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2006年9月11日 (月)

小林よしのり氏を見直す

 SAPIO9月27日号を買って”小林よしのり氏のゴー宣・暫(しばらく)”を読んでみた。

 氏は小泉政権のイラク戦争支持とその後の自衛隊派遣に西部邁氏と共に反対し、親米保守を”ポチ”呼ばわりした。それに”ムカッ”ときた拙者は氏のマンガを20冊ばかり捨てた。その後も氏の本は1冊も買わないでいたのだが、「この国は少し変だ!よーめんのブログさんの記事を読み興味を覚えたのである。

 「第三場 講和条約11条で東京裁判を受諾してない明確な説明」

 と題し、日本は東京裁判の

 ”判決を受け入れたのであり、裁判を受け入れたのではない”

 との論理を展開している。

 今回の16p全部について拙者は賛同するが、小林氏のマンガは一般の読者の方には分かりにくいところもあると思うので今日の記事で補足してみたいと思う。

 小林氏は今回のマンガの中で

 「左翼は『日本はサンフランシスコ講和条約第11条で”東京裁判を受諾”して独立した』と言っているが、これは判決(主文)のみを受け入れたのであり、判決事実・判決理由までの裁判すべてを受け入れたのではない!」

 だから

 「日本政府は東京裁判の歴史観(GHQ史観)に左右されない独自の歴史観を採用する権利を有する」

 「そもそも歴史解釈権が無ければ到底・独立国家とは言えない!」

 と言っている。

 もっともである。拙者も同意する。

 そして

 民主党のノータリン議員:細野豪志氏の

 「判決には主文があり、事実認定や判決理由がある。そこを主文の刑の執行に限定するのは無理がある」

 とのバカ話には

 「(現在の)わが国の民事訴訟法では

 確定判決は 主文に包含するものに限り 既判力を有する

 (民事訴訟法第114条)

 と規定している」

 「既判力とは、民事訴訟で確定した終局判断で、判決主文で表現されている判断が、以後の訴訟で裁判所や当事者を拘束し、これに反する判断・主張を許さない効力のことである。これは文明諸国の『法の一般原則』だが、日本の刑事訴訟法では『既判力』の定義が定まっていない。”拘束力”と言ったりもする」

 と反論している。

 民主党:売国議員・細野が”限定するのは無理”と言っても、ちゃんと民事訴訟法第114条には”主文に限定する”と書かれているのである。

 ちなみにマンガには書かれていないが、これは民事訴訟法第114条である(柳生・調べによる)。

 これについて拙者が”小林氏の主張”をくわしく解説する。

 普通・民事の判決文は以下のように書かれる。

 平成○年第○号

 判決

 都道府県市町村番地

  原告 峰竜太

 都道府県市町村番地

  被告 出川哲郎

 右当事者間の平成□年 △号××事件について左の通り判決する。

  主文

 被告は原告に金●円支払え

 訴訟費用は被告の負担とする

  事実

 原告は被告に対し・・・以下略

  理由

 請求原因である一の事由について・・・以下略

    東京地方裁判所民事第○部

    裁判官 遠山金四郎㊞

 (実物は縦書き)

 これは

 判決が下っても、権威のあるのは「判決主文」だけであって、それ以外の部分、特に判決理由に書かれている部分は拘束力がないのである。後でいくらでも争えるということである。

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 例えば

 AはBから100坪の土地をもらったが、いつまで待っても移転登記が行われない。そこで「移転登記を求める訴訟」を起こした。(1回目の訴訟)

 そして

 「主文:BはAに移転登記せよ」

 「理由:贈与によって所有権がAに移転したと認定される」

 との判決をもらい勝訴した。

 しかし

 負けた側のBが、その後で

 「本件土地の所有権はBにあることを確認する訴訟」(2回目の訴訟)

