――あなたの『リアル』見せてください。 金髪碧眼の少女はそういった。まだ、幼いぼくに向かって。ぼくは何のことか分からず、戸惑うばかり。白いワンピースにサラサラでロングの金髪。ぼくと同じくらい幼い顔立ちと背格好をした少女は再びいう。 ――お願いです。あなたの『リアル』を見せて欲しい。 それでもやっぱり、ぼくは……。 「ね、きみ。『リアル』って何なの?」  ぼくは恐る恐る聞いてみる。その場所は誰もいない夏の浜辺。なぜ、ぼくはこんな所に『存在』しているのだろう? 両親はどうしたんだろう? なんで、ぼくと、この女の子だけなんだろう。疑問が次々と浮かんでくる。 「リアル……、それは『眼』であり、『現実』です」  少女は不思議な雰囲気をまといつつ、ゆっくりとそう答えた。だけど、やっぱり、ぼくには分からない。 「つまり、『眼』って書いてリアルって読むってこと? それとも、『現実』と書いて、リアルって読むってこと?」  ――いいえ。 「あなたには、まだ早かったかもしれないですね。幼すぎた。そして、未熟です」  さらりと、失礼なことをいう子だなぁ。とぼくはその時思った。 「眼と書いて『リアル』と読む。そして、眼『リアル』は現実『リアル』に干渉することが出来る『眼』。つまり、わたしはあなたの『眼』を見せて欲しいと言っていたんです」  なるほど、ってか凄い分かりづらい。ぼくの今の頭では理解しにくいなぁ。もっと、成長して、勉強して、頭が良くなったら、もう一度、この子の話を聞いてみたいかな。 「つまり、きみはぼくの眼を見たいってこと?」 「はい」  少女は、少し離れた距離からこちらに向かって歩いてくる。やはり、ぼくと彼女以外には誰もいない。とても静かな……静かすぎる空間だった。  少女は、ぼくの一メートル手前まで来て、再び問う。 「あなたの眼『リアル』、見せてください」 「うん……別にいいけど。眼『リアル』なんて、ぼく知らないよ」 「ええ、それも当然でしょう。なぜなら、あなたはまだ眼『リアル』に目覚めていない」 「へぇ」 「では見せてもらいます」  そう言って、少女は一気にぼくに飛びついてきて、顔を両手でがっちりとホールドした。自然に、ぼくと彼女の視線はピッタリと合う。点と点を繋ぐように、線と線を結ぶように、ぼくらの視線は交わる。 「あなたの眼『リアル』、見せてもらいました。ありがとう」  そういって、少女はぼくの顔から手を離した。 「ねぇ、なんできみは、ぼくの……その……眼『リアル』が見たかったの?」  少女は少し顔を俯けて、こう呟く。 「……わたしを……守って欲しいから」  そこで、ぼくは目が覚める。またあの夢か。これで何回目だろう? ……眼『リアル』。あの子はいったい何が言いたかったのか、未だにぼくはよく分からない。中学三年になった今でも、この夢はよく見る。そういえば、この夢を見始めたのは、いつからだったか、思い出せない。 あくまで、夢であり、現実にあんな状況になることは有り得ないのだけど。まず浜辺に人一人いないなんて、有り得ないし――冬場の浜辺ならともかく、そんな時期に、幼かったぼくが一人で浜辺に行くこと自体、不自然すぎる――あれは、いったいなんなんだろうな……。  そんなことを考えつつ、ぼくはリビングへと向かう。そこにはぼくの母、赤月冷と二つ年下の妹、赤月氷が食事をしていた所であった。 「お兄ちゃん、遅いぞっ!」  氷って名前のくせに、朝からテンションの高い奴だ。ぼくは溜息を一つついて、席へと座る。 氷はまだパジャマ姿で、イチゴジャムをたっぷり塗った食パンにがっついている。おいおい、服についたらどうするんだ。とか、無駄な心配をしつつ、ぼくも食事を摂ることにした。 「冷さん。ぼくにも食パン焼いてもらえますか?」 「ん? ああ、OK」  母さんは、凄くクールに、いや酷くクールにそう言って、食パンをトースターで焼いてくれる。こちらは名前通りに凄くクールな人なのだ。 