自分の耳で聴いたわけじゃないんですけど(ネットに落ちてるのでしょうが)、世間で大きな話題になっているとおり、くうちゃんが「35歳になるとお母さんの羊水が腐ってくる」とラジオで発言して、その件について謝罪してました。
この子は羊水がずっと(妊娠してなくても)お腹に溜まってると思ってたんですかね、という突っ込みはさておき、この話題をとりあげるのは、「想像力」の話がしたいからです。自分は35までまだまだあるから、自分が35になることが想像できていないのはしかたない。しかし、自分のファンには35以上の人もいるだろうに、その人たちが発言をどう捉えるかが想像できていない。ファンじゃない人のことはそもそも想像の範囲にないのかもしれないけど、世間には35以上の女性がたくさんいることが想像できていない。
まあ、ちょっとした想像力があれば、ラジオでできる発言ではないですよね。
で、想像力が足りないからこそ、「水からの伝言」を肯定できるのだろうなあと思うわけです。「水からの伝言」は健全な想像力の産物ではなくて、強いて言えば妄想力の産物だろうと考えるのですが、どうでしょう。少なくとも、ちょっとした想像力があれば「水からの伝言」を持ち上げることがなぜまずいか(科学的知識と関係なく)、わかるんじゃないかな。あれを「いい話」と思いこんでしまうのは、想像力が足りないせいだと考えるのですが、いかがでしょう
この記事に対するコメント[233件]
1. TAKESAN
— February 3, 2008 @01:48:09
個人的には、水伝を好意的に紹介した人が、羊水が腐る、などと発言する、という所に、なんとも言えない感じを覚えました。
言葉に対する徹底的な認識不足があったのかな、なんて思っています。
水伝については、上にも書いたように、言葉についての無頓着さが関わっているのだろうな、と思います。ただ、十数年前だったら、もしかすると自分も信じていたかも知れないな、というのを考える事もあります。理由はまさに、言葉に対する認識が素朴だったから、ですね。
言葉についての「思い入れの強さ」と言葉の構造に関する思慮の浅さとが相まって、水伝を信じる、という現象に結び付くのかな、と思います。
たざきさんがよくいわれる「科学が独立なトリビアの集合と思われている」ということと関連していて、要するに相互の関係なんか考えてないのでしょうね。科学というより「言葉」の問題ですが。
「水伝」はまさに言葉に対する無頓着さの表れですよね。
彼女は環境問題についても発言してるはずなんですが、それも所詮「それはそれ」なのかなあ、と考えさせられます。
3. トロッコ — February 3, 2008 @02:03:20
江原さんの件について、僕は茂木さんの意見が聞きたい。
http://www.youtube.com/watch?v=on19hLgH914
本来、表現者であるなら受け入れることのできない「水伝」を肯定してしまうほどに、言葉について無頓着であること、菊池さんご指摘のように「想像力の欠如」が如実にあらわれたのだと思います。
何かを表現して伝えるということは、「想像力」を最大限に発揮して行わなくてはいけないのに、彼女の活動のなかでは一番大切なことではなかったということでしょうか。
あまりの発言に唖然としています。
「しゃべりは大阪のおばちゃん」というのが彼女のキャラなので、思ったことはなんでも言っちゃうし、言わせちゃうということではあるのでしょうが、「表現者」としては「大阪のおばちゃん」を演じるにしてもきちんと踏みとどまっておく必要があるはずです。
単に「本音」を言うだけなら、表現ではないんで。
そのあたり、基本的に勘違いしているのかな、と思います。
7. TAKA — February 3, 2008 @03:21:21
ところで「ぼろ」が出るまでに、怪しい言説が巷にコピペされ続けます。間違った概念が社会にはびこると、後からそれを訂正するのに、余計な時間を消費してしまう事になります。先手を打って、予め批判していた方が、時間を節約出来ます。
しかしそれも、私の杞憂だった気がしてまいりました。今から社会にはびこる、「芸能人(江原含む)」の放言を、片っ端から訂正してくれる有志が、どうやらお一人は居るらしいからです。
まさか、「自分は今後の社会の在り様を、想像した事も無い。」とは仰りますまい。
8. Blatanda
— February 3, 2008 @08:20:00
http://netallica.yahoo.co.jp/news/23782
生番組ではなかったのですか?
だとすれば、「不適切」と思えばスタッフが編集なり注意なりできたわけで、倖田さんだけではなく、周囲も含めて同じような感覚だったのかなと思います。まさに芸能人一人の問題ではなく、なかなか根が深いようで、これは「水伝」にも言えることなのでしょうね。
「あるある」から何も学んでないんですよ
それはともかく、ネット上の反応が興味深いです。少なくない人が「高齢出産はリスクが高いのは事実だ(からあんまり責めるな)」と発言しているんですよね。羊水が腐る、と高齢出産のリスクは全く別のことを指しているはずなのに、論旨が似ているからどっちでもいいと言うことなんでしょうか。
彼女の発言の遠慮のなさを批判する人は多いですが、水伝のことに触れたり、そもそも発言内容が事実でない(中学レベルの知識を覚えていれば、たぶん正しくないだろうとわかるはずですよね)と指摘する人の割合がすごく少ないです。
「水伝」を批判すると、「言葉づかいを教えるのが悪いのか」とか「いい話だからいいじゃないか」とかいう反応が出るのと、構造は同じでしょうね。
ゲーム脳なんかもそうだな。
その区別は重要なんですけどね。
これからの時代、高齢出産は当たり前ですから、そのリスクと対策についてよく知っておくことは大事ですが、「羊水が腐る」なんて言葉を知っていたってしかたがない。これは高齢出産そのものを「ダメ」と言っているだけで、まったく意味がないわけです。
12. トロッコ — February 3, 2008 @11:08:57
だから、僕は想像力について語りたいし、今回の話はその格好の例になっていると考えています。
それでくぅちゃんのファンの反感を買っても、まあしかたがないです。
14. 朴斎
— February 3, 2008 @10:26:38
たとえば交通事故でわが子を亡くした親御さんが、ある高校の交通安全教育に講師として招かれ、自らの体験とともに過度のクルマ優先社会の見直しを訴える講演を行いました。すると生徒から寄せられた感想の中に
「ひいた運転手を恨むのはよくない。ひかれて死んだのは前世で悪いことをしたり、現世で恨みやねたみの心を持っているから早死にするのだと聞いている。因果応報はあると信じる」
というのがあったそうです(「クルマ社会を問い直す会」会報『クルマ社会を問い直す』49号)。
講演したご本人は「受け止めの多様さはある程度覚悟していたが、この一文を読んだときはやはりつらかった」と、信じられないくらい穏やかな口調で書いていますが、私は暗澹たる気持ちにならずにはいられませんでした。
自分自身が肉親を失って「因果応報かも知れない」と気持ちを切り替えようとするのなら勝手ですが(それでも肉親に失礼とは思いますが)、他人に面と向かってそれを言うことが励ましになると本気で思っているのなら、恐るべき想像力の欠如というしかありません。さらには「自分はこんなすばらしい教えを知っているから、肉親が死んだって平気だぞ。どうだすごいだろ」と自慢したい気持ちさえ見え隠れしているような気もします。
この生徒がいわゆる「スピリチュアル」にはまっていたかどうかは断定できません。しかしまじめな仏教徒なら、肉親を亡くした人にこんなことは絶対に言わないのは確かでしょう。この例にしろ倖田來未の失言にしろ、「人の心を幸せにするためにある宗教や信仰も、生半可にかじって悟ったつもりになると、かえって周囲を不幸にすることもある」という事実(仏教ではこれを「生悟り」と呼んで戒めています)に、あまりにも無頓着すぎたための悲劇といえると思います。
<まさに芸能人一人の問題ではなく、なかなか根が深いようで
芸能界では醜聞も知名度維持の手法でした。問題があっても日本人は75日で忘れてしまいますから。都知事の場合はどんな暴言でも謝罪せずに押し切りますが、その差は権力の有無でしょうか。
最近は一般人の中でも人を馬鹿にする風潮が強リ、その起源は1980年頃の『漫才ブーム』だと思います。芸無し芸人達が「人を公然と笑い者にするのは面白い」ということを電波に載せて全国津々浦々まで広めたのでした。その頂点は北野武であり、当時の新聞などは「弱者いじめを売り物にしている」と書きました。日常的な無批判が暴言を誘導していると思います。
16. トロッコ — February 3, 2008 @12:46:12
> 僕は「想像力」というものをとても重視していて、ニセ科学にしろスピリチュアルにしろ陰謀論にしろ、想像力が足りないのだと考えています。
そういった話になってくると、ニセ科学という問題設定では狭すぎてしまう訳ですね。
水伝はニセ科学というよりも、スピリチュアルの話のほうに近いのかもしれませんし。
「水伝」はニューエイジなので、スピリチュアルに近いというのはおっしゃる通りです。
あれで、白衣の研究者(?)が顕微鏡を覗いているという見かけをとっぱらってしまえば、科学に見える要素はなさそうなんですが、どうでしょうね
18. トロッコ — February 3, 2008 @14:30:32
スピリチュアルと道徳教育とは、そもそも親和性が強いのではないかと思います。
教員自身が水伝を事実かもしれないと考えていたかどうかは疑わしいと思いますが、
しかし、科学っぽい意匠をスピリチュアルを道徳教育に導入することの口実として
利用できたので、彼らの敷居を下げる効果を持っていたのでないか、ということは
推測しています。
要するに、そういうことです。
もちろん、アンケート調査などは不可能なので、それぞれ実例を確認しているということであって、比率などはわかりません。
ただし、「水伝」を「道徳」に使うには、自分が信じているかどうかはともかく、少なくとも生徒には「事実として教える」しかないと思います。
>>僕は「想像力」というものをとても重視していて、ニセ科学にしろスピリチュアルにしろ陰謀論にしろ、想像力が足りないのだと考えています。
だから、僕は想像力について語りたいし、今回の話はその格好の例になっていると考えています。
確かにこの倖田來未の発言は、想像力の欠如の良い例ですね。
私は、彼女個人の想像力の欠如ももちろんですが、今の一般社会全体の想像力の欠如についてどうしても考えてしまいます。
まず彼女の件で具体的に言うと、これは倖田來未自身に聞いてみないとわかりませんが「35歳を回ると羊水が腐ってくる」と聞いたときに、自分の周り(もちろんこれだけでは統計的には不十分ですが、あくまでも思考の最初の取っかかりとして)で実際に羊水が腐った35歳以上の女性がいるかどうか確かめたりしようとなぜ考えないのか、と言う事なんです。
こうしたことは、私には伝聞した情報の真偽を確かめる際に行うべき最低限の行為だと思うんですが、一連の謝罪とプロモーション活動の自粛までの流れを見ていても、彼女がそうした行動をとっているようには見えません。
ここがどうも理解に苦しむんです。
なぜ伝聞情報の真偽を確かめるコストをここまでかけないのかが。
そのことと「二分法思考」の蔓延が関係あるかどうか、気になっています。僕はそれは同根だと思うのですが、どうでしょう
22. 綾香 — February 3, 2008 @17:35:32
23. トロッコ — February 3, 2008 @18:19:31
>「水伝」を「道徳」に使うには、自分が信じているかどうかはともかく、少なくとも生徒には「事実として教える」しかないと思います。
「事実でないと思われるのが当然なのかもしれませんが、そこはあえて問わずに、事実という扱いでお話をさせて下さい」
こういう感じのKY的な機構は必要なのかもしれません。水伝の科学っぽい意匠はそのような社会的な圧力を生じさせるメッセージとして機能していると思います。
24. 内海 — February 3, 2008 @18:02:03
少し長くなりますが引用します。
以下引用
前章(内海注・引用文は2章から)で説明したように、その時々の気分や雰囲気に合った言説を支持するのは、私たちにとって無理からぬことです。
そして、そうした言説の妥当性や実効性とは関係なく、多くの人の気分にかなうとき、その言説は多数の人が「何となく正しい」と考えるところとなり、「何となく常識」な話が作られていきます。
評論や講演を生業とする評論家、社会動向や政策課題に対して意見を求められる学者やコンサルタントにとって、聞き手が受け入れている「常識」を真っ向から否定して自説を主張するのは、利口な「やり口」とはいえません。説得するに当たって「わざわざ説得しにくく」する必要はないからです。したがって、自身の主張の核と対立しない限り、常識化している言説にはふれません。そして、誤りだと分かっていても、時としてそれを利用して自説を展開するという場合もありえるでしょう。
中略
ある事実が多くの人の心にかなう(好みに合う)もので、それに対する批判が行われない状況が続くと、「常識」は論壇や政策論争の場を支配する「空気」となります。
常識の支配力が強力になると、言説の可否を決めるものは論理や根拠ではなく、「何となく形成された常識」に「近い雰囲気」を持っているか否かになります。「科学的」根拠自体が、「空気」に適合するように再構成されるようにすらなるでしょう。
引用終わり
もちろん倖田來未が、こうした榲弔気鵑僚劼戮蕕譴討い襦屬覆鵑箸覆人々が正しいと思う常識」につけ込むことを目的としてああいった発言を
故意にしたとまでは私も思いませんが(^_^;)何というか、彼女が「何となく感じる皮膚感覚」から、ああいった発言をしても一般層に受け入れられるんじゃないかという判断を下した可能性は私はあると思っています。
だからこそ、「35歳を回ると羊水が腐る」事が事実かどうかとか、科学的根拠があるのかといった事には関心がほとんど向かない。
だから一切話の真偽を確かめる事にコストを割こうとも思わない、そういう風に私には見えるんです。
彼女にとって、「羊水」がどんなものであるかも「腐る」がどのような現象なのかも、曖昧なままでおよそ正確な理解とは程遠いのだと思います。
基礎となる知識がなくその自覚もないままで、想像力の欠如が「トンデモ」をもたらす典型のように感じます。
ホメオパシーの暴走や怪しげな代替医療に手を出す人も同じような思考を展開しているなと思った次第です。
>「水伝」と「羊水が腐る」が、彼女の中で矛盾なくつながっているのか、それとも「それはそれ、これはこれ」なのか、気になるところです。後者じゃないかとは思いますが。
同感です。このニュースを聞いたとき、私も気になりました。
ただ、前者だとすると彼女の情報源がどのようなものか、気になってしまいます。
怪しげなスピリチュアルカウンセラーとか、吹き込んでいたりして
26. e10go — February 3, 2008 @23:21:08
私は医者から「妊娠期間が出産予定日より長くなると、羊水がにごる事がある」と言うのを聞いたことがあります。
彼女は、それと同じ事を誰かから聞いて、彼女の脳内で、
1.「羊水がにごる」→「羊水がよごれる」→「羊水がくさる」と変換。
2.「妊娠期間が出産予定日より長くなる」→「妊娠年齢が遅くなる」→「35歳過ぎて妊娠する」と変換。
3.1+2で「35歳過ぎて妊娠すると羊水が腐る」と思い込んだ。
以上。。。で締めたら、ただのスレ汚しになるので、もう少し推測します。
おそらく彼女は、「羊水がにごる」を「羊水がくさる」と思い込み、「羊水がくさる」に疑問を持たず深く考えなかったんでしょう。
一般の人は「羊水」がどんなものか詳しい知識を持っている訳じゃないから、「羊水がくさる」と聞いても疑問を持たないかもしれません。
疑問を持たなければ、それ以上深く考えないと思います。
疑問を持ったり、不安になったり、調べたりするのは、これから妊娠する予定の人か出産予定の人くらいでしょう。
あれだけの有名人が「35歳過ぎて妊娠すると羊水がくさる」と発言をすれば、それに該当する人から反発があるのは当然ですが、彼女はそんな事を深く考えずに発言したんでしょうね。
27. トロッコ — February 3, 2008 @23:40:25
私もその程度のことだろうと思います。水伝も「いい話あるで」くらいの軽い話なんでしょう
28. 酔うぞ — February 4, 2008 @00:06:48
それで、「水伝」とセットになった記事があったのでますます分からなくなり、検索してようやく全体像が飲み込めました。
また、ご紹介いただいた http://www.youtube.com/watch?v=on19hLgH914Link
想像力の欠如は大問題だと思いますが、ニワトリと卵というべき関係だと思いますが「総合力の軽視」のようなところも大きな問題だと思います。
とにかく「答えだけを知りたがる」とか「反射的に回答する」といったことが、面倒なことを考え無くなる、といったところがあると思います。
高校生を対象にロボット製作の授業をやっていますが、目的はチームワークの経験にウェイトを置いています。
その中で、議論を戦わせる、相手の考えを読み取るといった面を重視しているのですが、これに何ヶ月もかかります。
なんというか「自然な疑問」を持たないように訓練されている、とでも言うべき状態なのです。
常に「(生徒が知らない)正解を大人が知っている」という受け身の姿勢に徹しているから、基本的によい子になっている。
結局のところ、分断された知識の暗記のような事にしかならないから「どうすれば良いのか」とか「なぜこんな問題が起きるのか」「解決手段が無いときに代替手段を考える」ということ自体にたどり着きません。
10人とか20人という数ではありますが、色々な方法で「問題を分析し、議論して、ベターな方法を探る」という経験を積ませるようにしています。
今回の「事件」は、わたしが問題にしている「分断した知識の自動応答機的な対応」が生みだしたことじゃないか?と思いますね。
僕たちも「答だけを知りたがる」風潮が「二分法思考」や「ズバリ言われたい」や「ポピュリズム」に結びついていると考えているわけです。卵と鶏の関係はよくわかりませんが。
また、「分断した知識」というのは、たざきさんがよく言われる「科学が単なるトリビアの集合と思われている」という話と対応しますよね。
本人が考えたのか、誰かに吹き込まれたのかは分かりませんが。
まあ、今回の世間の反応は「水伝」のときとは異なり、かなり批判的なものが多そうですので、「もともとそういう子なんだ」と世間が認識してくれればこれはこれで良いことなのかもしれませんが。
31. 雨雲 — February 4, 2008 @18:08:01
紹介頂いた音声を聞きましたが、マイクの向こうのスタッフと会話しているようですね。
なんというか、不特定多数に向けての公共放送というよりは、特定少数とのチャットや井戸端会議のような感じがします。
深夜番組ですので、ある程度の親近感を出す事は必要だと思いますが、これは行き過ぎではないかと。
想像力の欠如という話が出ていますが、今回の件に関しても、「マイクの向こうにいるリスナー」を喋っている本人もスタッフもリアルに想像できていないのではないかと感じます。
だから該当部分を編集する事も思いつかなかったのではと思っています。
たまにバラエティ番組を見ると感じる「置き去りにされたような感覚」の正体は実はこういった事だったんだろうとなんとなく納得しました。
ちなみにうちの奥さんはこのニュースを見てかなり立腹していました。
「結構好きだったけどもうファンやめる」だそうです。
32. 案山子 — February 4, 2008 @19:28:13
共通ワードが「水」ですね
次も「水」にかかる話を披露したら、別の意味で興味をひきます
33. ぼそっ — February 4, 2008 @22:15:31
「キレイな体」という「ピュア信仰」 倖田「羊水腐る」発言の背景?
