このところ、いくつかのニュースで問題になっている、「急患の受け入れ拒否」。
そして、オーマイニュースにもこんな記事が載った。
医療現場は、どこも人件費が少なく、ひとが少なく、過酷な現場となっている。その原因はどこにあるのだろう?
2006年に私がオーマイニュースに投稿して、
そのときは「たね」扱いになった記事がある。ここでは「食育」というキーワードを解説している。
その記事の中で指摘しているのは、
食育というのは、実は「医療にかからないように、元気でいなさい」ということの裏返しである、ということだ。
その記事の中でも書いていることだが、要するに国の重点は「医療」ではなく、「医療にかからないようする」ことに移ったのだ。もっとあからさまに言えば、「未病」の人たちに健康でいてもらうことによって、病人にならないようにし、医療保険の支出を減らそう、ということだ。
この国家としての「方向転換」は、急に行われたため、現場はもちろん混乱している。それは「今までかかっていた医療が受けられない」という事態となって、庶民を襲っている。やがて収入が低い人間は、医療どころか医療保険さえ払えなくなる。結果として、「健康でいる」ようにせざるを得ない。
そして、今問題となっているのがその「食育の時代=医療放棄の時代」という政策の一方の要である「食育」がまた、中途半端なものだ、ということだ。現状、日本人のいのちを預かる重点となる資格が「医者」から「管理栄養士」に移った、といっても良いこの事態を、当の「管理栄養士」の人たちはほとんど知らないだろう。いや、知っていても、その重大さ、責任の重さをわかっていないのではないか?
高度成長の時代は、医療は大切だった。企業戦士はいくらいても足りなかった。だから、「壊れた」企業戦士は「医療」で立ち直らせ、また使った。そのためにも医療は国の大切な施策の1つだった。
今は仕事が国内に無いから、人が余っている。国の経済も縮小の方向に向かっている。だから、多くの人手は必要ない。別の言い方をすれば、国はこういっているのだ。「死にたいやつはどんどん死んでくれ。どうせ養えないのだから」と。
国が過剰な人を殺す。その風景の1つが、「急患の受け入れ拒否」ということではないだろうか?
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