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│<< 前へ │一覧 |2008.01.31
沢山の書き込みありがとうございましたm(__)m。
色々、参考になりました。 まず、キングコングの西野に関しては、「プロの芸人」と思っていた私が間違えていた様です。私は、これから「素人の人がテレビに出てる」と思うことにします。 彼に、沢山のことを要求しても無理そうですもね。酔っ払ったお客様を帰すにしても、「出て行けボケ」、「早よ出て行け、ドアホ」と、この様なボキャブラリーしか持ち合わせていない人に、プロはいないでしょう。 さて、母の件で沢山のご意見を頂戴いたしました。 まず、母をそれまで3箇所の病院に連れていきました。救急に行ったのは、3箇所目の病院に行ってる最中です。その救急で行った病院は、私のかかりつけの病院で、持病を持つ私の主治医がいて、とても信頼の出来る人だったからです。 3箇所目の病院で処方されてた薬を飲み始めたら、少し震える様になりました。 その時の、母の主治医に「少し震えているけど大丈夫ですか?」「全然、体重も増えないのですけど」と相談しました。すると、満面の笑みで「お薬が効くには少し時間がかかりますからね(^^)。大丈夫ですよ」と言われました。 病院は、2時間待って診察3分と言うところです。そんな体力は母にももう残っていませんでした。 結局、後で分ったことですが、3箇所目の病院で処方された薬は、年寄りにはきつい薬で、その薬を飲み続けていたら、パーキンソン病を誘発する薬だったそうです。 救急に行ったのは、土曜日の休日です。「夜間」とは一言も書いておりません。 電話回線の件ですが、私も救急車で何度もお世話になた事があるので、救急の回線が何本もあるのは知っておりました。救急の場所には、看護師さんだけでも常時5〜6人はいらっしゃる大きな病院です。だいたい救急の病院と言うのは、電話回線が話中にはならないと思いますけど…。私が救急車で搬送された時にも、その間、私の情報や具合などかなり詳しく電話で話していて、長い時間でした。その間に回線は独占されてしまうとは思えません。救急なんだし…。 その時も、後からくる救急の患者さんを優先されたので、病院に着いたのが午後2時、診察を受けられたのが午後6時で、4時間待ちました。ただ、簡易ベッドに寝かせてもらえて、待つことが出来たし、いつ何があってもここは病院だと思う心強さもありました。6時から診察が始まり、血液検査の結果が出たのが、1時間半後でした。 レントゲン、血液検査をした後に、「異常がないから帰れ」と言う医師に、必死に頭を下げ、 「とにかく今は食べる体力もないので、点滴だけでもして下さい。少しだけ入院させて頂いて、点滴で様子を見て下さい。お金はいくらかかってもいいです。」と何べんも頭を下げました。 医師は「大部屋は空いてないから、個室になる」と言われました。後に入院の手続きをした時に知ったのですが、1泊1万5千円でした。ちょっとしたホテルよりもいいお値段。けど、そんなの問題ではないです。もし、どんなにお金がかかろうが、家を売ってでも命を優先するでしょう。それは、どのご家族も同じ思いだと思います。翌日に着替えを持って母の個室に向う時に、大部屋の前を通ったら、部屋にネームプレートもない、沢山の空ベッドがありました。 その時の救急の医師が母に、「どうする?入院する?」と聞くと、それまで入院したことのない母は、大声で泣きました。車椅子に座り、「いやだ!いやだ!うちに帰る!」と泣き叫ぶ母の姿は、今でもはっきりと映像として浮かびます。母と言うより、亡くなった祖母みたいでした。けれど、3箇所の病院に通っても治らない…どんどん衰弱していく…そんなご家族がいたら、書き込みをされた方、どうされますか? 家に連れ帰って、口を無理やり押し開けて、お粥でもなんでも突っ込みますか? もしそれで治るなら、この世に「拒食症」と言う病気は存在しないでしょうね。 私は、母は「拒食症で」と書きました。ただ痩せてしまっただけなら、胃がんかもしれないし、他の病気も考えられるでしょう。しかし、医師の診断を受けているから、「拒食症」なんです。放っておいた訳ではありません。 母は、退院後体重は増えたものの、ただ食べて寝る生活をしております。一切の事は、私がやる様になりました。夕方5時に私が階下に降りて、食事の支度を始めないと、階段をゆっくりあがってきます。そして、「今日、ご飯何にするの?」と聞きます。それは、私が寝ずに仕事をいていようが、私が風邪を引いて熱が38.4度あっても、毎日同じです。自分が食べたいのではありません。父や兄の夕飯を気にしているのです。それなら、私の事も考えほしいと思うことも多々あります。 生活に必要な買い物もしません。家の外、半径50メートルくらいしか出歩きません。 「肌着が欲しいんだけど…。あまり厚い生地じゃなくて、温かいやつ」 そういうので、遠赤外線と言うを買ってきました。「全然、温かくない」と言って着ません。栄養があるから…と、色々料理を頑張ってみても、嫌いな物は食べません。ほとんどが入れ歯なので、少しでも固いものも食べられません。 でも、それでも母です。私を生んで育ててくれた母なんです。私の友達から良い事を聞きました。「自分達が幼いころ、オムツを替えてミルクを飲ませてくれたお返しを、これからするんだよね」って。この言葉に助けられました。 今は、信頼できる医師と出会い、お薬も母に合ってるみたいです。月に1度、母の様子をその医師と話します。2時間前に言った事を忘れている…と言うこともありますが、それは、「忘れて」しまうのであって、「覚えていない」のではないから、年相応として問題ないとの事でした。 私も、疲れや苛立ちなどで、眠れなくなったり、叫びたくなったりと毎日色々です。身体が強くないだけに、「もし私が死んだらどうなるんだろう」と考えると、涙が出る夜もあります。母は何もしないでしょうから、全ての事を、一度、脳梗塞の経験のある父がするのかと思うと、たまらない気持ちになります。 こんな風に、見ず知らずの方にお返事するのも、ばかばかしいとは思いますが、このBlogは個人の日記帳みたいなもので、特に見ず知らずの方に見て頂きたいとは思っていませんし(もちろん、web上に載せてる以上は、見るなとは申しませんが)、コメントや書き込みをして欲しいとも思っていませんので、コメント/書き込みを禁止にさせて頂きました。 なお、この日記は、数日したら削除します。
Last updated
2008.01.31 18:16:54
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