http://www.j-cast.com/2008/02/04016313.html
「ピュア」がキーワードだとするとなんとなく分かるような気もします(水伝とのつながりも含めて)。
34. カーリー — February 5, 2008 @01:09:14
私も前々から個人的に甚だ疑問に感じていた「水伝」と幸田嬢の「羊水」発言。
ぜんぜん外野の立場ですが、興味をもって見ています。
ところで、少し話はそれるのですが「普通のシャンプーをしていると羊水に混じって赤ちゃんが生まれるときにシャンプーの匂いがする(泡立つ)」という話をご存知でしょうか?(既出でしたら、すみません。)
以前、子どものことで悩んでいる時に知人から健康的な生活を送るには食べ物や生活から、ということでこの話を引き合いに出されたことがあります。
主婦の間ではかなり有名な、そして高い信憑性をもっている話です。
なんでも産婦人科の看護婦さんが言い出した話だと聞いています。
私は疑似科学には興味があったのと、この知人に今ひとつ信頼をおいていなかった(笑)ので「ソースはどこじゃぁ」とネットで探し回ったのですが、なかなか見つけることができませんでした。
どなたかガツンと「そんなの嘘っぱち」と笑い飛ばしてくれるといいのですが・・・。
なんだか幸田嬢の発言を聞いてその話を思い浮かべてしまいました。
板汚し、失礼しました。
「水伝」では、ビンに「きれい、かわいい」などのきれいな言葉を貼っておくと、中の水の結晶がきれいにできる。
↓
人間も、体の70%以上が水なのだから同じように「きれい、かわいい」と周りから言われていれば女の子は外側も中身もきれいになる。(これは、本人が発言してます。)
↓
よって、女性が35にもなるとあまり周囲から「きれい、かわいい」と言ってもらえる機会がなくなるので女性の外側も中身もきたなくなる。
↓
もちろん、妊娠していた場合はからだの水分である「羊水」も汚れる。
という考え方らしいのですが、つくづく失礼なひとですよね。
実際は、統計がどうの科学的根拠がどうのと言う以前に、妊娠しているときに女性のおなかの羊水が腐ることはありえません。なぜなら、生きているひとの体は腐らないからです。(もちろん、怪我をしたときなど化膿したりそれがひどい場合は切断したりするわけですが、それが特殊な状況なのはみなさんご存知のとおりです。)これは、「ピュア」とかいう言葉ですまされるようなことでしょうか?年上の女性をなめるにもほどがあるのでは?
36. 綾香 — February 5, 2008 @01:32:05
先日、カフェでバンドの打ち合わせ(ったって、デュオなんでふたりですが)をしてたら、両側のテーブルでニューウェイズの勧誘をしてましたですね。
なんか、「シャンプーで・・・・癌が・・・」とか漏れ聞こえるんで、かなり胡散臭い話をしていたと思われますが・・・
それを見た相方が切れそうになってて、打ち合わせどころではなかったとです。
ああいうときはどうしたらいいのか、悩みますね。
38. カーリー — February 5, 2008 @02:16:26
「ニューウェイズ」っていうものがなんであるのかちょっと判りませんが、まあ、笑っちゃうくらい胡散臭いものであろうというのは想像できます。
このシャンプーの話は「ニューウェイズ」とは全く関係なく出てきたりしています。
本当にとても「嘘だ」では片付かないほど真剣に信じている人も一人や二人ではありません。
私の知人は「だから本物を使わなければならない。例えばシャンプーは自然派のものを、卵はスーパーの安売りではないものを・・・」ってな具合に続けていたりします。で、この知人が使っている自然派のシャンプーはスーパーで売っているものみたいなんですけどね。この知人は私から見て少し信じ易いタイプのようで邪馬台国のとんでもない場所や波動についても大真面目で私に教えてくれたことがあります。
(ちなみに卵の方は安いのをたべているから女の子の生理が早くなるんだという論法らしいです。別の知人ですが、子どもに給食の卵を食べるなと言っている人もいます)
私のような普通の田舎に住んでいる主婦にもこういう話が聞こえてくるとなんだか怖いものを感じます。
「それ、本当??」と思っても笑って聞かなければならないという苦痛もあります。
疑似科学というか都市伝説というか・・・半ば本当のように語られるのは困ったものです。
今度、知人とその話が出たら「それ嘘」って教えてあげます・・・って無理だろうなあ。
本当に、本当に板汚しだったようです。ごめんなさい。
綾香さん、嘘だと言ってもらえてすっきりしました。ありがとうございました。
39. 技術開発者 — February 5, 2008 @05:17:41
>「ニューウェイズ」っていうものがなんであるのかちょっと判りませんが、まあ、笑っちゃうくらい胡散臭いものであろうというのは想像できます。
数多くあるマルチ商法の一つです。かって日本消費者連盟がその勧誘トークのひどさに録音テープを添えて官庁に申出をしたことがあったはずです。
http://www.nishoren.org/statement/statement-contents/bunsho07-000510.html
http://www.nishoren.org/statement/statement-contents/bunsho08-000512.html
http://www.nishoren.org/statement/statement-contents/bunsho10-000512.html
http://www.nishoren.org/statement/statement-contents/bunsho11-000512.html
>今度、知人とその話が出たら「それ嘘」って教えてあげます・・・って無理だろうなあ。
幾つかの都市伝説と化している話を遡っていくと、こうやって誰かが「儲けるためについた嘘」に突き当たったりするわけです。もちろん、その途中段階で伝播されている方には「悪気」はないわけですが、結果として悪い人たちを儲けさせることにつながっていたりするわけです。それに対して日本消費者連盟などが懸命に警告していることなどは、普通の人の噂話にもならないわけですね(まあ、あまり面白くはないですけどね)。
日本消費者連盟などは、今も、様々な問題に対して警告を発していますので、暇なときにでも見ていただけたらと思います。
http://www.nishoren.org/statement/statement-top.html
「羊水がシャンプーのにおい・・・」という話は
かなりよく聞かれる話です。
あー。でも正確には「聞かれる」というより
「ネット上で見かける」という印象ですね。
いろいろと不安になる初めての妊娠の時に知りまして、
ドキッとしたのですが、調べてみるとマルチ商法のセールストークが元になっていると分かりました。
ただ、この噂ですが、「シャンプーの匂いがする“らしい”」と言っているんですよね。ここがポイントではないかと思うのです。
「私の羊水、シャンプーの匂いだったの」と言う証言は不思議と見かけたことがありません。
事実、2人出産しましたが、当然のことながらシャンプーの匂いなんてありませんでした。
そしてお医者さんからは、尿か羊水か見分けが付かなかった場合「無臭ならば破水だから」と教わりました。
2人目は自宅で破水したのですが、その通り無臭でしたよ。
この他に、妊娠中にパーマをかけると、そのパーマ液が赤ちゃんに影響を・・・みたいな話もよく見かけるネタですね。
41. A-WING
— February 5, 2008 @09:47:57
理美容師が、妊婦のパーマや毛染めを避けるのは、妊娠中は免疫の状態が普段と違うことから、予想外のアレルギー反応が起きるのを避けるためです。
42. 専業ママ — February 5, 2008 @10:01:08
43. Watchtower — February 5, 2008 @10:28:42
#33で紹介されている「ピュア信仰」というのも、その流れの中で発生してきているもののように思えます。
「清潔/不潔」を「善悪」で二分して、極端に清潔を目指した結果なんでしょうけど……。
水の結晶の「整っている/崩れている」を「善悪」に結びつけてしまうのと、メンタリティの点では通じているのかも、などと考えてしまいます。
44. トモ
— February 5, 2008 @10:35:51
パーマをかけると、長時間同じ姿勢でいなくてはいけないので妊婦にはムリがかかるから、ということなのかも、と思っていました。
>専業ママさん
大変でしたね。
ワタシも学校でこの話をされて困った1人です。
担任の先生にはお話もしましたし、手紙も書きました。
校長先生など上の人には伝わっていないと思います。
この話をした担任の先生が、ワタシからの指摘でどのように感じたのか、本当のところは分かりません。
そしてこの授業を受けてしまった子ども達がどのように思っているのかも分かりません。
ワタシも当時はかなりの無力感を味わいましたが、今はだいぶ落ち着きました。
子どもの周りには水伝だけではなく、いろいろな事があるものです。
最近は、子どもの教材で「牛にクラシックを聞かせるとおいしい牛乳が・・・」という内容が載っていて驚きましたし。
それから、トモさんの文章を読んでて思い出した(って数日前の記憶なんですけど)ページが下です。
ttp://www.melma.com/backnumber_83302_617878/
ここでは"産婦人科の先生から聞いた話"っていうのがポイントですよね。より性質が悪いような気もしますが。
実は「羊水がシャンプーのにおい…」って話は、この発言問題が出てきた後、初めて知りました。確かに結構検索に引っかかります。
46. A-WING
— February 5, 2008 @11:57:32
長時間座っていることがどの程度のリスクなのかわかりませんけど、そうおかしくない対応だと思います。
もし本当に羊水にいい香りがついていたのなら、「数千年にわたって香水や香油を使ってきた人類が、ついに子宮を進化させて胎児に香り成分をまぶすようになったのだ。これは周囲を魅了する能力を幼いうちから備えることで生存競争を云々」なんて解釈のほうが罪がないような(<そうか?)
47. いしやま — February 5, 2008 @15:26:29
> 28. 酔うぞ ― February 4, 2008 @00:06:48
に関してなんですが、「概念」という概念を持ち合わせていない学生が少なくないんじゃないかと思うことがあります。
来月出る予定の「大学の物理教育」に書いたんですが、頭の中が単なる知識データベース(not RDB)になってるんじゃないかと感じられる部分や、未整理なエピソード記憶の集合体になってるんじゃないかと感じられる部分など、ともかく何かしらの生体記録媒体としてしか脳を使ってないんじゃないかと感じられるんですね。推論エンジンを持ち合わせていないし、データ間の整合性なんて気にしない。
授業で、「習った重要キーワード間の意味的なつながりを図示せよ」って課題をやらせてるんですが、なかなか悲惨というか、学生さんたちの頭の中身が手に取るように見えてきます。各キーワードが断片化されていて、全くつながってないんですよね。
48. gallery
— February 5, 2008 @17:08:27
ただ、「自分にとって都合の良い想像をし、都合の悪い想像はしない」だけなのではないかと。「選択的思考」ならぬ「選択的想像」と申しますか。
結果、空想や妄想に頼りっきりになる。自分が歩むつもりの美しい人生の想像はできても、歩みたくない高齢出産の想像はできない。想像できないから(自分の人生とは関係ないと思ってるから)、不用意な発言もできるわけで。
だから、ここではそれを「想像力が足りない」と言っているわけですね。そして、足りない部分のほうが重要である、ということです
例えば40歳童貞はおちょくっても余り問題にはならないけれどじ35歳の女性の羊水を腐ってると表現すると本気で怒られる。
そりゃ羊水とか子宮に関するものは男性の生殖行動とは違った文脈があるのは解っています。
しかし表面上の男女平等ではありますが、性的なものの価値に対する比重の違いを感じます。
余りまとまらないのですが、社会的なこういう表現はOKでこの表現はアウトというのは想像力で補えない部分があるような。
僕は個人的には子供を産むこと自体に関しての価値が若年層で下がっているからじゃないかなあと思うんです。
別に子供は産まなくても充実した人生は過ごせるから、男性の童貞のようにネタにしてもいいんじゃないかという想像力が働いてしまったのかも。
こういう僕のも単なる想像か妄想なのですが、その区別が自分にはつかないし、つかなくても現時点では困らない。
誰にとっても、妄想と想像の区別というものは余り必要性が見えてこない。
水伝にしても、簡単に子供を洗脳できます。便利なツールです。それに子供に何をどう教えるかなんて考えるだけの労力も能力の習得も面倒で、その労力や能力に対しての対価もないわけで。
51. corvo
— February 5, 2008 @17:29:58
表現者であるならば、妄想と想像の区別を明確にし、受け取る側の立場や思考まで想像する必要があります。
52. トンデモブラウ — February 5, 2008 @17:42:32
誰それが言ってたらしいよ、みたいなもんまで『事実』のように話すというのは、今時のテレビのバラエティ番組におけるトレンドでしょうか。
53. キャリン — February 5, 2008 @18:01:01
結婚してもうすぐ20年ですが、子供はおりません。長年不妊治療を続けていますが、まだ結果が出ていないのが現状です。
そういう立場からすれば今回の彼女の発言は残念だとは思いますが、個人的にはさほど衝撃でもありません。この程度のことは言われ慣れておりますから(苦笑)もちろん個人差があることなので、ショックを受けた方もいらっしゃるでしょう。
今回の発言が問題なのはきくち先生や皆様が仰るように、医学的根拠のない話を事実であるかのようにラジオで話したことでしょう。
不妊や高齢出産という話に限らず、歪んだ知識は相手への偏見を助長しかねないとも思っています。
彼女には無神経以前の問題として、そういった点を反省してもらいたいと思いますが、謝罪文を拝見する限り「勉強不足・知識不足」という言葉がないようで、
そちらの方が残念です。
もう1点気になるのは、今回の話は彼女のマネージャーの結婚に際して出た発言であったということです。もしかしたら本人は
『善意で正しい知識』をアドバイスしているつもりだったのかもしれません。
もしそうだとしたら、一層困ったものだと思います。
「市販のシャンプーを使うから流産する」とか「添加物や化学物質はダメ」
「オーラが汚れているから」などなど
『善意』によるアドバイスにうんざりさせられている身としましては。
彼女は「悪い話」ではなく、「いい話」としてしたのでしょう。おっしゃるとおり、善意からのアドバイスだったのではないでしょうか。
>彼女が表現者であることが、大きな問題であると思います。
>表現者であるならば、妄想と想像の区別を明確にし、受け取る側の立場や思考まで想像する必要があります。
一流の表現者ほど拘りがあってその拘りが妄信であっても
自分の表現の中に刷り込まれているから譲れないというところは
あるみたいですね
倖田嬢も水伝なりの洗脳が解けたら面白くない人になるかも?
(案外何も考えていなかったので影響が無いと言う方に賭ける方の方が多いか?)
56. A-WING
— February 5, 2008 @20:26:22
>謝罪文を拝見する限り「勉強不足・知識不足」という言葉がない
これは私も思いました。あの謝罪文では、「科学的には正しいけど、傷ついた人がいたから良くなかったのだろう」で終わってしまう人がいそうです。
このへんは事務所の問題かもしれませんが、災い転じてというか、もうちょっと機転をきかせて、正しい情報を伝えるチャンスとしてほしかったです。
57. 石田剛
— February 5, 2008 @22:27:20
はじめまして、石田と申します。
石田は、将来わが子が通う予定の小学校で「ネズミを眠らせない実験をしたら死んだ→このことから眠ることの大切さがわかる」といった話をしている例を知り、学校にメールで「ダメじゃん」と伝えました。
学校からは、「参考にします」との返事をもらいましたが、その後なにか改善したのかどうかはわかりません。たぶん石田も、 専業ママさん や トモさん が無力感を感じたのと、似た状況にあるのだと思います。
それでも、石田はこのことにあまりガッカリはしてません。
子供が、教師から妙な話を聞かされてしまうこと自体は、防ぐのは難しそうだと、石田は考えています。この状況では子供に「教師も間違うことがある」と教える必要があると、石田は考えています。
参考になりましたら幸いです。
石田自身も、自分が子供のときに「ヒトも皮膚呼吸することを体験で理解した」と主張する理科教師や、「骨を作るのに必要な栄養はカルシウムだけ」と思っている体育教師など、いろんな体験をしました。
専業ママさん や トモさん も、ご自身が子供だったときのことを思い出せば、同じような記憶があるのではないでしょうか? (もし、そんなこと無かったとしたら、石田はずいぶんハズレの教師に当たってたことになります)
58. やまき — February 6, 2008 @10:13:09
その意味では、想像力に対して「実証」という枷がはめられているという言い方はできます。ニセ科学にはその枷がない分、勝手なことが言えます。好き勝手なことが言いたいだけなら、ニセ科学のほうが分がよいですよ。
ただ、それはこのエントリーの文脈で言っている「想像力」とは少々違うけどね。
いろんなことがあるもんですね。大きくとらえて、こどもにとっても社会勉強にしてしまえばいいですね。
61. トモ
— February 6, 2008 @22:41:16
「教師も間違えることがある」と子どもに伝えるのは、ワタシにはまだ難しそうです。
ただ、今はまだ子どもが幼いような気もするし、ワタシも自信がないのでできませんが、いつか水伝のことについて、息子と話せたらいいな、とは思っています。
ワタシが授業を受けてきた先生たちの中で変わったことを言っていた人・・・・・?「僕はまだ誰も知らない方法で、ダイヤモンドを作る方法を知っている!」と力説していた先生ならいましたね。あの先生、今はどうしてるんだろう?
