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【萬物相】ノーベル賞

 2001年にノーベル物理学賞を受賞したカール・ワイマン、ヴォルフガング・ケターレ、エリック・コーネルは、いずれもマサチューセッツ工科大学(MIT)のディビッド・プリチャード教授に縁のある人物だ。ケターレはプリチャード教授の下でポストドクター(博士研究員)課程を経験し、コーネルは学部生時代を過ごし、ワイマンも2年間研究チームに所属していた。

 ノーベル賞受賞者の大半はノーベル賞をすでに受賞した科学者に学んだり、共同研究者として仕事をしたことがあるという分析もある。そのためノーベル賞自然科学部門の受賞者は、特定の国家や大学、研究所の出身者に偏る傾向がある。1901年から2006年までに同分野のノーベル賞受賞者を輩出した国は計27カ国だ。その中でも米国が受賞者516人のうち226人を占めてほかを圧倒している。2位以下はイギリスが26人、ドイツが65人、フランスが27人と続いている。大学別ではハーバード大、MIT、カリフォルニア工科大、スタンフォード大といった大学が10人以上の受賞者を輩出している。

 一方、アジアでは日本がトップとなる9人の受賞者を輩出している。そして中国から2人、インドとパキスタンから1人ずつ受賞者が出ている。出身地を基準に見れば、韓国からも受賞者が出ている。1987年に化学賞を受賞したチャールズ・ペダーセンは1904年に釜山で生まれた。ノルウェー人の航海技師だった父が一時釜山税関に勤務していたためだった。母は韓国で豆や蚕の貿易に携わっていた日本人一家の娘だった。ペダーセンはその後も、平安道の雲山鉱山に機械技師として赴任した父に連れられ、8歳まで韓国で生活した。

 1949年に日本人として最初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹は、敗戦に打ちひしがれていた日本国民を再度奮起させる希望の光となった。日本が世界第2位の経済大国に発展したのには、幼いころから湯川秀樹にあこがれた科学技術者らの力も大きかった。ノーベル賞は個人に与えられる名誉というだけでなく、国家のプライドを押し上げ、国民を奮起させる契機ともなるのだ。

 1879年に医師の池錫永(チ・ソギョン)が種痘を紹介したのをきっかけに韓国に近代科学技術が導入され始めてから、すでに130年近くが過ぎた。現在韓国の経済規模は世界第12位にまで上り詰めたが、いまだ自然科学分野のノーベル賞を期待できる段階にはほど遠い。後発国として先進国の科学技術をなぞるのに精一杯で、基礎学問への投資を疎かにしてきたためだ。

 今や独自の科学技術を確保しなければ、国際化した世界の中で生き残っていくのは難しい時代となった。政府はもちろん、企業も基礎科学分野への投資に目を向けるべき時だ。今年もノーベル賞受賞者の発表に注目が集まる時期がやって来た。韓国にも受賞の喜びに包まれる日がやって来ることを願いたい。

キム・ギチョン論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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