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柏崎刈羽原発停止半年 東電、復興マネー全開 地元複雑

2008年01月14日18時34分

 震度6強を観測した昨年7月16日の新潟県中越沖地震で被災した東京電力・柏崎刈羽原発。運転再開に向けて急ピッチで復旧作業を進める同社は、一方で、風評被害を受けた地元に巨額のカネをつぎ込む。「ありがたいが、これでいいのか」――。地元の受け止め方も複雑だ。原発をめぐる半年を追った。

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冬を迎え、日本海特有の曇天に覆われる被災地。住宅街の向こうに停止中の原発の排気筒が浮かぶ=新潟県柏崎市で

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買い物客でにぎわう被災地・柏崎の特産品展=東京・表参道の新潟館「ネスパス」で

 「がんばれ新潟プラン」。そんな観光バスツアーに参加して、東京から被災地・新潟県を目指すのは、東電の社員や家族たちだ。同社が昨年8月、福利厚生の旅費補助などを、新潟への旅行に限って最高14万円に倍増するなどの「特例措置」を始めると、県内の観光業界は色めき立った。

 同社社員は約3万8000人。家族を含めれば10万人近い。柏崎観光協会は加盟の宿泊施設に「東電や原発の非難をしないように」。佐渡観光協会は担当者を東電に派遣し、「佐渡にも来てほしい」と懇願した。柏崎市の春日俊雄・観光交流課長は「非常に助かっている。彼らは一部が壊れたままの施設にも泊まってくれる」と話す。

 柏崎商工会議所が震災後に立ち上げた特産品販売のネットショップ「がんば716ショップ柏崎」の売り上げが予想の5倍を超えたのも同じ構図だ。発送先などを見ると、半分以上が東電関係者だった。

 東電によると、今回の特例措置で新潟入りした社員らは延べ約7万8000人。特産品購入額も約4億円に上る。東電立地地域部の星野武彦課長は「原発を置いていただいている地域の皆様に、できる限りの応援をしたかった」と話す。

 これに対し、柏崎市内のある宿の経営者は「涙が出るほどありがたかった」としながらも、「これでいいのか」と悩みを漏らす。東電社員の宿泊は、市のあっせんだったからだ。市によると、東電は9月末まで社員の宿泊のあっせんを市に依頼し、市は約2000人分を各宿泊施設に割り振った。

 「市を使うのは、『東電はやってますよ』というポーズ。結局、原発再開に向けた地ならしに過ぎないのではないか」

 下請け対策も入念だ。同原発で働く約5700人(1月現在)のうち、社員は1000人余。他は下請け・孫請け企業が占める。

 昨年8月、運転停止で約150人の自宅待機者が出ると、草むしりなど「普段ならやらない仕事」(東電)を発注。その後、「解雇や待機はない」としている。

 同12月5日には現金30億円を新潟県に寄付すると発表。同社の現金の寄付は、阪神大震災で日本赤十字社へ贈った義援金1億円が最高額だった。

 東電はその日に緊急記者会見を開いた。「長さは約7キロで活動性はない」としてきた原発沖合の断層について、「再評価の結果、長さ約20キロの活断層の可能性がある」という内容だった。東電はこの事実を03年に把握していたが、中越沖地震後も住民やメディアに公表しなかった。東電は「寄付と発表が重なったのは偶然」と釈明する。

 一方、経済産業省は11月、「復興支援」を目的に、柏崎市と刈羽村に電源三法交付金を約41億円上乗せすると発表した。

 柏崎市の本間敏博・企画政策課長は驚いた。電源三法交付金は本来、発電所の設置や運転の円滑化を図るために使われるからだ。

 福島大の清水修二教授(財政学)は「原発や核燃施設の立地が進まないので、使い切れずにだぶついている交付金を回しただけだ」と解説する。

 資源エネルギー庁の担当者は取材に「本来は地震の復興に使えるカネではない」と認めた上で、「07年度に使い切れずに余っていた予算をシフトした。再開とは切れた話だが、再開の際に地元の理解が得られないと困る」。

 原発に反対し続けている田辺栄作・元柏崎市議は「そんな大金を善意でくれる人がどこにいる? 東電や国はカネを使ってなんとか再開したいんだろうが、人の顔を札束でなで回すのはもうやめてくれ」と、憤りをあらわにする。

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