因みに、食事中だったにも関わらずエプロンはつけたままだ。こういう、ルーズさも味があると言えば……あるのかな。 赤月家では、皆、名前で呼び合っている。勿論、ある程度の礼儀――親には敬称をつけるとか――は必要だが。 父の熱海さん、母の冷さん、妹の氷。そして、ぼくは翡翠くんと呼ばれている。なぜ、ぼくだけ、温度関係の名前じゃないのか、果てしなく気になる所だけど、それは熱海>綺麗な海>翡翠色の海。ってことで納得しとこう。 つまり、ぼくの予想する所、熱海さんからつけられた名前かな、とは思う。女性陣は温度関係。男性陣は海関係、みたいな。次に妹が生まれたら、零下。弟が生まれたら、夏。って名前になりそうな気がする。 ――まぁ、これは勝手な予想だけども。 「ねぇっ、翡翠くんっ! 今日は学校行くのかなっ!?」  冷さんの焼いてくれたパンを手に取ろうとした所で、氷が話しかけてきた。 「そりゃ、行くに決まってるよ。氷も行くんだろう?」 「うんっ! けどねっ! もしかしたら、休むんじゃないかなっ? とか思ってさ!」 「ぼくがサボリで休むことなんてあったら、天変地異が起こるよ」 「うわっ! 翡翠くん、嘘つきだ!」 「なんで、そうなるのさ。ぼくは勉強大好き人間だよ。遊びの方がめんどくさいくらいさ。まぁ、そうは言っても、頭はいい方じゃないけどね」  パンをかじりながら氷に反論するぼく。 「翡翠くん! やっぱり、嘘つき! 毎回、テストで一位取ってるの、氷は知ってるんだからね!」 「……」  やれやれ、だ。 「冷さん。氷に言った覚えありますか?」  再び食卓に戻った冷さんにぼくは問うてみた。 「ん? 何か不都合あった?」 「いえ、ないですけど」 「じゃぁ、いいや。翡翠くんはさっさと食事しなさい」 「あ、はい」  何かはぐらかされた気がするけど……、まぁ、いいや。 そして、食事を終えたぼくは着替えやその他諸々を終え、学校に向かう。  ぼくが通っている学校は、私立藍空学園。初等部、中等部、高等部まで一括している、いわば巨大な学園だ。 ぼくは、初等部から今まで、ずっとこの学園に通っている。結構、友人と呼べる人も多かった。 ああ、ああ、忘れていた。妹の氷もここの学園に通っている。氷はテンションが高いだけで、頭が悪い、ということはなく、ちゃんと勉強も出来る人間なのだ。兄としては、鼻が高い。結構、可愛いし……とかいうシスコン発言は謹んでおくとして、ぼくはいつも通り、学園内の敷地に足を踏み入れた……途端、眼に来る謎の違和感。 ――おかしい、何かがおかしい。 ぼくは何かを感じつつ周りを見る。 キャーキャー騒ぎながら、登校してくる高等部のカップル。本を読みながら、歩いている眼鏡をかけたクールそうな女の子。徹夜でゲームしてから登校してきたようなグロッキー状態の学生。何もかも、普通なのに、何か違和感を感じるのだ。 ――普通だから、普通じゃない。 言葉で表せば、そんな感じ。 例えると、普通に生活してるのに、実は自分は霊体で死んでました……みたいな違和感。 「実害はないような気もするし、まぁ、いいか」  ――そんな悠長な気分で普通に登校したぼくはこの上なく愚かだった。 「やぁやぁ、翡翠くん。顔色が悪いね」  友人の女の子である色ちゃんがぼくに声をかけてくる。ポニーテールで、とてもいい子だ。テンションは氷に負けるけど……。 「うん……今日、なんかこの学校、おかしくないかな?」 「う、うん? 別に、あっしはそんな事は思わないけどね。樹芭りん、どう?」 「あ? なんだって?」  色ちゃんが言う『樹芭りん』とは、樹芭くんのことだ。決して悪い人じゃないんだけど、ぼくは苦手なタイプかな。 色ちゃんは誰とでも仲良くなるからなぁ。 「なんかさ。翡翠くんが、この学校おかしい。とか言ってるんさ。樹芭りんはどうだい?」 「あん? 別に俺もそんなことは思わねーし、感じないけどな。翡翠の勉強ボケじゃねーの?」  