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そこは歓楽街のなれの果ての形態をしていた。ひと夏が巡るごとに風化を増していく。白日の光に照らされるたびに看板は色褪せ、コンクリートにひびが入っていく。 そんなさびれた場所なのに、なぜか十八番街は島でもっとも賑わう健康的な商店街と、優良市民の多く住む真っ当な住宅街のあいだに位置している。 繁華街に行く人たちは一度必ず、そこを通らなければならない。十八番街の通りは陸にありながら、橋の役目を担っていた。それゆえ、昼間の人通りはそれほど少なくはない。善良な女たちは足早に十八番街を駆け抜ける。子供たちは通りの持つ妖しさに惹かれていつまでもうろうろとたむろい、十回も夏が過ぎる頃にはすっかり店に入り浸るようになる。 十八番街に通うホステスたちはきまって五十代以上の強者のオバァばかりで、寄りつく客は泥酔者ばかり。たまに狂気に満ちた人物が刃傷沙汰を起こすけれども、それらはたぶんに古い歓楽街が持っている要素のひとつで、十八番街に固有のものではない。妖しさとはまた違う話だ。 さびれ加減が妖しくないとすれば、なにが妖しいのだろう。じつは妖しさの要となる場所が十八番街にはある。そこにはなぜか神さまが住む御嶽という社があるからだ。御嶽は、島の庶民の祈りの場であり、永いあいだ島に根付いている信仰の場である。つまり十八番街の妖しさは聖と俗が交錯する妖しさなのである。 ビッチンヤマ御嶽は街中にある小さな社と一本の巨大なガシュマルの樹を擁した御嶽だった。祠は風雨で黒ずみ、枝から下りてくる樹の蔦のヴェールを纏ってひっそりと建っている。どんなに強い日差しのなかでもビッチンヤマ御嶽だけは、いつでもひんやりとした空気が漂っていた。 そんなビッチンヤマ御嶽を見つめる若い瞳があった。その眼差しは昼夜を問わずに注がれ、ときおり悲しみに満ちた瞳を投げかけた。 「直美、そんなにビッチンヤマを見ているとマブイ(魂)を落としてしまうよ」 祖母からその台詞は何度も聞いた。彼女が十八番街のビッチンヤマ御嶽を見据えていれば、必ず祖母がそう言って制する。昨日も一昨日も、もしかすると何年も前から同じ言葉を繰り返し言われ続けているのではないだろうか。直子は迷信なんか信じていない現代っ子の素振りはするものの、祖母の言葉を聞くたびに思いは確信に変わっていったのだ。 「あたしのお母さんも、ビッチンヤマに消されたのだろうか」 十年前、直子が五つのときに母は蒸発したまま行方が知れない。書き置きも、その後の手紙も一切ない。新しい男とどこかに蒸発したのならこの狭い島のこと、どこからか噂が入ってくるものだ。まるで神隠しにでも遭ったようにそれは見事な蒸発だった。いつしか直子は、窓から見えるビッチンヤマ御嶽の謂われに、母を絡めて考えるようになっていた。 母が蒸発するその日の夜もたしか夏の厳しい暑さの夜だったと聞いている。失踪以来、彼女は祖母と二人だけの生活だ。祖母はよく働く女である。昼間は盥を頭に載せて魚を売り、夜もまた働いている。 「オバァは今夜もちょっと出かけてくるからね。早く寝るんだよ」 祖母が化粧をしていた。すっかり弛んでしまった肌へ擦り込むように入念にファンデーションを重ねている。埃を被ってところどころ剥げ落ちてしまった三面鏡のある薄暗い部屋で、祖母は入念に肌を塗る。 祖母は自分の顔をよく知っている女だと直子は思っていた。若い女なら、こうはいかない。理想の顔を追い求めて、化粧するたびに一喜一憂する、ということがないのだ。祖母の化粧はそれは見事にピタリと自分の顔を探し当ててしまう。 今夜で百日連続の熱帯夜だった。今夜の熱さは百日分の熱だ。照射された密度の高い太陽光線は大地に潜み、夜間の放射を窺っている。夜は冷却に十分な時間を与えているはずなのに、明け方までに逃げ切れなかった熱は繰り越して再び大地に押し戻される。