 を起こし、

 最初の判決は間違いであると立証できれば、

 今度は”Bの勝訴”になり、一旦Aに移った登記をもう一度取りもどす訴訟を起こすことが出来るのである(3回目の訴訟)。

 判決理由に拘束力(既判力)はなく、判決主文に既判力があるからである。これを

 「処分権主義」

 民事訴訟法第246条

 裁判所は、当事者が申し立てていない事項について、判決をすることができない。

 と言う。

 では

 Aはどうすればよかったのかと言えば、

 最初から、

 Aの所有権と

 Aの移転登記請求権

 を同時に提訴し・主文で認めてもらえばよかった

 のである。

 であるからして

 東京裁判の場合も

 事実認定・理由には拘束力はなく(前認定・理由を覆す相当な根拠が提示できれば元の判決の無効を申し立てる権利がある)、判決主文のみを受け入れればいいのである。

 刑事訴訟法には

 既判力の条項は無いが、

 罪刑法定主義:法律に定めの無い行為を罰することは出来ない。

 の法理を尊重すれば、

 刑法は民法以上に被告の権利を奪うことは出来ない

 のであるから当然

 主文以外には既判力はない

 と解釈すべきなのである。

 だから

 刑事訴訟法では

 再審

 が認められているのである。

 刑事訴訟法第435条

 再審の請求は、左の場合において、有罪の言渡しをした確定判決に対して、その言渡しを受けた者の利益のために、これをすることができる。

 ① 原判決の証拠となった証拠書類又は証拠物が確定判決により偽造又は変造であったことが証明されたとき。

 ② 原判決の証拠となった証言・鑑定・通訳又は翻訳が確定判決により虚偽であったことが証明されたとき。

 以下⑦まで略

 

 現に”狭山事件”などは再審請求が今も続けられている。

 ソクラテスやガリレオも

 甘んじて判決を受け入れたが、

 「悪法も法なり!」

 「それでも地球は動く!」

 という有名な言葉が残っているように

 判決理由までも受容したわけではない。

 誠に「民主主義の原理」までも踏みにじる左翼学者売国政治家の暴言・妄言は許しがたいが、賢明なる読者諸氏は

 今回・小林氏が指摘した

 「既判力(後訴裁判所に対して、確定判決と矛盾する判断を禁ずる訴訟法上の効果)は民事訴訟法の主文にのみに存し、刑事訴訟法にはない」

 「歴史解釈権がなければ、独立国家とは言えない」

 という二つの理論を胸に刻んでおいてほしい。

 氏のマンガによれば

 麻生太郎外務大臣も

 「極東軍事裁判(東京裁判)を受け入れることによってサンフランシスコ講和条約を日本は批准した」

 「それによって国際社会に復帰できたという事実を今から変えることは不可能です」

 と言っているそうな。

 やれやれ、結局・まともな頭を持っているのは

 安倍晋三氏だけか!?

 細野豪志などという陣笠代議士はもとより数には入らぬが、並み居る与党・野党の領袖たちの中で民主主義の理念を分かっているのは1人だけか!?誠に情けないと言うか・お寒い政界の現状である。

 小林氏は

 「今のメディアにはもう何も期待できない。わしは今までインターネットで保守を名のる者を批判してきたが、あえてそのネットの者たちに共闘を求めたい。彼らに期待する」

 と言っている。

 

 これに応えようではないか!

 日本を愛する者たちよ、

 ”東京裁判史観(G.H.Q.史観)”を打ち破ろう!

 小さな誤解・立場の違いを乗り越えて結束しよう!

 では

 誇りある祖国を取りもどそうと思う方はクリックを御願いする!

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ここのところ,ちょっと忙しくなってきまして時事ニュース等の詳細を追い切れてませ... [続きを読む]

受信: 2006年9月13日 (水) 02:31

コメント

何をいきりたってるんですかね。
学者が判決を下すなんていってませんよ。

もう一度、最初から説明しましょうか。既判力の客観的範囲をどう確定させるのかという問題に対して、あなたは「主文だけ」といっておりました。だけど、私は「違う」といいました。じゃあ、既判力の客観的範囲をどうやって確定させるのか、私は、「事実および理由」の欄を見ないといけないということをあなたにわからせるために、先の裁判例を出しました。すると今度は、主文と訴状で確定するといってきました。だけど、私は、訴状は判決書には添付されてないから、確定できないでしょといいました。
学者が判例を調査する際に、訴状は見ることできません。じゃあ、既判力の客観的範囲を確定するためには、どこを参照するのか。それは、事実欄や理由欄なんですよ。そこに、原告の請求が乗ってるでしょ。われわれが判例を調査して、どこが争点になったのか、訴訟物は何かといった問題を調べるのは、事実欄や理由欄を見るんですよ。ここに、既判力の客観的範囲が書かれているんですよ。

裁判官が判決を書くことと、既判力の客観的範囲は、何も関係ありませんよ。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 03:42

話をすり替えているのは
あなたでしょう?!
判決を下すのは学者ではなく
裁判官です。
裁判官は「訴状を知らない!」とでも言うのですか!?

