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 2008年2月 4日(月) 22:26 JST

「倖田來未」の発言は?

  • 2008年2月 4日(月) 08:32 JST
  • 投稿者:
    Admin
今日の話題

だいぶ前から、PCとかインターネットでの「ストーカー」みたいな行為がどこでも目に付くようになった。今度の倖田來未の「腐った羊水」発言に対するネット上のバッシングなんかは、どうもそういう「常識はずれ」のような気がしてならない。

聴取者はそれなりにいるラジオでの発言だが、なにも倖田來未に限らず、大阪のおねえちゃんはこのくらい過激なことは、ヨタ話で平気で言う。実際、彼女の発言はラジオのトーク番組だ。誰も問題にしなければ、そのまま済んだことだと思う。

トーク番組なんてのは、要するに「ヨタ話」がほとんどだし、それを倖田來未のようなタレントが言ったところで、たいした問題ではない。彼女は女性ではあるが産婦人科の専門の先生ではない。

もし、産婦人科の専門の先生が同じことをラジオで言ったら「おなじことを言うにも、もう少し発言を気をつけろ」という話は、あってもいいと思う。でも、名前の売れているタレントだとか歌手のヨタ話と最初からわかっている発言を針小棒大に取り上げてバッシングのサカナにする、なんてのは、あまりに大人気ない。

そういう取り上げ方なら、むしろ倖田來未なんかよりも、大学のセンセイの肩書きで「ゲーム脳」なんてことばをさも本当にあることであるかのように言い、ニセの科学的裏付けまで作って、あれこれこねくりまわし、商売のタネにした某大学のセンセイのほうが、はるかに悪質だろう。

人と人とのコミュニケーションにもいろいろなものがある。そして、いろいろな背景を持った人がいる。いろいろな場面がある。その「あらゆる場面で」「あらゆる発言を」問題なく行う、なんてのは、1人の人間のキャパシティをはるかに超えている。

だからこそ、世の中には専門家がいるわけだが、その専門さえ、最近は先鋭化している。ITの専門家といっても、いまやデータベースの専門家もいれば、ゲームの専門家もいる。さまざまな分野での専門家がなんとか連携を保ってITという業界を作っている。これはどんな業界でも事情はそう変わらないはずだ。

だから現実の社会では「失言」「間違い」なんてのは、当たり前に多いはずだ。つまり、専門の中でも、専門の外でも、失言、間違いは当たり前にある。専門の中のほうが、間違いが少ない、と言う程度のことだ。

ただし、多くの人の手を経て十分に考えられたはずの「論文」などに間違いがあれば、それはお詫びして直すしかない。どんなに厳重にしても、間違いは起こるし、そのときは間違っていない、と思っても、後で間違いが判明することもある。

日本人研究者として、世界的に稀有の業績を残したといわれる野口英世なども、ちょうど微生物の研究の中心が顕微鏡で見える「細菌」から、電子顕微鏡でなければ見えない「ウィルス」に移る直前、という悪いタイミングでもあったため、その業績の多くの部分に「間違い」がある、というのはいまや常識だ。そして、彼自身、その「ウィルス」で死んだ。専門の分野でさえ、こういうことがおきる。

ましてや、大阪のおねぇちゃんの軽口くらいで、こういうことが始まり、本人がダメージを受けるということになれば、誰も彼も「なにも言わないほうが得だ」ということになってしまうだろう。間違いはあろうと、言いたいことが言える社会は大切だ。そのためにも、それが「大阪のおねえちゃんの軽口」か、それとも「専門家がそれなりの研究をした結果」なのか、くらいの判断はつけてほしいものだ、と思うのだ。

「倖田來未の言ったこと」に「大きく傷ついた」という人だっているかも知れないけれど、それが専門家が言ったことでない、ということであれば、不愉快にはなるけれども、聞き流してもかまわないものでしかない、ということくらい、誰にでもわかるはずだ。

このまま、こういった「バッシング」が野放しにされることが続き、多勢に無勢の、集団ヒステリーさながらの「ことばの暴力」がまかり通らないよう、倖田來未さん自身も、しっかりと反論する必要があると思うのは、私だけではあるまい。

こんなことが続けば、誰にとっても、この社会がどんなに住みにくいものになるか、ちゃんと考えてほしいと思う。

いま、世の中には欲求不満がたまっている。だれでも、名前の知られている人、良い思いをしていると思える人には、なにかと理由をつけて、バッシングの正当性を叫びつつ、結果としては愚にもつかないバッシングを引き起こして、溜飲を下げる、なんてことを趣味にしている人間はいっぱいいる。

だから、そういう人間にはひっかかりたくはないが、ひっかかってしまったら、あとは常識をちゃんと知る、バランスのとれた人間は黙るしかない、というこの現状は、いくらなんでもひどすぎる。

学校の教育、家庭の教育。それがまともなものであったのかどうか。それが本当に試されるのは、こういうことがおきたときの態度で、ある程度はわかるような気がする。

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