長迫厚樹記者の「広島市民球場はどうなるのか?」で、2009年春オープンに向け広島に新球場ができること、また同時に、現在の市民球場をどうするかまだ決まっていないことが取り上げられている。 長迫記者の意見はこうだ。 「市民球場は原爆ドームのすぐそばにあり、復興のシンボルという意味が強い。また球場の維持と改造のために、多額の税金が投入されてもいるだろう。こういった点を考えると、果たしてこのまま解体していいのか、という疑問もある。名古屋ドーム移転後のナゴヤ球場のように、広島市民球場も、広島カープのファームあるいはアマチュア専用球場として、有意義な利用法を考えてみてはどうか」 と。 これも素敵な案だな、と思う。ただ、ここで私は、よりラディカルな提案をしている人を紹介してみたい。2007年の8月6日に『ヒロシマ独立論』(青土社)を出版された東琢磨氏だ。 東氏は『ヒロシマ独立論』で、長迫記者も言うように広島市民球場が「復興」のシンボルであることを重視し、次のような提案をしている。 「ヒロシマが『国際平和都市』というのであれば、より持続的で自律的かつ連帯可能性の開ける経済モデルを提示すべきであるし、自らが「復興」の名のもとに作り出した遺産の整理をすべきだろう。前者に関しては、より練り上げられた文化-経済的実践であるべきだと考えるが、後者に関しては、ここまでの流れで、とりあえずすぐに思いつくことがあるので記しておく。 広島市民球場を『世界遺産』に、などとは言わない。いや、むしろ、切れば血の出るような生々しい廃墟としてみてはどうだろうか。私の案としてはこうだ。広島市民球場を難民キャンプとして解放するのだ。広島県警および各種暴力団は、武装解除と再教育の後に、国連の指揮下に暫定的に入る。周辺商店や市民から、難民を守ることが、彼らの主たる使命となる」(本文76ページから引用) と…市民球場を難民キャンプに! なんとラディカルな発想だろう。 これを「非現実的」な空論であると笑うことはやさしい。また「平和ボケ」の発想だと叩くものもいるだろう。 しかし思い出すべきだ、1945年、「戦争ボケ」(それは米国のみならず日本もそうだった)の「現実主義」が、8月6日にどれほどの惨劇をもたらしたかを。 極論といえば極論である。しかし極論を通して見えてくる風景がある。廣島/広島/ヒロシマ/Hiroshimaほど、ローカルにしてグローバルな、重層的記憶と未来への希求の折り重なる「場」は世界にないだろう。 ときどきの政治的、経済的都合だけで決定してしまうことが、本当に「現実的」かどうか、私達はいまいちどよく考えてみる必要がある。 関係者には、少なくとも、様々なアイデアを募った上で、市民の広い合意形成を経て、決断されることを強く望む
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