先日の、北朝鮮に先制攻撃?ハァ?という記事に、今なおアツい議論が交わされております。興味のある方はどうぞごらん下さい。
・・・・・。
「そのタイトル、エンタの神様の摩邪をイメージしたんですか?」などといったコメントは、ありませんでした・・・
アホ話は置いといて。
やりとりの中で、思ったことがありました。
いただいたコメントから。
>税金を払わない人にまで(保障が)回らなくて当たり前です。
>国民の義務を果たしていないやつらを支援する必要はないです。
>何もしなくても国が守ってくれるから働かなくてもいいやって国民全員が思ったら、誰が税金を払うのでしょうか??
生活保護を受けられている方は、「働くより楽でいいや」なんて考えているでしょうか?
一部はそういう人もいるかもしれません。
ですが、大部分は、働きたい思いをもっていると思います。
思いをもっていないとしても、体をこわしていたり、自信を失っていたり、あきらめていたり、屈折していたりという人が大半ではないでしょうか。
本来、働くことほど人間らしいことは無い。社会の役に立つことは人間として喜びだと思います。
しかし、今の日本社会における働き方は、あまりに過酷だったり社会的に問題があったりするので、その喜びから遠ざけられています。
その中で、「働かざるものに罰を」の思想が生まれていると思うのです。
成果主義賃金もそうです。
仕事できない人に減給するより、もっと仕事にやりがいが持てるような職場、会社にしていく取り組みの方が、どんなに素敵でしょうか。
人間は、厳しくしないといくらでも楽をしようとする存在ではない。
むしろ働きがい、生きがいが得られるなら、自ら一生懸命働く存在だ。
日本共産党の主張の根底には、人間という存在への信頼があると思うのです。あるいは「信じたい」という思いです。
正しいかどうかは置いといたとしても、そう考える方が絶対前向きだし、運動もやりがいがあると思いませんか?
ていうか、そうでない方向の政治家というのは、何のためにやっているのだろう。
「人間はほっておくとどんどん怠けるから罰や競争が必要」なんて言いながら、どんどん弱肉強食の社会をつくっていく。どこに喜びがありますか?
それが議員なら、わざわざ4年ごとに失業かもという危険を冒してまでやりたくありません。自分に利益があるのなら別ですがね。
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昨日のNHKのワーキングプアの番組で、妻が寝たきりで入院させている老齢の自営業者が、介護保険の値上げなどで減免措置を受けざるを得なくなるんですが、そのために妻のために取っていた100万円の葬儀代の貯金を放棄しなければならなくなります。
100円の缶詰で毎日をしのいでいるような人が、「妻の葬儀くらいはちゃんとだしてやりたい」というのは、人間として最後の尊厳といえると思います。その尊厳を放棄させないと、老夫婦は生きていくことができないわけです。
楽だから生活保護をうけてる・・・・なんて平気で生活保護の受給者一般を攻撃する輩は最低です。
おっはー議員は読みたくないそうです。
真実に目をつぶるのね。
働きたくても仕事がない(東京には求人がありあまってますが)人や家庭の事情や障害等で働けない人にはより手厚く、若年層の勤労意欲のないひと(実態としてこれも相当数います)は職業訓練しないと出さない等を考えて行く必要があるとおもいます。
また、成果主義というのは企業と個人とが対等に近い関係で雇用する一つの形であってすべてが「悪」という事ではありません。
すべてではありませんが会社は高校野球のチームみたいな形のないモノであって選手が社員です。そこにはレギュラーと補欠とベンチ入りと応援にまわる人がいてチームの規模が大きくなれば設備も良くなって知名度が上がり、より多くの部員を抱えて(雇用)地域に貢献(納税)します。良い成績を上げた人がレギュラーになるのは悪い事ではありませんし、その中には競争があります。
当然、評価の公平性維持の努力は必要ですし成果主義にかこつけて社員を解雇するのは非難に値しますが成果主義そのものはやり方の一つであり、これも運用する側の問題なのです。
6区の矢口候補みたいに、いったん当選した市議の議席を4年で手放してでも、勝ち目のうすい府会や国会の候補者でがんばってる人もいるよ。(ほかにおらんのか…)
労働意欲がない青年は、なぜ無いのでしょうか??