その上からまた新しい熱が順次堆積していくものだから、夜毎暑さが厳しくなった。 十八番街に日が落ちて、陽炎立つ夜の街にネオンが灯りはじめる。いつからか直子は夜のビッチンヤマを覗くことが日課になっていた。 「昨日はカマボコ売りの安子オバァ、てんぷら屋の静オバァの順番だったっけなぁ」 闇が頭上近くまで降りている。樹の陰に隠れているのは、静オバァと推察された。静オバァはビッチンヤマ御嶽の陰で着替えをはじめた。 「てんぷら臭いシンデレラのはじまり、はじまり」 直子は冷やかしながら着替えを眺めている。夜風がガシュマルの樹の蔦を揺らすと、直子の視線が塞がれて、一瞬オバァが見えなくなった。パッと赤いドレスが翻ると、てんぷら屋の静オバァは立派な十八番街のホステスに変身し終えていた。ビッチンヤマ御嶽は、生活力旺盛なホステスをその懐から産み出す。南の島の変身は、いつも闇夜のほだされた地獄の中で密かに行われるのだった。 「これは、あたしとオバァだけの秘密」 直子が苦笑して指を、しーっと口に当てる。働き者が多い島のオバァたちは、昼間は実直に魚を売り、夜は華麗にその身を売る。時間の無駄のない効率のいい仕事をしていた。 ただし、採算があうかどうかは別である。たとえば、てんぷら屋の静は、昼間、てんぷらを売って五千円稼ぐ。夜は十八番街の『さをり』というクラブで時給五百円でこれまた五千円を稼ぐ。一日の収入は一万円だが、支出のほうが問題だ。静オバァの旦那は、昼間パチンコで五千円失う。夜は『さをり別館』で五千円分飲んだくれるから、家の支出は着実に一日一万円である。つまり、オジィが出した飲み代の五千円が静オバァの夜の収入になっているという、ミニサイクルが完成しているのである。だから、静オバァの夜の働きは、タダに等しい。 なぜかこの島では生活苦ではないのに、老婆が夜に働く。直子の祖母や静オバァが働くオバァばかりの『さをり』と『さをり別館』は、別称「オランウータンの館」と心ない者に呼ばれていた。なんでも酔い覚ましにことのほか効くそうである。彼女らの顔には身を落としたという表情が微塵もなく、むしろ生き生きしている。島の夜の暗さはオバァを女に変えるのだ。 直子が眺めているあいだにも、ビッチンヤマ御嶽から続々と昼間の働き者のオバァたちが夜の蝶に変身し、巨大な蛾の群れをなして十八番街の帳に吸い寄せられていった。 島の夜はことさら甘い匂いを奏でる。夜暗いのは、日の当たる明るいところでは出来ないことするためとしか思えないほど、島の夜は魅惑的である。オバァや泥酔者がネオンに集光性を示すように、民家の明かりだって馬鹿にならない。 「直子、おーい直子」 一階から声が聞こえる。あれは毎晩性懲りもなく夜這いに勤しむ、弘一である。暇はあるが金のない男は、こうやって地道に遊ぶしかないのだ。弘一は器用に壁を這い上がってきた。彼は、今夜こそ直子の貞操を狙っていた。 「ぎゃああああ、なにしに来たのよこの変態!」 この台詞は毎晩の決まり文句になっていた。身体がだいぶ大人びてきた近年は、おやすみなさいを言うよりも彼女にとって日常的な言葉になりつつある。夜這いの弘一も命懸けなら、抵抗する彼女も命懸けである。ゴキブリを見たら殲滅するまで闘うように、手加減してはいけないのだ。 直子は窓からモップを下ろして抵抗している。それがまずかった。十八番街を訪れる人々が遠目に二人の様子を窺えば、直子は這い上がってくる弘一に、モップで手助けをしているように見てとれるからだ。 「おやまあ、あそこでネーネーが夜這いの手引きをしているさぁ。お熱いことだねぇ」 狭い島のこと、ここは見て見ぬふりをするのがエチケット、とでも言うように、寛大な島人の精神に支えられて直子は夜な夜な不要な戦いを強いられていた。攻防は、熱帯夜が続くかぎり繰り返される、熱い熱い戦いだった。 