創友会だより


創価教育同窓の集いを開催

池田記念講堂 中央体育館

 全国、世界各地から母校に帰ってきた卒業生。今回の総会には、創友会1〜10期、通教創友会1〜5期など、創価教育同窓の5万人の卒業生のうち、1万2千人が集った。
 中央体育館をメイン会場として、総会の第1部では6期卒業の星野康二さんの活動報告、羽吹アメリカ創価大学学長から明年開学するオレンジ郡キャンパスの紹介、正木創友会委員長のあいさつがあった。
 池田記念講堂での第2部では、創立者に対するモンゴル文学大学名誉学長称号の授与式が挙行され、モンゴル文学大学ツェンドアヨーシ学長の授賞の辞、証書ならびに記念品の授与に続き、創立者から謝辞が述べられた。
 その後、中央体育館に会場を移して、ツェンドアヨーシ学長への「創価大学最高栄誉賞」「創価同窓友誼之賞」授与などが行なわれ、最後に全員で学生歌を斉唱し、終了した。



創友会委員長 あいさつ

正木 正明

正木 正明委員長  あまりにも懐かしき草創の友が、一堂に会しての創価教育同窓2000年総会の開催、誠におめでとうございます。
 創立者池田先生は、本日を万感の思いで待ってくださっておりました。
 本年に入り、我が創価同窓に対する長編詩「滝山城址に立ちて」「大空を見つめて」をはじめ、随筆「新・人間革命」にも3度にわたって執筆をされました。これ以上の感激はありません。
 そこで、2編の長編詩と随筆「新・人間革命」3編を1冊の詩集とし、更に長編詩2編の朗読CDを作成し、全卒業生に記念としてお送りさせていただきます。
 さらに喜ばしいことに本日の総会は、創立者池田先生に対し、海外の大学からの85番目の称号となる「モンゴル文学大学名誉学長称号」の授与式であります。あまりにも偉大な創立者のご功績に対し、心より感謝とお祝いの拍手をお送りしたいと思います。
 今や創価の学舎を巣立った卒業生は5万人を超え、日本、世界のあらゆる分野で一人ひとりが創価の精神を体して活躍しております。
 創価教育の今日までの歩みは、学生、卒業生、教職員が一丸となって、創価の精神に学び、その構想を実現せんとする師弟一体の歩みにあったことは言うまでもありません。
 この一点こそ世界に類例をみない創価教育の原点であります。本日の総会を機に、「創立者の精神を万代に伝え、その構想を実現することこそ、創価大学、創価学園の根本的使命である」ことを全員の総意をもって確認しあいたいと思います。
 次に、母校を守り、支えていく私共の活動について申し上げます。
 昨年の総会で申し上げた通り、第1に我々一人ひとりが社会で実証を示し、創価教育の評価を高め、後輩の道を開くことであり、第2には母校に優秀な後継者、人材を送りこむこと、第3には財政的支援の3点に集約されます。
 特に3点目の財政的支援については、現在推進しております「創友会母校創立30周年寄付事業」に対して多くの皆様のご協力を賜りました。今日まで真心の参加をいただきました皆様に対し、心より御礼申し上げます。特に、会友会の皆様には大変なご尽力をいただきました。本日代表の皆様がみえておられますが、この席をおかりして心より御礼申し上げます。皆さん、本当にありがとうございました。
 この寄付事業は、明年3月まで受け付けておりますが、その締め切りの時点で、ご参加いただいた皆様全員のお名前を銘板にとどめ、長く顕彰してまいりますので宜しくお願い申し上げます。
 ともあれ、「創価の学舎は、わが同窓が永遠に守り、支える」との誓いを、ともどもに確認しあいたいと思います。
 最後に、我が創価教育の学舎は、設立の母体となった無名の庶民の皆様の真心に支えられているという感謝を、絶対に忘れてはならないということであります。
 世界の平和と民衆の幸福のため、この創価の学び舎から、民衆のリーダーが陸続と輩出される、その一点の期待をもって、何百万の庶民の皆様が支えてくださいました。
 私共は、その期待に応えるべく、いついかなる時代になろうとも創価教育同窓のスクラムも固く、第三の千年へ怒濤の前進を開始していこうではありませんか。



活動報告

星野 康二 (文学部6期)

