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中国残留孤児訴訟・県内24人も取り下げへ

2008年02月13日

 中国から永住帰国した残留日本人孤児で鹿児島県内に住む24人が、国に1人あたり3300万円の賠償を求めた訴訟の口頭弁論が13日、鹿児島地裁であり、原告側は訴えを取り下げる。国民年金の満額支給や生活支援給付金などが盛り込まれた改正中国残留邦人支援法の成立を受け、約5年に及ぶ裁判が終結する。
 すでに埼玉、東京、山形、福岡、名古屋の各地・高裁でも訴えが取り下げられ、国も同意している。厚生労働省中国孤児等対策室は「今後は支援策を誠実に実行していきたい」と話している。
 原告側は訴訟で、戦後の長年にわたり中国に置き去りにされ、帰国後の自立支援も十分でなかったと主張してきた。
 原告団長の鹿児島市星ケ峯4丁目、鬼塚建一郎さん(67)は戦中の1940年、中国東北部(旧満州)で3人兄弟の長男として生まれた。旧ソ連軍の侵攻後に母と弟を亡くし、自身は農家に引き取られた。中国の養父母は優しかったが、幼い頃、周囲から「日本鬼子」と言われ、いじめられたという。
 86年、日本に帰国。当時45歳で日本語の習得は難しかったが、鹿児島市内の量販店で働きながら勉強し続けた。「長かった。ようやく日本で人間として生活していける」と訴訟終結の喜びをかみしめる。
 弁護団の森雅美副団長は「残留孤児だった人々の多くは今も日本語に不自由し、孤独な思いをしている。今後、彼らが社会に溶け込んでいくための支援も必要だ」と話している。

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