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 山陰総合 :  竹島の北に北前船航路を描いた絵図確認
新修米子市史第12巻に収録された「日本針図」。隠岐島の北西にある「竹島」と「松島」(点線で丸囲み)の間に、北前船の航路を示す赤い波線がある(略図を参照)
 現在の竹島を表す「松島」と、その北西にある韓国・鬱陵島を示す「竹島」の間の海上に、北前船の航路を描いた江戸時代後期の絵図が、新修米子市史第12巻(2004年刊)に収録されているのが分かった。両島間を通過する北前船の航路図が確認されたのは初めて。北前船の船頭の間に、竹島が日本領として認識されていたことを示す史料で、研究者が原図を探している。

 この絵図は「日本針図(しんず)」で、海岸の警備や船舶の管理、物資の取り締まりに携わった鳥取藩米子の役所「船手組」が保管していた「日本夷国之針図」を、米子の武士の息子、石田直三郎が1836年に書き写し、海路の里数などを加えた。その後、船手組が秘蔵品として保管していたという。

 絵図では、日本海沿岸の主要地へ寄港する航路をはじめ、5本の北前船の航路が赤い波線で記されている。そのうち、最も外側の航路が、山口県の下関から北東へ続き、「竹島」と「松島」の間を通過して北海道の松前まで延伸している。

 また、朝鮮半島が黄色に彩色されているのに対し、両島は隠岐諸島など国内の日本海沿と同じ灰色の彩色がされている。

 浜田市の郷土史研究家・森須和男さんが新修米子市史に収録されているのを見つけ、島根県の竹島資料室へ連絡した。

 同県の杉原隆・竹島研究顧問は「北前船の船頭が、竹島を日本領と認識していたことを示す貴重な史料。鳥取藩の役所という公的機関が所蔵していたことも重要で、原図を探して確認したい」と述べた。


 北前船(きたまえぶね) 江戸時代後期から明治時代にかけて、大阪を起点に瀬戸内海、関門海峡を経て、山陰、北陸などの日本海側の諸港を結び、後に北海道(蝦夷地)まで延長された航路を進んだ回船。大阪などで仕入れた物資を途中で販売しながら北上し、蝦夷ではニシン、昆布など海産物を買い込み、販売しながら瀬戸内海、大阪へと戻った。

('07/11/06 無断転載禁止)

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