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 03:28

話をすりかえてもらっちゃあ、困りますよ。今の問題は、このような請求棄却判決の場合どうやって訴訟物や既判力の客観的範囲を確定させるのかということなんですから。
学者が判例を調査する際に、訴状は見ることできませんよ。さあ、どうなさいますか。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 03:19

添付されていなくても
訴状がなければ・そもそも裁判は開始されないでしょう?
訴状を確認すれば済むことです。

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 03:15

訴状は、確かにありますよ。でも、どんな請求がなされているのかこの判決書見ても確認できませんよね。
判例を調査する際に、請求棄却判決や訴え却下判決はどうやって既判力の客観的範囲を確認しましょうか。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 03:15

さて、私のリンクしました判決書ですが、この判決書は、訴状は添付されておりません。これでは、既判力の客観的範囲がわかりませんね。では、どうやって既判力の客観的範囲を確定すべきでしょうか。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 03:13

モロさん
 あなた本当に法律の専門家ですか?
 訴状の無い裁判など在り得ませんよ!?

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 03:12

おや、あなたの持ち出した「既判力」の定義をお忘れですか。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 03:09

モロさん
 訴状と主文と照らし合わせれば一目瞭然ではないですか?
 訴訟物もその結果生ずる「権利と法律関係」ですから
 訴状と主文だけで充分です。

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 03:00

裁判は、実際におこった事件を解決するために行われるものだから、具体的に書いてもらわないと困るんですよ。
とはいえ、一歩前進ととりますかね。
どちらにせよ、原告の請求なんのことか主文だけでわかりますか。すなわち訴訟物が何か、主文だけでわかりますか。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 02:55

充分です。

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 02:53

いや、まったく十分でないんですがね。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 02:51

モロさん
 簡単でしょう?
 「(原告の訴状に書いてある)請求を棄却する」
 と言うことです。
 それで充分でしょう?

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 02:47

モロさん
 この記事も小林さんも
 「歴史と裁判」について同時に論じているのですがねぇ・・・
 私も小林さんも
 「裁判を再び起こして無罪を勝ち取れ!」
 などとは1言も言っていません。
 誤解のなきように・・・
 日本の総理大臣が日本の教科書が
 どのような歴史認識を持つべきか記述すべきかを論じているのです。
 法律は手がかりに過ぎません。

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 02:44

そんじゃ、こう言いましょう。騙されたと思って、
ttp://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080129120811.pdf
このページの既判力の客観的範囲を示してみなさいよ。もうね。ホントにお願いするしかないよ。私が頭おかしくていいから、一回だけでもいいから考えてみて頂戴。そしたらわかるから。

主文
原告の請求を棄却する。

がいったいどういう既判力を持つのか、言ってみてくださいよ。考えたら、「主文だけが既判力がある。」だなんてのが何の意味も持たないものだとわかるはずですから。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 02:40

裁判上の問題と歴史上の問題をごちゃ混ぜにされても困るんですがねえ。
それに死刑執行の後は、無罪は証明できません。被告人がいないのですから、法廷は開けません。有罪判決は確定したままです。まあ無実の証明はできるでしょうがね。
まあ、おっしゃりたいことをしんしゃくsれば、「真実は無実」だったということでしょうね。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 02:34

モロさん
 あなた頭がおかしいんじゃない?
 「主文に包含」を「理由も包含される」とはどうしても読めないですよ?
 自由国民社の用語辞典の解説にも私の解釈が正しいと書いてあります。
 「主文についてだけ拘束力が発生・・・」
 と書いてあるのですから・・・(理由の排除)

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 02:32

モロさん
 では
 「死刑の執行がなされた後に無罪が証明」
 されても
 あなたの論理なら
 「歴史的な真実は有罪」
 となりますが・・・如何?