ひとくちに島の熱帯夜といっても明瞭な季節感がない亜熱帯の気候なのだから、ひと夏の辛抱というわけではない。この島の熱帯夜は、年間でなんと二百日以上もあるのだ。 「こら、そんなに女が欲しけりゃ十八番街に行け」 「いやだねー。あそこは、オバァしかいないだろうが」 弘一は窓枠に手をかけた。ここまで登ってきたのは初めてだ。 「若い女が入ったってさ。半額出すから、試してこい」 直子はとっさに取引を持ちかけた。直子が三千円ばかりを弘一に握らせる。その言葉を受けて弘一の顔に満面の笑みがこぼれた。直子は束の間の貞操を死守し、弘一は雨樋をつたって降りていった。その後、弘一はくじ運悪く、娼館『カトレア』で、勤続三十五年のベテランに精も根も吸い尽くされてしまった。それからしばらくのあいだ、直子への夜這いを控えるほど弘一はおとなしくなった。 次の日、直子は市場に出かけるために、十八番街の入口に出むいた。ビッチンヤマ御嶽の巨木に、夏の果実のような蝉がたわわに実り、ジンジンと豊作を歌っている。夏蝉のバイブレーションが幾重にも空気を振動させ、木を揺すると、湿った空気に波紋が広がっていった。 その蝉の鳴き声に相まって、低くしゃがれた女の声が聞こえる。今日は旧暦の十五日、拝みの日である。昼間すっぽりと日陰に入り、けっして日の当たることのないビッチンヤマ御嶽に、見慣れないオバァが祈りを捧げていた。直子がこっそり覗いてみると、白髪を染めた赤毛のオバァが座っていた。彼女は小振りの祠に背中を丸めて蝉のようにへばりついていた。 朽ち果てそうな御嶽に、オバァが供えた餅や果物が新鮮に光っている。 「オバァ、なにを祈っているの」 直子が祈りを終えて静かに手を合わせているオバァに声をかけた。オバァはすぐには答えなかった。耳が遠いのかと問い直そうとすると、 「神さまに、息子を返してほしいって頼んだのさ」 と、振り返らずにオバァが言った。 「オバァの息子は、なんでいなくなったわけ。死んだのか」 「死んじゃいないよ。あいつは必ず生きている。今からひと昔も前のことだけどさ、息子が仲間と十八番街で酒を飲んでいたらしいんだよ。それが息子の最後の姿。酔っぱらった息子と仲間がちょうどビッチンヤマ御嶽で別れたのを最後に、息子は失踪してしまったんだよ」 彼女は、興奮してオバァの話に聞き入った。 「あんた若いから知ってるかどうかわからないけど、ビッチンヤマ御嶽はよく人を隠してしまうって聞いたことないかい。本当に不思議なんだよ。消えた人たちは失踪してしまう理由なんて、これっぽっちもないんだ。しかも最後の目撃は必ず御嶽にいたってことなんだ」 オバァは静かに話し続けた。 「おかしいよ、オバァ。だってビッチンヤマには神さまがいるんでしょ。なんで神さまが人を消したりするの。そんなの悪い神さまじゃない。そんな神さまにお祈りしたり、供え物を捧げたりする必要なんてないじゃない。消された家族は悲しがっているわ。あたしだって……」 ガシュマルの樹からひんやりと静かな御嶽中に、燦々と蝉の鳴き声が降り注ぐ。立っているだけで、蝉が身体を蝕んでいくような感覚に襲われる。直子はぼんやりと祠を見つめていた。 |
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2 夕方、魚を売って帰ってきた祖母に、そんな話をしてみた。祖母はあまり感心しない、とでもいう表情だった。 「よしておくれ。そんな話はおばあちゃん聞きたくないよ。それよりも、今日は魚がたくさん売れたんだよ」 祖母が嬉しそうに笑う。 「今日もいけすかない女が来てね、魚を売ってくれって頼んだんだけど、私は売らなかったんだよ。毎日それが楽しくってね。ヒヒヒ」 祖母が売れ残った高級魚のミーバイに頬擦りをしている。 直子は構わずに話し続けた。 「でも、もしかしたらって思ったんだ」 馬鹿なことを、と祖母はせせら笑った。