このページは民主党「初鹿明博議員」のホームページ
(2006.07閉鎖済)を保存したものです。



平成14年7月30日
文責:初鹿明博



「朝鮮民主主義人民共和国」視察報告

初鹿問題


平成14年6月28日〜7月2日(朝鮮滞在は29日より)

      

1.『北朝鮮』という呼称について
 
万寿台大記念碑
金日成主席の銅像

 我が国では、『朝鮮民主主義人民共和国』を呼ぶ時、『北朝鮮』と呼ぶことが一般的です。ほとんどの国民が何の疑いも無く『北朝鮮』と呼んでいます。さて、この呼称は適切なのでしょうか。
 ご存知の通り、現在、朝鮮民族は38度線で二つの国に分断されています。南側は『大韓民国』そして、北側が『朝鮮民主主義人民共和国』です。南側の国を日本人は『韓国』と一般的には呼んでいます。この『韓国』との対比をするのでしたら、北側は『朝鮮』と呼べば区別は出来ます。しかし、あえて『北』をつけて呼びます。実は朝鮮の方々はこの呼称に非常に違和感を抱いています。『北』をつけることによって、一国家として認めずに朝鮮半島の北側の一地方だという認識があるから、このような呼び方をするのだと不満を述べます。私達は意識をしていませんが、最初に『北朝鮮』と呼んだ方々は恐らくそのような意味を込めて『北朝鮮』と呼び始めたのでしょう。
 お互いの国を認め合うことなくしてはしっかりとした外交関係は結べません。自国を相手国から尊重してもらいたいなら、同じように相手の国を尊重しなくてはなりません。
という理由で、『北朝鮮』という呼称を私は使いません。『朝鮮』もしくは『共和国』と呼ぶように心がけています。これは、私が日本の国に誇りを持っているように、朝鮮の国民も自国に誇りを持っており、その誇りを傷つける行為を不用意にするべきではないと考えるからです。
凱旋門
〜高さ60mあり、パリの
凱旋門より10m高い

2.国交がないということ
 当たり前ですが、初めて日本と国交の無い国に行きました。距離からすると韓国についで近い国であるのに、渡航時間からは非常に遠い国です。今回の訪朝団は北京経由でしたが、北京の朝鮮大使館で入国ビザを取得して一泊した後に朝鮮への入国をしました。ウラジオストック経由ですとその日のうちに朝鮮へ入国できるそうです。
 特筆すべき点は、パスポート上に朝鮮に行った形跡が残らない点です。国交のある国ですと、出入国の度にパスポートに何らかのスタンプを押すと思います。それが全くありませんでした。いや、正確に言うと別の用紙に入国時にスタンプを押し、出国時にその紙を回収してしまい、パスポート本体には何ら形跡が残らないというわけです。ですから、私のパスポートは6月28日に成田を出国して北京に入り、29日に北京を出国し、その後の足取りが不明のまま、7月2日にトランジットで北京に立ち寄り、成田に帰国するという足取りしか残っていないのです。

3.渡航目的と意義
 尾崎正一都議(府中市)を団長に事務局長に富田俊正都議(新宿区)、山下太郎都議(北多摩4区)、そして私、初鹿の4名の民主党都議会議員を含む6名で『都議会民主党訪朝団』として訪問しました。日朝関係が緊迫している中、政府や外交当局とは異なる一民間人として相互の理解を促進する目的での渡航です。また、ワールドカップに対抗して(?)行なわれていた“10万人が参加するマスゲーム”『大アリラン祭典』を観賞することも目的の一つでした。国のレベルでは色々問題はあっても、国民までいがみ合う必要はありません。国民の間で相互理解が深まっていれば、国家間で何があろうと、おかしな事態には進むことは無いと信じます。

4.第一印象 高麗航空の飛行機〜飛行場着陸〜平壌市内
 北京から平壌まで約2時間、朝鮮の航空会社(?)の高麗航空で向かいました。まず、機内に足を踏み入れてビックリ!天井から白い煙が出ているではないですか?冷房のようだが、何故煙が出ているかは不明。非常にちゃちな緑の座席は何故か背もたれが全て前に倒れてしまう。万が一の時非常に危ないように感じましたが…。機内食は全く口に合わず、結局ほとんど食べることできず。この先の食事が非常に不安に。とにかく、飛行機に乗っている限りにおいては、今後の滞在期間どのようなことになるのか大いに不安になりました。

