★ ICHILAU+MB Da KiddのICHILAUのスポーツ博物学 特別編

 

(1) NPBにおける受難の時代 〜その1〜 ICHILAU

(2) NPBにおける受難の時代 〜その2〜 ICHILAU

(3) NPBにおける受難の時代 〜その3〜 MB Da Kidd

(4) NPBにおける受難の時代 〜その4〜 MB Da Kidd

(5) NPBにおける受難の時代 〜その5〜 MB Da Kidd

(6) NPBにおける受難の時代 〜その6〜 MB Da Kidd

(7) NPBにおける受難の時代 〜その7〜 MB Da Kidd

(8) NPBにおける受難の時代 〜その8〜 MB Da Kidd

(9) NPBにおける受難の時代。〜その9〜 MB Da Kidd

(10) NPBにおける受難の時代 〜その10〜 MB Da Kidd

(11) NPBにおける受難の時代 〜その11〜 MB Da Kidd

(12) NPBにおける受難の時代 〜その12〜 MB Da Kidd

(13) NPBにおける受難の時代 〜その13〜 MB Da Kidd

(14) NPBにおける受難の時代 〜その14〜 MB Da Kidd

(15) NPBにおける受難の時代 〜その15〜 MB Da Kidd

(16) NPBにおける受難の時代 〜その16〜 MB Da Kidd

(17) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?1〜 MB Da Kidd

(18) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?2〜 MB Da Kidd

(19) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?3〜 MB Da Kidd

(20) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?4〜 MB Da Kidd

(21) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?5〜 MB Da Kidd

(22) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?6〜 MB Da Kidd

(23) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?7〜 MB Da Kidd

(24) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?8〜 MB Da Kidd

(25) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?9〜 MB Da Kidd

(26) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?10〜 MB Da Kidd

(27) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?11〜 MB Da Kidd

(Special) NPBにおける受難の時代 〜小久保無償トレード事件〜 MB Da Kidd

(Special 2)NPBにおける受難の時代 〜パルマラット倒産事件〜 MB Da Kidd

(Special 3)NPBにおける受難の時代 2004.3.30. MLB開幕戦特集 〜チケットの値段は適切か?〜

(Special 4)NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編〜 バファローズとブルーウェーヴの合併

(Special 5)NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編2〜 バファローズとブルーウェーヴの合併その2

(Special 6)NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編3〜 バファローズとブルーウェーヴの合併その3

(Special 7)NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編4〜 カイシャフランチャイズのキモ

(Soecial 8)NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編5〜 プロ野球選手の労働者性とNPB選手会の労働組合性

(Soecial 9)NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編6〜 オリックスによる岩隈投手プロテクト問題について

(バファローズとブルーウェーヴの合併についてのJMMへの寄稿)

アフリカ野球友の会特集 〜その1〜

アフリカ野球友の会特集 〜その2〜

アフリカ野球友の会特集 〜その3〜

 

(1) NPBにおける受難の時代 〜その1〜 ICHILAU

 

 みなさまこんにちは。ICHILAUです。今回から3回にわたっては、2001年から2002年にかけての、『NPBにおける受難の時代』について考察してみたいと思います。

 

 2001年から2002年にかけては、日本野球にとって厳しい時期が続いたといえるでしょう。

 まずは、2000年のオフにポスティングシステムでMLBに移籍したイチロー選手が、2001年に大活躍し、ア・リーグMVPと首位打者、ならびに盗塁王に輝く一方、新庄選手がNPBに在籍していたときとはうって変わったように明るい表情でプレイし、日本の大勢の野球ファンの目を、MLBに向けさせました。

 また、2001年11月には、IBAFワールドカップでNPB選手を大量に送り込んだ日本がメダルを逃すという失態を演じる傍ら、横浜の株式譲渡問題で、機構とオーナー会議が迷走し、大きく醜態をさらしてしまいました。

 するとこの年のオフは、それを後目に、石井(ヤクルト・スワローズ)、田口(オリックス・ブルーウェーヴ)をはじめとする主力選手たちが、NPBで提示された好条件を蹴って、MLBへと旅立っていったのです。もともとNPBの人気低下は叫ばれていましたが、この2001年のイチロー・シンジョーショックは、その流れを決定づけたといっていいのではないでしょうか。

 

 そして2002年には、FIFAワールドカップという名のサッカー台風が日本全国で猛威をふるい、野球が根づいていた日本の土壌に、文化的な損害のつめ跡を、大きく残していきました。野球ファンのみなさんの中でも、いまだにサッカーショックから抜けきれない方々はおられるでしょうし、またW杯以後、メディアにおけるサッカー露出が、いきなり増えた気がします。

 では一方で、NPBはどうかというと、開幕から2ヶ月の間に星野新監督の下、快進撃を続けていた阪神タイガースの勢いが止まる傍ら、7月末日時点で2位に10ゲーム差をつけてペナントレースを独走している巨人は、ほぼ優勝を手中にしていて、8月上旬にもマジックナンバーが点灯しようとしています。したがって、このようにシラける内容のペナントレースを展開している結果、現状のNPBの人気低下傾向には、歯止めがかかるどころか、さらに拍車がかかったと言っても、私は大きく外れていないと思っています。

 ですが現状は、これへの有効な対策が為される見込みはなく、「もはや、NPBは救いようが無い」との絶望的な意見も、最近はよく聞かれるようになりました。

 

 しかし、今回のW杯について、先日のサッカー特集の出場国紹介をやらせていただいた際、私自身20カ国以上のサッカーリーグの現状についてさらに学ばせていただいた結果、自分のNPBに対する考え方は、すこし違ったものになってきました。

 

 まず私が知ったのは、どの国のリーグも試合の観客動員やクラブの財政で苦しんでいることでした。

 欧州で人気があると言えるリーグは、イングランド、イタリア、ドイツ、スペインの四大リーグに加え、トルコ、ギリシャ位なもので、後は欧州国際カップ戦で強豪クラブを迎えた場合か、少数の名門クラブの直接対決、いわゆる“クラシコ”でも無い限り、ガラガラと言うのがその実態です。

 また、欧州に存在する殆どのサッカークラブは、入場料、放送権料、スポンサー料、会費、大会の賞金では財政を賄えず、選手をより裕福なクラブに移籍させた時に発生する移籍金無しでは、黒字はおろか、存続さえままならないという状態にあります。それに加えて、かなりのビッククラブでも、選手売却が最大の収入源になっているのが現状で、ACミランやレアル・マドリードなどのサッカー界の最高級に位置するクラブですら、実際には常に大きな赤字をだしており、それを親会社や行政に補填されながら、象徴としての地位を守っているのです。したがって、移籍金抜きに黒字をだせるサッカークラブは、皆無なのです。そこで私は、

 

 「選手の移籍金に頼ることなく黒字が出せるNPBは、かなり優良なリーグだ」

 

 と考えるようになってきました。

 

 さらにサッカーの世界では、“ボスマン採決”を筆頭に、移籍金制度に対して、「人権を侵害している」との追及が相次いでいます。選手は、優柔不断なFIFAではなくEUに訴える事で権利を得ていますが、その過程で、移籍金制度自体が何時非合法化されてもおかしくないのが現状です。

 ですが、この話はさらに長くなるので、次回に回したいと思います。

 

3.(2) NPBにおける受難の時代 〜その2〜 ICHILAU

 

 みなさまこんにちは。ICHILAUです。今回も前回に引き続き、『NPBにおける受難の時代』について考察してみたいと思います。

 前回は、「移籍金なしに黒字の出せるクラブが皆無のサッカー界」と比較して、「選手の移籍金に頼ることなく黒字が出せるNPBは、かなり優良なリーグなのではないか」と考えるようになってきたところまでを書かせて頂きました。

 そこで今回は、そのサッカー界の長年の問題である移籍金制度について、まず述べていきます。

 

 サッカーの世界では、いわゆるMLBやNPBのドラフトであるような、選手の契約金についての規定は、選手がプロに入る時点では、ありません。たとえば欧州のクラブユースで育成される選手にしても、クラブで認められ、プロ契約を結ぶ時点で決まっているのは、選手の年俸だけで、クラブ側は契約金なしで、その選手の保有権を持ちます。また、ドラフト制度は、たとえば、2000シーズンまでのKリーグ(韓国)には存在していましたが、Kリーグのドラフトでは、学校とクラブが”縁故関係”を結んで、クラブの親会社から学校側が金銭的支援を受ける、という形式を採っており、選手個人に契約金が支払われるわけでは、ありません。したがって2002年現在、殆どのサッカークラブに置ける最大の収入源が選手の移籍金であることは、前回お話したとおりです。なお、今日の欧州サッカー界では、ケーブルテレビの放送権料が高騰し、ビッククラブの場合は放送権料が収入の中で大きいシェアを占めているわけですが、それでも黒字となるクラブは例外なく、選手放出で得られる移籍金が、選手獲得で支払う移籍金を上回っています。

 もちろん、中小クラブの場合、無尽蔵の赤字を物ともしないビッグクラブの金脈がこれらを支えるために、移籍金制度が無くてはならないものになっていることは前回も書かせて頂いた通りですが、近年は、この移籍金制度の前提となっている保有権が、選手の人権を侵害しているのではないか、という追及が相次ぐようになりました。

 その嚆矢となったのが、以前の2002年W杯特集の際に説明させていただいた、ボスマン判決です。

 

 ちなみにボスマン判決以前の保有権というのは、選手とクラブとの契約が切れても、まだクラブ側は選手の保有権を持っているので、選手が移籍したくても前所属クラブの許可無しには移籍できない、というものでした。すると当然ながら、契約終了後の選手が移籍しても、前所属クラブには移籍金が入るので、前述のとおり、クラブ側としては、プロ経験のない選手と1年契約をしただけで、好きなだけその選手を保有し、自分たちの事情で好きな時に移籍させることができるという、“とんでもないもの”でした。

 したがって中小クラブとしては、なるべく高い金額でその選手を他クラブに売りつけることで収入を確保し、クラブとしての命脈を保ってきたわけです。

 

 しかし、この“クラブ支配”の状況を一変させる事件が起きました。これがボスマンケースです。

 

 1990年に、所属クラブ、RCリエージュとの契約が切れたベルギーの無名選手、ボスマンは、新たなクラブへの移籍を希望しました。しかしその際、RCリエージュとボスマンとの関係はこじれ、RCリエージュは、ボスマンに法外な移籍金をかけ、彼を“飼い殺し”の状態にしてしまいました。

 そこでこのような仕打ちを受けたボスマンが、ベルギーの裁判所へクラブの人権侵害を提訴すると同時に、この様な保有権制度を容認するベルギーサッカー協会、およびUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)の移籍制度そのものの違法性を訴えると、この事態を重く見たベルギーの裁判所は、EU全体を管轄するヨーロッパ司法裁判所にこの判断を委ね、この件については、ヨーロッパ司法裁判所が判決を下すこととなったのです。そしてボスマン側が、保有権制度がEU法の定める「労働者の移動の自由を認め、労働条件における国籍による差別の禁止」に払拭すると主張する一方で、UEFAを筆頭とするクラブ側は、「移籍金が無くなると、クラブの財政に多大な負担がかかるので、クラブ間の競争力のバランスを乱し、サッカー界に危機が訪れる。また、サッカー選手はその労働の形態の特殊性から、一般労働者とは異なるので、特殊な立場にある芸術家として扱われるべきだ」と主張しました。