星野 康二さん  英文学科6期の星野康二です。「卒業後、アメリカへ渡った星野はその後どうしてしまったのか」と、同窓の友にご心配をおかけした時期もありましたが、本年4月1日付けで、ディズニーカンパニーの日本法人である「ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン株式会社」代表取締役社長に就任し、母校に帰ってまいりました。この会社は、従来、映画、テレビ放映、ビデオ、ライセンス管理等ディズニーの法人が事業別であったものを統合したものです。昭和55年、創立者に対する、不当な非難・中傷の嵐が吹き荒れる中、「必ずや創立者の偉大さを証明してみせる! 国際社会で戦える力ある人材に成長しよう!」と誓い、このキャンパスを巣立ってから20年。創立者池田先生、そして創価同窓の皆さんに、勝利の報告をさせていただけることは、最高の誉れです。
 20年前、創大を卒業した私は、アメリカの大学院進学を決意しましたが、ハーバード、コロンビア、スタンフォードと相次いで不合格。やっとニューヨーク州立大学に合格したものの、資金不足に悩みました。創大在学中も奨学金と、札幌の母の仕送りに支えられていましたが、私には渡米にこだわる理由がありました。それは、創大4年の時、漠然とした思いの中で応募したアリゾナ大学の第1回交換留学生に選ばれ、思いがけず創立者に握手をしてもらい、「偉くなるよ」と、激励していただいたことです。どうしてもアメリカで実証を示したいと決意できた時でした。
 何とかアルバイトで渡米資金を工面し、アメリカに渡ってからも生活費を切り詰め、冬は零下20度になる宿舎で、夕飯替わりのプリッツの塩味を噛みしめながら5時間、6時間と勉強しました。しかし、ゼミのレポートは書き直しの連続、成績も落第すれすれのCやDばかり。その揚げ句、校医から栄養失調と診断される始末でした。挫けそうになるたびに創立者の著書を読み返しました。アメリカSGIの大野俊三さんも片道4時間かけて来られ、創大生頑張れと励まして下さいました。
 創大の英語研究会の後輩からも日本から励ましの手紙が届きました。創大8期で関西学園3期の、その後輩が実は私の妻です。地道な努力の結果、少しづつ状況は好転し、無事に大学院を修了し、MBAを取得することができました。
 しかし、日本に戻って結婚式を挙げた時、私はまだ無職の状況でした。その後やっとのことで電気メーカーに就職。長男も生まれ、あらためて米国に駐在する事となり、ロサンゼルスに単身赴任となっている間に、今度は、その妻が子宮ガンとの宣告を受けました。太平洋を挟んで励まし続ける中、妻は見事にガンを克服し家族そろってアメリカでの生活にのぞめるようになったのです。
 それから3年が経ち、33歳の時、「ディズニーが日本でビデオの会社を興すので入らないか」とヘッドハントを受けました。新しい条件では給料は半減し、成功も収めず帰国するのは負けの姿では、と悩みましたが誓いを果たすのに場所の違いは二の次だ、新たなスタートに全力を尽くそうと帰国を決断しました。
 新しい会社は実力本位の外資系だけあって、業績にはとてもドライで短期間に何人もの人が解雇され、退職していきました。そこで役立ったのが「人の中に飛び込む事をいとわない創大生カラー」でした。誰よりも積極的に現場に足を運び、多少の衝突もすべてプラス思考で体当りしていく中、マネージャーからディレクター、宣伝・営業の統括代理・支配人代理と短期間にポストが上がりました。さらに、「美女と野獣」「アラジン」などのディズニー作品のビデオ化が大成功を収め、その業績は高く評価され、入社わずか6年で日本人として史上最年少で、アメリカディズニー本社の副社長に抜擢されたのでした。また、誰もが無理だろうと考えた「宮崎駿アニメ」の配給契約も粘り強い交渉の結果、締結。「もののけ姫」では日本のビデオ販売の記録を大幅に塗り替えました。
 3年前、創立者へ少しでも恩返ししたいと思い母校へ寄付をさせていただいたところ、ささやかな金額にもかかわらず、「星野基金」と命名していただき、感激すると同時に、生涯母校を応援し続けようと決意しております。現在、一人息子は関西創価中学2年生、金星寮生としてのびのび、はつらつと挑戦の日々を送っています。これからも、ともに創価同窓の“幸福一家”として、後継の大道を歩み、21世紀の国際ビジネスの舞台で母校の勝利に貢献してまいります。



参加者の声

経済学部 10期 李 誠

 1984年春、創大卒業後に韓国へ渡り、昨年より弘益大学で教鞭をとっています。
 少年時代、ある先輩から21世紀には何になりたい、と聞かれた時、迷わず「母国のために尽くしたい」と答えたことを思い出します。あれから30年近くの歳月が流れました。紆余曲折・悪戦苦闘の人生でした。しかし、負けじ魂で今もその誓いを追いかけています。
 そして、この5月5日、創価の同窓生として創立者池田先生のもとに集い合えた喜びは何ものにも替え難いものでした。どれほどこの日を待ちわびたことでしょう。また、ともに大学建設にかけた友との喜びの再会も忘れられません。それぞれの人生模様、何も語らずとも目と目でわかり合えます。「共に頑張ろう」、互いの顔には創価教育の正義を勝ち取るための新たな「誓い」がありました。これからも、自分史を飾りゆくために、新たな大闘争を開始します。



三重県総支部長
経営学部 7期 薮下 恭輔

 五月晴れの母校のキャンパスは、まさに「紅(くれない)群れ咲く つつじの丘を」の創価大学学生歌の一節を思わせました。懐かしいあの顔も、この顔も、みんな晴れ晴れと歓喜に満ちあふれていました。
 第7期生として参加した「創価教育同窓の集い」は、生涯、忘れ得ぬ一日となりました。さらにこの日を意義深くしたのは、創立者の「モンゴル文学大学名誉学長」の就任でした。
 世界から称賛、顕彰が相次ぐ偉大な創立者が築かれた大学で、掛け替えのない青春時代を送り、生涯にわたって卒業生として生きることができる――。あらためて、その幸せを実感しました。授与式での謝辞で、創立者はドイツの印象派詩人の一節を通し語られました。その中の「心に太陽を持て」との言葉が心に響きました。
 「創価教育」の舞台が全世界に広がる今、創立者とともに、その開拓者として歩んでいこうと、深く決意を固めました。
 創価の学びやを巣立ってから、さまざまなことがありました。苦しい時、悲しい時、いつも自分を支えたのは、入学式での「原点」についての創立者の講演であり、卒業の時に記した「生涯一創大生でありたい」との誓いでした。
 来年5月、いよいよアメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスが開学します。その日を楽しみに、私も地域で、職場で着実に実証を示し、「生涯一創大生」として真の人生の勝利者を目指してまいります。



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