実を言いますと、そもそもワタシ自身子どもの頃、ノストラダムスの大予言とか、血液型占いとか、バミューダトライアングルとか、そういった類の本を図書館で借りてよく読んでいたんです
図書館は遠かったので、親に連れて行ってもらってましたが、そういえば、こういう本を手にしていても何も言われませんでした。
かなり大人になるまで信じていたところがあるのですが、今こうして落ち着いて考えられるようになった自分のことを思うと、子どもに関することも「息子もそのうち自分で気づくだろう」とちょっとは気楽に考えられる気がしています。
>専業ママさん
水伝の授業はかなりショックでしたが、
「牛にクラシックを・・・」という教材は、たくさんの人がチェックしたはずなのに!というさらなる驚きがありました。
この先もまだいろいろあるんでしょうねー。
62. corvo
— February 7, 2008 @03:55:28
>一流の表現者ほど拘りがあってその拘りが妄信であっても
自分の表現の中に刷り込まれているから譲れないというところは
あるみたいですね
生活習慣や思考方法などにそういった部分があるかもしれませんが、表現とは分けて考えるべきことだと思います。
彼女の場合、言葉を伝える事が重要な表現活動であるのに、その最も大切な言葉を軽んじています。言葉や美意識に対する冒涜としか思えない「水伝」に感動してしまうという点も、それを証明していると思います。
その表現者にどんな悪癖があっても、底意地が悪くても、優れた美しい表現であれば、人は感動します(全ての人が感動する、とは言えませんが)。ただ人前で見せなければ良いのです。表現者であるならば、「公」と「私」を明確に線引きをし、「表現」することに対して厳しく慎重になるべきだと思います。
63. キャリン — February 7, 2008 @07:22:03
一連の流れを見ていると「悪気のない失言なんだから、そろそろ許しましょう」という所に落ち着きそうですね。問題は悪気があったかどうかではないと思うのですが。
A-WINGさん
>もうちょっと機転をきかせて、正しい情報を伝えるチャンスとしてほしかったです
仰るとおりだと思います。
mixiで私が入っているコミュにも、定期的に経皮毒と女性特有の病の関係性を主張する人が現れますが、その人達の全てがMLM関係者とは思えないのです(大半はそうですが)中にはどこかでその話を聞き「早くこの真実を教えなければ」という、純粋な使命感に突き動かされているだけのような人もいます。これも正しい知識がないことが原因だろうと思います。
女性にとっては自分の身体、男性にとってもパートナーか家族の身体のことなので、本来は自分で知識を得るべきですが、誤った情報が広がっている中では難しい点もあるので、今回の件がいいきっかけになればと多少期待していたのですが。
64. トモ
— February 7, 2008 @08:40:47
「倖田来未、夕方ニュースで謝罪へ」
http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20080206-317660.html
「「羊水が腐る」発言の倖田來未、テレビに緊急出演&謝罪」
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200802/gt2008020704.html
記事によると録画VTRになるようですが、
単に「騒がせてゴメンナサイ」じゃなくて
ちゃんと「間違いでした」って言ってくれるでしょうか?
羊水話は曲学阿世として全く逆効果である。単にそういうこととして、私は理解をしていますけど。
66. トロッコ — February 7, 2008 @09:24:00
67. トンデモブラウ — February 7, 2008 @10:56:05
大槻教授のことかと思たよ。
68. zorori — February 7, 2008 @12:44:22
>水伝について言えば、学者ではなくて芸能人なんだから曲学阿世(ニセ科学)なのは当然だと思う。
羊水話は曲学阿世として全く逆効果である。
これは、
「水伝は世間受けする。人気商売の芸能人が水伝(ニセ科学)を利用するのは当然だ。羊水話は、人気取りとしても失敗だ。」
ということでしょうか?
そうであるとして、トロッコさんは、価値判断抜きに単に世間の実態を述べているだけなのでしょうか?
それとも、そのような実態は別に問題ないというご意見なのでしょうか?
「当然だ」という表現だと後者のような印象を受けるのですが。
69. トロッコ — February 7, 2008 @13:11:35
私は職場で主に大学生のアルバイトを管理する立場にある30代の女性ですが、
彼らがこのニュースについて、
「サバサバ何でも言っちゃうのが彼女の魅力なんだから、
そろそろ許してあげてもいいのに」
もしくは、
「もともと嫌いだったから消えてくれたら嬉しい(嘲笑)」
といった程度の認識しかないことにびっくりしました。
何が問題になっているのか、全然判ってない。
女の子のうちの何人かは、さすがに「いくらなんでも…」と言ってましたが、
彼女たちも「嫁き遅れないように気をつけなくっちゃ!!」みたいな感じで、
コウダさんが間違ったことを侮蔑的に表現したことについては、
特になんの感想も抱いていないようです。
普通にしてれば、結婚&出産が20代までにできるのは当然、
35にもなってできないなんて(羊水が腐るのではないにせよ)どこか変に決まってる、
「だから些細な(?!)間違いなんてどうでもいいじゃん」ということらしい。
私は独身ではありませんが、子供はなんでかできません。
まぁ、「授かりモノだし」と特に気に病んでもいなかったのですが、
この発言には、さすがに少し傷つきました(笑)
引退までしなくてもいいと思いますが、
「勝手な思い込みから、間違えたことを言いました」の一言は言って欲しいですね。
71. ガ — February 7, 2008 @16:59:43
72. YO — February 7, 2008 @16:02:53
>生活習慣や思考方法などにそういった部分があるかもしれませんが、表現とは分けて考えるべきことだと思います。
ちょっとタイトルとは脱線ぎみな話しなのかもしれませんが
何かを表現する時に少なかれ己の思想を盛り込んで表現する事を
否定する事はできないと思います。
只それが他人に受け入れれるか、否定(馬鹿に)されるのかは別
※ちなみに今回の倖田嬢の発言に思想がじゃ無いのか?
※という話ではありません。というか何も考えてなかったんだろうなぁ
※という意見です。
>彼女の場合、言葉を伝える事が重要な表現活動であるのに、その最も大切な言葉を軽んじています。言葉や美意識に対する冒涜としか思えない「水伝」に感動してしまうという点も、それを証明していると思います。
たとえば世界平和だ〜イマジン大好きという音楽家が
↓こういう講演をやってしまう訳で・・・
http://www.kanda-zatsugaku.com/071116/1116.html
この方の水伝話は世界平和思想(?)とワンセットと言うか自分の
思想の中では矛盾無く受け入れられているのでしょう。
#もし作曲家や作詞家だったら「水伝の歌」なんか作りそうで怖いです。
このような方に水伝はインチキということを説得できる自信は私には
有りません。
73. zorori — February 7, 2008 @14:41:18
別のエントリーにも似たことを書きましたけど、芸能人の人気取りやテレビの視聴率をとるためにニセ科学を利用するつもりなら、ニセ科学だとバレていては役に立ちませんですよ。つまり「学である」と思わせなければ、人気にも視聴率にも繋がらない。その点が、お笑いのネタや演劇,マジックショーなどとの大きな違いかと。本当だと思わせないとダメなのが前者で、ウソだと分かっていても面白く、芸があるのが後者。
ということで、人気や視聴率に繋がったんだから、視聴者は「学である」と思ったんでは。
74. トロッコ — February 7, 2008 @17:44:01
私は分かりません。こーだの水伝話を曲学阿世ではなく学であると思った視聴者も少しはいるだろうとは思いますが。
ところで、価値判断の話に戻りますが、もしもzororiさんの言う通りだとすると、「そういう視聴者が多い」という実態は問題だろうと思います。本当に多いのか、どうかは私は分かりませんが。
トロッコさんが仰る「学」とは、どういったものなのでしょうか。
一連の、トロッコさんのコメントを読んでも、ほとんど意味が取れないもので…。
76. トロッコ — February 7, 2008 @18:19:16
>真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間の人に気に入られるような説を唱えること。
>大辞林 提供:三省堂
こーださんについては、そもそも真実にあまり関心がないんだろうな、と思いますが。それは芸能界一般の傾向ではないかと思います
77. トロッコ — February 7, 2008 @18:27:12
多くの人は、真実を知りたくなった場合にはテレビから離れることが多いようには思います。
78. TAKESAN
— February 7, 2008 @18:34:18
視聴者の意識としては、どうでしょうね。自分がどれくらい、対象のファンであるか、とか、そういう重み付けのようなものが関わっているでしょうから、一般論を言うのは難しいかな、とは思います。
個人的には、バラエティ等で出てくる芸能人の発言は、ほぼ「話半分」で聞いています。テレビの演出などに思いを馳せると、そう考えて接するのが妥当かな、と。番組のジャンルにもよるし、対象の人格にもよるので、一概には言えませんけれども。
79. TAKESAN
— February 7, 2008 @18:44:32
「肌触り」などから派生したと思われる「耳触り」という“造語”でしたらひょっとすると市民権を得つつあるのかも知れませんが(僕は大っ嫌いですが)、今のところ仮名漢字変換で普通には出てこないようですね。
#さすがに「目障りのよい」ってのは見聞きしたことない
むろん、「耳障り」とはまったく別の意味で、「耳障りがよい」が間違いであることはそのとおりです。
82. YO — February 7, 2008 @18:52:54
83. TAKESAN
— February 7, 2008 @19:34:09
84. TAKESAN
— February 7, 2008 @19:42:39
思いっきり、YOさんご紹介のリンクに書いてありましたね…<耳当たり
多分皆さん違和感あるのでは?(正確には「耳易し話」)
ちなみに私は意味が通じてればいいじゃん派なので・・・
86. D51 — February 7, 2008 @21:07:23
87. YO — February 7, 2008 @21:49:00
失敬昔から「確信犯」系話で辟易しているもので
意味さえ通じていれば議論は続くのですが、ひとたび言葉の間違い
論に陥ると議論が止まるので
無論言葉の使い方の間違いで議論が変な方向に向かっているのなら
指摘も必要でしょうが今回はその必要があったのでしょうか?
私の82の発言も言葉足らず(過ぎ?)だったのかも知れませんが
議論が発散しないように要らぬコメントは省略しました。
本論を妨げない言葉使いの間違いは「傍論」というかPSで間違いだよ
指摘していただきたいと思う次第で。
88. zorori — February 7, 2008 @21:27:10
そうですね。人の気持ちまでは分かりませんね。ただ、私の感覚を言えば、水伝が単なるポエムならば、なんのインパクトも面白みも感じませんね。倖田來未にしても「(水伝が本当なら)へー、すごいねー。やっぱり、言葉は大事にしなくちゃね」と思ってしまったと想像します。視聴者も「そうなんだー」というところでしょう。
>ところで、価値判断の話に戻りますが、もしもzororiさんの言う通りだとすると、「そういう視聴者が多い」という実態は問題だろうと思います。
ひょっとして、違うお考えなのかなと思いお尋ねしました。私も問題だと思っていますが、視聴者の問題ではなくて、水伝話をする側の問題だと考えます。
89. あんね — February 7, 2008 @22:00:14
>校長からは「教師たちに説明する」との回答をもらいましたが、
>今のところ児童に訂正はされていないようです。
>時間がかかるのかな。子供を預けているし、
>強くお願いすることはできませんでした。
>今、無力感でいっぱいです。
大分前のコメントについての意見ですが、
「先日のお話はどうなりましたか? まだ訂正されていないようですが。よろしくお願いしますね。」と丁寧に軽い感じで、
校長や教頭、学年主任や担任にお聞きしてみてはいかがですか?
変だなと思っておられる先生もいるでしょうし、
子どもを育てる者同士として、対立姿勢ではなく、協力関係が築ける可能性はあると思います。
迷信には科学的根拠が無い
だから迷信を信じてはいけない
だけど、科学は良く分からない
だから科学っぽい話をされると信じてしまう
というような流れが有るんでしょうか・・
とは言え、昔の迷信には「自戒を促す」ものが多かったように思うのですが、今の「迷信」は何か違う気がします。
想像力というと、何か人の能力のように言われている感じがしますが、要するに「他人の気持ちを思い量ること」だと思います。道徳だの倫理だの難しい話じゃなくて、自分の言動で相手がどう思うか考えなさい、ということだと。
今のニセ科学の蔓延は、私達がひたすら経済的な充足を求めてきた結果なのかも知れない、などと思ってしまうのは、安易なんでしょうか。
91. 技術開発者 — February 8, 2008 @04:52:39
>相当の昔から迷信と言われている言説が多々存在していて、一時期は「迷信を信じたり、さも本当のように言ってはならない」という世間の風潮みたいなものが存在した時期が有ったように思います。
私は「原始の村の工夫と祈り」なんてたとえ話をしますが、たぶん、我々というのは「祈り」よりも「工夫」を大事にした者たちの子孫何じゃないかなと思います。じゃあ、工夫よりも祈りの方を大事にした者はどうなったのかというと、滅びたんじゃないでしょうかね。
厳しい自然と対峙して生きるのに、「祈り」よりも「工夫」の方が生きやすかったからそっちを採用した。そして、工夫を妨げるような祈りは排除してきた。なぜなら、そうしないと滅びたから、それだけのことじゃないかと思うんです。
でもって、今、多くの人がそういう「淘汰」にはさらされていないと思っているから、「祈り」と「工夫」をあたかも等価なもののように扱い始めた。でも、本当に「淘汰」にさらされていないのでしょうかね。
92. ぷらら — February 8, 2008 @11:31:39
羊水に関する、保健・体育等で習うくらいの知識があれば、その知識を元に的確な判断が可能なはずです。水曜日の某クイズ番組に、倖田の妹が出演しているが、あまりにも知識がなさ過ぎます。思考能力の有無以前に社会生活に必要な最低レベルの知識すらありません。もちろん思考能力も教育機関にて発育するものだと思います。しかし、その前提にはやはり材料となる知識が必要です。?「国会議事堂」がわからないなんて愚の骨頂です。
何のための義務教育課程なのでしょう?義務教育「子女に教育を受けさせる義務」の趣旨は、人間としてこのレベルまでは最低限の知識が必要ということではないのでしょうか。
経済格差と叫ばれているが、教育格差については誰も語ろうとしない。なぜでしょう?気づいていないのでしょうか?
93. Noe — February 8, 2008 @12:10:28
「国会議事堂」そのものの中にも水伝を信じてる人や陰謀説を声高に唱える人もいますので(UFOについて語っている人もいたなあ)、彼女たちが特別「出来ない子」というわけではないかもしれません。
ところで、教育格差って具体的にどんなことですか?
94. A-WING
— February 8, 2008 @12:28:56
私には、彼女らが自ら選択した、あるいは結果的に招いてしまった、知識の格差ではないかと思えます。
やる気のない人にやる気を出させるのは、すごく難しいですよね。
私も、子どもに対して「牛にクラシックを聴かせると牛乳がおいしくなる」という話をするのは間違っていると思います。ただ、家畜に音楽を聴かせることによる効果というのがすべて非科学・疑似科学だと思われてしまうのも困るので、蛇足ながら書き込みさせていただきました。
畜産分野における研究で、ニワトリや牛に音楽を聴かせて、ストレス反応や生産性がどのように変化するかを検討する実験が行われています。実験の結果、音楽が環境雑音をマスキングすることによって、突飛な音(車の騒音や、人の叫び声など)による急性ストレス刺激が回避されたという報告されています。また、音楽の2次的効果として、管理者の気持ちが落ち着くことによって家畜の取り扱いが丁寧になるらしいということも考察されています。また(実用化はされていませんが)屠殺場に普段生活している場所で聞いているのと同じ音楽をならすことによって、新奇環境ストレスを低減できるのでは?という提案もされています。
「優しい音楽を聴いた動物は、良い食べ物を提供しくれる」という、道徳的(?)話は、確認されていませんが、こんな研究をしている人もいますので「家畜に音楽を聴かせることは非科学だ」と考えないでいだけたらと思います。
繰り返しますが、「牛にクラシックを聴かせると牛乳がおいしくなる」「水に優しい言葉を・・・」を肯定するものではないことをご理解ください。
96. トロッコ — February 8, 2008 @20:21:27
そう言えば、「産む機械」発言なるものもありましたね
97. YMN — February 8, 2008 @23:46:39
バカの雪崩現象を起こさない範囲で、バカやる自由も民主主義の健全な一部かと思います。
中学で誰でも音楽をやっているはずですが、正確な音程とリズムで歌える人はそうはいません。
普通の人は歌手ではないのでそれで構わないし、歌手は歌が命で人並み外れて無知であろうがそれ自体は全く問題ないと思います。
テレビやラジオでのトークとなると有名人なりの責任が生じるとしても、(中学程度の学力ではなく)他者の心を推測する最低限の想像力は必要というあたりでよろしいかと思います。
98. YMN — February 9, 2008 @00:11:19
つけ足し続けて何10年といった老舗の秘伝のタレのように(単純に考えると元はニアリ・ゼロになってしまいますけど)、母から娘に連綿と受け継がれるイメージなのでしょうか。
卵子の元の卵母細胞は女の子が生まれた時から減る一方(つまり新たに造られることは無い)ということをどこかで聞きかじって、その中に「羊水」が入っていると思ったのかもしれません。
↓卵子の一生について簡単な記述があります。
http://www.biological-j.net/blog/2007/11/000323.html
99. D51 — February 9, 2008 @16:19:27
95.いとうさん、
肯定でも否定でもないということですが、少なくとも論理矛盾があります。「音楽を聞かせる」と「雑音を隠す」は別のことであり、後者には川の流れや波しぶきの録音でもよいことになります。つまりクラシックを否定できないという説明はできません。「管理者の気持ちが落ち着く」というのは、考えられます。しかしそれは「管理者に聞かせた」のであって「牛に聞かせた」ということではありません。いとうさんの説明では、むしろ音楽の効果が見えないのです。
牛と音楽の話がニセ科学ではないかと言われるのは説明が科学的ではない、というより、科学の前に説明になっていないからです。TVで酒蔵が「クラシックを聞かせた酒はうまいと言う人が多い」と言ったのですが、どういう試験をしたのか説明がなく、先入観ではないかと疑うだけの内容でした。「研究している人がいる」というだけでは肯定的な結果にはつながりません。商品のパンフレットに特許出願中と記載してあっても、誰でも出願はできます。学会で発表したといっても認められたことにはならないというのが、kikulogの他の項目の話です。
96.トロッコさん、
「産む機械」発言は公的場面だったと思いますが、中には仲間内の発言も外に出て謝罪に至ったこともありましたね。有名人には他山の石にする「想像力」が必要なようです。
わざわざこの芸能人の発言を例に出す必要もなかったでしょう。
私はニセ科学を広める人も嫌いだが集団ヒステリーによりイジメ
も嫌いで問題だと思ってます。
科学が好きな方は宗教は嫌いですか?