 すると1995年には、クラブ側の頑強な抵抗にもかかわらず、ボスマンは圧倒的な勝利を勝ち取り、その結果、外国人枠と保有権が緩和されたことで、良いクラブに良い選手が集中し、クラブの試合が面白くなり、クラブサッカーへの関心が高まり、放送権料の高騰などを通して、サッカー界は潤ったのです。なお移籍金は、契約期間中に移籍する為に契約を破棄した際の「違約金」として生き残りましたが、華やかな国際カップ戦に縁のない中小クラブにとっては、自らの事情にしたがって選手を売却できなくなった分、リスクが増えただけでした。

 

 それから、「労働者」としての地位を手にした選手達は、更に保有権に対する追及を強めました。

 そして1997年には、EU圏外の国籍を持った選手についてもボスマンと同様の裁判が起き、EU以外でも「サッカーの制度が、労働法に触れる」との判断が出る見込みになったところで、重い腰をあげたFIFAはついにEU法などに触れない新制度の整備を始め、2001年に新たな規定を完成させました。

 

★ 国際移籍に関するFIFA規則

 

 【前文】 

 

 契約が終了した全ての選手は、世界中で自由に移籍することができる。

 ただし、育成補償金に関する下記の2の規定に従うものとする。

 

 1 選手の育成に安定した環境を確保するために、18歳未満の選手の国際移籍または最初の登録は、一定の条件を満たした場合にのみ認められる。

 

 2 選手の才能を増進し競争を促すためには、クラブが若い選手の育成に投資するための財政的および競技的な動機が必要である。原則として、23歳以下の選手の移籍には、クラブに対して育成補償金が支払われる。

 

 3 契約期間は国内法に応じて最低1年から最高5年とする。クラブ、選手および一般大衆にとって、契約の安定は最も重要である。選手とクラブの契約関係は、サッカー特有の必要性に応じて、選手とクラブの利益の正しいバランスを計り、競技の秩序と適切な機能を 維持するような制度により統括されなければならない。 

 

 4 競技の秩序と機能を保護するために、1シーズンに2回の統一の移籍可能期間を設ける。移籍は1選手につき1シーズン1回を限度とする。

 

 しかし、この制度でもまだ選手の自由は制限されており、選手自身や、選手と利害が一致する一部のビッグクラブの更なる追及によって、完全な自由が獲得される可能性もあります。そうなってしまえば、基盤を持たない中小クラブは多大な打撃を受けることでしょう。ハッキリ言って移籍金制度は時代遅れだと私は思いますが、中小クラブの移籍金に代わる収入源についての見通しは立っていないのが現状です。

 

 

 そこで、以上の事を考慮すると、私はむしろ、移籍金に依存しなければならないサッカーよりも、「移籍金がなくても存続できるリーグ」=NPBの方が先を行っていると思います。

 NPBは会社という強力な基盤に立脚し、親会社の営業目的と球団保有目的が一体化しているチームも複数存在するため、存続問題が起きることすら考えにくく、移籍金制度のような人権侵害と糾弾されている制度に頼らずともやっていけており、選手の権利と言う意味では、ドラフト制度導入前には10年選手制度も存在し、いまはFA制度もあるので、サッカーよりも人権が確保されているのではないかと考えるからです。それに前述したとおり、プロの世界に入る際には、特殊な場合を除き、契約金もちゃんともらえます。

 もちろんNPBのあり方や将来について批判が聞かれるようになって久しいのは、皆さんもご承知のことですし、NPBにはNPBなりにプロアマ問題や、メディアとの癒着、チーム格差、閉鎖的すぎるシステムなどの、解決すべき問題を数多く抱えてはいますが、移籍金制度や保有権と言ったサッカー界の抱えている問題の方が遥かに深刻であり、競技自体を脅かしているのではないか、と私は考えているのです。

 

 ただ、サッカー界の問題の方が深刻だからという理由で、NPBの問題が見過ごされていいわけでは決してありませんし、また、最近話題になっている、ビッグクラブのエゴの話や、メディア企業の破綻の話もあります。そこで次回以降はこれらの問題について、執筆者を編集長のMBさんに代わっていただき、サッカーや野球という枠を越え、スポーツビジネスのあり方の面そのものから論じていただくことにします。

 

【参考サイト・文献】

 

> http://web.sfc.keio.ac.jp/~msh/sports-b/8th.htm

> http://www.people.or.jp/~15oliseh/repo/repo1.htm

> http://www.sportsnetwork.co.jp/jl/jl_advbn/vol35.html

> http://www.sportsnetwork.co.jp/jl/jl_advbn/vol36.html

> http://www.j-league.or.jp/nletter/66/02.html

 2001年6月25日/日本経済新聞 朝刊23面より

        『競争促すか(韓国Kリーグ)ドラフト撤廃』

 南米蹴球紀行 ケイブンシャ

 

 

3.(3) NPBにおける受難の時代 〜その3〜 MB Da Kidd

 

 前回まではICHILAUさんにムリを言ってお願いして、サッカーの世界の話を元に、NPBというプロスポーツリーグが、サッカーをよく知っている人間から見ると、どのように捉えられるか、という話を2回に分けて、書いていただきました。そして、その具体的な結論は、これです。

 

>  私はむしろ、移籍金に依存しなければならないサッカーよりも、「移籍金がなくても存続できるリーグ」=NPBの方が先を行っていると思います。

>  NPBは会社という強力な基盤に立脚し、親会社の営業目的と球団保有目的が一体化しているチームも複数存在するため、存続問題が起きることすら考えにくく、移籍金制度のような人権侵害と糾弾されている制度に頼らずともやっていけており、選手の権利と言う意味では、ドラフト制度導入前には10年選手制度も存在し、いまはFA制度もあるので、サッカーよりも人権が確保されているのではないかと考えるからです。それに前述したとおり、プロの世界に入る際には、特殊な場合を除き、契約金もちゃんともらえます。

 

 さて、この記述を読んで、あれ?と思われた方々もかなり多いでしょう。確かに、この記述に矛盾はありませんし、論理としては、完結しています。しかし、何かがおかしい。では、なぜ、野茂さんをはじめ、さまざまな選手はNPBを『捨てて』、アメリカに渡ったのでしょう?あるいは、なぜ『常識外れ』な手段を採ってまでNPBから選手を引き抜き、MLBへと移籍させた辣腕エージェント、ダン野村さんを英雄視する野球ファンが少なからずいるのでしょう?

 

 もうひとつの発言を取り上げます。これは、東大出身のプロ野球選手として話題になった、元千葉ロッテマリーンズの小林至氏の著作、『プロ野球ビジネスのしくみ』(2002.7. 宝島社新書)の中、112ページから113ページにかけての記述です。

 

> プロ野球は、ソニーや、トヨタ、または朝日新聞と同じように企業です。その行動は、家電産業、自動車産業、メディア産業と同じように利益追求です。

> ソニーがプレイステーションを生産し、朝日新聞が新聞を発行しているのと同じように、プロ野球は、スポーツイベント=試合を媒介として、利益を追求しているのです。

> だから、いくら読売が経営的に安定しているからといって、そして地域性を取り入れることがモラル的に美しいからといって、それが読売の利益を損ねる行動であれば、ビジネスとしては失格です。それどころか、「株主の利益」が重視されるこの時代、株主への背信行為と取られかねないのです。

 

 ICHILAUさんの出された結論は、論理としては完結していますが、この記述は商業本におけるプロの人間による記述であるにもかかわらず、そのレベルにすら至っておらず、大きな矛盾をいくつも抱えています。具体的にひとつずつ、挙げていきましょう。

 

 第一に、企業が存在する一番大きな目的は、利益追求ではありません。したがって、その行動を利益追求のみに限定することは、社会に対する企業の役割を、きちんと考慮していないことになります。また、英語の会計学用語において、企業のことを何と呼ぶかというと、それは"Going Concern(ゴーイング・コンサーン、継続企業)"です。つまりぶっちゃけた話、企業の一番大切な目的は、大学で経営学や企業論を修めた方々の間では常識ですが、

 『存続して、社会に対して責任を果たし、また社会に貢献し続けること』

 なのです。その手段として利益追求を行う、これが企業です。利益追求を目的として、利益がある程度上がったら企業を解散する、という例外的なことをやったのは、有名どころでは、資本主義の黎明期におけるヨーロッパの大航海ベンチャー企業、あるいは近年のシリコンバレーにおける数々のインターネット企業、そして一部の投資ファンド企業ぐらいで、ほとんどの場合は、あくまで上記の目的ですし、また、長く伝統を創っていって、人々に夢と希望を与え続ける、というスポーツ産業の特殊性を考えた場合、単なる利益追求というのは、これと大きく矛盾します。

 

 第二に、『スポーツイベント=試合を媒介として利益を追求している』と述べておきながら、『いくら読売が経営的に安定しているからといって、そして地域性を取り入れることがモラル的に美しいからといって、それが読売の利益を損ねる行動であれば、ビジネスとしては失格です。』と述べているのは、論理として最初から壊れています。

 まずここには、広告・宣伝手段として、あるいは、営業の手段として、親会社がプロ野球の球団を利用している、ということが明記されていないどころか、スポーツイベント=試合を媒介として利益を追求している、と限定して述べられています。したがって、親会社が出資して、スポーツイベント=試合を行っている、自立した球団が前提で、話が進められているというわけです。つまり、こういう書き方をするということは、日本独特の、プロ野球の球団を宣伝・広告手段として、あるいは、営業の手段として保有するという、親会社フランチャイズ方式を否定するということになっているので、それが読売の利益を損ねるケースもありえます。なぜなら、読売の利益ということに絞って考えると、費用対効果ということを考えた場合、自立した球団に出資をするだけということが、必ずしも利益追求にはならないし、また、利益を喰いつぶすブラックボックスにもなりかねないからです。それとこれは、広島カープや横浜ベイスターズ以外の10球団のあり方とは、ちょっと異なり、実態から大きくかけ離れていることにも、なっているのです。

 

 第三に、『地域性を取り入れることがモラル的に美しいからといって、それが読売の利益を損ねる行動であれば、ビジネスとしては失格です。』というのは、『スポーツイベント=試合を媒介として利益を追求している』ことと、マーケティングの面から矛盾しています。

 地域性を球団の名前に取り入れるのは、モラルではなく、あくまでマーケティング上の戦略です。地域の名前にした方が親しみやすいというのは、その球団がある地域住民の皆さんにとっては当然のことで、会社の名前に愛着を持つのは、ほとんどの場合、その会社に勤めている方々や、あるいはその会社と直接的・間接的にいい関係を持っていて、その会社に対していい印象を持っている方々ぐらいで、他の方々にはまったく関係がありません。したがってこれは、立派に営業戦略として成り立つわけで、逆に、地域性を球団の名前に取り入れず、代わりに企業の名前を入れるということは、その企業が国の誇りや地域の誇りとして認知されている特殊なケースを除き、反感を持たれて終わるのが、せいぜいです。つまり、球団の名前に企業名を取り入れるというのは、ほとんどの場合、『スポーツイベント=試合を媒介として利益を追求している』という利益追求目的に反することになりますし、こういう行動こそ、『ビジネスとしては失格』なのです。また、これによって営業成績が大きく落ち込み、利益を損ねた場合には、当然、株主への背信行為となります。

 

 では、今回は次回へのイントロダクションとして、ここまでにしておきます。次回はいよいよ、この『NPBにおける受難の時代』というテーマの核心である、日本独特の、広告・宣伝手段として、あるいは、営業の手段として、親会社がプロ野球の球団を利用するという、私が命名したところの『カイシャフランチャイズ』、つまり親会社フランチャイズ方式の是非について、述べていきます。

 

 

3.(4) NPBにおける受難の時代 〜その4〜 MB Da Kidd

 

