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育ち直しの歌:少年院から/13限目 法務教官の仕事=毛利甚八 (土曜文化)

 ◇最初の一歩をていねいに

 昨年暮れに関東医療少年院を訪ねる機会があって東京に出た。

 関東医療少年院は1997年の神戸児童連続殺傷事件を起こした少年が収容されていたことで有名になった少年院だ。少年院の篤志面接活動をしながら、三年間にわたり少年院を訪ねて法務教官にインタビューを重ねてきたが、その最後の十人目としてサカキバラ君を担当した法務教官に会うことになった。スポーツを通じて、少年の内面にアプローチを試みている誠実な人で、インタビューはこの4月に『刑政』という月刊誌に掲載される。

 少年院を訪ねる前日、刑務所の映画が上映中だと知ってドイツ映画『4分間のピアニスト』を観た。刑務所でピアノを教えているクリューガーという老婦人が、服役中の若い女性ジェニーの才能に惚れこみ、新人音楽コンクールに出そうと苦闘する物語である。

 少年院でウクレレを教えている私にとって、クリューガー先生は自分の立場と重なる部分もあって興味津々で観たわけだが、映画そのものとして、また音楽映画として出色の出来栄えだった。芸術への執念と国家秩序の名を借りた役人根性や嫉妬が真正面から衝突する。女性受刑者の荒ぶる魂は、ピアノ教師の芸術観なんかにおさまらない。そのような葛藤の背景にナチス時代の暗い歴史が配される。映画の終幕にあらわれるカタルシスが、言葉ではなく演奏そのもの、音楽そのもので的確に語られているところがミソで、ドイツアカデミー賞の作品賞と主演女優賞を獲得したのも大いにうなずける。

 ただクリューガー先生と私には大きな違いが二つあった。

 ひとつは私にはクリューガー先生のような高度な演奏技術はない。そして、ジェニーのような天才が目の前にあらわれる機会は、たぶんこれからもないだろう。

 私の篤志面接委員としての役目は、もぞもぞぐずぐずと鬱屈している少年の心をウクレレでリラックスさせることだ。とりあえずウクレレを手に持ってみること、ポロロンと音を出させるまでにエネルギーの70%を使う。

 それから楽器を持つ姿勢の大切さを噛んでふくめるように一人ずつに伝える。初歩中の初歩であるCコードの場合、ウクレレの指板を押さえている指が薬指であるべきこと、指が直立していなければ澄んだ音が出ないこと、絃をかき鳴らす指が硬直したままでは心地よい音が出ないこと。そこに残り30%のうち25%は費やされている。

 多くの少年たちは、ごく普通の子どもたちが保護者から受け取る贈り物をもらっていない。箸の使い方から始まるしつけや学習の機会を奪われていた少年が多い。

 初めてウクレレに触れる少年は、たいていおそるおそる楽器を掴む。ウクレレの姿やその軽さや質感を、まじまじとみつめながら、初めての体験に怖じ気づき、恥をかくのではないかと恐れている。ネックをつかみ絃を押さえる手も、絃をかき鳴らす指も緊張でガチガチにこわばっている。

 しかし、ひとたび楽器から音が出れば、彼は変わる。音が出たことにホッとして肩の荷が下りた表情になるのがはっきりとわかる。私のさまざまな注文を受けながら、柔らかい美しい音が出ると、その瞬間、目をまんまるに見開いて「おう」と間延びした、感嘆の声を上げる。

 私の一番大きな役目は、その瞬間を一緒に喜ぶことなのだ。

 法務教官から酒の席で聞いた話だが、ある優秀な教官は剣道指導で面打ちだけを徹底的に指導するそうだ。面打ちだけの変化のない練習を、どのように面白くやらせるかが教官の腕の見せどころだという。それを聞いていた別の法務教官は、野球指導の際に正しいキャッチボールをきちんと身につけることだけを目標に練習させていると語った。最初の一歩をていねいに指導すること、その一歩が身につくプロセスこそが少年たちにとっては大切なのだ、という話である。

 『4分間のピアニスト』のように、少年院が天才を送り出して社会から喝采を浴びることは、この先もないであろう。法務教官たちは決して高望みをしない。彼らの望みは百人の少年のなかから、一人の野球選手を見出すことではない。百人の少年全員が、人生を自分の足で歩きだすためのヒントを掴んでくれることを願って面打ちを教え、キャッチボールを教えている。

 こうした彼らの職業上の達意は、日々グラウンドに立って少年達の背中を見守り、少年達と一緒に寮舎に寝泊まりしながら培われたものだ。少年司法の各機関では、警察官、家裁調査官、裁判官、検察官、保護観察官といった人々が少年と関わるが、法務教官ほど一人の非行少年に密着し、長く日常を共にする職業は他にない。

 少年院が戦後六十年の間、黙々と営んできた保護主義の歴史は、その再犯率の低さから見て、多くの専門家が世界に誇るべき実績だと主張する。だが、いっこうに日本社会の常識として認知されない。経済を主眼として沸騰している日本社会のなかで、少年院の仕事が目立たないのは仕方ないことかもしれないが、少年院が私たちの暮らしている社会の平和の一角を支えているのは間違いのない事実である。

 思えば神戸児童連続殺傷事件が起きてから十年がたつ。社会はごく普通に見える少年が、殺人などの凶悪な事件を起こすことに驚き呆れ、やがて少年法を憎むようになった。国親思想や保護主義を嘲笑する者さえいた。少年法の文言はいまも厳しい顔立ちに変わり続けている。しかし、その間も法務教官たちは、少年院を出た少年達が平凡な仕事に耐え、平和な家庭を持ち、静かに暮らしていくことを願って、黙々と仕事をしていたのである。<絵・吉開寛二>

 ※次回は4月19日掲載予定

毎日新聞 2008年1月19日 西部朝刊

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