反対意見は、ある。
ネットもいろいろな意味で日本の民主主義を変えてきたと思う。
ただの集団ヒステリーのようなものを煽り「炎上」などという現象を現出させている今でも「マスコミはおかしい」「自分の意見はマスコミが言うものと違う」ということを「言ってもいいのだ」と、ちゃんと認識して、少数意見でも声を大きくして言う人が増えた。
もともと、ネットはそういう道具だったし、これからもそういう道具であり続けてほしいと思う。
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ところで、
先日のこの記事。
この記事をmixiの日記にも書いた。不特定対数の目になるべく触れるよう、そのニュースにリンクされている日記に書いたところ、5件ほどコメントを書き込んでくれた人がいた。
そのうち2件は「私の言うことに反対」の人。
2件は「賛成」の人。そして、残る1件は「賛成だがしかたがない」というもの。とりあえず、これも「賛成」の票に入れておいていいだろう。
これは表に出たものだけだが、そうではない、私に直接来たメールもある。
この数と内容は明かすことはしないが、わざわざメールをくれる人も、やはり賛成と反対の数を比べれば、「賛成」のほうが多かった。いずれも「よく言ってくれた」というものだった。
おそらく、マスコミの論調が「炎上」に沿ったバッシングになっていて、その根拠がどこか変だ、と薄々思っている人たちが実はとても多く、その人たちが私の意見に賛成してくれたのだと思う。
「KY」などという単語が流行し、他人と違う意見は言いにくい、という世の中になったと同時に、それに対して「おかしい」と言える場所もまた整備されてきたのが今の世の中だ。
マスコミの中には、こういう意見を最後に書いてあるものもある。これはZAKZAKからの配信で、mixiニュースに書いてあったものだ。
「倖田はいわば、元気のいい“世間知らずのお姉ちゃん”だし、オールナイトニッポンは本来、やりたい放題が人気を集めた番組。かつてはビートたけしの毒 舌などがウケた。なのに、今は文化人でもない倖田がここまで叩かれる。自由な発言ができなくなる“言論統制”のこわさも感じますね」
また、日刊ゲンダイでは、
こういった記事もある。
「35歳以上では羊水が腐る」というのは、「当たらすとも遠からず」という内容だ。
しかし、単なる大阪のオネェチャンである彼女には、「羊水混濁の確率が増える」なんて正確な言い方はもちろんできなかったに違いない。はしょって、略して、わかりやすく聞いて、わかりやすく言ってしまった、というのは、しょうがないのでははいだろうか?
常識とか、論理的な思考とか、そういうことをちゃんと持っている人だけではなく、世の中の体勢=空気を読みつつ、その空気に違和感を感じたときは、流されずにちゃんと意見を言おう、という人たちも、また増えている。
ネットは「炎上」のような、誰でも参加できる集団ヒステリーとも呼べるような現象を日常化した。
でも、一方では深く静かに、マスコミなどに流されず、自らの感性と自らの論理を信じて生きている人にもまた、公に向かって意見を言う場を与えた。
このネットの世の中ので、本当に大切なことは、きっとそういうことなのだ。
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