 さて、今年の日本シリーズ選手権のあまりものライオンズのふがいなさに怒り心頭だったかもしれない方々は、多かれ少なかれこのメールマガジンの読者のみなさんの中にもいらしたかと思いますが、そういった、何か煮え切らずに悶々としていた方々に、その終了後、早速爽やかな朗報が届きましたね。もちろん、巨人の松井秀喜選手のFA宣言、そして、MLB挑戦です。私は、彼がどれだけやれるかは、彼が日本で培ってきたものをどれだけ、いい意味で捨てられるかが大きな鍵を握っていると思いますが、彼にその覚悟があるのなら、彼は間違いなく成功すると思います。ただし、MLBでは、1年目に結果を出すことよりも、長くスターとして君臨することの方が、想像を絶するほど大変で、だからこそMLBは、世界最高の野球リーグであるわけです。そして私としては、松井選手には、なるべく長く、その厳しい世界でのスターであり続けてほしいと願っていることも、つけ加えておきたいと思います。

 

 では、前置きはこれぐらいにして、今回からの本題、日本独特の、広告・宣伝手段として、あるいは、営業の手段として、親会社がプロ野球の球団を利用するという、私が命名したところの『カイシャフランチャイズ』、つまり親会社フランチャイズ方式の是非について、述べていきたいと思います。

 

 前回において、企業の大きな目的が、利益追求という手段を通じて、

 

 『存続して、社会に対して責任を果たし、また社会に貢献し続けること』

 

 であることはすでに指摘しました。ですが、私は決して、企業は社会の市民であって、よき一市民として、個人と同様にボランティア活動をやるべきだ、とか、利益を度外視して社会に貢献せよ、と言いたいのではありませんし、そういうところから話をしたいのでもありません。利益追求は、企業の目的ではないにせよ、存在意義であり、そこが、企業と他の*法人とのまったく異なるところで、しかもこれは法律で規定されていることですから、それを否定することは、具体的なケース説明と条文は省きますが、法律違反ということになります。

 企業は、倫理といった曖昧なものに基づいて動くのではなく、法律上の権利・義務関係に基づいて動くのが当然である、というのが私の意見です。したがって、もしも利益追求という目的以外の行動に企業を動かすのなら、企業に対して意見するのではなく、政治家に意見して、企業行動を法律によって規定するのが、その適切なあり方だと私は考えています。

 

* 法人 法律上で、権利・義務関係を整理するために、組織に対して、仮に与えた人格のこと。

 

 ところが、日本の1990年代初頭のバブル期にはやった言葉に、メセナ活動というものがあります。これは、私自身が定義しますと、

 

 『芸術文化擁護・支援活動を意味するフランス語で、古代ローマ皇帝、アウグストゥスに仕えたマエケナス(Maecenas)が詩人や芸術家を手あつく擁護・支援したことをその語源とし、大きな財力を持つ者が、文化を育て、発展させるために、自らの利益追求の有無に関係なく、私財を投じること』

 

 であり、どれだけお金をつぎこんだらどれだけ儲かるか、ということを大前提として行動する企業活動とは、まったく異なるものです。ちなみに企業メセナ活動協議会(http://www.mecenat.or.jp/)によれば、

 

 『ただし、現代の企業メセナにおいては、企業のイメージアップ・企業文化の改善・社内での連帯感・顧客との新たなコミュニケーションなど、長期的かつ間接的なメリットを求めることが企業メセナの当然の方向性である。

 日本では1990年の企業メセナ協議会の設立に際し、テレビ番組の協賛の意で使用されてきた“スポンサー”という英語ではなく、フランス語のメセナを採用したことから、メセナは、企業がパートナーシップの精神にもとづいて行う芸術文化支援をさす言葉として知られるようになった。』

 

 ということのようですが、これは純粋なメセナとは違うもので、明らかに広告・宣伝活動ですから、効果がどれだけあるかは別として、当然、利益追求のひとつの方法、ということになります。

 

 そこで、話を企業スポーツやカイシャフランチャイズに戻すと、企業がスポーツ活動を支援する、あるいは、プロスポーツチームを持つ、ということは、決して、上記の私自身が定義した、メセナ的な考えに基づくものではありません。無論、利益追求のため、広告・宣伝活動の一貫としてやっているのです。

 しかしそのことを論じる前に、企業の利益追求活動とは一体何なのか、そして利益追求のあり方とは一体どういうものなのか、ということについて言及しておく必要が、あります。また、これの違いによって、企業のあり方というものが、最初のプロ野球団が創設された大正時代と戦後とで異なっているということ、ならびに、戦後の日本の企業のあり方が、他の資本主義国における企業のあり方とぜんぜん異なることについても、言及しなければなりません。したがって次回は、そのことについて説明し、そのことが日本の企業スポーツのあり方にどう影響しているのかについて説明する際の、土台を述べていきたいと思います。

 

 

 

3.(5) NPBにおける受難の時代 〜その5〜 MB Da Kidd

 

(この連載は一貫して読まないと難しいところも多々ありますので、以前の配信分につきましては、

> http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Special.htm#NPB'sJyunan

 から、必要な場合は、ご確認ください。よろしくお願い申し上げます。)

 

 前回は、メセナの定義について言及し、現代の企業スポーツが、メセナ活動のコンセプトとは異なることについて述べました。そして今回は、企業の利益追求活動の違いによって、戦後日本における企業のあり方というものが、利益追求活動の面から、戦前の日本企業のあり方、ならびに、他の資本主義国の企業の企業のあり方とどう異なるのかについて言及し、さらにこれが、日本の企業スポーツにどういう影響を与えてきたのか、ということを説明する際の土台を述べていきます。

 

 企業というものは、お金をたくさん持っている資本家という人たちが、それぞれのお金を寄せ集め、これらを元手にして創った、利益を追求するための組織です。そして資本家たちが目指しているのは、元手となったお金が、さらに増えて、戻ってくることです。したがって、最初の株式会社が1602年にオランダで設立された、大航海時代(17世紀)のヨーロッパにおける初期資本主義社会では、企業というものが設立されたのは純粋に利益追求のためで、大航海事業を行って、世界各地で貿易を行い、その結果獲得した産物を売り払って、さらに儲けるということを目指したものでした。ただし、このような大事業のスポンサーになることが、一人の大資本家だけでは難しいために、大資本家たちがお金を持ち寄って、組織を創り、これらが前回用語説明でも触れさせていただいた、『法人格』を持った。これが企業のはじまりです。

 

 ところが、時代が過ぎていくにしたがって、このアイデアを応用して、さらに小さなお金を集め、大きな事業を起こそう、という動きが出てきます。そして、上記の大航海時代の事業に参加できたのが大資本家の連中のみであったのとは異なり、中小の資本家たちが多数参画して、お金を広く集め、事業を行うことが主流となっていきます。これが、18世紀から19世紀中ごろにかけて起こり、イギリスを中心とするヨーロッパの国々における産業革命を支えた、お金の面での動きです。しかし、これらは大きなお金を必要としながら、事業として活動する際、法人格を認められていませんでした。法人格を認められるには、各国議会での承認を必要としたのです。したがって、こういった事業は社会的な存在として認知されていなかったがために、法制度の枠の外に置かれてしまったので、社会不安や不正行為の温床となってしまいました。そこでイギリスでは1844年、株式会社法を制定して、*登記行為だけで法人設立を認めることにしました。これが、企業が社会的な存在として認知されたことのはじまりです。

 

* 登記行為 役所に届け、届けた事柄を登記簿というものに載せてもらうことによって、法的な事柄として認めてもらい、法的・制度的な保護を受けられるようになること。

 

 したがって、このシリーズの第3回でも述べたとおり、この株式会社法が制定された時点で、企業の目的は、利益追求を手段としながら、

 

 『存続して、社会に対して責任を果たし、また社会に貢献し続けること』

 

 となったのです。

 しかし、企業はその歴史的な成り立ち上、利益追求はあくまで手段でありながら、その存在意義でもあるので、これを無視した活動はできません。したがって、企業活動で大きく儲けた人たちが、その儲けの一部を社会に還元する、といった、フランス語でいうノーブレス・オブリージュや仏教でいう喜捨などのコンセプトに基づき、第4回で私が定義したメセナ的な行為を行うのは、企業人としての面をあまり出さず、一個人として、企業活動とは離れたところで行うのが、一般的なあり方になるわけです。

 

 ところが、戦後の日本では、上記のような利益追求というコンセプトとはまったく異なる企業群が誕生します。それが、官庁による手厚い保護とそのコントロールを受けた護送船団銀行連を基本とした、『日本株式会社』に属する企業群です。そこで次回は、企業スポーツとカイシャフランチャイズの基本となった、この『日本株式会社』に属する企業群について述べていきます。

 

【参考文献】

 友岡賛(ともおかすすむ)著 近代会計制度の成立 有斐閣 1995年

 

3.(6) NPBにおける受難の時代 〜その6〜 MB Da Kidd

 

 さて、前回は、資本主義の国々における、一般的な企業のあり方についての説明を行いましたが、今回は、戦後日本における、いわゆる『日本株式会社』に属する企業群についての説明を行い、これがどう企業スポーツのあり方に影響したのか、ということについてコメントしていきます。

 

 戦後の日本企業群は、一般的な資本主義国の企業のあり方とはまるで違う、ということはよく言われます。そしてそれは、戦後、GHQが日本における財閥を解体したこと、ならびに、大蔵省(現・財務省+金融庁)の銀行行政のあり方というものが、そのルーツになっています。

 

 GHQは財閥を解体すると、解散させた財閥本社から大企業の株式を取り上げましたが、占領が終わると、法人の株式所有が可能になったので、旧財閥系企業はお互いに再び結合し、株式の相互持ち合いが進みました。また、それらの企業だけでなく、旧財閥系以外の企業も含めた日本中の大企業たちが、1964年の日本のOECD加盟による資本自由化策に伴い、外国企業からの乗っ取りを防止するため、安定株主工作を行いました。そこで、企業集団グループが出来上がり、日本は高度成長時代に入りました。

 また、大蔵省も、メインバンクを通じて企業融資を行わせ、間接的に企業を支配するようになります。

 

 そこで、『法人資本主義』に基づく『日本株式会社』が誕生したのです。そして企業は、お互いに株式を持ち合うことで、利益を配当することをお互いに避け、得た利益は会社にため込み、これを新たな事業拡大の資金として使いました。というのも、年功序列・終身雇用・企業内労働組合という3つの特色を持つ日本企業は、単なる『働く場所』、あるいは『株式投資をして儲ける場所』ではなく、従業員とお金を抱え込む、『生活の場』としての『企業村』になったからです。

 

 また、村同士での交流を進め、村長さん(社長)同士がつながりを深める役割を、株式の相互持ち合いは果たしました。日本の国内ビジネスはコネビジネスだと欧米諸国からは揶揄されることが多いのは、読者のみなさんの中でも御存じの方は多いと思いますが、それは、こういったものがルーツになっているわけです。

 

 日本の企業スポーツの原点は、ここにあります。つまり、日本の企業スポーツは、

 

1.企業村住民たる従業員の福利・厚生のため、『スポーツをやること』を通じて連帯感を高め、健康維持に邁進させることを目的とした。

 

2.企業村住民たる従業員の心の象徴・拠り所として、働く意欲を湧かせることを目的とした。

 

3.企業村が安定した利益を得て、従業員を守れるように、広告・宣伝の役割を担い、会社が社会にいいイメージをアピールできることを目的とした。

 

4.企業村がより多くの利益を得て、その勢力を拡大し、大きく発展できるように、営業の手段として利用することを目的とした。

 

 これらの目的の上に成り立っているわけです。

 