空港周辺の風景
高麗航空機
平壌市の街並み
空港施設
金日成主席の肖像画が掲示
〜これから何処に行ってもお目にかかることに

 空港に着陸。思っていた通り、空港の周りの光景は荒地。だだっ広い敷地に小さな建物があり、いかにも、発展途上の国の空港という印象。通関は非常に簡単。徹底的に持ち物検査から身体検査まで行なうと思いきや予想に反して簡単に終了、ついに入国。
 空港からバスで平壌市内まで移動。移動中の光景はまぁ予想通り高い建物は無いし、車も少ない。しかし、日本の成田空港も似たようなものかなとも思いました。
 しかし、平壌市内に入ってビックリ。道路は広く、高いビルが乱立。車が少なく、信号が無いことは予想通りでしたが、当初の予想とは全く異なる姿に驚きの連続でした。

5.対外文化連絡協会・平壌市人民委員会
 今回私たちを招聘してくださったのは『対外文化連絡協会』という向こうの外務省の外郭団体です。この委員長は日本でいうと副大臣クラスで、副委員長は国会議員にあたるそうです。今回の訪朝では、副委員長が空港まで出迎えてくださり、また、出発日にもお見送りくださいました。また、ムンゼチョル委員長とも懇談をしました。ムンゼチョン氏は「森・野中訪朝団」で取り上げられた、所謂ら致疑惑と言われる「行方不明者問題」で共和国側を代表し、「なぜ特別な技能を持っているとも思われない少女を“ら致”しなければならないのか。“ら致”と言う言葉には“悪意”があると受け止められる。しかし、どこの国にも『行方不明者』はあると言える行方不明者を探す協力は惜しまない」と語り、その後の赤十字会談で「行方不明者問題」として取り上げるきっかけを作った方です。
 また、平壌市人民委員会建設委員会チェスンドク委員長との懇談も行ないました。日本で言えば、東京都の建設局長というよりも、副知事がイメージに近いようです。
 2人ともまず最初に「困難な時期に良く来てくれた」と我々の勇気に感謝の言葉をいただきました。そして、「日本政府要人などの一部に帝国主義的な発言をする人々がいることに強い懸念を持っているが、日本との民間レベルや人々との直接交流を更に促進し、違いを理解し合えることが重要だ」と語られました。特に、石原知事の最近の発言は全て伝わっているようで、強い憤りと反発を抱いておりました。歴史認識はそれ程極端ではないと感じましたが、ひとつ気がかりだったのは、まだ我が国に領土的野心を持った政治家がいると誤解をしていることです。最近の有事法制の動きなどを見て、また、日本が領土を拡張しようと目論んでいるのではないかと疑っているのです。日本に住んでいる我々からすると到底ありえない話ですが、石原知事をはじめ日本の多くの政治家がそのような誤解を招く可能性のある発言をしていることが要因です。政治家の不用意な一言が周辺の諸国に誤った印象をつけているとしたら大きな問題です。

6.アリラン祭典〜10万人のマスゲーム
29日の夜、今回の訪朝のメインの目的である「大アリラン祭典」を観賞しました。4月末に始まり2ヶ月間毎日続いた公演の最終日が29日の予定でしたが、好評だということで7月15日まで公演期間が延長されていました。最終日のグランドフィナーレを是非見てみたかったので少々残念でしたが、公演の中身自体に変わりは無いので十分に楽しむことができました。

 

 


 観覧席15万人のメーデースタジアムで行われ、マスゲーム要員3万人、演者7万人、そして、観客は10万人。この圧倒的なスケールと一糸乱れぬ統制の取れた演技は一見の価値ありです。人文字というと甲子園のPL学園を思い出しますが、文字どころか演目にあわせて次から次へとアニメーションのように絵が移り変わっていく様子は驚嘆に値します。