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 02:27

条文は、民訴法の114条1項に決まってるじゃないか。同条に基づいて、間違いといっている。
こんなあたりまえのことを言わせて何がしたいのかわからん・・・

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 02:24

失礼。「sentense」ではなくて、「sentence」です。

「刑の宣告」と書いてあるはずですが。
「被告人を死刑に処す」
「被告人を懲役○○年に処す」
「被告人を無罪とする」
日本語でこのような部分が、「sentence」です。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 02:21

モロさん
 間違いと言うなら
 条文を出しなさい!
 出さないなら以後・削除します!
 妄想のコメントは止めなさい!
 法律・条文を出せないあなたこそがアウトです。

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 02:15

だから、私がやっているのは、「反論」ではなくて、「訂正」だと・・・
どうして間違いをみとめられないんだろうかねえ。刑事訴訟の性格を持つ東京裁判を論じるのに、民訴法をもちだした、小林氏の妄言を信じている時点でアウトなのに、しかもまた民訴の理解がまたでたらめってほんとにすくわれませんよ。

「主文:原告の請求を棄却する」にいったい何の既判力が生じていると思っているんですか。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 02:11

モロさん
 素直に読めないのはあなたでしょう?
 この記事は東京裁判について書いたのだから
 管轄外の論争はしません。
 あなたこそ
 反論するなら法律と条文を出しなさい!
 
 sentenseではなくsentenceでしょう?
 判決としか訳がないですよ?
 (NEW COLLEGIATE 研究社)
 どちらにしても
 「主文と理由にも既判力(拘束力)がある」
 なんて裁判がどこにあるのか!?
 良心の自由の侵害だね!!!
 日本国憲法にも基本的人権にも反するわけだ!!!
 それで公正な裁判か!?
 バカも休み休み言いなさい!

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 01:57

だからね、自分が言っていることが間違いでないとあくまでも言い張るのだったら、先にあげた裁判例の既判力の客観的範囲を明示してみなさいって。
何度も言うけど、あなたの理解は間違い。条文すらまともに読めてないんだから、素直になりなさいよ。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 01:45

いや、勘違いしないでいただきたい。
私は、東京裁判において「手続保障・当事者権保障」が完全に十分であるとは言っていない。あくまで、「英米法裁判を経験していなかった日本人に対して、米側は米人弁護士をつけた」という事実を基にして、手続き保障の点で一応十分であったと判断する足る、根拠があるということを述べたに過ぎない。
逆にあなたは、不十分であったと考える事実や根拠を述べなければならない。私だけでなく、東京裁判が「勝者の裁判」であるという事実を否定する人間はいない。だが、勝者の裁判であるならば公正な裁判はきたいできないということは、いえても、勝者の裁判は絶対的に不公正な裁判であるとはいえないからだよ。現に、イギリスのチャーチルは当初、「裁判」という形式を持ち出すことを否定して、ナチや日本の「戦犯」を即決処刑してしまえといっていた。これは、裁判だと「公正」を考え泣けれならず、長期化し、「勝者=正義、敗者=悪」という連合国側の「絶対的正義」が、薄れるという点が理由だった。このようなチャーチルの言からも、「勝者の裁判だから」という理由だけで、東京裁判は公正な裁判ではない、という論理式は成り立たないということを言っているにすぎない。
そうでなければ、「見解の相違」という自体は発生しないよ。理由のないあるいは十分ではない主張は、思い込みでしかないのだから。

判決と判決主文は違います。判決は、「judgment」だが、判決主文は「sentense」だ。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 01:37

モロさん
 味噌汁で顔は洗いましたか?
 私の持っている法律用語辞典(自由国民社)の79pには
 「・・・しかし、判決の理由で、ある年月日に乙は甲にこの土地を贈与したと認定してあっても、この部分は拘束力はないのである」
 「・・・そしてこの判決主文についてだけ拘束力(既判力)が発生するのである」
 とちゃんと書いてありますよ!
 理由=拘束力ない
 主文だけ(=のみ)拘束力
 間違いないです!

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 01:11

モロさんへ。
二つ目のコメントは柳生昴さんではなく、私宛のようですね。
わかりました。見解の相違ですね。
これ以上の議論は無駄です。
手続保障・当事者権保障が十分であったと考えるのなら、民事訴訟法第114条は別としても、確かに既判力は裁判全体に及ぶという考えも成り立たないわけではないと思います。考え方として。よって「judgments」は複数形ですから「判決」と「裁判」との差は意味がないとも考えられます。その見解にたてば「『judgments』に関しては、まあしょうもないことをよくもいう」ということにもなるでしょう。根底から話が違ってきますね。
ただ私は「東京裁判は勝者の復讐劇、公正な裁判とは云えない」と考えているから、「judgments」を「判決」と捉え、「判決主文のみを受け入れればいい」という考えになるのです。
議論の根底が違います。これ以上話し合っても仕方がありません。よって私は手を引きます。この後は柳生昴さんとモロさんとでご自由になさってください。