 ところが、この『法人資本主義』には、大きな欠陥がありました。そしてそのことが、現在危機と言われている日本の企業スポーツのあり方に大きく影響しているわけですが、それについては、次回に説明を回したいと思います。

 

【参考文献】

 

 会社本位主義は崩れるか 奥村宏著 岩波新書 1992年

 企業・スポーツ・自然 〜株式会社ニッポンのスポーツ〜

               等々力賢治著 大修館書店 1993年

 スポーツイベントの経済学 〜メガイベントとホームチームが都市を変える〜

               原田宗彦著 平凡社新書 2002年

 

3.(7) NPBにおける受難の時代 〜その7〜 MB Da Kidd

 

 前回は『日本株式会社』の企業群の特徴とその影響を受けた企業スポーツの話をしましたが、今回は、その『日本株式会社』の基礎となっている『法人資本主義』の欠陥を指摘し、それが現在の日本の企業スポーツに、どういうマイナスの効果をもたらしているのかを検証していきます。

 

 戦後の日本企業が、単なる『働く場所』、あるいは『株式投資をして儲ける場所』ではなく、従業員とお金を抱え込む、『生活の場』としての『企業村』になったことは、前回指摘しました。したがって、そういった日本企業には当然のことながら、『仲間内の寄合所帯』独特の欠点があります。

 

 『仲間内の寄合所帯』には、内部での厳しい統制と強い連帯感はあっても、外部に対する配慮はもともとありません。したがって、『法人資本主義』に立脚した戦後日本企業にも、当然、そういうところがあります。

 また、『仲間内の寄合所帯』同士がさらに、株式をお互いに持ち合って、大連合企業村を形成しているわけですから、寄合所帯間には、れっきとした『暗黙のルール』が存在します。

 

 それは、お互いに利益配当を減らすということです。そして、減らした利益配当を、新たに事業を増やしたり、大きくしたりするための資金に回す。

 これは前回でも指摘しました。

 

 では、こうやって新たに事業を増やしたり、大きくしたりすることで、どういったメリットが『企業村』にはあるのでしょうか?

 それは、村の規模が大きくなり、村に多くのカネと人が集まって、村が栄え、村民がみな、うるおうということです。したがって、村が栄えるために、その村民たる従業員は、必死になって、会社のため、仲間のため、自分自身や自分の家族のため、働くのです。

 

 ところがこの『企業村』の特色というのは、名目上でも利益を追求することをその存在意義としている、お互いが独立した組織であることです。しかも企業ですから、競争している部分も、大いにあります。したがって、一度勢力拡大のドライヴがかかると、歯止めが利かなくなります。

 また深刻なのは、このドライヴが一度かかると、企業村の村民たちはお互いにこの動きを止められなくなり、自分たちのことを、自分たちの意思でコントロールすることが、非常に困難になってくることで、それと同時に、個人の意思が集団暴走の波に呑み込まれ、これが抹殺されてしまうことです。

 これが、日本企業独特の『集団主義』です。

 

 『集団主義』の下では、『会社のため』という名目で、『企業村のエゴ』が、その『企業村』の中ではすべて美化されてしまいます。所詮『企業村』の中では、企業の都合しか優先されないのです。

 したがって、日本の企業スポーツというものは、企業の都合によって、その命運が全て決まってしまうし、それだけでなく、企業と運命を共にしてしまう、というぜい弱さをも持つのです。つまり、日本の企業スポーツというカテゴリーの中では、企業>スポーツという関係は、変えようがないだけではなく、スポーツが企業という枠を超えて動き出すことはありえない、ということです。たとえば2002年9月23日号の週刊ベースボールP.78〜79で紹介されている、デイリースポーツの改発博明さんの話によれば、

 

 『(阪神タイガースの)オーナーは野球を愛していない。球団は関連会社のひとつだと思っているし、選手のことは従業員だと思っている。』

 

 ということですが、これは、NPBが企業スポーツの枠内にある限りでは当たり前の話ですから、阪神タイガースファンの私としては非常に腹が立つ話ではあるのですが、黙って涙を呑んで、こらえるしかないのです。

 

 近年の日本は経済不況が続いており、これに伴い、さまざまな社会人スポーツが急速に消えていっています。特に、投資した割には効果が薄い集団スポーツが消えており、有名どころでいえば、社会人野球の名門・熊谷組野球部などが廃部に追いやられていますが、こういった現象が起きているのは、上記の理由があるからです。

 

 また、これを観るスポーツにあてはめた場合、スポーツ興行で利益を挙げることよりも、会社にとっては、その勢力拡大に貢献できるかどうかということが優先されます。したがって、野放図に選手の年俸や契約金を上げ、人件費のコストが上がっても、それ以上の自社の勢力拡大が望めれば、企業スポーツは会社にとって充分投資するだけの価値があるので、企業はそこに、際限なくカネをつぎ込むのです。

 

 では、次回は、企業が自らの都合にしたがって際限なくカネをつぎ込むことによって発生する、マイナス効果について考察していきます。

 

【参考文献】

 

 会社本位主義は崩れるか 奥村宏著 岩波新書 1992年

 企業・スポーツ・自然 〜株式会社ニッポンのスポーツ〜 等々力賢治著 大修館書店 1993年

 

3(8). NPBにおける受難の時代。〜その8〜 MB Da Kidd

 

 前回は、企業村のエゴがもたらす欠陥の話をしましたが、今回は、企業が自らの都合にしたがって際限なくカネをつぎ込むことによって発生する、マイナス効果について考察していきます。

 

 先日、読売新聞社主にして読売巨人軍オーナーの渡辺恒雄氏が、相変わらずのワンパターンで、『企業努力』と『自由競争』の球界における大切さを主張され、これに制限をかけるやり方を『社会主義』だと揶揄されていました。ですがこの場合にいう『自由競争』とは一体何でしょうか?同じプロ野球に属する球団間の競争でしょうか、それとも他スポーツ、あるいは他エンターテインメントとの競争でしょうか?

 もしもこれを、同じプロ野球の球団間の競争と仮定した場合、渡辺氏はこういった自由競争が、典型的な『市場の失敗』例であることには言及しておらず、所詮は経済素人の発言の域を出ていません。

 ではさらに、私がここでいう、『市場の失敗』というものは一体何でしょうか?

 

 『市場の失敗』とは、モノやサーヴィスを『神の見えざる手』によって自然にうまく社会に配分する、『自由市場』というものがうまく働かない場合のことをいいます。具体的には、

 

1.外部性

 

 市場で競争する以外に、消費者や生産者が経済活動を行っている場合、それが市場に影響を与え、競争のあり方をゆがめること。

 

2.公共財

 

 国防・警察、あるいは社会資本整備(郵便・道路等)のように、社会の構成員の全員がこれを消費し、それに対してカネを払わないヤツを排除できなくて、しかも、カネを払ったからといって、そのサーヴィス内容に格差をつけることが難しいサーヴィス。

 

3.不確実性

 

 マーケットに参加しているヤツに予測できないことが起きるとき、あるいは予測しても、意味がないことが起こるとき。

 

4.収穫逓減

 

 カネをかけても、効果が上がらなくなることで、費用対効果が下がること。

 

 こういったものがありますが、NPBはこれらの中でも、1の典型的な好例といえます。

 

 カイシャフランチャイズは、外部性と密接に関連しています。会社の都合がまず優先され、外部性なくして成り立たないので、適正な競争が市場で行われることは、まずありえません。したがって、球団を単なる広告・宣伝のための手段と考えている一般企業と、これを大きなコンテンツとしたり、あるいは自社の営業拡販手段としている企業とでは、かけられるお金の額が異なってきますから、たとえば有名選手を獲得する際、マネーゲームが発生して契約条件の競争が起こると、勝負の行く末は最初から見えてしまいます。当然のことながら、球団にお金をかけることがイコール、新聞のネタ提供、ならびに新聞の拡販につながり、最大の資金をかけられる読売新聞社をバックに持つ巨人の、1人勝ちということになります。

 

 では1人勝ちが発生すると、具体的にはどういった不都合が起こるのでしょうか。

 

 それは、強者がマーケットを独占してしまうことです。ですが、この『独占』とは一体何か、あるいは『独占』の弊害とは一体何か、ということについては、次回に説明を回したいと思います。

 

3.(9) NPBにおける受難の時代。〜その9〜 MB Da Kidd

 

 前回は、企業が自らの都合にしたがって際限なくカネをつぎ込むことによって発生する『独占』について紹介しましたが、今回はこの『独占』についてさらに詳しく見ていきます。

 

 『独占』とは一体何でしょうか。独占禁止法第1・2条にはその定義がいろいろと載っていますが、具体的には、

 

 『私的独占ならびに、不当な取引制限および不公正な取引方法による、事業者の市場における、事業支配力の行き過ぎた集中』

 

 ということになります。そして、さらに『私的独占』とは、

 

 『事業者が、単独に、あるいは他の事業者と結合・通謀し、それ以外の事業者の事情活動を排除・支配することによって、公共の利益に反し、一定の取引分野における競争を実質的に制限すること』

 

 です。そこで、これを現状のNPBにあてはめますと、たとえば選手の獲得競争という分野に限って考えてみた場合、

 

 『巨人が(正確には巨人のオーナーたる、読売新聞社社主・渡辺恒雄氏が)、単独に、あるいは他の球団と結合・通謀し、それ以外の球団の選手獲得のための活動を排除・支配することによって、球団間の戦力均衡を達成し、緊迫した試合を数多くおこなうことでプロ野球興行全体を活性化させる、という球界公共の利益に反し、球界における選手獲得競争を実質的に制限している』

 

 ことになるわけです。したがって、巨人は自由競争を広げるどころか、これを大きく制限して、球界全体の公共の利益を損ねていることになっているのです。渡辺恒雄氏は『自由競争』という言葉をよく使いますが、彼が読売新聞社社主として、大金を投じて、陰に陽に、節操なく選手を獲得しようとする姿勢は、まさに自由競争を破壊するものであり、彼の持論は、最初から崩壊しているのです。

 

 また、公共の利益ということでいえば、巨人がマネーゲームを通じて選手のためにかける資金を吊り上げることで、巨人自身だけでなく、それ以外の球団の運営側の安易なチケット料金値上げや視聴料金値上げに、絶好の口実を与えることになるので、これを観戦するファンとしてみれば、巨人ファンであろうとなかろうと、大きくそのフトコロを直撃されることになります。したがって、渡辺氏の行動は、大きく公共の利益に反する行為、ということになるわけです。

 

 ですが、こういったビッグクラブのエゴは、何もNPBにおける巨人に限ったことではありません。次回は、MLBやサッカーの世界における、ビッグクラブのエゴについて、見ていきたいと思います。

 

(10) NPBにおける受難の時代 〜その10〜 MB Da Kidd

 

 前回は巨人のNPBにおける人材独占を例に、独占の弊害を指摘しましたが、今回以降は、NPBだけでなく、MLBやヨーロッパサッカーのビッグクラブ一般の独占の弊害についても、指摘していきたいと思います。

 

 NPBの独占の背景にあるものは、カイシャフランチャイズ特有の外部性であることは、その8で指摘し、その9ではさらに、それが具体的にどういった結果を招くのかということを説明させていただきました。そこで今回は、弊害の対極にある、『公共の利益』とは一体何であるかということをまずは指摘します。

 

 前回取り上げた、『私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)』第1条の後段には、このような記述があります。

 

 『不当な制限その他一切の事業活動の不当な拘束を排除することにより、

・公正かつ自由な競争を促進し、

・事業者の創意を発揮させ

・事業活動を盛んにし、

・雇傭及び国民実所得の水準を高め、

 以て、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。』

 