この話題になると、祖母はいつもこうだった。直子はもう子供ではない。母が淫放な女で、どこかの男と蒸発しようがそれはそれで構わないと思っていた。彼女が知りたいのは、失踪の原因なのである。 「あたしも今度の旧暦の一日、ビッチンヤマにお祈りに行こうかな」 「やめなさい。あそこに近づいちゃいけないって言っただろ」 祖母と直子のあいだにある扇風機が、会話の端々で右顧左眄を繰り返していた。 ある日、直子がいつものようにビッチンヤマ御嶽を覗いていると、いつもとは違った喧噪があった。五十代くらいの男が御嶽に駆け込み、なにやら騒がしく頼みごとをしているようだ。 |
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3 いつもビッチンヤマ御嶽のガシュマルの樹に隠れて着替えをするてんぷら屋の静オバァも、カマボコ売りの安子オバァも現れていない。こんな月明かりの夜には、かわって娼婦の富士子オバァが春を売るのだった。いかり肩の屈強な肉体で石段を登ってきたのが彼女だ。鼻息だけで梢をざわめかせると、落ち葉のシャワーになる。彼女の瞳には倫理観はないが、正義感はある。これでも昼間はちょっとした堅気の仕事をしている女である。 カサカサに乾燥した茶色の肌はほとんど鱗化し、月明かりに硬質なダイヤモンドの輝きをもって浮かび上がると、酩酊した男なら誰でも引っかかる。富士子オバァの活動期は、満月を含めた前後三日間しかない。今夜は最後のかきいれどきだ。 「兄さん、安くしとくよ」 ビッチンヤマ御嶽に燦然と降り注ぐ月明かりを綿密に考慮して、富士子オバァはプリンセスラインの服から伸びる棍棒のような四肢を輝かせた。しかし、今日は客の食いつきが悪かった。富士子オバァは月明かりを受けているあいだしか働けないのだ。 「今夜はちっとも客がつかないねぇ。いっそ通り魔にでもなってやろうか」 富士子オバァが石段の上に座って溜息をついた。 「なんだ」 十八番街の狭い道をふらふらと歩いてくるオバァを発見した。きちんと化粧したオバァは放心状態でビッチンヤマ御嶽の前を通り過ぎようとしている。彼女は富士子の喧嘩友だちのひとりだ。 富士子はそのオバァが売る美味しい魚を一度は食べてみたいものだと切望していた。こんなふうに表現すると、富士子はまるで民話に出てくる魚食いの妖怪みたいであるが、一応、れっきとした市民である。その魚売りの彼女がなぜか富士子にだけは魚を売ってくれない。富士子はたいそうその女を恨めしく思っていた。そんな険悪な間柄でも、夜の顔の匿名性だけはきちんと守られるのが不思議だ。それは島が永く培ってきた相互扶助の精神に基づく淑女協定なのである。 富士子はその女の挙動がおかしいと感じた。いつもなら、痰を絡ませるように因縁をつけてくるはずなのに、富士子には目をくれず、ふらりふらりと歩いているのだ。 「姉さん、あんた、どこ行くの」 そんな富士子オバァの台詞も虚しく空間に消えてしまう。口をぽかんと開けて通り過ぎていくその女を、富士子オバァの大きな目が視界から完全に消えるまで目撃していた。 翌日騒ぎはじめたのは、直子である。 「おーい、いたぞ、見つけたぞ」 その成果があって数日後に、祖母は島の霊山のひとつの山中に、巨大な霊石の懐で発見されたのだった。第一発見者はもちろん富士子である。 |
