2008年02月15日
銀座の馬屋
銀座に馬小屋があった話を教えていただきました。1902年(明治35)発行の「東京京橋区銀座附近戸別一覧図」によれば、銀座に2棟の馬小屋があったそうです。
1棟は天狗煙草の岩谷松平の「岩谷商店厩舎」です。岩谷松平は薩摩の出身で馬が大好きで、馬術が得意だったようです。天狗煙草の宣伝に、外出する際には必ず赤い馬車を仕立て、赤いフロックコートに赤いシルクハットという奇抜ないでたちで市中を乗り回し、馬も宣伝に利用されたようです。
もう1棟は「江副厩舎」です。岩谷松平のライバルの煙草商、佐賀出身の江副廉蔵の江副商店の厩舎です。
「銀座遺産」を書かれている三枝進さんは、江副廉蔵が銀座で馬を飼うはっきりした理由が見当たらないとか枯れていました。
私が知る限りでは、廉蔵さんは2頭立ての馬車に乗っていたようで、お子さんたちがフランス語の勉強に行くときも馬車を利用されていたとのことでした。
20世紀の初頭には日本に自動車がはいってきていたようですが、日本では自動車が売れず、当時の一般の人々の憧れは自動車よりも豪華できれいな馬車であったそうです。
1棟は天狗煙草の岩谷松平の「岩谷商店厩舎」です。岩谷松平は薩摩の出身で馬が大好きで、馬術が得意だったようです。天狗煙草の宣伝に、外出する際には必ず赤い馬車を仕立て、赤いフロックコートに赤いシルクハットという奇抜ないでたちで市中を乗り回し、馬も宣伝に利用されたようです。
もう1棟は「江副厩舎」です。岩谷松平のライバルの煙草商、佐賀出身の江副廉蔵の江副商店の厩舎です。
「銀座遺産」を書かれている三枝進さんは、江副廉蔵が銀座で馬を飼うはっきりした理由が見当たらないとか枯れていました。
私が知る限りでは、廉蔵さんは2頭立ての馬車に乗っていたようで、お子さんたちがフランス語の勉強に行くときも馬車を利用されていたとのことでした。
20世紀の初頭には日本に自動車がはいってきていたようですが、日本では自動車が売れず、当時の一般の人々の憧れは自動車よりも豪華できれいな馬車であったそうです。