 つまり、独占禁止法の最大の目的は、資本主義における『強者のエゴ』を抑え、競争を促し、自由競争を守ることであり、この結果、『一般消費者の利益』が確保され、『国民経済の民主的で健全な発達』が促進されるのです。したがって、これこそが『公共の利益』であり、『強者のエゴ』を振りかざして競争を制限することは、この『公共の利益』に大きく反することです。こういう独占による競争制限を認めてしまうのは、事業者の創意を喪失させることによる企業努力の排除であるため、非常に社会主義的・共産主義的であり、その意味からも、渡辺恒雄氏の『社会主義』発言は、極めて本末転倒的、かつ無意味な感情的発言と指摘せざるを得ません。

 

 ではここで、カイシャフランチャイズと比べて地域フランチャイズでは、果たして、市場の失敗による影響はないのか、ということについて考えてみましょう。

 

 たとえばMLBでは、典型的なアメリカ式の地域フランチャイズ制度をとっていますが、地域フランチャイズ制度は、一定地域における観客獲得を制限する制度ですから、地域フランチャイズの持つ特性によって、営業収益の幅が限定されてしまいます。つまり、地域の持つ人口、広告効果、野球の持つ地位、そしてブランドによって、最初から営業収益の幅が限定されてしまい、事業者の創意を制限してしまうのです。

 

 この証拠を示す数字としては、プレジデント2003.5.19号のP.124〜129に掲載されている、福井盛太さんが書かれた『「金持ち球団」ヤンキースの経営学』という特集のP.126に、Street&Smith's sports Business Journal出典の、2001年度MLB球団別収支表が載っています。この収支表によれば、最高の営業収入を誇るニューヨーク・ヤンキースが$242,208,000、最低の営業収入しか得られないモントリオール・エクスポズが$34,171,000で、その格差は7倍強。しかもこの特集のP.127の記述によれば、ヤンキースの場合、自らの親会社、ヤンキーネッツが所有するケーブルテレビ会社、YESから支払われた放映権料、$171,000,000(2002年度)は損益計算書に載っていないということですから、さらなる格差があることが予想されます。

 

 したがってこの地域フランチャイズ制度を維持し、公共の利益を守って自由競争の余地を残すためには、どうしても営業収益を再分配する必要が出てきます。そこでMLBでは、年俸の総額が一定額を超えた場合、課徴金を課すことになりました。これがラグジュアリー・タックス(ぜいたく税)です。

 

 次回は、ヨーロッパにおけるサッカーのビッグクラブ事情について見ていきます。

 

(11) NPBにおける受難の時代 〜その11〜 MB Da Kidd

 

 さて、前回は、MLBのスポーツビジネス事情・地域フランチャイズ事情について軽く触れましたが、今回は、欧州のサッカーにおけるスポーツビジネス事情・地域フランチャイズ事業に触れていきます。このメールマガジンの読者の方は、野球をよくご存知ではあるが、サッカー事情は一般的なメディアで知るのみという方が多数派だと思われますので、少々くどい説明を加えさせていただきますが、サッカー事情について詳しい方は、どうかご甘受のほどをお願い申し上げます。

 またサッカーは、全世界に広まっているスポーツです。ですので、サッカービジネスといっても、南米と欧州ではまったく事情が違いますし、いま世界中でサッカービジネスへのカネが一番集まっている欧州でも、それぞれの国で事情が違いますが、この連載では、欧州4大リーグの中でも最高峰のレベルを誇ると評判の、イタリア・セリエAを取り上げることにします。

 

 まずは、セリエAのサッカービジネスとしての基本から、チェックしていきましょう。

 タイム誌記者でイタリア駐在員のグレッグ・バークさんの本、『パルマの真実(佐藤邦雄さん訳)』P.184によれば、

 『イタリアのサッカーは、大変裕福な人たちのレクリエーション、あるいは、スキャンダルに巻き込まれた金持ちの罪ほろぼしの社会事業という一面があった』

 ということですので、もともとはビジネスとしての体をなしていないところから、イタリアサッカーは出発しています。また、近年になって法律が改正される前は、クラブは非営利団体として登記されていなければなりませんでしたし、チームが自らスタジアムを所有していないのは、日本のプロ野球と事情は同じです。それに加え、イギリスやアメリカのように商品化権がきちっとしていませんので、クラブ主導でマーチャンダイジングを行うことが難しく、イタリアサッカー関係のグッズは模造品が出回っており、きちんとクラブの収入に直結していません。

 したがって、クラブの収入の途は、巨額のテレビマネーとスポンサーマネー、そして入場料収入がほとんどということになります。

 

 では、巨額のテレビマネーとスポンサーマネーが大きくものをいう、イタリア・セリエAの収入の途を左右するのは、一体何になるのでしょうか?

 

 それは、いかにいいスポンサーを迎え入れ、そのスポンサーに大金を出してもらって、メディア受けする有名選手を集めるか、ということになります。

 

 次回は、さらにセリエAのサッカービジネス事情を詳しく見ていきます。

 

【参考文献】

 『〜イタリアサッカー セリエAの1年〜 パルマの真実』 

 グレッグ・バーク著 佐藤邦雄訳 日刊スポーツ出版社 1999年

 『奥の奥まで見えてくる セリエA スーパー観戦術』

                 富樫洋一・高山港著 詳伝社 1999年

 

(12) NPBにおける受難の時代 〜その12〜 MB Da Kidd

 

 さて、前回は、セリエAのサッカービジネスの基本についてチェックをしましたが、今回は、その基本についておさらいし、次回におけるイタリア国内の経済とサッカーの関連話へのイントロダクションを行います。

 

 前回でも述べたとおり、セリエAのクラブの収入の途は、巨額のテレビマネーとスポンサーマネー、そして入場料収入がほとんどということになります。そこで、これらについて、入場料収入、スポンサーマネー、テレビマネーの順に、ひとつずつ見ていきましょう。

 

 まずは入場料収入ですが、これは、スタジアムに行って、いかに楽しい思いをできるか、ということが、収入のカギとなります。

 第1条件として必要なのは、クラブが強豪であることです。スポーツの一番大きな醍醐味が、結果が出るということである以上、クラブが強くなければ、勝利の悦びを得ることはできません。応援するホームのクラブが結果を出してこそ、そのチームを応援するファンは、自分たちの応援でクラブが勝てると信じ、スタジアムへと足を運ぶのです。

 第2条件として必要なのは、チームに、スターとなる、華のある選手がいることです。いくら結果をコンスタントに出せるいい選手がいたとしても、一瞬一瞬のプレイに、『プロフェッショナルだからこそできる何か』、あるいは、『その選手だからこそできる何か』を感じることができない限り、それを見ている人がプレイに魅了されることは、少ないでしょう。

 第3条件として必要なのは、第2条件と大分重なるところがあるのですが、クラブがプロフェッショナルであることです。プロフェッショナルとは、スポーツをプレイすることによって対価を得ることですから、そのエンドユーザーであるファン、ならびに観客に対して、それを満足させるために、ベストを尽くしてプレイするということが、大きな義務になります。したがって、結果を出すためだけに、イージーなプレイ、あるいは、無難なプレイをすることは許されません。こういう、悪い意味での手抜きは、アマチュアでは許されても、プロフェッショナルである以上は、決して許されることではないのです。

 第4条件として必要なのは、スタジアムの安全性と快適性です。ただ、安全性はともかく、快適性というのは、あくまで相対的にしか捉えられないものなので、そのあたりはかなり主観的要素が濃いわけですから、客観的な物差しで測るのは、極めて困難といえます。

 そこで、以上の4条件を考えると、これは、現場のプレイ・試合内容の向上に対する努力、ならびに、フロントスタッフのしっかりとしたサポート体制が、収入向上のカギになります。スタジアムに来るファンや観客のみなさんに、いかに来ていただくかということが重要で、そのために、いかに魅力あるクラブを創るか、ということが、何よりも重要になるわけです。

 

 続いてはスポンサーマネーの話ですが、これは、クラブに、どれだけの広告効果を期待できるかによって、決まります。そこで、広告効果を決定する要素について、考えてみましょう。

 第1に必要なことは、いかに、多くの人にアピールできるかということです。企業は、いくらいいサーヴィス、いい製品を提供できても、それを多くの人に利用してもらえない限りは、売り上げを伸ばせないし、利益も生み出せないわけですが、多くの人に利用してもらうには、多くの人にそのサーヴィスや製品を知ってもらうことが、必要になります。

 第2に必要なことは、そのサーヴィスや製品を、いかに、利用してくれそうな人にアピールできるかということです。たとえ多くの人に知ってもらったとしても、その人たちがサーヴィスや製品を利用しようとしない限りは、それは企業の収入に結びつきません。たとえば、広島でうまいお好み焼きを食べることができるとはいっても、東京の人が、これを広島までわざわざ出向いていって食べることは難しいだろうし、また、広島から東京に、アツアツのお好み焼きを送ることは、非常に難しい。

 したがって、スポンサーマネーによる収入は、以上の条件に合致して、多額のマネーを出してくれる企業をそうやって探すか、ということが、これを左右する要因になります。また、入場料収入のところでも述べた、いかに魅力あるチームを創るか、ということが、重要なカギになっていることは、言うまでもありません。

 

 そして最後に、テレビマネーの話ですが、テレビは広告のための手段ですから、これを決定する要素は、スポンサーマネーと同じです。

 

 次回は、以上に説明したことを踏まえ、イタリアの国内事情について、サッカーとからめながら、クラブのオーナーシップのことについての説明も交えながら、触れていきます。

 

(13) NPBにおける受難の時代 〜その13〜 MB Da Kidd

 

 さて、前回は、セリエAのサッカービジネスの基本となっている、テレビマネー、スポンサーマネー、ならびに入場料収入について詳しく説明しましたが、今回は、これらを踏まえた上で、イタリア国内の事情とサッカーの関係について、まずはオーナーシップの面から触れていきたいと思います。

 

 最初に、今週この話を進めていくにあたって理解しておかなければならないことは、サッカーが、イタリア人にとっての生活の一部になっているということです。したがって、サッカーのクラブは、そのクラブがある地域の共有財産であり、そのクラブがどんなに赤字になろうとも、*1解散する可能性は、限りなくゼロに近いということです。したがって、そのクラブのオーナーやスポンサーが倒産したからといって、クラブが解散することはまずありえない話ですし、また、どんなに多額の累積赤字を抱えても解散しないので、これは、政府が行う公共事業と同じような公共性を持っています。

 

 したがって、クラブのオーナーとなる企業、ならびに投資家にとって、サッカーのクラブを所有するということは、ある地域における最も重要な広告塔を獲得する、ということでもあります。つまりオーナーにとって、サッカーのクラブを所有するということは、イタリア経済における大きなステイタスを得て、その地域の顔となることにつながると同時に、クラブの負債について、ポケットマネーですべて穴埋めする責務を負う、ということでもあり、クラブのある地域に住む人々の感情の発露を受け止めねばならない、ということでもあるのです。それであるがゆえに、イタリアでは、『サッカークラブを持つことは、オーナーの道楽である』と言われており、しっかりとした、サッカーに理解があって、これに熱中できるオーナーがつくことが、クラブにとっては大変重要になります。

 

