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2008年02月17日(日曜日)付

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弁護士増員―抵抗するのは身勝手だ

 生活や仕事で困ったことが起きたら、どこに住んでいても弁護士に相談することができる。このように司法を市民に身近な存在につくりかえるのが、今世紀に入ってようやく始まった司法改革だ。

 その具体策として、弁護士を中心に法曹人口を倍増させ、18年ごろに5万人にする。この政府の方針の下、法科大学院がつくられ、新司法試験が始まった。かつて500人だった司法試験の合格者は次第に増え、昨年は2100人になった。これを再来年までに3000人にするのが政府の計画だ。

 ところが、ここにきて計画に抵抗する動きが出てきた。

 一部の弁護士会が「質が低下する」「新人弁護士の就職難が起きている」という理由で、増員に反対し始めた。今月上旬にあった日本弁護士連合会の会長選挙で当選した宮崎誠氏は、政府に増員計画の見直しを求めると表明した。

 司法試験を管轄する法務省でも、鳩山法相が「3000人は多すぎる」と発言し、見直しを検討することになった。

 確かに、司法試験に通っても司法研修所の卒業試験に合格できない人は増えている。しかし、これは司法試験の合格者が増えた分、研修所で不適格な人を改めてふるい落としているともいえる。そもそも、どのくらいの質が弁護士に求められるかは時代によっても違うだろう。

 弁護士が就職難というのも、額面通りには受け取れない。弁護士白書によると、弁護士の年間所得は平均1600万円らしい。弁護士が増えれば、割のいい仕事にあぶれる人が出る。だから、競争相手を増やしたくないというのだろうが、それは身勝手というほかない。

 第一、弁護士過疎の問題は解消したのか。一つの裁判所が管轄する地域には、少なくとも2人の弁護士が必要だ。原告と被告、それぞれに弁護士が付かねばならないからだ。ところが、全国に203ある地裁支部の管轄地域で、弁護士が1人もいない地域が3カ所、1人しかいない地域が21カ所も残っている。

 全国各地で法律の相談に乗る日本司法支援センター(法テラス)が一昨年発足した。だが、必要とする弁護士300人に対し、集まったのは3分の1だ。

 来春には裁判員制度が始まる。集中審理のため、連日開廷となる。弁護士が足りなくなるのは目に見えている。

 さらに、起訴前の容疑者に国選弁護人をつける事件が来年から広がる。被害者の刑事裁判への参加が年内に始まり、法廷で付き添う弁護士も必要になる。

 弁護士をあまり増やすな、というのなら、こうした問題を解決してからにしてもらいたい。並はずれた高収入は望めなくとも、弁護士のやるべき仕事は全国津々浦々にたくさんあるのだ。

 かつて日弁連は司法改革の先頭に立った。その改革は市民のためであり、法律家の既得権を守るためではなかったはずだ。その原点を忘れてもらっては困る。

豪首相の謝罪―過去と向き合う勇気

 「首相として、おわびする。政府を代表して、おわびする。議会を代表して、おわびする。あなた方が負った心の傷や痛み、苦難をおわびする」

 オーストラリアのラッド首相が連邦議会の演説で、こんな謝罪の言葉を重ねた。先住民アボリジニーに対する、初の公式謝罪である。

 満場の拍手の中、演壇を降りた首相は、涙を浮かべた先住民たちと握手を交わした。

 18世紀、英国が豪大陸にたどり着いたとき、そこには先住民がいた。アボリジニーと名付けられた人々は、植民統治のもとで生活圏を奪われ、迫害された。かつて100万人近くいた人口はいま、全人口の約2%、46万人に減った。

 とりわけ悲惨だったのは、文明社会への同化という名のもとに行われた子どもたちの強制隔離だ。幼いころに親から無理やり引き離し、施設に収容したり、白人家庭に預けたりして育てた。文化や言葉を奪い、家族のきずなを壊す過酷な政策だった。

 20世紀初頭から始まったこの強制隔離に終止符が打たれたのは、70年代になってからだ。被害者は約10万人に達する。

 それにしても、政府が過去の過ちを謝罪するまで、なぜこれほどの年月がかかったのだろうか。

 豪州社会が先住民の迫害に目を閉ざしてきたわけではない。70年代以降、豪州は白人中心の白豪主義政策を捨て、多民族国家としての道を歩んだ。アジアからも多くの移民や難民を受け入れ、先住民の権利回復にも高い関心が集まった。

 その象徴が00年のシドニー五輪だった。アボリジニーの聖地を出発した聖火は国内をリレーされ、アボリジニーの女性走者の手で聖火台に点火された。

 政府の先住民政策を検証する作業が90年代に始まった。97年、強制隔離がもたらした重大な人権侵害を指摘する公式の報告書がまとめられた。

 にもかかわらず、政治は尻ごみを続けた。当時のハワード首相は「過去の先住民政策に今の政府が責任を負う必要はない」と主張した。現在の価値観に基づいて過去を論じてみても意味がないということだろう。

 日本でも、慰安婦問題などをめぐって同様の意見が語られてきた。過去の過ちと向き合うことの難しさがそこにある。

 白人と先住民との和解を達成し、豪社会が連帯感を手にするために欠かせない決断だった。ラッド首相は公式謝罪について、そんな考えを語っている。

 同様の取り組みは世界に広がりつつある。米国は、第2次大戦中の日系人抑留に対する謝罪と補償をした。カナダは先住インディアンへの政策を、英国は奴隷貿易をそれぞれ謝罪した。

 豪政府は今後、補償という難問を抱えることになる。しかし、豪州の国民はこの謝罪によって未来への勇気ある一歩を踏み出した。その決断を評価したい。

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