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「ニュースのたね」について
オーマイニュース(OhmyNews)の掲載記事のうち、「ニュースのたね」ページに掲載されている記事は、オーマイニュースによる編集作業を経ていない、市民記者から投稿されたままの記事です。その点をご理解のうえ、お読みください。 ゴミを捨てる人、拾う人名もない普通の人が、この世界を変える山村 玲生(2007-12-03 16:37)
その初老の女性は、私に見られていることに気づいていなかった。私は、その女性から少し離れて、後ろを歩いていた。 すると、その女性は道路に散らかっていた紙クズを、2つ、3つと、実にさりげなく拾って、また歩き出した。こんなふうに、この人はいつもゴミを拾って歩いているのだろうか。 誰も見ていないのに、誰にほめられるわけでもないのに、黙ってゴミを拾って歩く。これはなかなかできることではない。 私はポイ捨てはしないが、ゴミを拾って歩くこともない。そのくせ、ゴミをポイ捨てをする人には腹を立てたりする。 街を平気で汚す人もいれば、このように、ゴミを拾って歩く人もいる。 これは小さなことかもしれないが、私にとって、声を大にして伝えたいニュースだ。 なんだかやりきれないニュースばかりが報道されるが、こういう名もない善意の人が存在して、世の中はバランスが取れているのかもしれない。 教師や警察官の不祥事が報じられると、いっせいに批判の目が向けられるが、まじめに、真摯に、教育や治安に取り組んでいる人はたくさんいるだろう。役人だって、政治家だって、自衛官だって、それぞれの立場で、世の中のために尽くそうとしている人はたくさんいるはずだ。 お金や欲望にまみれているというのは、人間の1面に過ぎない。 少しでも、この世界を明るく、良いものにするために、たくさんの人が働いている。 人間には、まごころというものが、確かに存在する。そして、人が心から動くのは、お金や権力のためではない。人は、まごころで動く。 怒りや、批判や、非難ばかりでは、世の中は変わらない気がする。「この世界は、ますます悪くなっている」なんて、確信的に言っている場合ではない。少しずつ、良い方向に「私」が変えるのである。1人の力は、微力かもしれないが、無力ではない。 頭の良い人の批判よりも、黙ってゴミを拾うあのおばさんから学びたい。みんなにデクノボーと呼ばれても、いつも静かに笑っている、そんな人から、学びたい。 自分の心が汚いと、他人の心まで汚く見えてしまうということがある。腹の立つニュースは多いけれど、せめて自分の心をキレイにすることを心がけたいと思う |