キリスト教にこういうのがあるらしいですが
「汝らのうち罪無き者先ず女を石で打て」
これを今回の騒動にあてはめると
汝らのうち罪無き者先ず倖田來未を石で打て。
といったところでしょうか。
石で打てる人は誰もいないでしょう。
話はかわりますが今回確かニッポン放送の
オールナイトニッポンですよね。
そもそもこの番組はこの程度発言は上品に聞こえるぐらいの
下品な番組ですよね。ニッポン放送は謝罪したらしいけど
何を謝罪したんでしょう?謝罪したらこの番組自体が
成り立たないのでは?笑。
101. いとう — February 9, 2008 @19:05:44
「畜産動物に音楽を聞かせることと、生産性は関係があるか?」
を検証することは偽科学ではない、ということを言いたかったわけです。
つまり、この場合は(D51さんがおっしゃるとおり)
1.音楽を白色雑音に変えて効果を検討
2.音楽を動物に聴かせないで、管理者だけに聞かせて効果を検討
3.音楽を動物だけに聞かせて効果を検討
この3つを実施する必要があります。
この結果、どこかに効果が見られたら、音(もしくは音楽)をならすことは畜産動物の管理において有効な手段であるとの結論が得られたと言ってよいと思います。
応用科学では、こんなことを研究している人間もいます。
「動物・音楽」というキーワードを聞いただけで、
即偽科学とは思わないでください、と言いたかったのですが、
やはり論理的な矛盾があるでしょうか?
99. D51 ― February 9, 2008 @16:19:27
>牛と音楽の話がニセ科学ではないかと言われるのは説明が科学的では>ない、というより、科学の前に説明になっていないからです
の部分がちょっと理解できませんでした。申し訳ありません。
ちなみに学会で発表したからといって認められたことにはならないということは、全世界的なルールであることは承知しております(私の最初の書き方だと、その辺がわかってないだろう?と言われても仕方がなかったかもしれません。申し訳ありませんでした)。
102. TAKESAN
— February 9, 2008 @19:31:09
えっと、私は、文脈からして、いとうさんが何を仰りたいかは、ある程度解った、と、自分では考えています。論理的な矛盾は特に無く、恐らく、「聴かせて」という部分が誤解されてしまったのではないか、と見えました。
いとうさんのコメントには、普通に、D51さんのご指摘の部分は含意されている、と読めましたが…。
いとうさんは、「飼育の現場(どういう言葉を用いれば良いのか思いつきませんでした。すみません)で”音楽を掛ける”」という類の研究が、即「ニセ科学」と看做される所を危惧なさった、と私は読んだのですが、いかがでしょうか?
ただ、それは、こちらをお読みの方には、ある程度踏まえられている論理なのではないか、という思いも、無きにしも非ずです。
103. e10go — February 9, 2008 @19:51:40
http://nilgs.naro.affrc.go.jp/SEIKA/animal/04/0411/0411.htm
http://ss.niai.affrc.go.jp/org/gsrt/result.html
少なくとも、牛には音楽を聞き分ける能力はありそうです。
104. いとう — February 9, 2008 @20:05:21
TAKESANさんが書いてくださったことが非常に近い感じと思っていただけると幸いです。
動物の認知能力の研究も比較的すすんできていまして、e10goさんが紹介してくださった実験の他にも、畜産動物の能力は私たちが思っている以上に、興味深いもののようです。
たぶん表現の問題なんだろうと思います。
「音楽」というと、人の感情に働きかけるものというイメージが含まれてしまいますから、牛の場合は「音(おと)」としたほうが、誤解がなくて良いのかもしれません。
マーケティングとしては「音楽」のほうが訴求力はあるでしょうけど、時期的に、やや危険かなという気はします。
106. いとう — February 9, 2008 @20:52:35
確かにちょっと余計な書き込みだったかもしれません。
私がいろいろ書いてしまうとかえってゴチャゴチャになってしまう可能性がありますので、文献だけあげて終わりにしたと思います。
http://www.scirus.com/srsapp/search?p=0&dt=all&ds=bls&ds=sd&ds=mps&ds=cps&ds=cpp&sa=all&q=
107. いとう — February 9, 2008 @20:56:09
http://www.elsevier.com/wps/product/cws_home/503301
の検索でmusicと入れていただけるといくつか出てきます。
108. yamaguchi — February 9, 2008 @20:09:05
2氏の価値観は女性=生殖能力=国富のようですし、彼女の場合は女性=若さ=美(但し外見の)でしょう。いずれも一面の価値観ですが、牛にクラシック=高級な音楽=良い乳ですかね。そういえば妊婦向けにクラシックCDが販売されていますが、これも胎教ですから同根でしょうか。もっとも最近の若いお母さんは、倖田來未やsmapを聞いているようですから、将来が心配ですね(^^;;
クラシック=良い音楽という常識も問題がありそうです。あの音楽の複雑さは時に大きなストレスにもなります。人間の生理もそう単純ではありませんから、一方的な価値観を押し付けられても困りますね。多分、教育委員会や学校は安全な(自分たちに)教育を行おうとしていますから、勢い定説に従うのでしょう。
一番問題なのは、羊水が腐るなどという発言が問題になる様な、この国の教育水準なのかも知れません。
牛にクラシックは以前から聞いていましたが、現実の研究はまだシグナル程度だったのですね。
109. ながぴい — February 9, 2008 @21:11:19
>牛に音楽を聞かせる研究はありますね。
>少なくとも、牛には音楽を聞き分ける能力はありそうです。
さらに脱線しますが、
ハトにピカソとモネの絵を見分けさせる、という研究もありますね。
慶応のグループがやった研究ですが、1995年度イグノーベル賞心理学賞を受賞することによって、日本のすごい科学力を世界に轟かせたのでした。
石原都知事は時々、わざと物議を醸す発言をしているようにも見えますね。yamaguchiさんが挙げている発言も、「ジジイ」に置き換えて反論すれば、そこで話は終了ですからね。都知事の真意は、こういう感じかも。「老いも若きも、もっと働いてたくさん税金を納めてください。そして都の財政に、もっと関心を持ってください。」こう前向きに捉えれば、yamaguchiさんの心も落ち着くかと思います(^^。
>牛にクラシック
牛にはかえってストレスになる場合もありそうですね。ただ、世話をする側の人間にとって好きな音楽が流れていれば、肉体労働も少しは楽になるような気もします(^^。気分良く乗り乗りで世話をすれば、牛もリラックスするかも?
111. gallery
— February 9, 2008 @21:30:36
一応、牛にクラシックを聴かせる「ニセ科学」も、キッチリ存在していることはご理解頂きたい。
http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/Entry/19/
こちらは「研究」という呼ぶのも憚られるようなニセ科学ですが、こちらにも「音楽熟成が家畜に好影響を与える」旨の記述があります。まぁそれ以外も、ありとあらゆる「素晴らしい効果」があることを謳っておりますが。
仮に、「牛にクラシックを聴かせると牛乳がおいしくなる」ことが実証されたとして―――またその可能性は充分にあり得ると思いますが―――、その結果を、「ニセ科学(音楽熟成協会)」が我田引水的に利用することはまず間違いないところです。
研究そのものは、キチンとした検証過程を経れば問題ないと思うのですが、こういうニセ科学に利用される可能性も考慮の上、厳格にニセ科学とは区別する活動も併せてやって頂きたいと思うところ。
112. D51 — February 9, 2008 @20:32:50
99.「科学の前に説明になっていない」という部分は、「科学より前に」のつもりでした。「音楽を聴かせる」と「雑音を隠す」、「管理者に聴かせる」と「牛に聴かせる」の件は、科学を持ち出さないでも推理小説を読む感覚で判別できるという意味です。
前回は少し迷いがあって書かなかったのですが、一番引っかかったのは「優しい音楽を聴いた動物は、良い食べ物を提供してくれるという道徳的(?)話は、確認されていませんが、こんな研究をしている人もいますので」という部分です。それは『水からの伝言』に代表される「人間のために奉仕する」というニセ科学の思考だと感じました。良い食べ物を提供といっても動物は耕作しないので、牛乳や卵の他は自身の肉ということになります。そんな「道徳的な話」を確認するための研究をしているなんてという気持ちでした。
迷いというのは、もしかしたら「道徳的な話を本気で研究している人間がいるかどうかは、確認されていませんが、科学的に研究している人達がいます」という意味かもしれないということです。しかしその場合は「こんな研究」は前の方の例ということで、その時点の説明では頼りないと思いました。
113. いとう — February 9, 2008 @22:13:46
galleryさま
まったくおっしゃるとおりです。逆に、そんな利用のされ方をするからこそ、私が変なコメントをしてしまうはめになってしまいました。すいません。
111. gallery ― February 9, 2008 @21:30:36
>研究そのものは、キチンとした検証過程を経れば問題ないと思うのですが、こういうニセ科学に利用される可能性も考慮の上、厳格にニセ科学とは区別する活動も併せてやって頂きたいと思うところ。
これに関しては、非常に難しいというのが私の感想です。
偽科学とはちょっと違うのですが、自然が大好きでイルカの研究をしている科学者の発表している論文が、アメリカに軍事利用されていたというようなこともあります。
「アインシュタインの悩み」とでも言うところでしょうか(これは蛇足でしたが)
114. e10go — February 9, 2008 @22:30:55
http://ameblo.jp/sanfujinka/entry-10071442874.html
真面目な話し、私は、いとうさんがおかしな事を言っているとは思えませんが。
e10go — February 9, 2008 @19:51:40 で紹介したように、まじめな研究もありますし、また、いとうさんは、
>いとう — February 8, 2008 @19:49:15
>私も、子どもに対して「牛にクラシックを聴かせると牛乳がおいしくなる」という話をするのは間違っていると思います。
と発言しています。これを読んでも内容はまともだと思います。
なお、音に関しては人間より家畜やペット(犬・ネコ)の方が敏感です。
家畜と音に関する研究が多くても不思議じゃないと思うけど、何故か研究内容があまり表に出ていないのが不思議ですね。
私の検索能力の問題かもしれませんが。
何年も前から追っているgalleryさんとしては、切実ですね。
協会の人たちも、本音の部分では信じていないのではないかしら? 一向に、「研究者は、確かな証拠に出会った。しかもその効果はバツグンだ。」というニュースを聞きませんから。
>我田引水的
ありそうな話ですね。
その時の様子が目に見えるようです。今まで批判されていた事など、まるで無かったかのように。
「私たちの主張が、科学的に証明されました。皆さん、これからも批判者の言うことにはくれぐれもお気をつけください。決して騙されてはいけません。」
116. TAKESAN
— February 10, 2008 @00:34:09
いとうさんのコメントを検索すると、「血液型と性格」シリーズでのコメントがヒットするので、参照なさるのが良いと思います。
何だか、変に誤解されているようにも見えましたので。
D51さんのコメントは、「読み過ぎ」だと思います。
117. すがぬま — February 10, 2008 @01:41:33
重箱の隅かもですが、石原氏の件の発言は「ババァ」を「ジジィ」に置き換えても収まらないのですよ。男は生理学的には老齢でも繁殖可能な人は多いらしいですから。
(政治の部分については、パスです。スレ違いというか板違いなので)
118. TAKA — February 10, 2008 @02:51:02
>男は生理学的には老齢でも繁殖可能
そういえば私の知人で七十過ぎても、やたら元気な(本当に元気で声も太い)御仁がいました。その人は、「知り合いが再婚して子供が出来た。ワシはそいつに、あんたの孫か、と言ってからかっている。うらやましい。」と言っていました。
日本のお年寄りパワーも、侮れませんね。
119. yamaguchi — February 10, 2008 @09:21:13
−この分裂と乖離のメカニズムを多用しながら、現代の人たちがためらいなく口にしていることは、果たして彼らが「本当に言いたいこと」なのだろうか。それはもしかしたら「良い」と「悪い」に極端に分裂させられたうちのひとつ、あるいは乖離してもともとの人格とは無縁の<私>が語っているだけの意見、という可能性はないのだろうか。−
今回の件の香山リカさん自身のコメントはあっさりしたものですが。
「国民的人気の持ち主だけに、発言に気をつけて欲しかった。年齢でどうこうと言われると――高齢出産で頑張ってる人もいるし――ちょっと傷つくんじゃないかと」(香山リカ)
当該書籍を読んでいないので間違っているかもしれませんが、「分裂と乖離」ではなく「分裂と『解離』」ではありませんか?
香山氏は精神科医なので、「分裂」と対で使う用語であれば「解離」の方だと思われるのですが。
揚げ足取りのようで恐縮なんですが、「解離」と「乖離」だと意味合いがずいぶんと違ってきますので……。
121. YMN — February 10, 2008 @14:29:11
つまり「おばあちゃん」という存在は進化の産物ということを、石原さんはご存知無いようです。
122. yamaguchi — February 10, 2008 @16:02:50
ご指摘の通り、#119の「乖離」は全て「解離」の間違いです。香山リカさん、ごめんなさい。
全部、IMEが悪いのです。IME(It's My Error)、これには突っ込まないでね。
123. 氷村 — February 10, 2008 @18:08:19
>科学が好きな方は宗教は嫌いですか?
少なくともここでドーキンス並に宗教を毛嫌いしている方を見かけた事はありません。
そんな方が大勢居る様な場所なら、私の様な寺院職員は読まなくなると思います。
>「汝らのうち罪無き者先ず女を石で打て」
他宗教の者が説明するのもどうかと思いますけれど、この言葉は「多少なりとも罪を犯した者は他者の罪を一切問うてはならない」という意味ではありません。
イエス在世中のパレスティナではモーセの律法(戒律)に従って生きる事が第一とされていて、一般市民ですら1日に守るべき律法が六百余り、一つでも破戒が発覚すれば厳罰が待っているという状況でした。
そんな状況下で律法に反するという理由でイエスを捕らえようとしたファリサイ派司祭や律法学者から「姦淫の罪を犯した者は死ぬまで石で打つ事になっているがお前はどうするか?」と問われた際の言葉なのです。
「この女を石で打ち殺せ!」と叫んでいた群集も、いつ自分がスケープゴートにされるか分からない事を肌身に感じていますから引き下がらずを得なかった訳です。
124. トロッコ — February 11, 2008 @15:09:52
父母のほとんどは水伝が事実ではないと分かっていても「そう
いった指摘はするな」という社会的圧力を感じて、事実でない
ことを指摘することを自発的に回避してしまう、ということで
しょう。「事実でないことが明白」であるにも拘らず、事実で
ないと言えない。これが【水伝の罠】だ、と思います。
>水伝の科学っぽい意匠はそのような社会的な圧力を生じさせるメッセージとして機能している
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1201967626#CID1202030371
「事実でないことが明白」であると、本当に父母のほとんどが分かっているなら、問題は、「父母のほとんどよりも教師のリテラシーが低い」ということに集約されます。
僕の理解はそうではないです
126. トロッコ — February 11, 2008 @19:36:16
道徳授業では大人よりもリテラシーの低い子供達を相手にしていることに対する配慮が問題になるべきなのに、そこで「事実でない」とは言えない圧力に罠があると。
前者なら、それこそ僕たちがもっとも知りたいことなので(僕はまだ、「事実でないと確信があるのに授業をした先生」の例をひとつも見ていないので)、根拠が知りたいです。
後者なら、たぶんそうなのだろうと思いますが。
トロッコさんがおっしゃっていることは、この問題のかなり核心部分にあり、僕はその根拠が知りたいと思っています。
128. トロッコ — February 11, 2008 @21:15:26
前者については、よく分かりません。もちろん、後者よりは、事実でないかと思った
人の割合は多いのでないかとは思います。それが「あまり変わらないのか?あるいは、
明らかな違いがあるのか?」までは、よく分かりません。
水伝は、事実でないと分かっていても、「いい話だから使っている。だから、事実で
ないことをとやかく言うなよ」という圧力を巧妙に利用しているのだと思っています。
129. YMN — February 11, 2008 @21:53:29
大きな騒ぎになった背景にインターネットがあり、もちろんそれは以前からあったわけですが、普及率や動画時代を迎えて新たな局面を迎えたようでもあります。
1タレントの失言にしては騒ぎの大きさが適正規模を超えている感があり、時代の流れの中で彼女が最初に貧乏くじを引いた面があるように思えます。
ウッカリしたことは言えない時代の始まりのようで、その一方で妙な9.11陰謀論を取り上げた藤田議員への批判がブレークする様子はありません。
そして陰謀ビリーバ仲間のサイトでまるで情報の絶海のような場が形成され、妙に盛り上がったりもしています。
地球温暖化で気候が極端になるとも言われますが、インターネットの普及もそのような影響があるような感がします。
彼女が叩かれたのは、世間への影響力が藤田議員とは桁違いだからだと思います。
これだけ大事になったのは、それだけ彼女の発言の影響力が大きかったということでしょう。
個人的には可哀想だとは思いますが、世間もそれほど物事が見えなくなってはいないんだなと、ちょっとホッとした部分もあります。
(叩きたいだけの人もたくさんいるんでしょうが、感情的に不愉快であるというより、間違ったことを言ったという部分が叩かれていると思いますので)
131. トロッコ — February 12, 2008 @09:18:24
というのは、そう思いますが。「仮にそうでない場合(反実仮想ですが)に、
水伝授業を行うか」と言えば、行わない場合の方が圧倒的に多いと思います。
水伝授業を行う教師のほとんどが、「事実かどうかに関わらず、いい話だ」と
思っている、ということは、まず間違いなく言えるだろうと思います。これは
水伝授業を行う教師が「事実でないことを分かっているか」とは別の問題です。
132. トロッコ — February 12, 2008 @09:47:08
ただ単に間違っているというだけなのであれば、バッシングにはならないだろうと思います。
それは、例えば「産む機械」発言などに関しても、恐らく同じだろうと思います。
133. Noe — February 12, 2008 @12:22:22
ただ単に間違っているというだけなのであれば、バッシングにはならないだろうと思います。
私の理解では「事実とは異なる不愉快な発言」をした事に関するバッシングであって、「事実とは異なる」「不愉快な発言」それぞれ単独ではこのような騒動には至らないと考えています。
そういう意味ではトロッコさんと似たような理解ともいえるのですが、トロッコさんの「間違っているか、正しいか、には関わらず」という部分には賛同できません。関わりは大いにあっただろうというのが私の理解です。
とかいいながら、本当にそうだろうか?と疑問を持ったりもします。仮に彼女が事実(高齢出産に伴うリスク)を伝えたとしても、「だから高齢出産は良くないよね〜」等といったら、やはり叩かれていたでしょう。これは仮定の話なのですが、伝え方の問題というのは常にあると思います。
134. A-WING
— February 12, 2008 @13:26:11
水伝では、実験の部分と良い話の部分は依存関係にあるので、「事実かどうかに関わらず〜」というのは、成り立たないと思います。
もし、ある教師が「事実かどうかに関わらず良い話だ」と考えているとしたら、その教師は、自身が水伝を事実だと信じてしまっていることに無自覚なんだろうと思います。あるいは、言い訳や逃げであるか。
石原氏のババア発言は、ニセ科学だと思っていますが、違いますか?
