江戸時代の竹島(韓国名・独島)を表す「松島」と現在の韓国・鬱陵島を示す「竹嶋」を描いた日本図、鬱陵島を日本領と同じ赤色で表記した世界図の二架の屏風(びょうぶ)が、松江市内で見つかった。当時は両島を日本領と認識していたことを示す資料とみられる。
屏風は、同市天神町の仏壇店・荒木文之助商店の蔵に保管されていた。大きさはともに高さ1・7メートル、幅3・8メートル。筆遣いが似ており、江戸時代後期の1836−41年に日本図と世界図を模写して作製されたとみられる。
日本図は表題の記載はないが、緯度の表記から水戸藩の地理学者・長久保赤水が1779年に製作した「改正日本輿地路程全図」を基に加筆・修正したとみられ、隠岐島の北西に「松島」「竹嶋」が描かれている。作製者は不明。
世界図は、イエズス会の宣教師マテオ・リッチが1602年に刊行した「坤輿(こんよ)万国全図」の記載がある。原本には「松島」「竹嶋」の記載はないが、屏風には隠岐島の北西に鬱陵島とみられる島が日本と同じ赤色で彩色されていた。
島根県の杉原隆・竹島研究顧問は「坤輿万国全図を模写した屏風は全国的に貴重」と評価した上で、「当時の松江では、現在の竹島と鬱陵島を地図で知っており、日本領と認識していたことがうかがえる」と分析した。
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松江市内で見つかった日本図の屏風。隠岐島の北西に「松島」「竹嶋」の名前が付いた島が描かれている
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日本図の屏風に描かれた「松島」と「竹嶋」
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世界図の屏風に描かれた日本周辺。隠岐諸島の北西に描かれた鬱陵島に、日本領を表す赤の彩色がある
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