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4 アイヨー アイヨー アイヨー 翌月の旧暦の一日早朝、怒号ともつかない声がビッチンヤマ御嶽から響いてきた。感極まった声は一オクターブ昇りつめて、やがてファルセットに変わった。直子がそっとビッチンヤマ御嶽に近づいてみると、泣いているのはこの前の旧暦の十五日に御嶽で祈っていた男だった。 「オジィ、なんで泣いているのよ。泣かないで。恥ずかしいわよ」 直子が声をかけようが、男はお構いなしに号泣している。泣き方も尋常ではないほど仰々しい。ビッチンヤマ御嶽に聳えるガシュマルの樹から蝉が伴奏付きで、けたたましく悲哀を奏でている。 「あれから店もさっぱり客が寄りつかない。従業員も逃げていった。土地も売れない。車も来ない。家も女も来ない。ムスコもひとまわり小さくなった」 「なにが?」 「この神さまの嘘つき。全然言うこときかない。だから壊してやる」 男は泣きやむと、持ってきた鍬を握った。それを高々と振り上げて、祠を打ち据えようとする。直子は男にしがみついた。 「やめて、ビッチンヤマを壊したら、消されてしまうのよ。息子を亡くしたオバァは、毎月の祈りの日にどこで自分を慰めたらいいの。噂になっている、満月の夜に現れる伝説の娼婦ムーンライトレディは、どこで商売すればいいの。ビッチンヤマは十八番街の神さまなのよ」 「どけっ」 男が鍬を振り下ろした。腐った板が鈍い音を立てて壊れる。その音は今まで聞いたどんな音よりも哀しかった。直子の耳に悲鳴の高音と嘆きの低音があわさった奇怪な音の響きがこびりつき、リフレインする。 ビッチンヤマの祠の屋根が、半分なくなってしまった。直子は、腰を抜かした。 「どうしよう、どうしよう」 「どこに神さまがいる。ここの神さまが本当に人を消すならなぜ俺は消されない。ここには初めから神さまなんていやしなかったんだ」 ───音が聞こえない。 直子は耳を疑った。街の音が消えている。ビッチンヤマ御嶽が街の生活音すべてを遮断して無音状態になっていた。 「こんな馬鹿な……」 風がビッチンヤマ御嶽を周回して、つむじ風を巻き起こしている。砂埃が走り、一枚の落ち葉が高く舞い上がった。葉はどこまでも、どこまでも高く一直線に空に昇っていき、やがて見えなくなった。 ビッチンヤマ御嶽の祠の中は、一枚のぼろぼろの御札が留められているだけの、みすぼらしい部屋だった。ガシュマルの樹の梢がいつになくざわざわと騒ぎ、近づくなと警告を放つ。地面にまで伸びた蔦がさっと動いて、男と直子の動きを遮った。直子は地面にぺたりと座り込んだ。 長い間、風化の浸食を押し止めていた最後の防波堤が壊された。冷たい風が祠にうちいり、御札を砕いて細かな塵に変えてしまう。塵は灰に、そして灰よりも微細な粒子になって風に完全に溶けていく。 最後にがらんどうになってしまった祠は、百葉箱にも玩具箱にもならない、ただのガラクタに変わっていた。半分屋根のもげた御嶽は、まるでゴミ箱のようだった。 はらり、と、直子の長い髪に葉が落ちてきた。しばらくして、はらり、また、はらり、はらり……。 「あっ」 見上げると、樹齢数百年はあろうと思われる神木のガシュマルの樹から、一斉に葉が落ちていた。数メートル四方しかないビッチンヤマ御嶽にしんしんと葉が降り積もる。黒緑の葉で天蓋のように覆っていたガシュマルの樹が静かに、それは静かに、すべての葉を落としていた。 座っている直子の膝のうえに、呆然と立ち尽くしている男のくるぶしに、時間をかけてゆっくりと。やがて御嶽の赤土が緑色に染まってしまうまで。 直子は見ていた。 落ちてくる夥しい葉の隙間から男の姿を。 屋根の壊れた祠に葉が積もりゆく姿を。 瑞々しさを保った葉が直子の頬に当たる。それはひんやりと冷たかった。 いつも薄暗がりだったビッチンヤマ御嶽に、裸になった梢から空が見えるようになった。温かい光が、満ちてきた。 |
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5 ムーンライトレディは、噂が噂を呼び、ビッチンヤマ御嶽に女子供まで詰めかける騒ぎになったために、現在は失業中だ。それでも富士子オバァは、 「あのお方は、ガシュマルの樹の精霊だったのかも知れないねえ。あたしが最後に見た彼女は、お月さまに飛翔していく、それはそれは綺麗な姿だったよ。ちょっとあたしに似ていたけど」 と、性懲りもなく出鱈目を並べ立てて、一方的に伝説を作り上げてしまった。 現在のビッチンヤマ御嶽には、昔のような妖しさはもうないけれども、ガシュマルの樹に新緑が芽吹いて、ちょっとした公園のように島の人に親しまれている。 fin. |