「これは自分がいってるんじゃなくて松井孝典がいってるんだけど」と称して語った内容は、石原氏自身の価値観の表明にすぎませんよね。
>TAKAさん
はじめまして。くうちゃん発言に関しては、彼女の真意を前向きに捉えて心を落ち着かせることを推奨はなさらないと思うのですが、石原発言に関してはなぜそのように仰るのか、ご真意がよく理解できないので教えていただければ有難いです。
yamaguchiさんへの言葉に対して申し訳ないのですが、石原発言に傷つき憤りを感じた者にとっては、自分にもそのように言われたように感じるということはご理解いただけると思いますのでお伺いさせていただきました。
136. Noe — February 12, 2008 @15:10:32
>石原氏のババア発言は、ニセ科学だと思っていますが、違いますか?
「これは自分がいってるんじゃなくて松井孝典がいってるんだけど」と称して語った内容は、石原氏自身の価値観の表明にすぎませんよね。
仰るとおりババア発言は石原氏の価値観の表明だとは思いますが、「ババア発言」がニセ科学ということにはならないかと思います(気に入らないというお気持ちは分かりますが)。
松井さんの説についてはニセ科学になってしまう可能性もありますが、ご本人が「既に証明済みだ」とでも言い出さないかぎり、ニセ科学といわれることはないと思います(個人的には松井さんはおかしなことは言ってないと思っているのですが)。
137. TAKESAN
— February 12, 2008 @15:15:26
パターンとしては、
1.水伝を全く事実で無いと認識しながら授業に用いる
2.もしかしたらあり得るかも、と認識しながら授業に用いる
3.完全に本当だと認識しながら授業に用いる
これらが考えられますよね(2.は、1.よりと3.よりがあるかも知れませんが)。これらのパターンの比率がどうなっているのかは判りませんが、2.と3.は、基本的な科学の知識が無いという所が問題で、更に共通しているのは、言語や道徳への無理解・無思慮であると思います。
それで、1.の場合ですが、これは、事実で無いと知っておきながら、児童・生徒の行動を制御する装置として有効に働く事を期待して用いている訳ですから、極めて悪質であろうと思います。自分は事実で無いと知っているのに、子どもには本当であると思い込ませるのですから。要するに、短期的・限定的な有効性を取って、その他の事を蔑ろにしている訳ですね。極めて限られた空間で、極めて短い期間のコミュニケーションを円滑にする可能性が、極めて低いながらもあり得る、という程度の効果しか無い。
基本的に水伝は、不寛容・排他的な構造なのですよね。また、水伝の紹介から、”ただ単に”、「良い言葉を使おう」と認識するのも、考えにくいと思われます。A-WINGさんも仰るように、「実験」と「良い話」が、密接不可分の関係にあるのですから、そんなに都合良く情報を捨象するのは考えづらいですよね。
で、実際1.のパターンがどれほどいるのかは、よく判りません。ただ、corvoさんのブログで議論になった例は、その可能性を示唆しているかも知れません。とても興味深いやり取りであると思います。
138. corvo
— February 12, 2008 @15:44:02
http://www.studio-corvo.com/blog/karasu/archives/2006/11/post_248.html
http://www.studio-corvo.com/blog/karasu/archives/2006/11/post_251.html
http://www.studio-corvo.com/blog/karasu/archives/2006/11/2_13.html
すでに一昨年の秋の議論ですが、いまだに「水伝」の問題は根深いものであると感じています。
僕のblogの議論でもっともショックだったのは、「水伝」を否定的に取り上げたエントリーであったにも関わらず、知人である義務教育課程の教師が「水伝」を肯定的に受け取ったことでした。繰り返しやり取りがなされましたが、結局彼を説得することはかなわなかったという事実が残りました。
極めて少ない経験の中でですが、「1.水伝を全く事実で無いと認識しながら授業に用いる」という一つのサンプルとして見ることができると思います。ただ、実際にその授業を行ってはないないと思いますが、彼が「使える」と判断していたことは確かだと思います。
139. トロッコ — February 12, 2008 @16:42:02
この場合、他人から後者の点を責められるよりは、前者の点を責められる方が楽であるという判断から、批判を受けたときに「事実でないという明確な認識はなかった」と逃げを打つ可能性は高いと思います。私は、このような言い訳を真に受けるべきではないだろうと思いますが。
羊水発言についても「彼女が事実でないという認識がなかった」という点は本当なのか、どうか、私にはよく分かりません。例えば、
『「文字通りの意味では事実ではない」ということを知りながら、「高齢出産はリスクが高い」という話を面白くするために、ああいう比喩表現をしてしまいました。反省しています。』
という率直な釈明よりも
『バカな勘違いをしていて、そのために、高齢出産をなさろうとしている方への配慮を欠いた発言をしてしまいました。私は、本当にバカでした。反省しています。』
という釈明の方がある意味、上手いという判断もあり得ると思うのです。
私が釈明から分かるのは、「失言でバッシングを受けた。失言をしたことを反省している」くらいです。
141. YO — February 12, 2008 @20:17:49
「小学校教師 半数は理科が苦手」
http://www3.nhk.or.jp/news/2008/02/12/k20080211000087.html
これは分かる気がする、小学校の教員免状取るのに理科(科学)は必須
では無いですからね・・・
これに対する取り組みとしてはやはり理科が得意な教師を
(外部から招聘してでも)サポートに付ける事に尽きるでしょう。
学年主任と同じレベルで理科主任(無論各教科ごとに主任をおければ理想)
を設定すればかなり改善できるのでは?
142. むじな — February 12, 2008 @22:06:35
いろいろな教師がいて当然ですから、「自分ではウソだと思っているが、生徒がウソと思うかどうかには無関心」なんていうのもいるとは思いますが、そのパターンが一番多いなんてことはないでしょう。
そしてそれは、教師が「水伝は良い話だと思っているかどうか」とは別の問題です。
さらに言えば、水伝は、水伝教師の多くが良い話だと思ってしまうほど良くできたファンタジーでもありません。単に夢のある良い話ならもっと巧くできたファンタジーがいくらでも考えられるはずですから。
にもかかわらず「水」などという無機的な物質におかしな理屈を付けようとするのは、「事実である(科学的)」という重みが大きいからに他なりません。
143. yamaguchi — February 12, 2008 @22:36:47
〇匐,某綸舛力辰鬚垢襦碧榲だよ)
∋匐,某綸舛力辰鬚垢襦扮海世茵
子供に水伝の話をする(判らないけど)
せ匐,某綸舛力辰鬚靴覆ぁ扮海世犯修辰討い襦
さらに、 ↓の場合
ゥ丱奪じゃないのって子供に言われてヘコむ(やっぱり嘘か)
Ε丱とは何だとムキになる(信じてる)
Г犬磴⊆存海靴討澆茲Α兵存灰泪縫◆)
↓だ萓犬藁場の使い分けをしている事になりますね。
かって軍国先生が一夜にして民主先生になった話をよく聞きました。それは先生の権威というか、信頼を損なっている事に無頓着なのでしょうね。
´ΝЮ萓犬呂舛腓辰蛤ぅ奪織船礇鵑如↓ダ萓犬砲呂發辰畔拔してもらいたいものです。Ю萓犬浪燭噺世┐个茲い里任靴腓Α
144. トロッコ — February 12, 2008 @23:54:33
事実に関心があれば、それに相応しい書物に当たるだろうと思います。事実とは別のところに関心があるからこそ、良い悪いはともかく水伝に惹かれるのだろう、と推測します。それとも
彼らは科学的な関心から水伝を授業に選択したのでしょうか。
うちの息子が「水は言葉を理解できる」と水伝を言い出したのです。
前に親子でその話をとある会で聞いた時に「嘘だよ」と教えていたはずなので、びっくりしました。
息子に詳細を聞いてみましたが、はっきりしません。
今の先生に聞いたのか、そうでないのかも判らないようです(息子は馬鹿か?)
私は学校によく出向くのですが、うちの小学校にはそんなに困ったちゃん系の先生はいませんので「よくある事」なのかもしれません。
学校における水伝の扱いが「道徳」なのがよくない気がします。
道徳ならば実験しなくてもいいですからね。理科ならそうはいかないでしょう。
先生(学校)としては「そういうこともあるっていう実験もあるくらいだから言葉遣いには気をつけようね」という道徳的な終わり方をしているんだと思います。
確かに子供の言葉遣いは非常に悪く、親からの突き上げも激しいものがあります(個人的にはあのくらいの子供の言葉にいちいち目くじらたてるのもどうかなあと思うのですが)
問題はそれを事実として子供が捉えてしまうことだということの恐ろしさを先生や親はあまり感じていません。
水を生物的な感覚で息子が語りだした違和感をどうお伝えしたらいいでしょうか?
私が子供と一緒に聞いた水伝の講演は教育委員会の先生だったと思います。検証なんて考えてもいないんでしょうねぇ。
146. kurita — February 13, 2008 @02:05:54
いや、あれは本来、検証なんて考えるのもバカバカしいほどのおバカな話であるはずなのです。
適切な方法(二重盲検法とか)をとらずに「検証」なんてされても、かえって有害な結果になりかねません。 すでに「理科の自由研究」で水伝を「実証」してしまった子供達もいるらしいですし。
とにかく、いい大人があんなバカな話を真に受けられるのが本当にフシギでなりません。 ああいう人たちはどんなジョーシキを持ってるんだか。
147. トンデモブラウ — February 13, 2008 @10:35:01
>・・・とにかく自分の言葉で傷ついた人たちに謝りたい。しっかり反省しなければならない。
が本当なら、反省はさほど感じませんけど。
これから反省するのかな?
おのれの言葉で傷つけておきながら、『とにかく自分の言葉で傷ついた人たちに謝りたい。』とは何事か。
勝手に傷つきやがって、と受け取れる私はひねくれ者?
くうちゃんは、想像力と同時に日本語も身につけてね。
148. 内海 — February 13, 2008 @12:13:21
私が今回の倖田來未の発言を巡る状況の中で一番気になっている事は、「なぜあの水伝肯定発言よりも、今回の羊水発言の方に謝罪を求める意見が、世論やマスコミで強いのか?」なんです。
どう考えても、「35歳を回ると羊水が腐ってくる」という発言よりも「水に言葉をかけて凍らせると綺麗な言葉では美しい結晶が、汚い言葉では醜い結晶が出来る」事を肯定する発言の方がイカレポンチ(死語)な訳です。
でも、あの金スマでの発言を、あの当時叩こうとした人間はほとんどいませんでした。
で、今回の羊水発言には瞬間的に叩き始めた。
この線引きというか価値判断が理解し難いんですよ。
そして多分、この辺りの一般層の思考パターンに、水伝を受け入れてしまう理由があるように私は考えているんですけどね。
149. トロッコ — February 13, 2008 @14:04:54
>この辺りの一般層の思考パターンに、水伝を受け入れてしまう理由がある
それぞれの意味内容
水伝発言:汚い言葉は避けて、できるだけ綺麗な言葉を使うのが良い。
羊水発言:高齢出産はリスクが高いから、早めに産むのが良い。
「事実であるか?」という観点から見れば、水伝発言の方が荒唐無稽で明白に嘘なのですが、
意味内容として、羊水発言は受け取る人に依っては微妙なところがあるし、それだけでなく、
その比喩表現として、「羊水腐る」は極めて不謹慎だ、ということだろうと思います。
バッシングしている側も、彼女と同様に、事実に関心がないということだと思います。
お笑い番組で芸人相手のやり取りであれば、また違ったかもしれません。その場合、ボケとして回収される可能性が高いので。
151. 高草山 — February 13, 2008 @21:00:18
綺麗な言葉を使おう、と言われれば「それはそうですね」
羊水が腐る、と言われれば「なんて酷い事を!」
152. OH脳 — February 13, 2008 @21:05:05
153. TAKA — February 13, 2008 @21:27:53
「どの辺がニセ科学なの?」
「その辺」を詳しく知りたい今日この頃いかがなお考えですかOH脳さん?
もし気が向いたときは、kikulogの「ゲーム脳授業」にでも、続きを書き込んでくださいね。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1148992675
154. むじな — February 13, 2008 @22:03:22
「ウソをつくこと」と「そのウソをとっかかりにして何事かを表明すること」、両者は密接に関係していますが、ここではそれを敢えて分けて考えてみたらわかりやすいと思います。
前者に関しては、羊水云々は確かに汚い表現ではあるが、ウソそのものの程度としては水伝より軽い(水伝のような原理的な問題というよりは、むしろ知識の多寡に依存する問題という意味で)でしょう。
ですから今回の反応が水伝のときに比べて過激なのは、表現の汚さもさることながら、後者の内容の寄与が大きいからだと思います。
また、NoeさんやA-WINGさんも書かれているように前者と後者は、水伝の場合にしろ羊水云々の場合にしろ、依存関係にありますから、トロッコさんのように両方を一緒くたにして「事実かどうかは無関係」などというわけにはいかないと思っています。
それに該当しない人でも、その発言で「傷ついてしまう人」というのを具体的に想像できますから、発言に対する反発を表明する人は自然と多くなるでしょう。
それに対して水伝は、「デタラメだけども(一見)ちょっと良い話」なんで、これによって直接傷つく人はいませんから、反射的に反発する人はごく少数にとどまる(反発するにしても、論理的な反論を用意してからになる)んじゃないでしょうか。
156. トロッコ — February 14, 2008 @01:12:47
恐らく、それは彼女も同じだと思うし、水伝教師にとっても同じだろう、ということです。
つまり、彼らはそれが本当か嘘かにさしたる関心がない、ということです。
水伝を批判するに当たっても(=水伝の問題にとっても)、水伝が嘘だということは関係ない、という意味ではありません。
もっと言うなら、自分が嘘か本当かにさしたる関心がないために、生徒に対しても嘘をつくことをさして問題だと感じないのだと思います。
157. TAKA — February 14, 2008 @04:16:56
>真意(135. キョウ — February 12, 2008 @14:43:14)
私はyamaguchiさんのコメントを拝見して、こう思いました。「この項目で何故、yamaguchiさんは石原氏の発言を取り上げたのか。」
その理由をこう考えました。「yamaguchiさんは、石原氏の発言に対する他の人の意見を、知りたかったのであろう。」
私はこう思いました。「もしそうであるならば、今後ここで政治の話が展開される可能性が出てくる。しかしそれは、ブログ主のきくちさんの本意では無いであろう。」
そこで私はこう考えました。「それならば、この私がずれた発言をしよう。そうすればここの項目の趣旨からは、それほど外れた展開には、ならないはずだ。」
その結果、私の先のコメント内容となりました。
キョウさん、私は今、こう思います。
「キョウさんご自身は何故、石原氏のババァ発言をニセ科学と思っていらっしゃるのだろう。どの辺りをニセ科学とお考えなのだろう。その根拠とは、一体どんな物なのだろう。そしてその根拠は、一体誰が保障しているのだろう。そして懐疑的な人も、納得のいくものなのだろうか。それ以前に、これ以上この項目で、石原氏のババァ発言に言及し続けるのは、ブログ主のきくちさんの意向からは、外れ過ぎてはしまわないだろうか。杞憂であれば良いのだが。」
最後はこうです。「ところで私のこの考え方は、的外れで全く『イケテナクナイ。』ものなのであろうか?」
__________________
内海さん、こんばんは。
>なぜあの水伝肯定発言よりも、今回の羊水発言の方に謝罪を求める意見が、世論やマスコミで強いのか?(148. 内海 — February 13, 2008 @12:13:21)
視聴者は、「水伝は科学が絡んでくる。考えるのは面倒。内容自体はなんとなく良い話だし、ここは適当に受け流そう。でも今回の、羊水が腐る話ならば実感できる。私も一言いえる。」
マスコミは、「水伝肯定発言を取り上げたとして、どのくらい視聴率が取れるの。そしてどのくらい雑誌が売れるの。どうもインパクトが無さそうだな。くうちゃんのファンの反感も買いそうだし、不問にしておく方が無難だな。おっと、今回はどうやらファンもお怒りのご様子だな。それにこれは分かりやすいから、世間の人にも受けそうだ。よしそれならば。」
おそらくは、こんな感じではないかと考えます。コウダさんの水伝肯定発言を批判したマスコミを、私は見たことが無いです。これからも出そうに無いですね。おそらくは。
158. OSATO — February 14, 2008 @18:20:55
【「引きこもり」倖田來未 羊水腐る発言のタネ本】
なる記事がありました。
〜(以下引用)〜
ベテランの芸能記者が声を潜める。
「実は倖田は友人と一緒に、あるオカルト思想にはまっているんです。そのネタ本をもとに、日頃から『羊水が腐る』という迷信を語っていたようです」
〜(引用終わり)〜
それによると、そのネタ本とは「水は答えを知っている」だそうです。
そしてこの「水信仰」は、松任谷由美、米倉涼子、原田真二などにも信奉されているとも書かれていました。
今回の騒動をきっかけに、水伝に対しても批判の声があがってくれればと思わずにはいられませんでした。
159. yamaguchi — February 14, 2008 @20:10:14
#110のTAKAさんの書込みを見た時は、まさにTAKAさんがわざとスベッているのが判りました。(^o^)
私も政治的な展開は望んでいませんので、反応すると変な方角に行ってしまいそうだし。 "ただの"あほなおっさん達の発言を、くうちゃんの発言と並べて、その価値観を述べただけです。
「他の人の意見を、知りたかったのであろう」は深読みし過ぎです。 この件に関しては、"あほなおっさん"以外の意見はないはずです。(^^;;
TAKAさんの気遣いに感謝します。
それで、結果としてはどうなるんだろうと考えると
「義務と権利」という考え方があてはまるんじゃないかなと思いました。
つまり、K.Kさんはさまざまな努力をして「ポストあゆ」とまで
言われる地位を手に入れた(ある意味、権利ですね)。
しかし、自分の口から出た言葉(思想)によって叩かれるように
なった。それなら、なんらかの「代償」を支払うなら(ある意味、義務ですね)許されてもいいんじゃないでしょうか。
たとえば、しばらく芸能活動停止とかそこまでいかないまでもしばらく自粛するという方向ではだめなんでしょうか。思うんですが、このごろは知識も経験も浅いはずの10代から20代前半がイヤに態度が大きいんですよね。若いという意外になんの根拠もないのにおとなをバカにしてる感があり、しかもおとなもバカで彼らのご機嫌をとっている始末です。K.Kさんも25歳といえば彼女を支持してくれている年代から見ればそろそろ「オバサン」の歳のはず。自分より若いファンのご機嫌取りに、どうしても目がいってしまったのかなとも思えました。
世間のこういった問題も背景にあったかもなんて思いました。
なんだか、絞りきれてない文面ですみません。
161. TAKA — February 14, 2008 @21:10:09
ううむ、週刊誌も「今なら批判しても大丈夫」という判断をしたのでしょうね。これから色々裏話が出て来そうですが、ただ貶すだけではなく、冷静な批判を展開してほしいものです。
松任谷由美さんのお名前は過去、kikulogでも出ていましたね。そして今度は米倉涼子さんと原田真二さんのお名前が出ましたか。芸能活動と、水伝の相性は良いのでしょうか。一部の人だけだと信じたいですが。そういえば谷村新司さんも過去、水伝を信じていたそうですが、さすがに今回の騒動を見た今となってはもう、水伝の話を口には出さないでしょうね。
___________________
>yamaguchi
石原知事は過去、わざと物議をかもす発言をしているという印象でした。そのため、いちいち反論していると石原氏の思う壺なので、こちら側も「ふうーん。で?」という、冷めた反応をしたほうが丁度良いのではないかと考えていました。せめて石原氏が、「昨日、効果バツグンの燃費グッズを買ったぴょん。これで二酸化炭素削減に、貢献できるぴょん。」と公取委員に向かって言い始めたら、私も真剣に突っ込むのですけどね。
162. TAKA — February 14, 2008 @22:22:48
_________________
綾香さん、こんばんは。
私は、倖田來未さんご自身がなぜ批判されているのかを、じっくり再考してほしいです。
そして、いかに「今まで怪しい話に振り回されて多くの時間を無駄に過ごしていたのか」に、気がついてほしいです。そうする事が、人間的に成長する早道であると、私は考えます。
今の状況を、倖田來未さんにはこう捉えてほしいです。
「逆境よ、ありがとう。おかげで私は、強くなる。」(出自:ガラスの仮面)
163. むじな — February 14, 2008 @22:57:23
これは、水伝を批判する際に「水伝がウソである(事実ではない)」ということをその根拠にするのは妥当である、という意味に取ってもよいですか?
