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「最初の太極旗」を巡る独立記念館の迷走

 三・一節(独立運動記念日)を目前に控え、「最初」または「最古」というタイトルを掲げた古資料が相次いで公開されているが、しれらの資料が少なからず「最初」ではなく既に公開済みのものだという事実が明らかになり、論議を呼んでいる。独立記念館(金三雄〈キム・サムン〉館長)は、新たに入手した太極旗(韓国国旗)の資料を「最初の太極旗の原型」と発表したが、28日になって「最初ではない」と言葉を翻した。

 独立記念館は27日午前、各メディアに向け、「独立記念館、最初の太極旗の原型を発掘・公開」と題した報道資料を発表した。資料には、「(今回の資料公開で)太極旗の原型を巡るこれまでの議論は結末を迎えることになった」と記されていた。この太極旗は、1882年11月1日に日本の外務次官が駐日英国公使に送った文書に添付されている。中央に太極を、四隅に四卦を描いていた。独立記念館側は、28日午前の記者懇談会でこの太極旗の写しを公開し、「1882年9月25日に修信使の朴永孝(パク・ヨンヒョ)が日本に向かう船上で作った太極旗を基にしたもので、太極旗の原型としては最初のものだ」と語った。

1882年11月の太極旗と82年7月の太極旗(左から)。

 しかし記者懇談会の途中、独立記念館側は「最初の太極旗ではない」とし、報道資料で最も重要な「核心」を修正した。今回の資料の日付より4カ月さかのぼる1882年7月、米国海軍省から出版された『海上国家の旗』に、今回の資料とほとんど同じ形態の太極旗が描かれている、という指摘を受けたためだ。

 独立記念館と共に今回の資料を発掘した東国大の韓哲昊(ハン・チョルホ)教授はこれについて、「最初の太極旗ではなく、“国旗としての資格を備えた最初の太極旗”というのがふさわしい」と語った。懇談会の冒頭で「最初の太極旗を発掘した」と話した金三雄館長も、後に「最初の国旗」と言い改めた。しかし太極旗研究の権威である壇国大の金源模(キム・ウォンモ)名誉教授は、本紙の電話インタビューに対し、「1882年7月の資料は、2カ月前の米朝修好通商条約の締結当時、星条旗と共に掲げられた旗のため、“国旗”と見なさなければならないのは当然だ」と語った。

 これについて、ソウル大人文学部長の李泰鎮(イ・テジン)教授は、「“最初”や“最古”という修飾語が付いた資料ほど大きく報道される傾向があるが、敏感な問題であるだけに、慎重かつ徹底した検証を経た上で発表しなければならない」と話した。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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