7.板門店〜38度線
 前日に南北の警備船が銃撃をし、死者が出たというニュースを朝ホテルでBSのNHKニュースで見たため、かなり緊迫しているのではないかと期待と不安を抱きながら出発しました。
 しかし、全く事件の影響もなく嘘のような平静さの中、軍人さんがガイドとなって、停戦条例を国連軍(アメリカ)と朝鮮が締結した建物や南北が管理する境界線上の建物の内部へ入りました。特に、境界線上に立つ建物はこの内部でのみ南側へも行くことができるところです。しかし、外に出てしまえば38度線を越えることはできない、線の向こう側には韓国の軍人さんが警備をし、こちら側には当然、朝鮮の軍人が立っている。近いのにはるか遠くの国なんだなぁとつくづく感じました。「他のどこの国の力も借りずに朝鮮民族が自主的に統一するんです。」ガイドしてくださった軍人さんが語った言葉が非常に重く心に響きました。
 近いうちに韓国側から板門店に再び訪れ、公平な目で冷静に見つめたいと考えております。

平壌〜板門店まで続く一本道
以前はソウルまで続いていた。
 
板門店の入り口
朝鮮は一つの看板が
およそ2kmにわたる緩衝地帯
田畑があり、農作業をしている
停戦協定を結んだ建物内
手前が朝鮮の国旗で
向こう側が国連旗
この金網の向うが2kmに
及ぶ緩衝地帯
奥に見える建物は韓国側の建物
手前の青い建物のど真ん中を
38度線が走っている。
青い建物の内部
 テーブルの真ん中、ちょうど 
マイクの位置が38度線。
私が座っている方が韓国
山下都議の方が朝鮮

8.平壌市民の足
 
平壌市民が利用している交通手段は、トロリーバス、路面電車、鉄道、地下鉄です。自家用車はほとんど走っていません。ですから、信号機がありません。交差点の真ん中に交通整理の女性が手旗信号を振っています。
さて、今回の訪問では地下鉄に実際に乗車しました。まず、その深さに驚きです。100メートルあるということですが、あの深い大江戸線のエスカレーターよりもはるかに長いエスカレーターで地下に降りていく瞬間はまるで核シェルターにでも入るようなSFの世界でした。駅構内にはシャンデリアがあり、その装飾は宮殿の中にでも入ったかのような素晴らしさでとても地下鉄の駅には見えません。しかし、車両はちょっとくたびれていました。ほとんど待たずに乗れたことを考えますと便数は結構あるようです。ただし、切符売り場が一箇所で自動販売機ではなく手売りのため、長蛇の列でした。また、駅名も「復興」「栄光」「勝利」「統一」「凱旋」「楽園」「光明」「戦勝」「戦友」「革新」「建設」「黄金原」「建国」…など日本の感覚からするとちょっと不思議。


9.チュチェ思想塔・人民大学習堂

 平壌の中心部を流れている大同江(テドンガン)を挟んで向かい合って建っているチュチェ思想塔と人民大学習堂。そして、人民大学習堂の前に広がるのは金日成広場。
この辺り一帯がまさに平壌のいや共和国の中心中の中心部です。金日成広場の総面積は7万5000uで花崗岩で舗装が施されています。重要な政治・文化行事、大衆集会、閲兵式などが行なわれます。この金日成広場の主席壇の後ろ側に建っている伝統形式の建物が人民大学習堂です。3000万冊の蔵書を持つ図書館であり、14の講義室を持つ人民の生涯学習の場です。1日に約1万人がここに訪れ、様々な勉学に励んでいるそうです。
 チュチェ思想塔はチュチェ思想の創始者金日成主席の革命業績を末永く伝えるために建立された高さ170mの塔。チュチェ思想とは一言で言えば、革命と建設の主人は人民大衆であり、革命と建設を推し進める力も人民大衆にあるという思想。言いかえれば、自己の運命の主人は自分自身であり、自己の運命を切り開く力もやはり自分自身にあるという思想。

チュチェ思想塔
チュチェ思想塔の完成を祝って
世界から送られたメッセージの数々
手前の広場が金日成広場
人民大学習堂
人民大学習堂の入り口
金日成主席がお出迎え
このような講義室が14室ある

10.モランボン第一高等中学校
 
朝鮮の教育がどのようなものか非常に興味があるところだと思います。今回、モランボン第一高等中学校を訪問しました。朝鮮の教育制度は5・6制となっています。ですから、高等中学校は日本の小学6年生から高校2年生までの生徒が通っている学校です。その中でも、優秀な生徒が集まっている地域のトップ校で、東京で言うところの日比谷高校みたいな学校です。
 まず、廊下には全校生徒の成績が張り出してあります。クラスごとに行なう授業から学年問わず行なう科目まで複雑なカリキュラムになっています。歴史教育にはかなり力をいれているようです。中でも、革命教育というのでしょうか、金日成主席や金正日総書記の業績については、特別な部屋まで設けて徹底的に教え込んでいるようです。
 校内を一周した後、着飾った女子生徒数名が講堂で歌や踊りなどを披露してくれました。そのレベルの高さと表現力の豊かさに驚きました。最後に、ひとりひとり、舞台から降りてきて私たちの手を取って舞台まで連れて行き、一緒に踊った(踊らされた?)のですが、中学生の女の子が何のためらいも無くそのような行動をとることに驚きを通り越して、かなり、引いてしまいました。しかし、拒否することもできないので一緒に踊りましたが、日本では考えられないでしょう。