 そして、このようにしっかりとしたオーナーがつくクラブでは、自然とオーナーからの投資額は増え、有名選手獲得などのクラブ強化費に潤沢な資金が回ることになるので、人気クラブとなってきて、スポンサーも、つきやすくなります。ちなみに、この方法でここ15年、急速に台頭してきたのが、2003年6月現在、中田英寿選手が所属するパルマです。このチームは、パルマラットという乳製品を取り扱う会社のオーナー、カリスト・タンツィの、スポーツのクリーンなイメージを企業の宣伝効果に最大限利用するという経営戦略によって、1987年ここに買い取られて以来、その3年後にはセリエAに昇格し、この1990年にいきなりUEFAカップ(ヨーロッパの強豪クラブが出場するクラブ選手権)出場権を獲得したかと思うと、1995年にはこれを制し、スクデットを争えるほどの強豪クラブへと成長を遂げました。

 

 では、パルマ以外のセリエAの人気クラブとはどこでしょうか?それはまず第1に、国民的人気を誇るユヴェントス、続いてACミラン、それからインテルというビッグ3です。これら3クラブ、特にユヴェントスは、イタリアサッカーの象徴ともいっていいチームで、スクデット(セリエA優勝)を獲得した回数も、他のチームのはるか上をいきます。

 そのほかには、中田選手が在籍していたASローマ、ならびにラツィオが人気です。そして、上記のビッグ3と、このASローマやラツィオといったクラブは、資金も潤沢で、スタープレイヤーを多く獲得し、常に優勝を争っています。

 

 では、これら6クラブの資金が潤沢であるのはなぜでしょうか?次回は、そのことと、イタリア経済との関連について、見て行きます。

 

*1 もちろん、100%倒産しないというわけではないが、倒産した場合、セミプロのディレッタンティというリーグにクラブは降格となり、セリエAからはおろか、セリエB、ならびに、セリエC1やC2からも追放される。

 イタリアのサッカーリーグは、セリエA>セリエB>セリエC1>セリエC2となっており、ここまでがプロリーグである。そして、その下に、ディレッタンティというセミプロのリーグがあり、さらにその下に、無数のアマチュアクラブがあって、これらも序列化されている。

 

【参考文献】

 『奥の奥まで見えてくる セリエA スーパー観戦術』

                 富樫洋一・高山港著 詳伝社 1999年

 

(14) NPBにおける受難の時代 〜その14〜 MB Da Kidd

 

 

 さて、前回は、イタリアにおいてサッカークラブを持つことの意味を示し、セリエAにおける強豪6クラブの資金が潤沢であることを指摘しました。そこで今回は、これを踏まえ、さらに、イタリア経済とからめて、セリエAの事情について述べていきたいと思います。

 

 まず最初に、前回名前を挙げた強豪クラブ、ユヴェントス、ACミラン、インテル、ASローマ、ラツィオ、パルマの6クラブに共通していることとは何でしょうか?

 これは、このシリーズの第10回のMLBのNYヤンキースの例を踏まえて考えた方はすぐおわかりでしょうが、いずれのチームも、首都ローマ以北の、裕福な都市をフランチャイズにしているチームであるということです。ユヴェントスは、イタリア自動車産業の中心で、産業博覧会やモーターショーがよく開催されることで有名なトリノがそのフランチャイズですし、ACミランやインテルは、ファッション産業で名高いミラノがフランチャイズで、ASローマやラツィオは、首都のローマがそのフランチャイズです。またパルマのフランチャイズのパルマは、めぼしい産業が食品産業ぐらいしかない小さな町ですが、非常に生活水準が高い裕福な町として、イタリア国内では有名です。

 それから、この6クラブのオーナーの名前を挙げていくと、パルマのオーナーは前回でも述べたとおり、世界的な乳製品企業、パルマラットのオーナー、カリスト・タンツィですが、ユヴェントスのオーナーは、フェラーリとアルファ・ロメオを傘下に置くFIATというイタリア第一の自動車製造企業のオーナー、ジョヴァンニ・アニェッリ、ACミランのオーナーは、イタリアのメディア王で、フィニンヴェストグループというイタリア第2の従業員数を誇るコングロマリットの総帥たる、シルヴィオ・ベルルスコーニ首相、インテルのオーナーは、サラスというヨーロッパ有数の石油精製会社を所有するアニェッリ一族の3男、マッシモ・モラッティ、ASローマのオーナーは、大手建設会社の社長にして、イタリアに広大な不動産を所有する有名実業家、フランチェスコ・センシ、ラツィオのオーナーは、イタリア国内ではパルマラットに続く第2の食品会社・チリオのオーナー、セルジョ・クラニョッティといった具合に、いずれも、サッカーにはカネを惜しまない、強力オーナーの面々です。

 したがってこれらのクラブは、地の利がある上に、強力オーナーがついていることもあって、人気があり、強豪チームでもあるわけです。

 

 ところが、これとは逆に、没落の憂き目に遭ったクラブもあります。1980年代後半、マラドーナ(元アルゼンチン代表)やカレッカ(元ブラジル代表、元柏レイソル)といったスタープレイヤーの存在もあって、1986-87シーズン、1989-90シーズンにはスクデットも獲得したことのあるナポリは、その後財政難に陥り、1997-98シーズン後にセリエB降格してから、セリエAに復帰できたのは2000-01シーズンにかけてのみで、すっかりセリエBに定着してしまいました。そこで、ナポリの地元の経済はどうなっているのかということを考察してみると、歴史的・芸術的な遺産は多くあり、文化の宝庫として観光のメッカになってはいるのですが、農業以外にめぼしい産業がなく、典型的なローマ以南の都市の経済になっているのです。また、オーナーのフェルライーノ自身も近年は事業不振ということもあって、大金を出せる状況にはありません。

 

 したがって以上のことを踏まえますと、セリエAには、イタリアにおける経済問題、つまり、ローマ以北と以南とで経済格差が存在するというイタリア南北問題なのですが、これが反映されているのではないかと推測されます。そして、それを裏付けるデータとしては、2002-03シーズンにおけるセリエAの全18チームのうち、ローマ以南に所属するチームは、2003年6月現在中村俊介選手の所属する、レッジーナのみという事実があります。つまり、ローマ以南にあるプロのクラブは、フランチャイズの経済基盤が弱いことと、強力なオーナーやスポンサーがいないということで、クラブ強化にかけられる資金が限られてきており、その結果、セリエAの恩恵にあずかれるチームの数が激減しているということです。

 

 次回は、今回述べた事情を踏まえ、セリエAを襲った財政危機事情について、説明していきます。

 

 

(15) NPBにおける受難の時代 〜その15〜 MB Da Kidd

 

 さて、前回は、イタリア経済とセリエAの事情の関連について述べましたが、今回はその続きで、セリエAを襲った財政危機事情について、説明していきます。

 

 1992年5月、ルパート・マードックのBSkyBがプレミアリーグ(イギリスのプロサッカーリーグ)の独占放送権を5年間分、従来の5倍程度の3億400万ポンドで獲得して以来、ヨーロッパのサッカーシーンでは、放映権の暴騰が始まりました。そして、それによって収入が拡大したクラブの足元を見た有名選手の代理人たちは、従来のボスマン判決の年俸高騰の流れにさらに乗り、クラブ側に高額な年俸を要求し、クラブのオーナー同士の競争心を煽って、彼らの投資意欲に火をつけたのです。するとその結果、血で血を洗うような有名選手の獲得競争がなされるようになり、サッカー選手の年俸は、天文学的速度で上昇して行きました。これが選手の年俸バブルの始まりです。

 そしてその結果、クラブは多額の負債を抱えることとなり、このセリエAにも、ついにそのときがやってきました。強豪クラブ、フィオレンティーナの破綻です。

 

 2002年8月1日、かつてアルゼンチン代表として世界的に有名なバティことバティストゥータ選手を抱えていたこのフィオレンティーナの破綻は、セリエAの世界に衝撃を与えました。ディレッタンティ行きは避けられましたが、チームはセリエC2に降格、オーナーと経営陣は一新したのです。

 

 フィオレンティーナの破綻の原因は、オーナーだったヴィットーリオ・チェッキ・ゴーリの借金問題です。ヴィットーリオはイタリア映画界No.1の実力と言われていた人物でしたが、そのビジネスのパートナーであった妻リタと離婚し、その財産の半分を失ったことで、急に資金繰りが行き詰りました。チェッキ・ゴーリ・グループの財政状態が悪化したのです。

 そして、2001年6月には、セリエA登録料として毎年支払わなければならないはずだった1,320億リラ(当時のレートで約83億円)を請求されたのに、これを支払えないという事態が発生したのです。このときはクラブも、ポルトガル代表のルイ・コスタ選手を放出するなどして何とか資金を調達したのですが、この年の11月14日には、4ヶ月間給料が未払いになっていた選手たちが、支払い催促状を選手連盟に提出したのです。

 

 フィオレンティーナがこうなってしまった原因については、イタリア在住でサッカーについての記事をワールドサッカーダイジェストに寄稿されている片野道郎さんの説明によれば、フィオレンティーナがヴィットーリオのワンマン体制で、しかも、セリエAのビッグクラブとしての体裁としてのきちんと分業が進んだマネジメント体制になっていないから、ということなのだそうです。

 つまり一般企業にもよくある話ですが、実力以上に背伸びして事業を拡大したために借金が膨らみすぎて倒産するのと同じく、背伸びして積極投資を行い、スター選手を集めまくった結果、借金が膨らみすぎて、資金繰りがさらに悪化したということなのでしょう。

 

 また、株式マーケットに上場し、自立したクラブとしての姿を模索していたラツィオも、親会社のチリオが1億5,000万ユーロ(当時のレートで約186億円)の*社債を償還できずに、株式がミラノ株式市場にて取引停止になったことで、同様に激しく株価が値下がりし、取引停止になってしまいました。

 チリオの財政難の原因は、会長兼ラツィオオーナーたるクラニョッティ会長の投資の失敗にあると言われています。

 

*社債 会社が借金として調達したい資金を、分割してマーケットに公開し、証券として売ることで、調達する方法。同じマーケットで資金を集めるのでも株式と違う点は、会社の借金なので、必ず社債券を買った人に、お金を返さなければならないということ。

 

 つまり、セリエAを襲った財政危機は、フィオレンティーナのケースにしてもラツィオのケースにしても、極度に親会社や強力オーナーにクラブが依存するクラブの状況があるがために、親会社やオーナーの不振によって、クラブが運命共同体になってしまうことの象徴でもあるのです。

 

 次回はさらに、セリエAの財政危機事情を考察していきます。

 

【参考文献・サイト】

 『奥の奥まで見えてくる セリエA スーパー観戦術』

                 富樫洋一・高山港著 詳伝社 1999年

 特集・現地密着レポート 太陽の国からサッカーを追って 垣内一之著

> http://www.plala.or.jp/hobby/bravo/tokusyu/no_7/1-3.html

 片野道郎のイタリア通信 2000.2.18. フィオレンティーナの危機

> http://www.fantasista-net.com/2002club/backnumber/column/italy/katano089.html

 CALCIO TODAY 2002.11.11. Second_wind著

> http://members.jcom.home.ne.jp/calciotoday/021111.html

 

 

(16) NPBにおける受難の時代 〜その16〜


 さて、前回は小久保トレード事件についての特別版を緊急に書きましたが、今回からまた、話をセリエA事情に戻していきます。

 

 前々回ではフィオレンティーナの破綻とラツィオの財政危機の話をして、これらの財政破綻・危機の原因が日本のプロ野球のカイシャフランチャイズ制度と非常に似通っている部分によるものだと指摘しましたが、もうひとつ、日本のプロ野球と似た構造になっているところを指摘します。今回は、イタリアの放映権事情の話です。

 

 2002年になると、それまでの放映権の高騰に耐えられずに数々のメディア企業が倒産したことから、この影響を受けて、イタリアでも放映権バブルの崩壊は始まりました。

 