投稿 みちお | 2008年2月25日 (月) 01:10

リンクするときは、hを抜かすでしょ。だから、hを抜いたんですよ。

きちんと書かれてあるでしょうに。だから、リンクをただ貼り付けただけじゃ、あなたは事実や法理をきちんと理解できてないから、わからないと言ったでしょ。こういうことになるのはわかりきっていたんだから、一歩一歩きちんと解説していきますと言ったんでしょうに。
「主文に包含するもの」と「主文のみ」とは違います。
だから、一番最初に、最高裁判所の裁判例検索から裁判例をひとつ適当に貼り付けたんです。
間違いじゃない、私が正しいとあくまでも強弁なさるなら、私が貼り付けた裁判例の既判力の客観的範囲を示して御覧なさい。

投稿 モロ | 2008年2月25日 (月) 00:49

モロさん
 あなたが抜かした「h」を入れてもソースは出てきません!
 デタラメを言っているのはあなたの方でしょう!
 幾分・修正しましたが
 修正の必要がないほど完全なものでした。
 
 素人であろうと
 要点をつかめば負けませんよ!
 甘く見ないで下さい!
 第一この記事にも書いてありますが
 民事訴訟法第114条
 確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する
 とちゃんと書いてあるじゃないですか!?
 こんな大事なことも忘れて
 法律も・何条かも示せない
 「素人なのは」
 モロさん・あなたの方じゃないですか!?
 味噌汁で顔を洗って出直しなさい!!!

投稿 柳生昴 | 2008年2月25日 (月) 00:35

一応、保護は十分でしょ。国際裁判であり、英米法に不慣れな日本側にアメリカ人弁護人も付けていますしね。
たとえば、全訴因55項目中、54の訴因で起訴された木戸幸一元内大臣は、死刑を免れていますが、これは、木戸日記という証拠と、木戸の弁護方針が徹底した個人弁護であったという点が大きいでしょう。
訴因が8も少なく、首席検事キーナンですら異議を唱えた広田が、死刑になったのは、自分に有利な証拠をあえて提出せず、弁解もしなかったという点が大きく、英米法体系の裁判には、初めての国際裁判という点を斟酌するとかなりの程度手続保障はされていたと考えます。
「judgments」に関しては、まあしょうもないことをよくもいうということですかね。
英文を読んでみればわかるとおり、
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.

この「judgments」以下が、
「of the International Military Tribunal for the Far East」と「of other Allied War Crimes Courts」になっているから、複数形なんですわ。

訳が判決であっても裁判であっても小林氏のいうような意味の差は生じません。

投稿 モロ | 2008年2月24日 (日) 22:31

なんというかね、もう、正解は出しています。
検証とおっしゃいますけど、あなた素人なんでしょ。本当に検証できる能力ありますか。
そもそも検証する能力があるなら、あんな出鱈目なことおっしゃるわけがありませんし、小林氏の嘘にだまされることもありませんからね。ご存じかどうかはわかりませんが、大学の法学部で行われる民事訴訟法の講義はたいてい三年時からとることができるんですよ。一、二年でやるのは、民法等の実体法です。手続法はそのあとです。法律用語辞典読んだだけで、他人を批判できるだけの知識がついたとは思えません。
法律の知識をひけらかすと、私を中傷されましたが、誤った知識をひけらかしておられる貴方がいえるセリフですか。
多少きつい言い方になりましたが、私は、あなたには正解不正解を検証するだけの知識や能力は持たれてないと確信しています。だから、あなたが自分の間違いを納得がいくように、そして自らもそれを検証していただくために、階段を一歩一歩上るように、ひとつづつ間違いを訂正していこうと思ったのです。
そんな事情を無視して、「遊び」だとか、「ひけらか」すだとか、中傷されるというのであれば、私としても、参考になるサイトを張り付けるだけとしますが、よろしいですか。ただ、あなたが理解できるとは限りません。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A2%E5%88%A4%E5%8A%9B
ttp://civilpro.law.kansai-u.ac.jp/kurita/procedure/lecture/JudgementEffect2.html
ttp://miya03.hp.infoseek.co.jp/criminalp/07.html
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~zukunai/untiku/kminso/4.htm
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~zukunai/untiku/kminso/5.htm
ttp://www.chosashi.or.jp/docs/bin/kaihou2005/text01/200601_minso.htm
ttp://www2.gol.com/users/aiko/law/barexam/h12ronbun/minso2.htm
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/9279/@geoboard/99.html
ttp://www.asahi-net.or.jp/~hs8s-nmr/law/saigen98/minso98s2.html

