このところ、モノ書きを仕事にしたい、という複数の方に、「どうやったら文章が書けるのか?」ということを質問される機会があった。
といっても、あまり簡単に答えが返せない。まずは、自分がどうやって記事なんかを書いているか、というその書き方を伝授することにした。
まずは「動機」だ。
さまざまなところに載せる原稿は、私の場合、まず「動機ありき」だ。
そして、その動機は、他人を仰ぎ眺める、ということからは始まらない。
簡単に言えば、他人はどうであろうと関係なく、自分自身の中から沸き起こる「書きたい」という、ちょっとした気持ちを大切にしている。
なりたい自分をイメージする、なんてこともまるでない。
「モノ書きになりたいからモノ書きをする」
のじゃない、ってことですね。あくまで
「書いて表現して、誰かに見てもらいたいことがあるから、モノを書く」
わけだ。
現在も過去も、モノ書きがしたかった、ということが無かったかと言えば、ほんのちょっとはあった。でも、私の書いた最初の本はあくまで「技術書」だから、仕事をしていく上での「技術」をみんなに知らせたい、ということが動機で書かれたもので、自分がなにかになりたかったから、書いたものではない。書いてみればその楽しみは十分にあることがわかったが、技術の世界はそれ以上に楽しかった。だから、「専業のモノ書き」になるつもりはまったくなかった。
考えてみれば「ことばをしゃべる」「モノを書く」というのは「表現手段」であり、表現手段だけがあっても、「なにを表現したいか?」がないと、手段は意味を持たない。文章技巧がうまい、というのは、あくまで「道具がよい」ということであって、「その道具でなにをするか?」というものがなければ、意味がない。運ぶものがなにもないのに、大型トラックを買う、なんてことはありえないだろう。
私の場合はまず「IT技術」があったから、それを表現するために、さまざまなものを書いた、ということだ。
自分の興味があれば、その興味からさまざまな派生した興味が出てくる。多くのことに興味がもてる。IT技術がかかわらないものは最近あまりない。社会保険の問題も、住基ネットも、みなITにかかわっている。だから、社会システムにも興味がわく。
デジカメだって、それ以前のカメラだって、IT技術の結晶だ。ITの技術があると、写真の技巧や写真の表現にも、深くかかわることができる。
だから、「表現したいこと」「書きたいこと」がどんどん増えていくし、そのときどき、ひとつの「IT」という軸足を持っているから、そこからさまざまな疑問が出てくるし、書くことも自然に湧いてくる。無理をしなくても、朝おきたときに、「これを書きたい!」というテーマが勝手に決まっている。自然に手が動く。
オーマイニュースなどに書くときも、要するにそういうことだ。気がついてみれば、手が勝手に動き、気がついてみれば、最初に100本の記事をあげ、気がついてみれば、100万アクセスを達成していた。
要するに、自分にとってはそれだけのことだった。
だから、若い「モノ書きになりたい」という人には必ず言う。
自分が何者かになりたい、人に認められたい、という気持ちは決して悪いことはないけれども、それは横に置いておけ。子供のように「これが面白いから」と思えるものを探せ。それを深める過程で、多くの人の意見を聞いて、自分の意見が言えるようになれ。そうすると、自然と書くテーマが決まり、自然と書くものができあがる。
少なくとも、自分の場合はそうだった。
いまも、私の本職は「モノ書き」ではない。そんな「職業」は、自分にとってはどうでもいい。そうではなくて、自分がやりたいことがあるから、そのためにモノを書いている。自然と文章ができあがる。
そして、「文章」は表現手段の1つでしかない以上、文章とはそうやって書かれるものでなければならない、と、私は思う。
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