 よりチームを強くし、よりよい選手を集め、注目を浴びて広告効果を高めるためにクラブ側がどんどん値段を吊り上げた結果、高騰しきった放映権料。そして、そのクラブ側の足元を見て選手の年俸を吊り上げる代理人の働きで、さらに高騰する選手の年俸。その高騰した選手の年俸を支払うためのさらなる放映権の吊り上げ。しかしながら、この高騰のスパイラルためにキルヒやカナル・プリュスなどのメディア企業が倒産したのはみなさまのご記憶にもあることかと思いますが、その結果、この高騰のスパイラルに歯止めがかかったのです。

 

 1990年代、イタリアには2つの有料テレビチャンネルが登場しました。ひとつはルパート・マードック傘下のストリーム。もうひとつはカナル・プリュスが資本を持つテレビューです。そして、この2社の競合もあって、セリエAの放映権はどんどん吊り上がっていきました。

 ところが先にも書いたとおり、カナル・プリュスが倒産した結果、デレビューはストリームに買収され、スカイ・イタリアとして統合されたのです。

 

 すると、これまで放映権バブルの波に乗ってこの恩恵を受けてきた、資金が潤沢な6クラブ(このシリーズのその13でも指摘したユヴェントス、ACミラン、インテル、ASローマ、パルマ、ラツィオ)以外のチームには、採算に見合わないからという理由で、放映権の値下げ圧力がかかりました。一方でこの資金が潤沢=強豪6クラブの放映権は上昇し続けているのです。つまりセリエAは日本のプロ野球と同じで、各クラブチームが個別で放映権料を交渉できるために、弱小クラブはどんどん切り捨てられる一方で、強いクラブにますます富が集まる構造になっているのです。

 

 そこで値下げ圧力を受けたこの6クラブ以外のクラブは、連合して、2002-2003シーズンの開幕を2週間遅らせるという挙に出ました。その結果、6クラブがこれら以外のクラブへの資金援助に出たのです。

 

 しかしこれはよく考えてみると、おかしな話です。もともとリーグ戦スポーツというものはリーグ戦興行体なんであって、収入は興行体全体で、均等に分けるべきものなのです。こういうやり方にすべき理由は、この興行が本来持っている構造と、その成り立ちによります。ひとつのチームが強いからといって、そのチームに試合相手がいなければその強いチームは興行を行えないわけですから、収入は均等に分けなくてはおかしいのです。この問題を語る際には資本主義とか共産主義などという組織の経済システムの問題で語ることは完全に論点からずれており、たとえば放映権収入を全国もローカルも均等に分けるアメリカのNFLを、共産主義だ、と揶揄した読売新聞社社主の渡辺恒雄氏の発言は、経済素人としての無知をさらけ出したに過ぎないのです。

 

 リーグ戦スポーツ興行においては、クラブやチームを強くするためのノウハウを発展させる競争は行われて当然ですが、強い選手を集めるため、その獲得資金の大きさを競うような競争が行われては、スポーツ興行の根幹が風化してしまうのではないかと私は考えています。つまり、クラブやチームを強くするためのノウハウではなく、いかにして資金を調達するかというスポーツ以外の部分での競争が行われるために、スポーツそのものの発展ではなく、表面的にその場だけ儲ければいいという娯楽性と商売性の発展だけに目が向けられてしまうのではないか、ということです。

 強豪クラブ、ならびにチームに、チームを強くするためのノウハウが結集することは当然の競争原理ですが、資金の競争までそこに付随して、その結果、資金のない『弱小』と呼ばれるチームが切り捨てられていくことは、母体となるスポーツ興行の幅を狭めるので、この衰退をもたらすのです。つまり、リーグ戦興行体においては、エクスパンション(チーム・クラブの増設)はスポーツ全体を潤わせ、発展させる可能性を拓きますが、コントラクション(チーム・クラブの削減)は必ず衰退への途をつけてしまいます。

 

 さて、次回からは話を再び日本のプロ野球へと戻し、今度は選手の年俸のあり方について、何回かに分けて考察していきます。

 

【参考文献】

 Sportiva8月号 P.41下段 『Italia マードック VS カルチョの構図』

 

 

(17) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?1〜

 

 【その1:読売史観って?】

 

 読者のみなさまこんばんは。アフリカ野球特集は随時適宜入れていくこととして、実は私のHP、Ballpark In Salvadorの掲示板、COOLTALK↓

> http://151.teacup.com/Mountainbook/bbs

 の中で最近出てきた話題に、読売史観というものがあります。この読売史観は歴史上さまざまな論議を巻き起こしており、日本のプロ野球の世界では非常に大きな問題ですので、今回から十数回にわたって、その特集を行っていきます。

 そもそも読売史観とは何でしょう。それは、日本で一番最初のプロ野球チームが読売ジャイアンツであるとする球史の見方です。しかしこの読売史観には異議を唱える者が多く、当メールマガジンでも『にっぽん野球昔ばなし』を連載されている九時星さんが、

 

> 宝塚運動協会が解散したのが昭和4年7月、その5年後、昭和9年8月の読売新聞に、「日本最初の職業野球団 いよいよ近く誕生」という記事が出ますが、芝浦・宝塚から 巨人軍で選手だった山本栄一郎氏のスクラップしている新聞には手書きで「正式には4番目なり!!」という書き込みがされています。(「もうひとつのプロ野球」、佐藤光房・著より)
> 当時はまだ宝塚協会の記憶も新しく、そこで活躍した選手や対戦した選手がいわゆる職業野球リーグに数多く参加してますから、野球人にとって巨人軍が最初のプロチームでなかったことはほとんど常識だったでしょう。

 

 という当時の事情について説明され、読売新聞社社主だった正力松太郎さんをプロ野球の父と呼ぶことが多い中、誤解がまかり通っているのではないかと指摘されました。そこで、今回のこのシリーズの連載をすることに、私は決めたわけです。

 上記の九時星さんの説明にもありますとおり、読売史観とは異なる常識を持っておられる方々は、芝浦運動協会を日本初のプロ野球チームと考え、さらに宝塚運動協会や天勝野球団を続くプロ野球チームと考えています。

 ところでプロ野球チーム、いや、プロスポーツチームとは何でしょう。それは、定期的に興行を繰り返し行い、儲けることをその興行の目的にしている団体のことをいいます。したがって、いくら定期的に興行をやっていても、儲けることを目的にしていない学生スポーツや社会人スポーツは、プロスポーツではありません。レクリエーションや福利厚生のための課外活動の一環でスポーツをやっている場合、それらはすべてアマチュアです。

 ですが、学生スポーツや社会人スポーツではなく、個人の趣味でやっているクラブチームの場合はどうでしょうか。果たしてアマチュアといえるのでしょうか。
 人によってはアマチュアだと呼ぶ人がいるかもしれません。規模だとか、世の中に知れ渡っている度合いがそれぞれ小さかったり低かったりすれば、プロとはいえないと判断する人たちです。しかし一方で、いやそうではない、1円でも儲ける意思で興行をやっているんだったら、これはプロチームなんだ、と主張される方々もいるでしょう。そこで本連載では、読者のみなさまに読売史観について考えていただく材料を提供するため、比較として、世界各地のスポーツリーグ、チームの例を紹介していきたいと思います。

 ちなみに次回は、アメリカ・メジャーリーグ以前の時代を振り返っていきます。この野球の草創期、どういうチームが誕生し、どういうリーグが創設され、果たしてそれらがプロといえるのかどうか。また、日本の野球事情と比べた場合、どうなのか。これらの事柄について、読者のみなさまに紹介していきたいと思います。

 

 

(18) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?2〜

 

 【その2:野球の草創期〜メジャーリーグ成立まで】

 

 読者のみなさまこんばんは。前回は、読売史観は何ぞやということでこの連載をスタートすると宣言したわけですが、今回は、ベースボールの成立からアメリカ・メジャーリーグ草創期の話です。

 

 まだ数々のスポーツの源流となっているイギリスから独立して間もない19世紀初頭、イギリスの影響が色濃く残っていたアメリカ社会でよく行われていたスポーツに、タウンボールというものがありました。これは、クリケットとラウンダーズというイギリスの2つのスポーツから派生して、アメリカで誕生したものです。クリケットからは審判制度とイニング制度、ラウンダーズからはスティックとボールを使うという形式を、それぞれ採り入れています。ちなみにクリケットとラウンダーズの影響を受けて派生したこのスポーツには、タウンボールのほかに、goal ball、sting ball、soak ballなどさまざまな形式があり、ルールも統一されておりませんでしたが、一番ポピュラーな形式がタウンボールだったのです。タウンボールは独立戦争の兵士たちや南部奴隷の子供たち、あるいは街中の一般庶民によって楽しまれていました。

 そんな時代背景の中、1834年にはこのスポーツについて"The Book Of Sports"という本にてはじめてベースボールという言葉が出てきます。これが、このスポーツの呼称の運命を決定づけたのでしょうか。

 

 そして1839年、ニューヨーク州クーパースタウンにて、オステゴ・アカデミーとグリーンズ・セレクト・スクールとの間で、ベースボールの原型となるスポーツの試合が行われました。

 

 その後、1845年9月23日、アレクサンダー・J・カートライトによって、自分のチームのニッカボッカーズにルールブックが配られます。これが俗にカートライト・ルール、あるいはニッカボッカーズ・ルールといわれるもので、このルールに基づき、1846年6月19日にはじめての『正式な』ベースボールの試合が行われています。

 

 この日以後、ベースボールは急速な発展の時代を迎えます。20年の間にニューヨークでは数々のチームが生まれ、特にブルックリンでは数多くのチームが生まれたために『ベースボールクラブの街』と呼ばれるようになりました。1856年にはマンハッタンにて50近くのチームがあったといいます。またこの1856年から2年以内に、ファッション・レース・コースからロングアイランドという路線で汽車が走り、入場料50セントで試合を観客に見せています。

 そこでこういう動きを受け、1857年、ニッカボッカーズを中心に、ナショナル・アソシエーション・オヴ・ベースボール・プレーヤーズというリーグが誕生します。カートライト・ルールは20の成文から成立していたルールブックでしたが、このリーグ機構はさらに細かくルールを整理・体系化しました。そしてフィールドでプレイする人数を9人とし、内野を四角形と定め、その塁間を90フィート(約27メートル)とし、審判にストライクコールの権限を与えましたが、ひとつ、非常に重大な決定を行っています。それは、

 

 『ベースボールはアマチュアとしての試合しか行わない。試合に参加する選手は、いかなる報酬もこの試合によって受け取らない。』

 

 という決定です。したがって、このニッカボッカーズを中心としたナショナル・アソシエーション・オヴ・ベースボールは野球史上最初に成立したリーグではありますが、プロフェッショナルなリーグではなかったのです。

 

 その後、1861年から始まった南北戦争によって、一時リーグ創設の動きは途絶えます。ですがベースボール人気はその後も続きました。

 

 そんな中、野球史上におけるはじめての人気チーム、そしてスターが生まれます。ブルックリン・エクセルシオールズとジェイムズ・クレイトンです。のちに大選手兼大興行師となったアル・スポルディングはエクセルシオールズの人気ぶりを振り返り、このチームが1860年代、非常な勢いで全米の若者を魅了していったと述べています。エクセルシオールズの勝利の電報は全米中を駆け巡り、野球というスポーツはあっという間に広がっていきました。またクレイトンははじめて『スピードボール=速球』を投げ、観客を魅了しました。