投稿 モロ | 2008年2月24日 (日) 22:09

余計なことだけど、「遮断効」とは

基準時前にすでに存在していた事由については当事者は後訴でこの事由を提出して争うことは許されず、その主張や抗弁は排斥される。この既判力の消極的作用を遮断効という。
 すなわち、①基準時後に成立した事由は、前訴ではそもそも攻撃防御方法として提出する機会がなかったのであって遮断効を生じず、後訴で争いうる。そうして②前訴の訴訟物たる権利・法律関係につき、基準時前にすでに確定的に法律効果を生じていた。たとえば無効原因・弁済・免除などの事実は、前訴で提出しなかったことについての過失の有無を問わず、後訴では原則として遮断され提出しえない。③しかし、基準時前の事由はすべて当然に既判力により遮断されるわけではない。前訴で提出して争うことは出来たが、当事者の実体法上認められた地位との関係で前訴で提出して争っておかねばならなかったといえない場合には遮断効は否定される。(法学書院「民事訴訟法」)

 つまり私が言いたいことは、東京裁判において日本に十分な手続保障がなされていたか、
当事者権保障がなされていたかということです。
モロさん。横から失礼します。
日本に十分な手続保障がなされていなかったとしたら、当事者権保障がなされていなかったとしたら、遮断効は生じないのではないですか。
あいにく私も門外漢ですから、法律的な詳しいことはわかりません。
しかし、東京裁判は本当の意味で公平な裁判だったのですか。本当に客観的な第三者が、日本の権利を十分に保障した上で裁判を行ったのですか。戦争は相手があってのもの。相手国と公平に裁判席につき、日本の主張はしっかりと聞き入れられたのですか。
日本人の全員とは言いません。大多数があれは間違いのない公平な正しい裁判だったと評価しているのですか。それなら確かに「判決」のみではなく「裁判」全体に既判力を及ぼすべきかもしれませんね。
しかし、少なくとも私にはあれが公平な裁判だったとは思えません。そして、「サンフランシスコ平和条約の正文は、英語とフランス語ですが、その第11条の問題の用語は英文では“judgments”となって」いることをどうお考えですか。“judgments”は「判決」でしょう? あいにく私は地方の三流工業高校の劣等生だったものでお尋ねしますが、“judgments”を「裁判」と解釈するのは正しいのでしょうか? 拡大解釈が過ぎるように思いますが、いかがでしょうか。日本はサンフランシスコ平和条約を受諾しました。よっていい悪いは別として、東京裁判の“judgments”を受け入れました。もし、“judgments”が「判決」であるのならば、なぜ「裁判」ではなく「判決」という裁判の一部分を受け入れたのでしょうか?
「東京裁判の場合も事実認定・理由には拘束力はなく(前認定・理由を覆す相当な根拠が提示できれば元の判決の無効を申し立てる権利がある)、判決主文のみを受け入れればいいのである。」
柳生昴さんの本文でもこうなっていますが、もともと日本は「判決」という裁判の一部分しか受け入れていないのです。なぜでしょうか?
それは日本の手続保障・当事者権保障がなされておらず、到底公平な裁判とはいえないことを誰しもがわかっていたからではないのですか。
もう一度言います。日本は東京裁判の“judgments”を受け入れました。よって、判決は動かせません。
しかし、もともと裁判全体を受け入れたわけではないのです。
ならば”東京裁判史観(G.H.Q.史観)”にとらわれる必要はないのではもともとないのではないですか。
なにか議論がズレてきている気がしたもので。

投稿 みちお | 2008年2月24日 (日) 19:44

モロさん
 ここはあなたと遊ぶ場所ではありません。
 私が政治的意見を述べる場です。
 コメントであっても「東京裁判の既判力」以外への言及はお控えください。
 別の案件への誘導は禁止です。
 当blogの管轄権外となります。
 法律の知識をひけらかしたいのなら法律のblogでやってください。
 あなたが正解(何法の何条orソース)を出していただき
 私がそれを検証して「正しい」となれば・記事を訂正します。それだけです。
 とにかく
 「刑事裁判は死刑にも出来ながら挙証責任は民事より少なくて良い」
 なんてことは絶対に無いですから!

