプリベンションというのだが、そう唱えていればいつのまにか世の関心は去り、忘れ去られるなどと考えているわけではないだろうが、あまりにもその言葉が金科玉条のようになっている気がする。
今回、米軍のステートメントから類推するに、おそらく基地内でも性犯罪防止プログラムが実施されているのだろう。日本中の基地内でのそのプログラムの密度を上げたい、と言った内容が語られていたところをみると、低密度・中密度・高密度の3段階で構成されているのではないだろうか。
日本の刑務所内の性犯罪者処遇プログラムは、カナダをモデルとして、やはり3段階で構成されている。たとえば、自衛隊によるそのような行為が発覚したとして、再犯防止のために教育プログラムが用意されているだろうか。
米軍のプログラムがすぐれていて、日本の自衛隊がだめだなどといいたいわけではない。従来の刑罰同様、反省させて懲罰にかけるといった方法が果たして再犯防止の効果を上げるかどうかの検証すらされていないことを問題にすべきだといいたいのだ。
近年、自衛隊内の自殺率の高さが問題になっているが、前近代的な反省・厳罰・懲罰といった規律(旧日本軍の流れを汲む)が、閉鎖的社会内での陰湿ないじめにつながっているのではないだろうか。
「二度とこのようなことがないように、以後反省しこころがけます」と直立不動のまま頭を下げる謝罪から、「再犯防止にこころがけます」へと変化したことは、謝罪における近代化ともいえよう。こころがけるとは、文字通りこころの問題ではなく、有効な方法を講じることだろう。
DV加害者プログラム、性犯罪者処遇プログラムは、いずれも「反省します」といった精神論を排除し、具体的方法論と犯罪者の価値観(認知)にまで手をつける教育的アプローチを骨子としている。
このような刑罰の心理学化は、司法の世界をドラスティックに変えるだろうし、ひいては謝罪に代表されるウェットな「こころがけ」主義の転換につながると思う。

といったところで、カウンセリングがこころの問題じゃないことを主張した私の最新著「カウンセリングで何ができるか」(大月書店)が、めでたく重版になった。お買い求めいただいた方々に厚く御礼を申し上げます。まだの方、ぜひともお買い求めください。


2008年02月15日

厳冬の日々

太平洋上の暖気が北上して寒気が押し上げられているために、日本は爆弾低気圧に襲われて、豪雪と厳寒が続いている(by天気予報士)。
なんだかなあ、こんな寒さが温暖化の影響っていわれても・・。
寒さにもめげず私は働き続けている(ポス還の底力!)

今日はHCCの仕事終了後、朝日カルチャーセンター(朝カル)第三回の講義へ。計46人の参加者の講座である。
講義(講演)はあまり疲れないので、書くよりずっと楽だ。話しながら考えるというのが通例なので、勉強にもなる。どこかの研修とは異なり、みなさん、6:30~8:30という時間帯にもかかわらず、ほとんど眠っているひとはいない。
HCCの仕事を第1ラウンドとすれば、第2ラウンドが朝カル、帰宅後第3ラウンドが待っている。夜明けまでずっとメールチェックとこのBlog、それから校正作業の連続だ。
原稿書きはそれで終わるわけではない。その後ゲラが届き、それにチェックする。
私はいつも膨大な赤字を入れるので、これまた大変なのだ。
筆の勢いがなくなってしまうという説もあるが、「ええっ、こんなこと書いてたんだ・・私ってなんてバカだったんだろう」と、いつも書いた当時の自分を否定して赤字を入れる。
太宰治などは、口述筆記してそのまま一切直さなかったという説があるが、私なんぞはもう直しっぱなしである。

このところ、渋谷バラバラ殺人の歌織被告の裁判の様子がネットで報道されている。1月には、大田区で元モデルの女性が同居中の男性のDVに耐えかねて殺害した事件も起きている。
週間女性は、こんどDV特集を袋とじ?で刊行するという。やはり女性にとってDVは関心が高いのかとヘンに驚いたりする。カウンセリングの世界は、やはり特殊なので、世間のひとたちがどのようにDVをとらえているかは、いまいちわからないところがあるのだ。