働くことがあまりに苦しみをともなうというのは、自然現象ではない、自明のことではないと思うのです。
そこへの目線は常に失ってはいけないと思います。
生活保護行政では、無職なら求職してないと保護しないなど規定があったと思います。もちろん抜け穴もあるのでしょうが・・
成果主義賃金が、会社と個人が対等なんてとんでもないです。評価する側、される側です。それも、営業成績グラフのような誰にも自明な評価基準が設定されるような職種は非常に少ないはずです。
それに、みんなが頑張っても、結局総賃金は同じか下がります。パイの奪い合いから、チームワークは生まれません。
市役所で導入しようとしていますが、「みんなが良好なら補正予算を組むのか」と問いたいです。
>愛穀者さん
べつに失業したくないと言ってるんではないんですが・・
税金を払わない人には保障がまわらなくて当たり前という
意見は、
経済的な活動と労働をはき違えてると思います。
毎日ちゃんと働いて、それでも食費にさえも困るひとがいるのです。
それは、彼らの解決すべき問題ではなく、
社会の欠陥である、と思います。
また、個人としても死にものぐるいで働いている人と適当にやっている人の差がない事が良いというなら株式会社以外を選択すべきです。
「人間は、厳しくしないといくらでも楽をしようとする存在ではない。」という考え方は私も同じですが、残念ながら異なる考えを持つ人もいるのです。
もちろん成果の差がつきにくい仕事(内勤の仕事)に成果主義は不要ですし、大半の会社は管理職以上の話です。
ちなみに営業のような仕事が少ないと思うのは失礼ながら「社会」を知らなすぎます。
どこぞの天下り団体ならいざしらずどんな会社にも営業は存在する職種です。赤旗新聞だって新聞広告はボランティアじゃないでしょう。(前衛も広告取るのが大変)それに自営業は成果主義しかないのです。
給与原資についても同じか下がるというのも思いこみです。会社の経常利益に対して賞与の原資の割合を決めている会社もあります。
これは論点がいささか違いますが、どんな制度も良い点と悪い点が混在していて「資本主義」「共産主義」を語る際にどっちが必ず良いというものではなく運用(政)の問題と運用する側を監視(権力を牽制するジャーナリズム)する機能と誤った方向に進んだ際に民主的に方向性を決定できる安全装置を持つことが大切なのです。
私自身は民主的で平和な国であれば「主義」などどうでも良いと思います。主義など関係なく良いと思う国とそうでない国があるからです。
現在の日本の中で本来権力を牽制すべきジャーナリズム(マスコミ)が機能しなくなって安全装置(日本共産党)の重要性が増しています。私は安全装置(特に平和に対して)としての日本共産党支持者であり日本共産党の主義主張のすべてが現実的とは思っていません。
働いても食べていけないのであればもっと働けばいいと思います。
実際、法律というものは、知っていると得をするものであって、救済するために出来ていないと思います。では法律以外に困っている人を救済する・・・生活保護では無理ですね。
理想はあっていいと思いますが現実に向き合って、生活しないといきていけませんよね。
おっはーさんは公務員を五年されていたということですがどのような職種だったのか、気になります。市民に向かい合う職種であれば、現実を理解できるのでは?と思いますが。
>働いても食べていけないのであればもっと働けばいいと思います。
働きたくても働けない人達が社会にいるのをご存知ないですか?たしかに不正受給の件は正した方がいいと僕も思いますが、だから根こそぎ切り捨てるんだという考えには大きな疑問をもちますね。弱者に優しくない国に愛国心を持てってのもおかしな話しですよね。
人間、一寸先は闇。
>働いても食べていけないのであればもっと働けばいいと思います。
いつ自分がこの台詞を言う側から、言われる側に移るかは分かりませんよ。
税金を軍事に湯水のように使って、社会保障が薄い国なんて、どっかの国の様で嫌ですね〜。
弱者を救済するのが社会保障。
強者は一人勝ちを目指すのではなく、より多くの福祉の精神(これが難しいから累進課税だと思うのですが)が必要なのだと思います。
現在の銀行金利も金持ちほど優遇されていますが、公共性のある銀行は、収入の少ない世帯にはより少ない金利で貸して、貯蓄の多い企業や世帯ほど貸し出しの金利を上げて預金金利を減らすようなことをすべきだと自分は思います。そんな銀行なら税金(公的資金)で救ってやる価値が多少はあるでしょう。