>自分が嘘か本当かにさしたる関心がないために、生徒に対しても嘘をつくことをさして問題だと感じないのだと思います。
#137でTAKESANさんが水伝教師のタイプ分けをしておられます。私は1のタイプ(トロッコさんの言う「関心がないタイプ」もここに含めるとして)がメインとは思っていませんが、これは、ある程度大きな聞き取り調査でもしないと本当のところはわからないでしょう。しかし、いずれにせよ、これを批判する場合には、教師のタイプの如何に関わらず、「事実ではない」ということは大きな意味を持ちます。
164. yamaguchi — February 14, 2008 @23:00:15
あっ、気にしてませんから大丈夫です。
あと、付け加えですが、#108で「石原都知事」ではなく「石原慎太郎」と書いたのは、あくまで私人の発言として扱いたかったからです。 逆に「柳沢厚労相」と書いて「柳澤伯夫」と書かなかったのは、余り本名が知られていないだろうと思ったからです。
A1: 事実かどうかにさしたる関心がなく、でも事実だと思っている。
A2: 事実かどうかにさしたる関心がなく、でも事実でないと分かる。
B1: 事実かどうかに関心を強く持ち、しかし、事実だと思っている。
B2: 事実かどうかに関心を強く持ち、さらに、事実でないと分かる。
一般的に言って、まずBの人はあまりいないでしょう。さらに、Aの中でも、A1が多いと思います。
水伝教師に限っても、Bの人はあまりいないでしょう。しかし、Aの中の割合は、一般の場合と変わるかもしれません。
いずれにしても、Bの人はあまりいないので、彼女の水伝発言はスルーされることになります。
166. トロッコ — February 15, 2008 @11:43:35
> 批判する場合には、教師のタイプの如何に関わらず、「事実ではない」ということは大きな意味を持ちます。
もちろんです。だからこそ、事実かどうかにはあまり関心がない人がほとんどであって、そこで、水伝発言バッシングは起らない訳です。
167. トロッコ — February 15, 2008 @11:49:00
> Aの中でも、A1が多いと思います。
一般的に言って、まずBの人はあまりいないでしょう。さらに、Aの中でも、A2が多いと思います。
168. トロッコ — February 15, 2008 @11:51:32
169. A-WING
— February 15, 2008 @12:00:00
どのタイプの教師が多いかは実際に統計を取らないとわかりませんから、掘り下げはほどほどでいいんじゃないかと思いますよ。むしろ「こういうタイプが多いはずだ」と断定してしまうことのほうが、弊害が多いように思います。
171. 技術開発者 — February 15, 2008 @12:54:56
それは「社会的制裁というのはその規模が予測不能である」という事と、「その予測不能性こそが抑止力の根元である」という事なんです。
私は、製造業でも親メーカーに部品を納めている様な下請けメーカーさんの相談に乗ることが多いのですが、例えばある時期の部品に不具合が判明すると、納入先メーカーから「引き取って代金返せ」と言われるのは当然なんですが、それ以上に厳しく言われるのは「不具合になった原因を明確にして、再発防止策を行ったという報告が無いと、今後の取引を打ち切るぞ」という事なんですね。でもって、不具合になった原因探索のために相談に来られる訳です。そういうメーカーさんが「厳しいんですよね〜」と嘆かれる時に「原因究明と対策をきちんとしたら買い続けてくれるだけ良いのかも知れないよ」なんて言ってきたんですね。「相手が会社だから、原因究明と対策をきちんとしたら、その言い分を聞いてくれて買い続けてくれるけど、相手が消費者ならそんな事に耳も貸さずに単に買わないとなることもあるからね」なんてね。
消費者相手の製品製造が、チョンボをする。例えば、製品が日を吹いて家を一軒焼いたなんて話だとしますね。もう、「どの製品が」なんて考えてもくれない、「どんな原因で」もたいして聞いてもくれない、当然、「対策しましたから」なんて発表も耳を素通りして、「あのメーカーの製品って火を噴くかもしれないから買うのよそう」なんて意識が社会に発生する事だって珍しいことではないんですね。
製品の不具合で家を焼いてしまったら、もちろん民事賠償です。でもそのくらいの費用は事前に見積もれる。でも、この「怖いから買わない」「なんたなく嫌だから買わない」は事前にどのくらいの規模になるか分からないのです。上手くすると「まあめったに無いことらしいし、対策もしているみたいだから」と大して大きな不評にならないかも知れないし、あるいは、「怖い」「嫌だ」が大きく広がって会社が潰れるかも知れない。そこには、記者会見で頭を下げる経営者の態度みたいなものも関係することもあります(「私も寝ていないんだ」発言なんてのでさらに悪くした経営者もいましたね)。でも、どんなにうまく記者会見で誠意を見せても、「軽く済む」なんて保証は無いわけです。その怖さというのは、会社がお客さんの部品メーカーとはかなり違う怖さですよね。
同時に、だからこそ、消費者相手の製造業は必死になって危険な欠陥品を出すまいとしてきた面があるわけです。社会的制裁の「予測不能性」というのは、とても大きな抑止力として働いている面があるんですね。
有名人が何か問題発言をする。それがTV局のスタッフ相手なら企業間取引の不具合みたいなものです。数人相手に謝れば済む。でも電波に乗ったなら、それは消費者相手に製品販売した様なもので、その反響は予測が付かない。ある時は見過ごされ、ある時は叩かれる。その予測のつかなさこそが、「何を電波に乗せるか」を必死に考える抑止力を有無のでは無いかと思ったりする訳です。
172. むじな — February 15, 2008 @17:41:30
「関心が有るか無いか」に関するトロッコさんの見解は十分にわかりました。
私が一番知りたかったのは#163の前半部分です。トロッコさんはどうお考えなのでしょうか?。
173. トロッコ — February 15, 2008 @17:35:32
対象が一般なら、特に問題なさそうに思います
174. トロッコ — February 15, 2008 @17:45:16
> 水伝を批判する際に「水伝がウソである(事実ではない)」ということをその根拠にする
妥当云々以前に、事実でないという問題点はほとんど批判の【前提】だと思います。だからこそ、多くの人はそこに関心がないので、バッシングは起らない。
ご親切に有難うございました。
>「ババア発言」がニセ科学ということにはならないかと思います。
そうですか。
お察しの通り(というか#135に関しては敢えて伝わるように書かせていただいたのですが)「気に入らない」という気持ちもありますけれども。それよりも、価値観の表明にあたって、真偽いずれにせよ直接裏付けとは成り得ない「(御本人曰く)科学的事実」の断片やら(ババア発言のように)自然科学者の言説やらを根拠めかして持ち出してくる人たちには、こちらのサイトに出会う以前からうんざりしておりますもので、「そういう行動様式自体が広義の非科学的態度」という思いが強いです。けれどこちらは自然科学のサイトですから広義ではいけませんですね。
その上で「いやどう考えても文明より『おばあさん』の方が先だろう?」と思ったものですから、狭義にもニセ科学と言えるかと思ったのですが、石原氏のお話が全然違う層にいっちゃっての言葉ですから、無理がありましたかね。
松井氏の説については、Noeさんと科学的素養のない私とでは理解のレベルが違っているかもしれませんが、私も松井氏の説におかしなところは感じませんし、余談ですが、何ら不愉快でもないことを表明しておきますね。
176. キョウ — February 15, 2008 @17:50:30
たいへんご丁寧にお答え下さいまして有難うございました。
これまでにもTAKAさんが、このようなサインを発しておられるのを拝見したように思いますが、今回判断できませんでしたのでお手数をおかけ致しました。
こういうことは個人差が大きいと思いますが、正直に申し上げますと私は、今回は元ネタが非常に侮蔑的で人を傷つける類のものですから、TAKAさんの企図を確認できた今でも#110を目にしてあまり楽しくは感じられません。それは、もしもTAKAさんならぬ他の誰かに(善意悪意どちらにせよ)本気で言われた場合(あり得ることだと思っています)元発言で傷ついている人をさらに傷つける可能性がある表現(推測の内容によるのではなく「前向きに捉えれば心も落ち着く」の部分です)が使用されているからのようです。ですから仮に私が即座にTAKAさんの企図を確信できていたとしても同じだったような気がします。
まことに不粋を申し上げたいへん失礼を致しました。お気に障りましたらお許し下さい。
>キョウさんご自身は何故、石原氏のババァ発言をニセ科学と思っていらっしゃるのだろう。どの辺りをニセ科学とお考えなのだろう。
私は、ここで「ババア発言はニセ科学である」と主張するつもりはありませんし能力もありません。素人なりにそのように思っていたのですが、yamaguchiさんがババア発言について触れられたその後のブログの様子から、こちらの方々はニセ科学ではないとお考えなのかなと感じ、できれば確認させていただこうと思った次第です。#157を拝読する前に書いたものですが、#175を以て少しでもお答えになっていれば幸いです。
>yamaguchiさん
yamaguchiさん御自身が十分にご了解され受け止め済みのものを、私がことさらに取り上げてしまいご迷惑をおかけ致しました。謝罪申し上げます。
177. キムチ — February 15, 2008 @18:54:01
160 綾香さん
>思うんですが、このごろは知識も経験も浅いはずの10代から20代前半がイヤに態度が大きいんですよね。若いという意外になんの根拠もないのにおとなをバカにしてる感があり、しかもおとなもバカで彼らのご機嫌をとっている始末です。
---
なんとなく、テレビに出演している「おバカ」を売りにしている若い芸能人や、共演している芸能人や番組スタッフなどを指しているのだろうな…(多分
「想像力の欠如について」とタイトルがついた記事なので、余計に違和感を感じてしまいました。
178. むじな — February 15, 2008 @19:03:32
ですから関心云々、バッシング云々についての見解はもう十分に理解しましたので、#163、#172と同じ質問ですが、「水伝批判」についてお尋ねしています。
すなわち、「事実ではない」ということを根拠に水伝批判を行うことは妥当かどうかについてのトロッコさんの見解を、(可能ならば)お聞きしたいです。
179. トロッコ — February 15, 2008 @22:12:16
水伝発言:事実でないという問題点を前提としない批判は難しい
羊水発言:事実でないことを何ら問題視しなくとも批判はできる
181. 想像力 — February 16, 2008 @00:22:57
倖田來未さんに今回の発言で「想像力がない」というのは
私自身2児の母でありますし、高齢出産をしている知人がたくさんいるので
すぐに感じたことです。個人的に怒りも感じていますが
もろもろのことは皆様が既に発言なさっているのでここでは省略します。
ところで私はここで読むまで「水伝」は本当のことだと信じ、
今現在も七田チャイルドアカデミーに子供を通わせています。
七田教育について疑問を感じこちらの掲示板を読むようになった私ですが、
「水伝」は本当はどうだかわからないけど日々「ありがとう」って
言うのはいいことだから信じちゃおう〜、
七田教育は疑わしいこともあるけどいいこともあるから疑わしいところは
あまり深入りしないで今後も継続して通わせよう〜
というスタンスで生活しています。
さて、こんな私は倖田來未に「想像力がない」と批判できる立場では
ないのでしょうか?
あえてここにいる皆様に批判されたくて書き込みました。
よろしくお願いいたします。
もし場違いだったらごめんなさい。
182. 綾香 — February 16, 2008 @00:38:19
私のオフィスでの経験を書きました。
たとえば、こんなことがありました。
新卒の女の子にカンタンな仕事の説明(シュレッダーが詰まったときの
対処法とか、お昼休みのときどこのお店が過ごしやすいかなど。)
を話したことがありました。おそらく、それがきっかけになって
その後なにかとその子と話す機会があったのですが、
ある日「○○さん、タメ口でもいいですか?」
と言われてしまい困惑してしまったことがありました。
「あ、別にいいよ」と最初はタメ口を許したのですが、
やっぱり、10歳も下の子とタメ口はオフィスでへんな空気に
なってしまい困ってしまったのです。年上の人に会社でタメ口という感覚が私には理解できなかったので、ずいぶん「態度が大きいんだな」
と「ふだん、ずいぶん乱暴な言葉を使うんだな」という印象を受けました。彼女を扱いかねていた「バカな大人」とは、私のことです。
ところで、キムチさんに質問ですが、「想像力の欠如について」と書いてあるのに関連しているとはいえ別のことを書いた私は、板汚しですか?
それとも、いじめられっこをかばった人は、いじめられるわけですか?
あと、どうして私のレスをテレビの「お笑い番組」と関連付けたのか
答えてくださいね。(ただ、バカにしてみたかっただけなのかな?)
183. TAKESAN
— February 16, 2008 @02:18:23
>綾香さん
簡単に言うと、身の周りの経験から感じた事が、より拡げた所でも成り立つ、というのは、慎重に考えた上で主張しないといけない、という事なんだと思います。
綾香さんは、コメント160辺り(綾香 — February 14, 2008 @19:10:45
)で、ご自分の観察なり経験なりを基にして、どうしてああいった失言が起こったかの要因を推測された訳ですね。で、そこで、態度の大きい10代〜20代についての印象を語っておられたので、キムチさんは多分、「この頃の若い年代が一般的に態度が大きく、上の世代はそれに阿る傾向がある」、と綾香さんが書かれているように見えた、というのを、(かなりやんわりと)指摘されたのだと思います。
お笑い番組、というのはキムチさんはお書きで無いと思いますが、文の流れから察するに、ヘキサゴンと、そこから派生したおバカキャラブームの事では? そういう番組の観察が綾香さんのお考えに影響を及ぼしているように見えた、という指摘でしょう、多分。そしてそれは、明らかに、推測である、というのが解る書き方です。コメント分けていますしね。
と言うか、最後の段落は、誰もそんな事言ってないのになあ、と思われる内容に読めますよ。
キムチさんのコメントの最後の行は、婉曲表現でしょうね(←なんか野暮ですね、私)。
184. A-WING
— February 16, 2008 @11:02:01
>「水伝」は本当はどうだかわからないけど日々「ありがとう」って
言うのはいいことだから信じちゃおう〜
もしかして想像力さんは、「水伝」の実験部分を否定してしまうと、感謝の気持ちを持つことも否定されたり、人にお礼を言うことも否定されてしまう、と感じていらっしゃいますか?
