袴田事件とは、1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、およびその裁判で死刑が確定した袴田巖(はかまだいわお)が冤罪を訴え再審を請求している事件である。 袴田死刑囚は、現在死刑判決が確定してから、死刑が執行されていない最も古い死刑囚である。長期間死刑囚という身でいる為、拘禁反応を起こし精神的に障害をきたしている。異常な言動と裁判に関する言葉のやり取りが出来ないほど、深刻な状況下に置かれている。 袴田事件が冤罪だとする根拠は、長期間かつ長時間(長い日だと16時間)にわたる密室での警察の取り調べの中、自白の強要が行われ、逮捕後20日目にしてウソの自白をさせられている。また、犯人だと裏付けられる物的証拠が、警察と検察によりねつ造され、デッチ上げられた事が明らかとなっている。 具体的には、 1. 「凶器とされている栗小刀で犯行は可能か」 2. 「逃走ルートとされた裏木戸からの逃走は可能か」 3. 「犯行着衣とされた『5点の衣類』は、警察の捏造か(「服サイズから見て、被告人の着用は不可能)」 などの3点である。 これらの証拠を最初に疑問を抱き、事件の冤罪性を指摘したのはジャーナリストの高杉晋吾氏である。当時の月刊誌『現代の眼』に「袴田事件」を連載したのが契機となり、「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」が発足している。報道番組『NNNドキュメント』(日本テレビ)では、逃走ルートとされている裏木戸実験を行い、到底人がくぐれない事を証明した。 また血痕の着衣は、血液型が着衣ごとにバラバラで、同一人物が着衣していなかった事と、袴田さんの体型から、履く事ができないというものである。様々な人たちが、警察と検察側の証拠を、弁護側から取り寄せ検証する事により、冤罪の極めて高い事件として、支援活動が広範に行われている。 「彼は無罪だと確信したが、裁判長ともう1人の陪席判事が有罪と判断、合議の結果1対2で死刑判決が決まった。しかも判決文執筆の当番は、慣例により自分だった」 と告白し、袴田の姉に謝罪し、再審請求支援を表明する。この発言を契機に、袴田事件の冤罪が極めて濃厚となった。一連の支援の動きの端緒は証拠が、警察と検察によりねつ造され、デッチ上げられたのではないかという疑惑から出発している。 当時から、今でもこの法改正の危険性が、認識されていない現状がある。 つまり事件の証拠を、テレビ番組やジャーナリスト、支援者などが検証する事が不可能となってしまったのである。もし当時に、この法改正が行われていたならば、袴田事件で言えば、ジャーナリトの高杉氏が証拠を検証したような事ができなくなり、とっくの昔に袴田死刑囚は死刑執行が行われていたにちがいない。 さらに、驚いたことに、被告人が自らの無実を訴える為に、証拠を掲載したチラシを配布する事すら禁じている点である。この法改正は、証拠の裁判目的外の使用を禁止しているからだ。 日本の司法制度は、極めて人権とは無縁の制度であり、諸外国からはかなり遅れた人権後進国である。国連人権規約委員会からは1998年以来、司法制度の改善(取り調べの可視化)を勧告されているが、一貫して日本政府と法務省は、この勧告を無視し続けている。日本政府・法務省は、最近、死刑執行を続けているが、遅れた司法制度を持つこの国に死刑制度を持つ資格は無い。 |