言ってくれるじゃないか。樹芭くん。 「そっかそっか。じゃぁ、たぶん翡翠くんの思い過ごしかもねー。まぁ、なんかあったら、この色ちゃんに任せなさいっ」 「うん……なら、いいんだけど」  そうこうしている内に、授業が始まる。違和感……この得体の知れない違和感は何なんだ? そんなことを考えつつ、授業を受けている内に三時限目に突入する。 違和感は膨らむばかりだ。 そして、三時限目の担任が入ってきた瞬間、それは突然にして、唐突に起こった。  目の前がグロテスクな光景に染まる。教室のありとあらゆる場所に血管の浮き出た臓物が現れ、地面は色ちゃんや樹芭くんは勿論、ぼく以外の生徒全員の肉体が『バラバラ』になっていた。それは、吐き気を催すなんてレベルをとうに超越していて、ぼくは唖然とするしかなかった。 「眼『リアル』起動。臓物宝庫『グロトレヴェリア・ダークネス』」  そんな声を聞いたぼくは、咄嗟に立ち上がり、声のした方向を向く。 「やぁ、御機嫌よう。俺の麗しき生徒。いや、眼『リアル』を持つ者。と呼んだ方がいいのかな?」 「あなたは……社会科担任の錦先生じゃないですか。あなたが、『これ』を起こしたんですか?」 「ははっ、何を言うんだ? 君も、この光景を見ているなら、眼『リアル』を持つ者なんだろう? ならば、啓示者から既に聞いてるはずだ。『お前はリアルユーザー』だとね」 「リアルユーザー?」 「眼『リアル』を使う者をそう呼ぶんだよ。そんなことも知らないのか。やれやれ、とんだ茶番だな」  錦先生、スーツ姿に、整えられたシャープな髪型。決して、生徒から嫌われているというわけでもない。そんな人がどうしてこんなことを……。 「知りたいかい? この世界には、選ばれし者と、選ばれなかった者がいてね。選ばれし者を『リアルユーザー』。選ばれなかった者を『人間』としよう。選ばれし者は神へと到達する力を持つ……それが眼『リアル』だ。リアルユーザーは人間を統べるために存在するんだよ。ただの人間には興味ありません。ってやつさ。力ある者が力無き者を統べるのは、至極当然なことだとは思わないかな? 赤月翡翠くん?」  嘲笑するように、錦先生はいう。 「で、こんなことをして、どうなるって言うんですか?」 「ふむ。なかなか、いい質問だね。実は、ここの学園の生徒は全員、俺の臓物宝庫『グロトレヴェリア・ダークネス』に仮想収納されていてね。俺が死んでも、新しい臓物と細胞がそれを補うって仕組みなんだよ。唯一、リアルユーザーである君だけが、俺の眼『リアル』を無効化している。それは、ちょっと困るんでね。先に、物理的に『壊しておいても』いいかな。と思ったわけだ」 「……それは、ぼくを殺すという意味ですか」  ぼくは怒りを堪えつつ、落ち着いた口調でいう。 「ふむ。まぁ、そうとってもらって差し障りないかな。さて、君の眼『リアル』はどんな能力なんだい?」 「ぼくの……眼『リアル』……」 「そうだよ。君の……リ……ル……せて……れ……」  錦先生の声がかすれていく。そして、なぜかぼくの視界も同じようにかすんでいく。何が起こったんだ!? 相手の現実『リアル』に飲み込まれたのか!? ぼくは半ば混乱状態で、手足を動かす……動かない。そして……意識は……フェードアウトしていった。 「お久しぶりです。翡翠さん」  そこには、今朝見た夢に出てきた少女がいた。 「すみません。毎回毎回、意識を貰っちゃって。さぞ苦しいでしょう」 「大丈夫。ぼくは、そんなに弱くないよ。で、きみは一体、何者なの? こんな時にまで、夢を見せて、どうするの?」 「実は、わたしは啓示者と呼ばれる者です。あなたが『リアルユーザー』だと伝えるための存在であり、唯一、わたしだけがあなたの眼『リアル』も受け持っています。特別なんですよ、あなたは。普通、眼『リアル』と啓示者は別であるべきなのです。だけど、わたしは……」 「ぼくの眼『リアル』でもあった……」  ――そうです。 