初めまして。
感謝の気持ちを忘れず行きていくことはとても大切なことですが、「ありがとう」という言葉だけで感謝の気持ちが表現できるわけではないですよね。
慇懃無礼に「ありがとう」と言われたり、皮肉をこめた「ありがとう」では、ちっとも嬉しくありません。一方、愛情のこもった「ばかやろう」もあります。
「水伝」では紙に書いて「水」に見せる、ということをしているので、私たちの気持ちの持ちようとはまったく関係なく「ありがとう」や「ばかやろう」を水が理解していると主張しています。感謝の気持ちを持つこととは、まったく関係のない話です。
また、幾何学的に整った結晶を美しい、そうでないものを醜いとする価値判断に違和感を感じませんか?美醜というのは、そんなに単純なものでもないし、底の浅いものでもないと僕は思います。
186. RYU_TI_SYU — February 16, 2008 @19:23:34
こう堂々とダブスタを宣言されたら、批判はできんじゃろうなぁ。
187. TAKA — February 16, 2008 @23:12:16
>今でも#110を目にしてあまり楽しくは感じられません
私も石原氏の発言には眉をひそめます。気分が悪くなります。しかしいつまでも気にしていると、精神衛生上良くないのです。それに石原氏は過去、物議をかもす発言を他にもしています。私はあのお方は、ご自身の発言の影響力を量ることの出来ない人ではないか、と考えています。おそらく私とは違う想像力の持ち主なのでしょう。
ただ、いちいち反論するのも疲れます。感情的に反応するだけ相手の思う壺です。冷静に批判するだけに留めていた方が無難です。たとえばこうです。「こことここ、違う。やり直し。というより石原さん、時と場所の空気を読んでね。お日様が恋しい季節なのは分かるけど。」
>傷つける可能性
>お気に障りましたらお許し下さい。
ご指摘ありがとうございます。キョウさんの意見を参考にして、今後も精進します。今回のキョウさんとのやり取りは、私も色々考えさせられました。発言というのは、その責任を一切負えてこそ重みが増すのだと。キョウさんのコメントは、私の今後の人生にとっては大変重要な指針になる事でしょう。
キョウさん、今後も気になる事があれば、是非コメントを寄せてください。その時は出来れば、ほのぼのした話題が良いですね。たとえばこうです。
「昨日、見ました。石原氏が、『京都議定書』とつぶやきながら庁舎に燃費グッズを貼りつけているところを。」
188. 田部勝也
— February 17, 2008 @00:23:15
私が初めて「水からの伝言」を知ったときは、「私の喜びも悲しみも、ぜんぶ水が決めた事だと言うのですか。私がこれまで悩み苦しみ傷つけ傷つけられながらも、より良くなろうとしてきた努力のすべての代わりに、水の判断に任せなさいという事ですか」と、人格を否定され、人間性を侮辱されたような怒りを覚えました。
「水からの伝言」が事実かどうかという以前に、そういう主張をして、私の人格を否定し人間性を侮辱する行為に、どうしようもなく腹が立ちました。
確かに、私は人一倍妄想力が逞しく、かなり特異な感性の持ち主であると多くの人から思われているようですから、このように受け取る人はとても少ないのでしょうけど、それでも、「水からの伝言」が「事実でないという問題点を前提としない批判は難しい」というのは、とてつもなく強く違和感を覚えます。
189. トロッコ — February 17, 2008 @00:51:41
田部さんの批判は、これが事実でないということでなく
「こういう比喩表現は不愉快だ」ということに基づいて
いる訳ですね。難しい、という語の選択は不適切でした。
「難しい」ではなく、そういう批判は「少ない」に訂正
したい、と思います。
比喩表現として不愉快である、といった感覚を持つ人は少ない。
羊水発言:事実でないことを特に問題視してはいない批判が多い。
比喩表現として不愉快な発言だったので、バッシングが起った。
191. 田部勝也
— February 17, 2008 @01:19:19
日々「ありがとう」と言うのは、とても良い事だと私も思います。
でも、「水からの伝言」は、「水がきれいな結晶になるから」良い事なのだと主張しているのがポイントだと思うんです。「“水がきれいな結晶になるから”、日々“ありがとう”と言いましょう」と主張しているんです。
谷川俊太郎の「愛する人のために」という詩があります。日本生命のCMに使われた詩です。
http://www.nissay.co.jp/okofficial/kojin/present/cm/cm_lib.html
この詩の「保険」の代わりに「ありがとう」という言葉を(勝手に)当てはめてみます。
けれど目に見えぬこの「ありがとう」という言葉には、
人間の血が通っています。
人間の未来への切ない望みが
こめられています。
共感してくれる人は、決して少なくないと信じたいです。
でも、「水からの伝言」は、「ありがとう」という言葉に、そんなちっぽけな人間のささやかな、けれどとてもとても切ない気持ちがこめられている事なんかよりも、「水がきれいな結晶になるから」という事のほうに価値を見出しているわけです。
想像力さんが「日々“ありがとう”と言うのは、とても良い事」と思われるのは何故なのか、私には分かりません。
でも、想像力さんが「ありがとう」と言うとき、それが「水がきれいな結晶になるから」という打算ではないし、相手の心よりも相手の人体を構成する水の事を想っての発言でもないと、私は思いたいです。
192. 田部勝也
— February 17, 2008 @01:41:33
そんな事はないと思います。逆に、私は倖田來未の発言に最初はそれほど嫌悪感情を覚えませんでした。恥ずかしい事です。
完璧な人間はいないという事だと思います。でも、そんな人たちが、互いに意見や経験を持ち寄って、知らなかった事を知ったり、気づかなかった事に気づいたりしていって、少しずつでもより良い人間になっていくのだと思いたいです
ちょうど、apjさんのブログで、技術開発者さんが面白いコメントをしていました。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7937#com7988
想像力さんが(そして私も)、「だから、自分は他人を批判する立場ではないんだ」と、「自己の矛盾をうまく許容できない事から」、「変な合理化やへりくつを自分でこね上げる事」のないように願っています。
193. むじな — February 17, 2008 @11:17:52
トロッコさんの思考方式について、個人的に確かめたいことがあったのですが、その目的は概ね達成されました。不毛なやりとりにおつきあいいただきありがとうございました。
194. 想像力 — February 17, 2008 @16:27:20
>もしかして想像力さんは、「水伝」の実験部分を否定してしまうと、感謝の気持ちを持つことも否定されたり、人にお礼を言うことも否定されてしまう、と感じていらっしゃいますか?
感じていません。
実験部分の真偽について科学的知識がなしで想像つく「想像力」がなかった
自分には問題があるのだろうかと自問自答したので
皆さんにご意見を伺いたかったのです。
こちらの質問が先になってしまってすみません。
私は、肯定する人は、無意識にでも実験事実を信じるから肯定するのだろうと考えていたのですが、必ずしもそうではないようですね。ポジティブな結論に引きずられて、なんとなく実験の部分も肯定、ということみたいですね。
ありがとうございました。
196. TAKESAN
— February 17, 2008 @17:43:19
思うのですが。
「想像力」が足りない場合もあれば、「想像」が足りない、という事もあるのかな、と。
いわゆる「何となく」信じた人でも、もっと詳しく説明されれば、「何かおかしい」と思い直す事も、ありそうな気がします。
もちろん、水伝は「即座」に否定出来るようなものではありますけれど、聞いた場とか、言った人に対する思い入れなんかが作用して、ついうっかり、となるのかな、と思っています。
想像力さんは、「想像力」が無かったんじゃなくて、想像する機会が無かった、あるいは、「興味」が無かった、という事ではありませんか? 「本当かどうか解らない」と考えられたという事は、そこから先は、考えるのを止めた訳ですよね?
思考する能力があるかどうかと、思考を対象に注ぐかどうかは、また別の話なのかも知れません。
こういう事を書くのも、「10年前だったら自分は水伝を信じたかも知れない」、という思いがあるから、なのですが。
もちろん、ついうっかり何となく信じた場合でも、「水が言葉で変わる」という「事実」を認識してしまう訳で、そこが問題なのですけれど。
ちなみに、水伝に関しては、科学の知識が乏しくとも、言葉について深く考えれば、そのおかしさには気付けるものです。
197. 田部勝也
— February 17, 2008 @18:12:59
私は短い間ですが理科の教員をしていました。もしも、自分の教え子が、「水からの伝言」の話を聞いたときに、一人でも「実験部分の真偽について科学的知識がなしで想像つく「想像力」がなかった」としたら、私は、自分の教育は失敗したとはっきり自覚すると思います。
理由は、田崎晴明さんによる『「水からの伝言」を信じないでください』(↓)
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
の、「科学に「ぜったい」ということはないはずなのに、「水からの伝言」が本当でないと言い切れるの?」ページ(↓)
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/md/abs.html
を参照されると良いと思います。
はっきり言えば、日本の義務教育を受けた人間が、「水からの伝言」の話を聞いたときに、「実験部分の真偽について科学的知識がなしで想像つく「想像力」がなかった」としたら大いに問題があると、私は思います。教育の敗北だろうと考えます(これは理科教育に限りません)。
ただ、今の日本の多くの人たちが、そういう「想像力」を持っていないのは、厳然たる事実だとも認識しています。教育の惨敗をまざまざと見せつけられるこのような状況に、私は相当強い危機感を抱いています。
想像力さんが、今から振り返って、「もしも、義務教育で、こんな授業を受けていれば、このような知識・経験を得ていたら、“水からの伝言”や“七田式教育”などには惑わされなかったように思う」という事がなにかありましたら、どんな小さな事でも、ぜひとも聞かせて頂きたいです。切実なお願いです。
198. 田部勝也
— February 17, 2008 @18:15:56
江本勝や倖田來未が、「比喩表現」として、問題の発言をしているわけではないのは明らかだと思いますけどね。私の批判が「「こういう“比喩表現”は不愉快だ」ということに基づいている」と思われるのは心外ですし、正直不愉快です。
まぁ、#188に書いた事以上に、うまく自分の気持ちを言語化できる気がしないので、分かって頂けないのならば、仕方ないと思う事にします。
199. 技術開発者 — February 18, 2008 @09:23:43
>自分には問題があるのだろうかと自問自答したので
>皆さんにご意見を伺いたかったのです。
潮の流れがある海水浴場で子供と遊んでいると、何時の間にか潮の流れでパラソルを差した場所からずいぶんと離れてしまうなんてことがありますよね。「あれぇ、何時の間にこんな所まで」なんてね。自分たちだけが流されているのなら、直ぐに気が付くんですが、一緒にパチャパチャやっていた周りの家族も流れているのでなかなか気が付かないわけです。でもって海水浴に適さない場所までは流されたりしないように、ブイが浮かべあったりしますよね。そのブイが「あれっ、ずいぶん近くに」なんて事になってから気が付いて砂浜をトボトボと歩いてパラソルの所まで戻ったりしますよね。でもって周りを見ると、同じように遊んでいた家族もトボトボと戻っていたりする訳です(笑)。
なんていうか、変なたとえ話で申し訳ないんだけど、きくちさんとか私がやっている「ニセ科学批判」って、その自分が砂浜にさしたパラソルとか、遊泳に適さない場所を示すためのブイみたいな面があると思うんですね。世の中には「変な話」とか「嘘の話」なんて一杯ある訳で、そして、それが世の中に或る程度受け入れられたりもするわけです。それは海水浴場の潮の流れみたいに、全部の人を少しずつ流していく面があるんですね。でもって、そのまま誰も気が付かないと海水浴に適さない所まで皆で流れて言ってしまう事も起こりえる訳です。だから、海水浴場の範囲のブイが浮かべてあるというのはとても大事なんです。
きくちさんが「こういうニセ科学が流行るのは良くないよ」と言い始めたのは、オウム真理教事件で「きちんと科学を学んだはずの理工系の学生がのめり込んだ」事から始まっているし、問題として取り上げたのは「水伝が道徳の時間に教えられていること」だったりする訳です。私が最初に取り上げようとしたのは「大手の家電メーカーまでがマイナスイオンの製品を販売してしまったこと」だったりします。そんなに目くじらを立てることかどうかというのは、「海水浴場で潮に流されて少しずつ遊泳範囲の端っこに近づいている」という事そのものは目くじらをたてるほどの事では無いけど、ブイがないといつもの間にか危ないところまで流されてしまうわけで、ブイに気が付いたら、トボトボと元のパラソルの所まで歩いて帰って貰えればそれで良いのでは無いでしょうか(笑)。
(羊水発言は、『彼女の関心』から見ても、明確に失敗でしたが。)
そして、これらの発言を聞いた時、それが事実か、どうかには、さしたる関心を持たない人が多いでしょう。もちろん、多くの人が比喩として受け取っているからと言って、比喩表現として受け取るべきだと言うことにはなりません。ただし、羊水発言と水伝発言への反応からも分かることは、多くの人は、事実であるかどうかには関心がなく、それが比喩表現として快か不快かを重視して判断した、ということです。
201. キムチ — February 18, 2008 @20:23:44
フォローありがとうございます。
>キムチさんのコメントの最後の行は、婉曲表現でしょうね(←なんか野暮ですね、私)。
TAKESANさん、野暮なことさせてしまってすみません。
やんわりしすぎてしまってうまく伝わらなかったようです。
はっきり書くと「“若い”ということだけで、一緒くたにして決めつけるような言い方すると、「想像力が無い人だ」と思われてしまいますよ」ってことを伝えたかったのです。言葉足らずでした。
綾香さんの書き込みで「これだから最近の若いもんは!」という常套句を思い出しました。
182.綾香さんへ
>答えてくださいね。
とのことなので。。
>思うんですが、このごろは (略)
という一般化した書き出しだったので、綾香さんの個人的な体験からの若者の印象だとは思い至らず(私に想像力がないせいでしょうか…)、「一般化できるくらい世間によく知られているもの=テレビ番組?」と推測したのでした。(推測には自信がなかったので「なんとなく、」や「(多分
綾香さんをバカにするつもりはないし、「板汚し」だとも思っていません。
この書き込みで伝わると嬉しいです。
202. 想像力 — February 18, 2008 @20:46:29
>でも、想像力さんが「ありがとう」と言うとき、それが「水がきれいな結晶になるから」という打算ではないし、相手の心よりも相手の人体を構成する水の事を想っての発言でもないと、私は思いたいです。
それはもちろんその通りです。
203. 想像力 — February 18, 2008 @20:52:19
>逆に、私は倖田來未の発言に最初はそれほど嫌悪感情を覚えませんでした。恥ずかしい事です。
私ももっと若い頃の自分だったらぴんとこなかったと思います。
男性の方ならばなお更のことと身近に妊婦さんがいないと
想像がつかない話だと思います。
>完璧な人間はいないという事だと思います。でも、そんな人たちが、互いに意見や経験を持ち寄って、知らなかった事を知ったり、気づかなかった事に気づいたりしていって、少しずつでもより良い人間になっていくのだと思いたいです
同感です。
>「だから、自分は他人を批判する立場ではないんだ」と、「自己の矛盾をうまく許容できない事から」、「変な合理化やへりくつを自分でこね上げる事」のないように願っています。
批判ではなく意見し合って互いに向上していきたいです。
204. 想像力 — February 18, 2008 @21:08:38
>私は、肯定する人は、無意識にでも実験事実を信じるから肯定するのだろうと考えていたのですが、必ずしもそうではないようですね。ポジティブな結論に引きずられて、なんとなく実験の部分も肯定、ということみたいですね。
ありがとうございました。
私の少ないレスで想像していただいてありがとうございました。
A-WING さんのおっしゃる通りだと思います。
大分自分のもやもやが解消されてきました。
>想像力さんは、「想像力」が無かったんじゃなくて、想像する機会が無かった、あるいは、「興味」が無かった、という事ではありませんか?
図星です。
「水伝」に関しては昔親戚が私に力説、
「七田」は第一印象はうさんくさいと思いながらも知人のお子様が
行かれていたので試しに・・・
といった具合です。
私の疑問をどんどん解消していただき皆様本当にありがとうございます。
206. 他分野 — February 18, 2008 @22:07:39
サイエンスブログとして,キクログの他に京大の柳田先生のコラムも読ませて頂いていますが,2/14日のエントリに
http://mitsuhiro.exblog.jp/8232559/
という興味深い記事があります.
この話題は,専門家レベルでも「グレー」なのかと驚きました.
私の意図は,倖田氏の弁護ではなく,190番トロッコさんの,
>事実でないことを特に問題視してはいない批判が多い。
という指摘も,意外に危険だ,ということです.倖田氏の想像力の欠如,とともにデリカシーのなさ,については,私も残念に感じています.
207. 想像力 — February 18, 2008 @22:55:32
度々私の問いかけに真剣に答えていただきありがとうございます。
お恥ずかしながらこんな私程度の教育レベルの者がいるから皆様を
悩ませるのだなと思いつつ、実は私のような「同類」が
どれだけ世の中にいることかと思います。
今通っている七田チャイルドアカデミーには
そんなお母様方がたくさんいらっしゃります。
皆様の思いは私も含め
「わが子の将来が少しでも明るくなるために
に母親として出来ることがあれば何でも…」ということ
だと思います。
「水伝」に関しては先ほどご指摘いただいた通り
「想像が足りなかった」のだと思いますが
今も七田チャイルドアカデミーへ通わせていること
について七田眞はおかしいけれでもやっている内容は
悪くないと思っています。
おそらくその内容は七田でなくとも習得できるのでは?
と言われそうですが毎週刺激をくれる
いいペースメーカーのような存在です。
田部さんにとってこんな私は悩ましい存在でしょうか?