投稿 柳生昴 | 2008年2月24日 (日) 12:48

そこまでおっしゃるなら、一つ一つずつ行かせてもらいますよ。

第一に、以下の判決における既判力の範囲はどこですか。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080129120811.pdf

投稿 モロ | 2008年2月24日 (日) 03:23

モロさん
 「贈与と売買」についての修正は今日・夜までにやります。
 (全体の修正ではないです)
 ただ私は法律の素人です。
 法律用語辞典(自由国民社)
 コンサイス判例六法(三省堂2005年版)
 だけで法律の記事を書いています。
 憲法となれば・もう少し多くなりますが・・・
 
 広辞苑(電子版)には
 既判力:判決の確定によりその判断が不動のものとなり、同一の点についてはもはや再び訴訟上争わせないという不再理の効力。
 一事不再理:ある事件について判決が確定した場合、同一の事件について再び公訴の提起を許さないという刑事訴訟法上の原則。
 とあります。
 これは単に「公訴を再び許さない」というだけで
 「歴史の解釈が裁判で決定した」というものではありません。
 それは「良心の自由の問題」だからです。
 
 ソクラテスの死は美談として伝えられていますがモロさんは
 「ソクラテスは犯罪者だ!感動することはない!」と言うのでしょうか?
 時間を越えた美しいものがあるからこそ・我々もソクラテスを尊敬するのではないでしょうか?
 それは「良心の自由は権力では裁けない」ということに殉じたからです。
 
 たしかに 
 刑事≠民事
 ですが
 刑法:拘束され命を奪われることもある。
 民法:命はおろか拘束もされない。
 のに
 「刑事裁判でも民事以上の既判力(拘束力)がある」
 と解釈するのは素人でも「無理だ!」と分かりますよ!
 命を奪う刑事裁判では権力側に「より以上の制限」が加わるはずだからです。
 
 モロさんが私より法律に詳しいなら
 「正解を出して」下さい。
 根拠となる「何という法律の何条」とね?
 六法なら共通のはずですし・ネットでもソースを教えていただきたい。
 そうしたら私もそれを確認して
 記事を修正します。
 遮断効というのは私の法律用語辞典には載っておりません。

投稿 柳生昴 | 2008年2月24日 (日) 00:19

その本手元にないので、何とかかれておあるのかわかりません。
「あれは贈与ではなく売買だから代金を支払え!・・・ということは後で可能である」
これ、きちんと全文あげてもらえませんか。これだけでは前訴と後訴の関係がそうなっているのかわかりませんので、なんともいえません。既判力の客観的範囲と主観的範囲、既判力の基準時、遮断効といった解説も読まれましたか。

投稿 モロ | 2008年2月23日 (土) 17:59

モロさま
 私は「法律用語辞典」自由国民社1999年版79pの
 既判力(判決には権威のある部分と無い部分がある)
 に従ってこの記事を書きました。
 79pには
 「あれは贈与ではなく売買だから代金を支払え!・・・ということは後で可能である」
 とあります。
 これを省略したので誤解されたのでしょう。
 
 しかし
 紀元前であろうと・現在であろうと
 「良心は裁けない!」
 ということでは同じです。

投稿 柳生昴 | 2008年2月23日 (土) 17:43

わかりませんか。
「本件土地の所有権はBにあることを確認する訴訟」はできません。判例によれば、信義則上訴え却下されます。
Bは、前訴「移転登記を求める訴訟」の訴訟係属中に、同様の訴えを反訴請求すべきでした。なぜなら、前訴の争点は結局、AとBのどちらに土地所有権があるのかという点であり、一物一権主義の原則上、Aにいったん土地の所有権が前訴で認められた以上、Bには確認の利益がありません。所有権がないにもかかわらず、裁判所は、登記を移転させる給付判決を与えるはずがないでしょう。

ソクラテスは紀元前の人であって、その告発内容は、「国家が信じない神々を導入して、その結果青少年を堕落に導いたことが犯罪である」というもの。紀元前の裁判に、近代刑事裁判の事例を持ち出して考えるということこそが、無理がある。
ましてや、ソクラテス・プラトンの事例と、狭山事件などの再審請求の事例を同じ土俵に並べること自体に無理がある。

投稿 モロ | 2008年2月23日 (土) 17:12

モロさま
 あなたの言いたいことが分かりません。
 それでは
 ソクラテスは「自分は犯罪を犯したから有罪」と言って服毒したのでしょうか?
 西洋史には
 「ソクラテスは犯罪者!」
 と書かなければならないのでしょうか?