「そして、わたしは今回、あなたに伝えることにしました。逆吊空間『リバース・アンド・クォンタムスペース』の使い方を。基礎的なことはすぐに脳にインプットされますので、応用法も色々考えてみてください。それでは」  ……ちょっと、待ってよ。 声が、出なかった。 意識が復帰する。 「そうだよ。君の眼『リアル』見せてくれよ」  時間軸が巻き戻っている。どうやら、既に効果は発動したらしい。 「そっちから来ないなら、こっちから行くぜ」  錦先生は張り巡らされている臓物の一部分に手を突っ込んだ。吐き気を催すような、生っぽい貫通音を発し、臓物に穴が開く。 「うっ……ぐぁっ……」  ゴボッ、という音を出しながら、ぼくはその場に血を吐き出した。多量に……大量に……。痛い、物凄く、言葉に出来ないほどの苦痛。 「ふふ。悪いね。胃に穴が開くと、こんな感じなんだ。喋れなくなっちゃ困るから、肺は最後に取っておくね」  そして、錦先生はぼくへの攻撃を続ける。 「さて、次は腸だ」  地面に張り巡らされている、謎の長い物体を錦先生は思い切り、踏み潰した。 「うぐァッ……」  内臓が切れた。切られた。外的には何の損傷もないのに、身体の『中身』は、出血大サービスのバーゲンセール中だろう。ぼくは、再び血を吐き、あまりの激痛にその場にうずくまる。 「ははっ、痛いだろう? 君も、普通にぼくの部品になっていたら、こんな苦痛は体験せずに済んだのにね。本当にかわいそうな生徒だよ」  そろそろ、いい頃かな。 「先生、さっき言いましたよね」 「うん?」  錦先生は首を傾げる。 「ぼくの眼『リアル』が見たいって」 「ああ、言ったな。そんなことも。でも、どうやら君は使い方を知らないらしいし。もう終わりだよ。ラストは心臓か、脳味噌か。お好きな方を選ばせてあげるよ」 「いえ、どちらにしろ。ぼくはもう終わりですよ」 「なんだ。分かってるじゃないか。じゃぁ、眼『リアル』を俺に見せることも出来ないってことだね」  いや、だからこそだ。ぼくは終わるから使う。ぼくが終わるから使う。それがぼくの眼『リアル』だ。 「眼『リアル』起動。逆吊空間『リバース・アンド・クォンタムスペース』」  ぼくの眼がその空間、時間、状況を一瞬にして認識し、そして逆吊『リバース』する。 「な、なぜだ……。いったい……どんな眼『リアル』を……」  普段の空間に戻った教室。うずくまり、腹を抱え、血を吐き出しながら、ぼくに問う錦先生。 「お、おかしいぞ? 俺の内臓がやられたなら、この学園の生徒の内臓を代替するはず……」 「それも、ぼくの眼『リアル』で、無効化させてもらいました。リアルユーザーは人間に。痛みや内臓の損傷はぼくからあなたへ。臓物宝庫という異常空間は普通の空間へ。それが、ぼくの逆吊空間『リバース・アンド・クォンタムスペース』です」 「はは……そうか。それが君の眼『リアル』か……。だが、これで終わったと思うなよ。いつか、必ず痛い目を見るはずだ」  そして、そのまま錦先生は倒れた。  教室の生徒は何がなんだか分からないといった感じでぼくと先生の会話を聞いていたが、突然の出来事から、パニック状態へと移行する。救急車を早く呼べ! だの、保健室に連れていけ! だの。 まぁ、どちらにしろ、手遅れなんだけどね。だって、内臓に穴が開いた時点で、重症なんだもの。 助かったとしても、病院生活からはしばらく抜け出せないと思う。そして、眼『リアル』を失った彼は、もうぼくを相手にしようとは考えないことだろう。 「ただいま」 「翡翠くんっ! おっかえりーっ!」  先に帰っていた氷の、いつものハイテンション出迎えを受けながら、ぼくは自分の部屋へと向かう。 まだ、信じられないや。自分が眼『リアル』なんて能力を持ってたとは。まぁ、今まで覚醒してなかったから、当然なのか。 これから先、敵となるリアルユーザーが現れないことを願って、ぼくは冷さんに呼ばれたので食卓へと向かった。