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このときの歌の多くは、八重山民謡だった。今から考えると、ジェームス・ブラウンのソウルに対抗しての八重山民謡だったに違いない。八重山の音楽は、民謡と流行歌が未だ分化していない「原・うた」というような状態にあり、唄本来が持っている情感や躍動感を失ってはいない。だからこそ、ジェームス・ブラウンに対抗して、各氏が直感的に八重山民謡を選んで歌ったのだと考えたい。 さて、このあと、竹中労は、日本でのコンサートやレコード制作などを通じて、精力的な琉歌の紹介活動に入っていく。僕なども、それによって琉歌を聴き込んだクチだ。あの『なんた浜』の夜の熱気に再び出会うことはなかったけれども、琉歌の魅力を、存分に知ることが出来た。同時に、「オキナワは日本ではない」という認識も教えられた。 あれから十五年、竹中労は故人となり、それと前後するように、以前から活動を続けていた喜納昌吉&チャンプルーズをはじめとして、りんけんバンド、ネーネーズなど、ウチナー・ポップと呼ばれる音楽活動が活発になってきた。喜納昌吉は自分の存在に正直な音楽をやろうとしており、照屋林賢は自分たちの世代の島歌を作ろうとしている。ネーネーズを束ねる知名定男は、ポップ化した島歌を若い世代に聴いてもらうことにより、本来の島歌のほうへ引っ張っていこうとしている。 彼らの悪戦苦闘も知らずに、ウチナー・ポップだなんだと騒ぐのは、よくない。「オキナワは日本ではない」という観点から見れば、語の真の意味で「オキナワ・ミュージック」という言い方が正しいような気がする。 八重山民謡の名手、大工哲弘が梅津和時と組んだアルバム『ユンタ&ジラバ』は、島歌をポップ化したものではない。八重山民謡と大工哲弘の声が、梅津和時のメイキングしたサウンド・プロダクションと対等に渡り合っているものだ。梅津のバス・クラリネットと渡り合える声なんて、そうあるもんじゃない。大工哲弘は「今まで伝統的な世界で芸を磨いてきた。そして自信もつけてきた。今だから新しいことにチャレンジできるんだ」と言っている。だからこそ、『ユンタ&ジラバ』のようなアルバムもできた。べつに、自分のスタイルを変えたわけではない。梅津たちの演奏にインスパイアされながら、堂々と歌いきっているだけだ。 一方の、梅津和時、マルチ・ミュージシャンとしてあらゆる音楽のジャンルで活動しながらも、そのジャズマンとしての本質はまったく変わらない。スタイルだけを踏襲した抜け殻のようなジャズがはびこるなかにあって、スタイルを超越して音楽そのものを活性化させてしまう、とんでもない男だ。上々颱風、ソウルフラワー・ユニオン、ソウルフラワー・モノノケ・サミット、ブーム、東京ピビンパクラブ、UA、海の幸バンド、元ちとせ……、梅津和時という男は、僕が匂いを嗅ぎつけた磁場に、必ず先回りして、そこにいるのだ。 『十八番街のジンタ』という今回の物語の舞台がオキナワだということは、少し勘がいい人なら、わかるだろう。この物語を読むときのBGMは、ぜひ、オキナワ・ミュージックにしていただきたい。 最後に、この物語は、阪神・淡路大震災のときに長田の人たちのお世話をしている過程で知り合った金武はつオバァと、大阪は西のアジアン・エリアである大正で民謡酒場を営む比嘉修さんの助言がなければ完成することはなかった。深く感謝したい。 |
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