明日(今日)は、大学で講義の後、明治安田生命の夜間講座で講義。
土曜は午前が講演、日曜は午後出勤、夜は学会の委員会。
なんとか今年の冬も、健康に乗り切れそうだ。
もう少しで春が来ると思うと、少しだけ待ち遠しい。


2008年02月05日

性的虐待をあつかったNHKの教育テレビ

久々の大雪(といっても都心は3センチほど)、そんな日はひたすらこもって窓越しに降りしきる粉雪を見上げているのが最高だ。なにしろ、最近転ぶことが増えたので、今度転んだらどこかの骨がポキっと折れるのではないかと怖れている。
昨晩はRRP研究会のDV加害者プログラム最終回。終了後、帰る道すがらの原宿の裏通りにはまだ雪が残っていた。でも、もう今日はすっかり溶けてしまった。

今日の昼、NHKの教育テレビで「ハート・・」という番組の再放送をしていたので、テーマに惹かれて思わず見てしまった。
なんとテーマは「性的虐待」だった。
おお、日本でもテレビでこのテーマを扱うようになったのか、いくらインサイダー取引が発覚しようと、私がちゃんと料金を払い続けているだけあって、さすがNHKよのう・・・とほめてやりたくなった。
ゲストは石田依良、ソニン、そして専門家としてはN氏が出演している。司会は桜井さん。
義父からの性的虐待を生々しく語る本人(30代、シングルマザー)の発言を流す。もちろん本人の姿はボカシが入っているので、必然的にカメラはゲストの表情を追うことになる。
話終わったところで、司会の桜井氏がこう質問した。
「逃げようと思わなかったのですか?」
おいおい、それは愚問だろう。なぜ逃げなかったのか、それは逃げようとしないあなたが悪いのでは、とつながってしまうだろう。
ちゃんとそこで、専門家がしゃしゃり出て、当事者の代弁をしなければならない。
「それはね、7歳の少女には不可能なんですよ」と。だって、当時の彼女は性的虐待であること、そんな言葉すら知らなかったはずだ。
さすがに石田依良が「生活すべてを依存してるんだから、それはできないよなあ」とつぶやいた。
なぜ逃げられないか、という質問はおそらく一般のひとびとが抱きやすい当たり前の質問かもしれない。しかしちゃんとマスコミの側は、その理由を知った上で、逃げられなかった本人への責めが加わらない配慮が要るだろう。
さらに、知りつつ彼女をかばわなかった母と、さらには義父ともつきあいがあるという本人に対して、「それはまずいんじゃないの」「ちゃんとそのことを公開したほうがいいよ」との発言がゲストから続く。
おいおい、と言いたくなる。だんだん頭に血が上ってくる。
そんなこと言う前に、話すことがあるだろう。
彼女は、天災に遭ったわけでもなく、交通事故に遭ったわけでもないのだ。まだ生きている、のうのうと生きている義父によってそのような行為の被害を受けているのだ。
とすれば、なぜ逃げないか、今からでもいいちゃんとそのことを抗議しなさいよ、などと言えた義理ではないだろう。
「どうしてその父を犯罪者とできなかったのか、そのシステムの問題点はどこにあるのか」「今からでもいい、弁護士に依頼してその被害を立証する手立てはないのか」と発言が続くべきではなかったか。
それに、ゲストのひとたちは、彼女に対して
「よくぞ話してくれました」「勇気が要ったでしょう、ありがとう」とまず御礼を言わなければならない。そして
「性的虐待の与える影響は果てしなく大きいといわれているのに、ここまでちゃんと子どもを産み育ててきたことに対して、こころより感嘆します」と讃えなければならないのだ。
そう思うと、番組を見続けることが私にとって大きなストレスになりそうだったので、テレビを切ってしまった。
テーマとして選んだことを、大きく評価したい。でもあのような扱いは、ちょっと問題がある。
当事者のひとたちがあの番組を見ていたら、どのように感じただろう。
ああ、この程度にしか扱われないのか、と思ったかもしれない。
性的虐待というテーマは、被害に対する無知が一般的なだけに、少しずれるだけで二次被害を生んでしまう危険性があることを知った。
まずそこからはじめるしかないことはわかるが、いずれ、性的虐待をする父とはどのような人たちかという掘り下げ、関心につながってくれればと思う。こんなに加害者への関心が遮蔽された虐待はないからだ。


原宿カウンセリングセンター