オーマイニュースに12日の朝5時に載ったこの記事。
とにかく、賛否両論だけじゃなく、まったく違うほうからものを見たものまで含めた、さまざまな意見をもらった。これはこれでうれしいことなのだが、すべてコメント欄で返すには、あまりに内容が多岐にわたっていて、短くは書けそうもない。だから、ここでまとめて書く。
まず単純に「お前の言ってることは違う」という意見が目に付く。
これはこれで「反対意見」として、直球。こういう問題には、もちろん賛否両論があっていいと思う。でも、ぼくは意見が違うから、そこのところはごめんなさいね。
そして、「わざわざこんなことを言うまでもない」という意見。これは意見は意見だが、自分はどうするかを言っていないので、そこのところはちゃんと聞いておきたいと思った。
この記事でぼくが言いたかったことは、おかしいと思ったら、自分が一人になっても、自分の意見はちゃんと言おう、という、ある意味当たり前のことだ。
ちゃんと見ていてくれる人がいる。
善意かも知れないし、悪意かもしれない。
でも、みんな見ている。そして、言いたいことが言えない、ということはまだないのだから、ちゃんと言いたいことを言おうよ、ということ。
「KY」なんていう「排外率」は、要するに
「反対意見は反対意見ではなく、取るに足りないこと」というような、そういう意見の言い方は
やめましょう、ということです。
本当に大切なことは、実はそういうことなんじゃないか。
反対意見を封殺する、なんていうバカをやるのでは、民主主義でもなければ、自由な社会でもない。
自分と同じ意見の人もいれば、そうでない人もいる。
一番タチがわるいのは、自分の意見におまえもあわせろ、そうでないとおまえをつぶしてやる、という、(ことばも含めた)暴力を行使する人だ。
いつの世の中にもそういう人は多い。自分の意見が世の中の意見のすべてである、という思い込み。あるいは、そうでなければならない、という思い込み。自分の意見など、多くの意見の1つに過ぎないのに、そういう自分の立場を客観的に見られない、と言う人。
自分と意見が違う人がいる。でも、それはそれでいいじゃないか、みんなで意見を言い合って話せばいいのさ、ということだね。
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