人を馬鹿にする、というのは、楽しい。
と、いうようなことを匿名でやれるから、もっと楽しい。
だって、バカにされたやつは反論できないだろ。
言いたい放題やって、それで相手を傷つけ、そして、自分は傷つかない。
こんなおもしろいこと、やめられるかね?
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というような、まぁ、人間的にもどうかと思うよね、という人がネットでは増えてきた。
というよりも、ネットの仕組み全体として、どうしても「署名入り」の発言ではない発言もできるようになっているから、どうしても、こういう人は増える。
かといって、匿名を完全にシャットアウトすると、当然のことながら、人は本音を言わなくなってしまう。いや、それでもこれまでこの社会は機能してきたんだから、それでもいい、と言う人は年配の人に多い。
ただ、こういう「遊び」を覚えてしまった子供たちは、言ってみればその「遊び場」を奪われることになるから、そりゃ、反対するよね。それも、物理年齢はいい大人なのに、精神年齢が低くて子供に近い人間ほど、ああでもない、こうでもない、と大人の理屈をこねくり回して反対する。まぁ、これはしょうがないといえばしょうがないことかも知れない。
日本の社会で公に「匿名の場」が、本人確認ができないかたちで作られたのは、ネットの出現と広がりが本当に初めてかも知れない。これは社会現象を読み解くキーワードとしてとても面白い「タネ」だが、もともとネガティブな抑圧の要素をたぶんに含んでいた日本の社会では、そこは「はきだめ」みたいになってしまうことがあるのは、ある意味しょうがないかも知れない。もちろん、匿名の場所全部がそうだ、とは言わないけれども。
若く、エネルギーがあまっている人間がポジティブに世の中を捉えることができ、その社会が抑圧も少なく、みなが「肯定できる社会」であれば、その場が匿名であるかないかはあまり関係ないだろう。
貧しくても、参加の権利があり、議論を自由にたたかわすことができ、多くの人がお互いを認め合い、社会的に行われる陰湿な抑圧が少ない社会においては、匿名による過剰な揶揄の言葉を使った誹謗中傷などは、ありえない。
ネットが問題なのでもなく、匿名・実名が問題なのでもない。
本当の問題は、このような論争を産んでしまう社会を成り立たせている「見えないテロル」による、抑圧の仕組みだ。
ネットなんてのは、特殊でもなんでもない。
この時代の「言論の道具の1つ」であるに過ぎない。
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