大事なコメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、共産党が良心とか、弱者の立場とか、平和の希求とかで、なくてはならぬ役割を担っていると思います。
だからこそ、こんな角度で主張をしているのです。
共産党だって、野党のときと与党のときではたぶん変わってきます。
野党のときは、結果に全責任を負うような政策提案よりも、今の与党側の政策で根本をただしたり、良い方向に切り替えるような角度での追及型の政策になると思うのです。
成果主義賃金は労働者間に不団結をもたらす制度であり、批判的立場でないと、労働者のくらしは全体としては守れないと思っています。
いくら会社が「がんばった人には多く与える」と言ったところで、会社の業績が厳しくなれば、「がんばった人」の分も切り下げられます。
労働者は団結によってたたかってこそ、賃上げや改善を勝ちとれると思います。会社の利益の動向に左右されるのではなく。
成果主義賃金は、「成果」であり、がんばったかどうかとはイコールではありません。
営業職が多いのは承知していますが、営業職とて、すべてがグラフで表せる仕事だという人は少ないと思うのです。
>ぶぅぶさん
不正受給してパチンコして暮らしている人は幸せでしょうか?もしそうなら、みんなマネするでしょう。
そういう人を労働にみちびくのは、幸せにすることです。
逆に、働きようがない人は、公的支援によってしか幸せになりようがありません。
法律は、救済するためにこそ存在します。だからこそ、知らなければ救われないのです。
年功序列が成果主義よりフェアな制度であるなら若年層が「がんばる」という意味すら持たないと思います。
労働者の団結に成果主義は不向きだとは自分も思いますが会社や業界団体を越えるような団結の方法もあると思います。また、雇用者側を見張る法制度の充実なども考えられます。
自分らの都合の悪いことには目をつぶる目開き障害者おっはー議員とそのご機嫌鶏党員
あんたら唯物論をべんきょうしとるんか!
この図々しさが日共の正体だ!!!!!!!!!
誰に何を伝えたいと思っているのでしょうか?
あなたのおっしゃる「洗脳された党員」の目を覚まさせてやりたいと思ってのことでしょうか?
それなら、あなたはご自身に対して、敵意と侮蔑だけを向ける者に、耳を素直に傾けるでしょうか?
あなたの汚い言葉は、あなた自身の品性まで汚してしまうのではないでしょうか。一生懸命世の中をよくしたいと思って行動していることも、その言葉だけで判断され、正確に伝わらなくなってしまいます。
「洗脳」とは、私も統一協会や創価学会の集会に連れて行かれた経験や、統一協会には実際に洗脳された知人がいるので、JJJさんのおっしゃる「志」との違いがよくわかります。その知人はたった一人の家族である母親を、大学で福祉を学んで将来の夢を考えることも捨てて、統一協会の教えに飛び込んでいきました。その後の行方は知りようがありません。
「洗脳」とは、誰かの考えだけが絶対に正しく、他の考えを間違いと決めつけ、人が自由に自分の人生を決めることを許さないことですよね。
私の知る党員の皆さんは、共産党の考えが絶対正しいと人に押しつけることはしていません。生活に余裕のある人なんて見たこともありません。皆自分の生活で手一杯ながらも、少しでも世の中をよくしたい、まじめに働く者が報われる世の中にしたいと、また、金も権力も情報も持たない者は、理不尽なことに対して互いの力を合わせる以外抵抗できないのだと思って行動しています。
まともに労働をしたことがない小泉さんや、お金に苦労したことがない二世議員が多い政党に、わずかな貯金が減り続ける恐怖や見切り品しか買えない生活は想像できないでしょう。
経済格差が広がる一方で、貧しい者の立場に立って考えてくれる勢力は、本当に限られてきます。これ以上生活が貧しくならないために、共産党に大きくなってもらいたいと願う私は、あなたにとって「洗脳された人間」に見えるのでしょうが、あなた一人に何と思われようと結構です。思うことは自由ですから。
あなたの怒りは「坊主憎ければ袈裟まで憎い」の典型にしか見えないので、共感できないのです。いくら憎悪を乱射し続けても、原因が解決しなければいつまでもご自分が納得できないでしょう。
ちなみに、四級ですが私も障害者です。
おっはーさんには、障害を持つ方々の意見や要望を取り上げていって欲しいです。
票にならないことや小さな要望は取り上げない議員もいますから、小さな事でもどんどん取り上げていって、少しでも市民の皆さんが暮らしやすいように頑張って頂きたいと思います。