投稿 柳生昴 | 2008年2月23日 (土) 16:32

いや、普通に民事訴訟法を学習していれば、確認の利益もないのに確認の訴えを起こすことができないことわかることでしょう。小林氏は、大学時代仏文科だったからまったく法律の理解の下地はないでしょうし、民訴法を勉強してないにもかかわらず、既判力を勉強して理解した気になっているのが実に痛かった。

結局のところ、民主党の細野議員の話を、民訴の既判力の規定をもちだしてバカ話扱いするのは無理がありますし、小林氏の理解も刑訴で考えるべきものを民訴で捉えた点ででたらめだし、最新のあなたのコメントも自説の補強にどう役立てておられるのかよくわかりません。

投稿 モロ | 2008年2月23日 (土) 16:01

モロ・さま
 あなたの質問?が抽象的過ぎるので答えが5・6にもなり・鹿頭するしかないでしょう・・・think
 もしかしたら?100答えても満足されないかも・・・
 
 刑事裁判:告訴がなくても事件(裁判)になる
 民事裁判:告訴がなければ事件にならない
 これぐらいの違いは分かりますよ。
 民事の場合
 「訴訟物」がなければ・救済がなされないじゃありませんか!
 刑事裁判:国家が個人の復讐権を代行する
 民事裁判:損害の救済
 それぞれ目的が違います。
 
 逆に刑事裁判で
 「明智光秀の汚名を回復したい!」
 というのは受け付けられません。
 歴史の真実究明は裁判に馴染みませんから。
 小林さんも私も
 それを言っているのであって(これが民事であるわけがない東京裁判では1番大事!)
 民事裁判を持ち出したのは・大衆に分かりやすくするためです。sad

投稿 柳生昴 | 2008年2月23日 (土) 13:50

おーい。シカトですか。

前訴の訴訟物が土地所有権移転請求権という給付請求権であること
後訴の確認の利益
給付の訴えと確認の訴えが共存したときの判断
争点効の理論
信義則による後訴の却下(最判昭和51年9月30日)

民訴法における既判力を理解するうえでも、これらは知ってもらわんと困りますし、知っていたら、後訴の確認訴訟が、実質的に前訴の蒸し返しにあたるということぐらいお分かりになるはずです。このような訴訟を起こすことは、最高裁は認めておりません。
そもそも、「主文に包含するものに限り」というものを「主文にしか」と改ざんして読み替えているからおかしいのであって、主文のみに限定したら法的性質がわからんでしょうもん。

だいたい、刑事訴訟的性格を有し、訴因制度を使用していた東京裁判を民訴法で考えることほど、馬鹿なことはないんですよ。刑事訴訟を民事で考えたら、二重の危険にあたるし、訴因制度をとっている意味がないでしょうに。

左巻きの人間が信用できないいま、右にしっかりして抱かないと困ります。小林氏の嘘にだまされることなく、しっかりしてください。

投稿 モロ | 2008年2月23日 (土) 06:56

読みましたけど・・・

投稿 モロ | 2008年2月21日 (木) 00:21

モロ・さん
 プロフィールページをご覧下さい。

投稿 柳生昴 | 2008年2月20日 (水) 16:19

えと、訴訟物についてはお分かりでしょうか・・・

投稿 モロ | 2008年2月20日 (水) 04:53

サンフランシスコ平和条約の正文は、英語とフランス語ですが、その第11条の問題の用語は英文では“judgments”となっています。

ウェブスターのNew Collegiate Dictionary(第9版)でjudgmentを引いてみますと、a formal decision given by a courtとあります。

したがって、日本語には外務省条約局が訳したのでしょうが、「裁判」は誤訳以外の何物でもありません。また、条文の解釈に疑義が生じた場合は、当然正文によることとなりますが、judgmentsが判決文全文を指すかどうかなど問題になったことはありませんし、これからもなることはありません。

投稿 weirdo31 | 2006年9月11日 (月) 20:58

ネットに対する誤解は 年配の人間には
多いかもしれません。
自分も実はそうだったのですが
政治ブログを拝見するようになり
全く偏見であったと心を入れ替えました。
とくにこちらのブログは
テレビに出てはいるがたいしたことない
そこらの学者よりよっぽどレベルが高いし、
勉強になります。
小林氏も そういう自分の偏見に気づかれた
のかもしれません。
双方の協力関係が生まれれば 日本もこれから期待が持てます。
どうか頑張って下さい。応援致します。

投稿 SESIRIA | 2006年9月11日 (月) 20:53

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