>想像力さんが、今から振り返って、「もしも、義務教育で、こんな授業を受けていれば、このような知識・経験を得ていたら、“水からの伝言”や“七田式教育”などには惑わされなかったように思う」という事がなにかありましたら、どんな小さな事でも、ぜひとも聞かせて頂きたいです。切実なお願いです。
kikulogで語られている「ニセ科学はよくない」ことを
授業で教えて欲しいです。
今世の中にはびこっているこんな「ニセ科学」があるのだと。
授業でなくとももっと公で語られてもいい話なのだと
思います。
208. 田部勝也
— February 18, 2008 @23:51:16
想像力さんに対して悩ましいと思う事はありませんが、「その内容は七田でなくとも習得できる」のに、七田以外に「毎週刺激をくれるいいペースメーカーのような存在」がない状況を大変悩ましく思います(そのへんは、上(#199)の技術開発者さんのコメントが的確に表現していると思います)。
想像力さんも含めて多くの大人たちは、専門的な科学や教育学の知識など持ち合わせていなくても、七田チャイルドアカデミーとまともな教室が並んでいたら、どちらが自分の子のためにより望ましいかを的確に見比べ見極める事ができると思います。それなのに、(私も含めた)教育関係者は、一体何をやっているんだ──という思いが強いです。
>想像力さん(#207)「kikulogで語られている「ニセ科学はよくない」ことを授業で教えて欲しいです。今世の中にはびこっているこんな「ニセ科学」があるのだと」
ありがとうございます。私はすでに教員を辞していますが、多くの理科教員はその事に取り組んでいる・取り組もうと努力していると思います。ただ、なかなか効果的な教え方・伝え方が見つからず、まだまだ模索中という事なのでしょう。皆、こういう活動は、即効性を期待するものではないと考えているでしょうし。
他力本願で恥ずかしい限りなのですけど、想像力さんのような方に、「教育関係者は、一体何をやっているんだ!」という事をもっともっと訴えて欲しいと願っています。
209. トロッコ — February 19, 2008 @01:53:31
> >事実でないことを特に問題視してはいない批判が多い。
> という指摘も,意外に危険だ,ということです.
「事実であるかどうか」に関心がないことと「比喩表現として快か、不快か」を重視して価値判断することは密接に繋がっている場合が多いと思います。
事実であるかどうかに関心が移れば、それに従い相対的に、比喩表現として快であるか不快であるかに関心を持たなくなる傾向が一般にあると思います。
ある意味で、それが「科学的」ということなのでしょう。比喩表現として人を傷つけるものだ、というバッシングは科学的な観点からの批判ではない。
211. Noe — February 19, 2008 @08:06:15
リンク先読みました。
>この話題は,専門家レベルでも「グレー」なのかと驚きました.
「この話題」とは卵子に関するもので、羊水に関するものではありませんね(その意味では柳田さんの記載自体が不正確なんですが)。
それと、リンク先に以下の文章がありますが、これも不正確な表現だと思います。35歳を過ぎて危険が指数的に高まるのではなく、妊娠に関するリスクは年齢に対して指数的に増加するから、35歳を過ぎたあたりから、リスクが無視できないほど大きくなるというのが私の理解です。
>女性が35歳を超えると不妊、流産、ダウン症などの危険が指数的に高まりますが、その一つの原因は染色体異常です。
あ、一応お断りしておきますが、今回のレスは他分野さんに対する反論ではなくて、柳田さんのブログに対するコメントです。
もともとのブログ自体がアエラ2月18日号の記事からの引用
>35才を過ぎると、女性の卵子は古くなります。
>それで妊娠しにくくなるし、合併症もおきやすい。
に対する柳田さんの反論に対する読者から反論の事後処理みたいなものなんですが(ですから、こんな風に突っ込まれると、柳田さんも不本意だとは思います)。
212. disraff — February 19, 2008 @09:35:40
「水伝」を「比喩として受け取っている」人がいるとはとうてい思えませんね。「ありがとうと言われると水が笑う」とかならともかく、「ありがとうといわれると水が綺麗な結晶になる」って、何の喩えになります?
少なくとも僕は生まれてこのかた、機嫌がいいと綺麗な結晶になるヒトや動物を見た記憶はないのですが。
213. キャリン — February 19, 2008 @10:30:11
211のNoeさんのコメントと被りますが、リンク先に書かれているのは卵子についての問題であり、羊水の話とは全く違う話題ですね。
正直に言うと、確かに高齢出産にはリスクも多々あることは
認めざるをえません。
グレーゾーンにある卵子の問題以外にも、妊娠糖尿病や妊娠高血圧症候群に罹る可能性も高まると言われています。これは妊娠に関係なく、中年以降に高血圧などの症状が出るのと同じことです。
ですが高齢で出産する人間のほとんどは、この程度の知識は持っているものです。(経済的な理由以外で、勝手な理由で妊娠しても検診に行かないような人については、どうなのかは分かりませんが)
その上で出産にむかいます。
だからこそ若いとはいえ余りにも無知な発言に対して、憤りを感じた人が多かったのではないでしょうか。
今回、件の歌手の方の発言が「高齢出産だと、若い時よりも体力が落ちるから、早めに赤ちゃんを」といった内容ならば、多少デリカシーに欠けるとはいえ、これほどの問題にはならなかったと思います。
だからこそ、リスクについての正しい知識を持った上で、出産に臨んでほしいわけですよね。
くぅちゃんの発言を「高齢出産はあぶないって言ってるんだから、いいじゃん」的に捉えることは極めて危険です。
その違いを理解しないとだめ、ということですよね。
それから、意味内容としては、できるだけ綺麗な言葉を使いましょうといったことに対する
比喩表現であり、「綺麗な言葉で綺麗な結晶になるということが事実かどうか」には関心が
ほとんど向かずに、比喩表現として見て「それが不快な表現である」とは感じない人が多い。
羊水発言についても、やはり「それが事実かどうか」には多くの関心は引かず、比喩表現と
して不快だという点を以ってバッシングが起った訳です。
中には「綺麗な結晶になるということが事実かどうか」に関心を持って、それを比喩表現で
なく事実の言明として受け取る人もいるでしょうが、そういった人はあまりいない。ただ、
もちろん、比喩として受け取るのが普通だからと言って、事実の言明として見て、「それが
事実かどうか」に関心を向けてはいけないということでは全くありません。というよりも、
水伝を批判するときは、大抵の場合は、「水伝は事実でないという問題点」は批判の重要な
ポイントです。
216. 技術開発者 — February 19, 2008 @17:07:58
私はずいぶん長い間、悪徳商法批判をしていたのですがその間に良く感じた事として、「人間ってのは、なんとも不合理な思考をするものだなぁ〜」という感覚なんですね。
まあ、たとえ話として言いますと、例えば「消防署の方から来ました」という人が消火器を売りに来たとするじゃないですか。全部では無いけれども確実に何割かの人は「消防署の人」とか「消防署の関係者」と思って話を聞くわけですね。でもって消火器の値段とかになって「高いな」と思っても、「まあ、消防署の人が勧めるんだから物はたしかなのだろう」なんて、その高いという意識を合理化するわけですね。でもって、そういう人が、後から「消防署員が消火器を売り歩く事はない」なんて情報に接した場合の話なんですね。なんていうか、「消防署の人だから」という基礎の上に築かれた、「消火器を設置しなくてはならない」みたいな意識とか、「消防署の人が勧めるのだから物は確かで、その分高いのだろう」なんて意識は、当然、「あれは消防署の人では無い」という認識の元に全て崩れ去る様に思える訳です。ところがね、実際は「まあ、家に消火器があるのは悪いことではないし」とか「まあ、消防署の人じゃなくても高かったんだから物は確かなんだろうし」なんてね、素直にその時構築された意識が残ってしまう例にとても沢山出会っている訳ですね。私は「だるま落とし」みたいなもんかな、なんて思っていたんですね。一旦、トントンとだるまの胴体を積んで上に顔を載せてしまうと、一番下の胴体をポンとはじき出しても、上の胴体や顔がそのまんまの形でポンと着陸するだけなんですね。なんとも不合理でやりきれない思いをするものではありますが、それが人間というものの仕様なので仕方ない面があるんですね。
もちろん、綺麗な「だるま落とし」になる人だけじゃなくて、「じゃあ、消火器の設置義務も嘘なのね」「この消火器、本当に火がきえるのかしら」になる人もいるわけです。じゃあ、この綺麗な「だるま落とし」と総崩れの違いは何が生むかというと「怒り」なんじゃないかと思います。騙されるってことが嫌いで、「キー、『消防署から来ました』なんて騙されたぁ〜、腹が立つ」という人は、総崩れするけど、「ああ、嘘だったのね」とあまり怒らないタイプの人は「だるま落とし」に成りやすい感じを受けていた訳です。まあ、一時期はなんとか怒りをかき立てて貰おうと努力した事もあるんですが、性格というんですかね、「だるま落とし」に成っちゃう人はやっぱりなっちゃう。
なんていうかな、トロッコさんの論理は論理として完全すぎる気がします。人間の持つ「だるま落とし」型の反応というのが無視されているので、「事実かどうか」「比喩表現として快か不快か」みたいな一種の二分法区分に陥ってる感じをうけるわけです。なんていうか、話を聞いた瞬間にでも、「本当らしい」と思うとその上にトントンといろんな考えが積まれてしまうのが人間というもので、それが綺麗につまれてしまうと、一番下の「本当かどうか」の部分が「嘘だよ」とはじき出されても、上のだるまが崩れない面が人間にはあるわけです。もちろん積まれる段階では下のだるまが無いと積まれない訳ですが、綺麗に積まれて、下のだるまがあまり怒りとか感じない形で抜かれると「だるま落とし」は崩れないんですね。
217. ちがやまる — February 19, 2008 @18:58:26
根拠の有無にとりあえず目をつぶってもいいくらいその話が有意義とか面白いとかいうのであっても、今度はそうであることを他人に認めてもらわなくてはなりませんよね。
218. disraff — February 19, 2008 @20:23:27
219. KEN — February 19, 2008 @20:12:27
トロッコさんは水伝を使って道徳授業を行うことに批判的ですか?
なお、トロッコさんの推論は人間心理を説明するにはあまりに簡単すぎるので、いくらでもケチを付けようと思えば可能でしょう。例えば、
1.事実であるかどうかを確認することに関心がなくても、事実であると信じている場合が普通にあり得ます。トロッコさんは事実であることを確かめるほどの熱意のない人にとっては、それが事実であるかはどうでも良いこととお考えのようですが、そうとは限らないでしょう。つまり、「事実であるかどうかを確認することに関心がない」と「事実であるかどうかに関心がない」は違います。「良い言葉使い」の理論的根拠として「水伝」を考えている人にとっては、それは事実でなければなりません。しかし、それが事実であるかを深く考えずに、軽く事実であろうと思い込んでいる人もたくさんいるでしょう。そして、それが事実ではないと分かった時には、根拠足りえなくなります。その時に、技術開発者さんがおっしゃるように合理化によって、比喩的意味があると思おうとするかもしれません。しかし、最初から事実ではないと分かっていながら、比喩的意味を感じる人などいるでしょうか?この場合の比喩的意味がまた問題です。
2.議論における比喩は、主張したいことと似たものを示して主張を補強する働きを持ちます。ですから、比喩は主張したいことより明白な事実である必要があります。絵空事の比喩では補強にならないわけです。一方、文学的表現の比喩は、表現したいことと似たものを示して、表現を強化するものです。ですから、比喩は表現したいことより体感しやすい性質を持つ必要がありますが、別に事実である必要はありません。トロッコさんは、この両者を混同して議論における比喩でも事実である必要はないと考えているのではないでしょうか。これは江本氏が「水伝」はポエムであると逃げていることに通じるところがあると感じます。
このような混乱の原因として、おとぎ話による子供の教育があるのではないでしょうか。大人はおとぎ話が事実ではないと知っているので、文学的な比喩と受け取ることも可能です。しかし子どもにとってはどうでしょうか?トロッコさんは既に水伝が事実ではないと知っていらっしゃいますので、大人の立場でおとぎ話として鑑賞している人もいるのではないかと言えます。事実関係を知らない人は子供の立場であると考えたほうが適当ではないでしょうか。それに、大人の立場としても水伝は面白いおとぎ話でしょうか。
221. トロッコ — February 19, 2008 @22:59:11
ただ、割合としては少なくても、たくさんの人の中には、やっぱり騙されてしまう
人が出てくる。だから、当然、それはいけないことです。
水伝についても、それと同じで、事実であるかどうかに関心を持ちながら、それが
事実でなかろうかと考えてしまう人の割合はとても少ない。でも、だからと言って
それが全く問題がない、というような見解は決して承服できるものではありません。
222. トロッコ — February 19, 2008 @23:33:16
期待することは不適切である子供相手に教師が水伝授業を行うことは(少なくとも通常では)
承服できることではありません。よほど、「これは、本当の話ではありません」ということを
しつこく繰り返せば問題がないのかもしれませんが、そういう授業をそもそも『水伝授業』と
呼ぶのかどうか、言葉の使い方としてどうなんだろうとは思います
223. トロッコ — February 19, 2008 @23:33:58
事実でなかろうかと考えてしまう人はいない、ということではありません。
確実にいる、と思います。ただ、水伝に触れたときに(特に水伝に限った
ことではないのですが)、そういう反応をする人の割合は少ない、という
ことです。水伝の問題は、事実であるか、どうかに関心を持ちながらも、
事実でなかろうかと考えてしまう場合に特にありますので、割合としては
少なくとも、そのような場合を注視して問題にするのは、当然のことです。
しかし、だからと言って、割合が多いことにもならない。消火器の販売も
同じで、それで騙されてしまう人の割合は少ないが、中には騙される人も
いるので承服できるものではない。
224. disraff — February 20, 2008 @00:28:16
妙な理屈やまるで根拠の無い決めつけといい、余人には理解し難い奇妙なコダワリといい、また「F」だったんですかね。ひょっとして。
方向性、論旨がなく、書き忘れ風に連発…F臭してますね。
まぁ、普通の人はコメント書いた直後に、訂正以外で謝罪なしに3連射とかしませんから…なので、あえて参戦していませんでしたが><;
226. TAKA — February 20, 2008 @01:42:46
「ご愁傷さま、トロッコさん。」
「名古屋大学情報文化学部シンポジウム(12-15)」の「No.99の鳴門氏」とともにトロッコさんの発言が消されているのを見ると、そんな気もしますね。
>3連射
連続投稿は「誰かに気づいてほしい」というサインなのかしら?
これらの疑問については、トロッコさんがご自身で釈明なされることでしょう。(管理人のきくちさんは忙しそうですからね)
僕も完全にうっかりしてました。
今チェックしたところ、トロッコ氏のIPアドレスは↓で大串さんが言及しておられるものと一致します
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1182740906#CID1201622656
ふま君かどうかはさておき、削除対象です。
もっと早く気づくべきでした。
すみません > all but ふま君
228. 技術開発者 — February 20, 2008 @17:31:20
「出産の時にシャンプーのにおいがする」なんてデマの話題の関係で、No.39に「ニューウェイズ」というマルチ商法に関して日本消費者連盟が、行政に申し出をしているなんて話題を書きました。ずいぶん前の申し出だったんですが、どうやら、このマルチ組織に業務の改善と営業の停止命令が出た様です。
http://www.meti.go.jp/press/20080220002/tokusho.pdf
中に示された違法説明などを読んでいただくと、もうどんなデマでも売るために言う、マルチ商法の姿勢が分かっていただけると思います。
229. トロッコ — February 20, 2008 @20:17:48
もし悪どいことさえしていなければ、問題はあまりないのかもしれないが
そんなことは全くない訳であってね。
231. disraff — February 20, 2008 @21:54:41
F本人か、さもなければ同程度に「どうでもいい話」しかできない、ダメな人ですね。まぁおそらくは本人なのでしょう。ということで<ステータス:削除待ち>に…。
232. 想像力 — February 20, 2008 @21:56:04
大変わかり易いご回答ありがとうございました。
技術開発者さんの包み込むような優しさに感謝します。
それなのにいつも反応が遅くてごめんなさい。
>きくちさんが「こういうニセ科学が流行るのは良くないよ」と言い始めたのは、オウム真理教事件で「きちんと科学を学んだはずの理工系の学生がのめり込んだ」事から始まっているし、問題として取り上げたのは「水伝が道徳の時間に教えられていること」だったりする訳です。私が最初に取り上げようとしたのは「大手の家電メーカーまでがマイナスイオンの製品を販売してしまったこと」だったりします。
納得です。
>そんなに目くじらを立てることかどうかというのは、「海水浴場で潮に流されて少しずつ遊泳範囲の端っこに近づいている」という事そのものは目くじらをたてるほどの事では無いけど、ブイがないといつもの間にか危ないところまで流されてしまうわけで、ブイに気が付いたら、トボトボと元のパラソルの所まで歩いて帰って貰えればそれで良いのでは無いでしょうか(笑)。
今私はパラソルの所まで歩いて帰っているところです。
ちなみに七田チャイルドアカデミーも他に
いいところが見つかればめようかと思っています。
本当にありがとうございました。
--------------------------------------------------------------------------------
233. 想像力 — February 20, 2008 @22:24:41
>想像力さんも含めて多くの大人たちは、専門的な科学や教育学の知識など持ち合わせていなくても、七田チャイルドアカデミーとまともな教室が並んでいたら、どちらが自分の子のためにより望ましいかを的確に見比べ見極める事ができると思います。それなのに、(私も含めた)教育関係者は、一体何をやっているんだ──という思いが強いです。
これからいろいろなお教室の体験にいってきて七田チャイルドアカデミーを
客観的に捉えて見るつもりです。
>ありがとうございます。私はすでに教員を辞していますが、多くの理科教員はその事に取り組んでいる・取り組もうと努力していると思います。ただ、なかなか効果的な教え方・伝え方が見つからず、まだまだ模索中という事なのでしょう。皆、こういう活動は、即効性を期待するものではないと考えているでしょうし。
他力本願で恥ずかしい限りなのですけど、想像力さんのような方に、「教育関係者は、一体何をやっているんだ!」という事をもっともっと訴えて欲しいと願っています。
田部さんのようなモチベーションの方々が教壇に上がっていてほしいと
願います。「学力低下」「学級崩壊」などマスコミで騒がれています
が実際のところどうなのでしょう。これからわが子を学校に
入れなければいけない母親として気が気でなりません。