11.万景台学生少年宮殿
 
学生少年の課外教育の場ということだが、いまいちどういう施設か良く分からなかったところです。学校が終わった後に学生が集まってきて、ダンスや楽器、習字、刺繍、スポーツなどを練習するための施設で一日に約1万2000人の学生が訪れるとのこと。2000席の劇場もあり、2週間に一回くらいの割合で楽器演奏や歌や踊りの練習の成果を発表しているそうです。当日、私達もこの発表会を観賞しましたが、一昔前の場末の歌謡ショーといった雰囲気で、子ども達が遣っているのかと思うと口では上手く言い表せませんがちょっと違和感がありました。

12.素晴らしい夜景
 
夜になると平壌市内にある様々な施設がライトアップされ、非常に美しく浮かび上がっていました。
そもそも、街灯がほとんど無いので、何も無いところは真っ暗です。しかし、11時過ぎでも、女性が一人で歩いて帰宅をしていくように治安はかなり良いようです。でも、お巡りさんというのはいないようでした。かといって、軍人さんもほとんど見かけませんでした。どうやって治安を維持しているのか不思議です。

 

 

13.最後に
 自由で物も豊富な日本に住んでいると朝鮮は非常に閉鎖的で、息苦しい国のように感じてしまいます。しかし、朝鮮の国民が不幸なのかというとそうではないように感じます。我々の価値観を当てはめれば、不幸ということになるのでしょうが、彼らにとって幸せの基準が私達とは全く違うように感じます。特に、信じるものがしっかりとあるということはほとんどの日本人が失ってしまっている部分です。また、物が豊富な我が国では、必要のないもの、無くても生活に支障の無いものを求めてあくせくしています。
また、朝鮮の人々は非常にまじめに見えました。まじめさ、勤勉さというものも、最近の日本人が忘れかけている点ではないでしょうか

 子ども達は、それぞれの才能を徹底的に伸ばしていく教育がなされているようです。体操の得意な子は体操、楽器の上手な子は楽器演奏、踊りの上手い子は踊り…その才能を存分に伸ばしてくれます。そして、将来も一生その分野で活躍していけるのでしょう。子どもの時から将来の方向性が見えているのも良し悪しはあるでしょうが、何をして良いのか分からない日本の若者よりも目標があり、幸せなのかもしれません。
 自己決定権が無い!という批判もあるでしょう。しかし、他人の引いたレールの上を疑うことなく進んでいくことは実は非常に楽なのかもしれません。自分で責任を持って将来の歩む道を決めなくてはならない我が国の若者の多くが決めることが出来ずにフリーターから抜けれないことを考えるとどちらが幸せなのか分からなくなってしまいます。
 一ついえることは、我々の価値観が全てではないということです。世界には私達には理解できない価値基準で動いている国が「朝鮮」を始めとして沢山あるということを忘れてはいけないのでしょう。
 豊かな日本に住んでいて、豊かさを得たことによって失ってしまったモノが非常に多く感じます。凶悪な犯罪に走る少年達、長期にわたって引きこもっている若者、携帯電話の料金を払うために援助交際をする女子高生、そして、年間3万人にも上る自殺者…豊かさの裏で歪の方が大きくなってしまっているのが今の日本ではないでしょうか。
 我が国は様々な意味で軌道修正しなくてはなりません。政治にたずさわる者として深く感じました。
そして、本当の幸せとは何かもう一度皆さんと一緒に考えていきたい、そして、皆さんの目指す本当の幸せに向かって力を注いでいきたいと決意を新たに致しました。

このウェブサイト内の画像ならびにデータを無断で転載、使用することを堅く禁じます。
Copyright (C) 2001 AKIHIRO HATSUSHIKA. All rights reserved.