> http://www.nickscards.net/bsblhistjamescreighton.html

> http://www.go-brooklyn.com/html/issues/_vol27/27_09/greenwood.html

(註:上記は英語サイトです。本連載においてクレイトンのプロファイルは本論ではありませんので載せませんが、非常に興味深い内容ですので、興味のある方はぜひどうぞ。参考URLとして残しておきます)

 

 ですが、エクセルシオールズのような人気チームやクレイトンのようなスターの誕生は、野球熱を煽る一方で、表面的にはアマチュアルールを掲げていたベースボールのあり方を変質させていったのです。能力のある選手を裏金で獲得することが横行し、アマチュアルールはすっかり形骸化してしまいました。また、ベースボールは賭けの対象となり、違法な報酬が支払われることになったため、選手の素行にも影響が出てきました。高潔なアマチュア精神はすっかりないがしろにされてしまったのです。


 そして1869年には、球史における初のプロフェッショナルチームが誕生します。シンシナティ・レッドストッキングスです。選手に野球による報酬を支払っていたチームは数々ありましたが、全米に公式に報酬を支払うことを宣言したチームは、このチームが最初でした。

 レッドストッキングスにはオハイオ州の投資家グループが出資し、監督にはハリー・ライトが就任して、試合中はニッカポッカのユニフォームを選手に着用させることでよりプレイのスピードアップを図り、同時に選手の素行もきちんと正しました。ライトは自分たちに出資してくれるひとたちを納得させるために、あるいは劇場で公演される見世物のように支払う価値のある興行であると人々に理解させるために、このようなことを行ったのです。

 

 ちなみにレッドストッキングスに参加していた選手のうち、地元シンシナティ出身者はただ一人でした。残りは帽子屋さん、保険屋さん、計理屋さんなどの本業をほかに持ち、さまざまなチームにて名を馳せてきたニューヨーカーたち。彼らは一人あたり$1,500あまりの報酬を受け取り、65連勝という記録を引っ提げて、当時できたばかりの大陸横断鉄道に乗り、カリフォルニア遠征を行って、200,000人の観客を動員しました。

 

 そこでこの動きを受け、2年後の1871年3月17日のセント・パトリック・デイという休日に、ナショナル・アソシエーション・オヴ・ベースボール・プレーヤーズは、アマチュア部門とプロフェッショナル部門とに分離し、ここに球史はじめてのプロフェッショナル・ベースボール・リーグが誕生します。

 参加したのは、シンシナティよりライトがレッドストッキングスをボストンに連れてきて成立したボストン・レッドストッキングス、シカゴ・ホワイトストッキングス、フィラデルフィア・アスレチックス、ニューヨーク・ミューチュアルズ、ワシントン・オリンピックス、トロイ(ニューヨーク)・ヘイメイカーズ、フォートウェイン(インディアナ)・ケキオンガス、クリーヴランド・フォレストシティーズ、ロックフォード(イリノイ)・フォレストシティーズの9チームでした。

 

 次回はこの続きで、メジャーリーグ戦国時代です。

 

 【参考Web】

・Baseball in the Nineteenth Century(長くてめんどくさいですが、非常におもしろい)

> http://www.connerprairie.org/historyonline/1880ball.html

・Baseball Almanac -Famous Firsts in 19th Century Era

> http://www.baseball-almanac.com/firsts/first1.shtml

・Baseball Almanac -Nickerbocker Baseball Rules

> http://www.baseball-almanac.com/rule11.shtml

・Steve Dimitry's Old Time Baseball Web Page

> http://www.geocities.com/Colosseum/Arena/6925/oldbase.html

 

 

(19) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?3〜

 

【その3:メジャーリーグ戦国時代 〜その1〜】

 

 読者のみなさまこんばんは。いろいろと大きな動きが続いている球界ですが、私としては、東北の新球団のことはB_windさんに任せ、四国の独立リーグの話は一豊さんに任せて、粛々とアメリカのプロ野球草創期の話を続けていきたいと思います。

 前回は球史初のプロフェッショナルチーム、シンシナティ・レッドストッキングスの誕生と、その2年後に生まれたプロフェッショナルリーグ、ナショナル・アソシエーション・オヴ・プロフェッショナル・ベースボール・プレーヤーズの話をしましたが、今回は、その後に続々と誕生したリーグ、ならびにそれに所属したリーグの話をいたしましょう。

 

 ナショナル・アソシエーション・オヴ・プロフェッショナル・ベースボール・プレーヤーズに参加したのが、ボストン・レッドストッキングス、シカゴ・ホワイトストッキングス、フィラデルフィア・アスレチックス、ニューヨーク・ミューチュアルズ、ワシントン・オリンピックス、トロイ(ニューヨーク)・ヘイメイカーズ、フォートウェイン(インディアナ)・ケキオンガス、クリーヴランド・フォレストシティーズ、ロックフォード(イリノイ)・フォレストシティーズの9チームだったことは前回述べたとおりですが、これらプロフェッショナルチームの興行は大きな人気を博しました。

 しかしながら、1873年の不況により観客動員は落ち込み、優秀な選手たちはよりよい報酬と安定した活躍の場を求め、チームを渡り歩いていったのです。すると、高い報酬を払えない、小さな町をフランチャイズにしているチームは、どんどん弱体化していきました。試合の日程を各チーム同士で勝手に組んでしまうこともたびたびで、各チームがお互い、シーズン5試合を組めばよい、ということが決められていただけの極めてルーズな運営だったこともあります。また、ファンは観客席で暴れる酔っ払いに文句を言い、選手は賭博師のために八百長を重ねたのです。

 

 そして1876年、この球史初のプロフェッショナルリーグに問題が持ち上がります。石炭採掘によって財をなしたシカゴ・ホワイトストッキングスのオーナー、ウィリアム・ハルバートが、チームのリーグ脱退を表明したのです。秘密裏にリーグのトップ5の選手を自チームに呼び寄せ、リーグ機構の怒りを買うことを承知で、ほかの7チームとともに新たなプロフェッショナルリーグ、ナショナル・リーグ・オヴ・プロフェッショナル・ベースボール・プレーヤーズ(現ナショナル・リーグ)を立ち上げました。各チームのフランチャイズ都市は、ボストン、シカゴ、シンシナティ、セントルイス、ハートフォード、ニューヨーク、フィラデルフィア、そしてルイヴィルで、それぞれが75,000人の観客を呼べるポテンシャルを持っていたのです。

 この新たなナショナル・リーグでは、以前のナショナル・アソシエーションに寄せられていた不平不満を改善する形で、いろいろと規定を設けました。選手の試合中の飲酒を禁じ、賭博師をフィールドから追放し、日曜日に試合をやらないことを決め、球場でビールを売らないことにしたのです。試合の日程はすべてリーグが決定し、管理・運営を行い、ナショナル・アソシエーションに比べ、よりリーグ戦興行体としての体裁を整えた堅実経営を行っています。

 そして最も大事なポイントは、選手にではなく、オーナーに権限を集中させたことです。各チームのトップ5の選手はそのチームのみのためにプレイすることが求められ(当時はチームの掛け持ちが多かったが、これを禁止した)、しかもその独占が、その選手の全選手生命期間に及ぶことになりました。このいわゆる『保留条項』は後々、カート・フラッドのケースのときに問題になってきますが、自由放任になって半ば無秩序になっていたプロフェッショナル・ベースボールのあり方に一石を投じたのです。最初選手たちは不平不満を言っていましたが、このことは、選手の労働者としての地位を定め、ベースボール興行をビジネスとすることを決定づけました。

 

 しかしながら、このナショナル・リーグの運営には、問題も出てきました。シーズンを全うすることのできないチームが次から次へと生まれたのです。もともとこのナショナル・リーグは上にも軽く説明したとおり、75,000人の観客動員を見込めるポテンシャルのある大都市をフランチャイズにしている8チームでスタートし、観客動員のポテンシャルの低い小都市をフランチャイズにしているチームを意識的に排除していたわけですが、ビッグチームが試合を行う相手をリーグに加入させざるを得なくなったのです。そこでリーグはシラキュース、トロイ、プロヴィデンス、ウォチェスター、インディアナポリス、ミルウォーキー、そしてバッファローをフランチャイズに置くチームを加入させました。すると、ボストンやシカゴのような大都市を本拠とするチームですら、儲からなくなったのです。また、20世紀初頭に至るまで一部の有力チームだけがペナントを独占し、国民的スポーツであるはずのベースボールが、一部有力都市の市民たちだけのものになってしまいました。しかも観客が、低所得層の一部民族連中や肉体労働者だけになってしまい、彼らは観戦のために景気よくお金を使う連中ではなかったのです。特に不景気で、賃金が下がるときには。

 

 次回は、そんなジリ貧に陥っているナショナル・リーグを後目に、新たに台頭してきたリーグのお話です。

 

【参考文献・web】

 針ヶ谷 純吉著 『ベースボールの生い立ち』 2004年 アメリカ野球學曾日本支部発表資料

 Baseball in the Nineteenth Century

> http://www.connerprairie.org/historyonline/1880ball.html

 

 

(20) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?4〜

【その4:メジャーリーグ戦国時代 〜その2〜】

 

 今年のワールドシリーズは、古豪セントルイス・カーディナルスが力を発揮できないままに涙を呑んだので、闘いの醍醐味を味わうことのできないままにワールドシリーズが終わってしまって、すこし勿体なかったような気がします。もちろん、私としては、ボストン・レッドソックスのワールドシリーズ進出と制覇を条件つきで予想していましたから、彼らが86年ぶりに勝ったのはちょっとうれしくもあるんですが、それにしても圧倒的すぎて、あまりにもあっさりしすぎた展開でしたね。そのボストン・レッドソックスとニューヨーク・ヤンキースとのアメリカン・リーグ・チャンピオンシップの闘いが伝説的な凄いものだったので、余計にその感を深くしております。
 ということで、今日は少々勿体ないという気持ちをこめて、セントルイス・カーディナルスの前身となったセントルイス・ブラウンズを中心とした、アメリカン・アソシエーション、ならびに、次々と勃興していったその周辺のリーグの話です。

 前回は、ナショナル・リーグがジリ貧に陥っているという話をさせていただきました。ちなみに私は、ナショナル・リーグがこうなってしまったのは、ナショナル・アソシエーションに寄せられていた不平不満を改善する形でいろいろと規定を設けたことが仇になり、自由度が減ってしまったことで、堅実経営が行き過ぎてしまったからなのではないか?と思っております。
 ナショナル・リーグは、選手の試合中の飲酒を禁じ、賭博師をフィールドから追放し、日曜日に試合をやらない、球場でビールを売らないと決めたことで、ボールパークやリーグの規律は保てたかもしれませんが、ゲームの『余裕』を奪ってしまったのではないでしょうか。賭博師を追放することや、選手の悪いマナーや観客の暴力をやめさせることは当然であるにしろ、ゲームをゆったりと楽しめなければ、観客のみなさんとしては満足しないわけですから、商売としてのリーグのあり方を考えたときに、この『余裕』は大事になってきます。そして、その『余裕』を生むもの・・・それこそがアルコールや、キリスト教上の安息日である日曜日に試合を観ることだったのではないでしょうか。したがって、ビール、あるいは日曜日という名前の潤滑油は、野球観戦には切っても切り離せなかったのではないかと私は考えています。いまの時代、日曜日に神宮球場あたりに観戦に行って、球場でビールを売り歩く売り子さんたちを見ていると、つくづくそう思うのです。

 さて、前置きはこれぐらいにして、本題に入りましょう。

 ナショナル・リーグは球場でビールを売ることを禁止し、日曜日には試合をやりませんでした。そこで、このことに不満を持ったアメリカ中西部のクラブチームが寄り集まり、1881年11月2日、『皆に自由を』という掛け声のもと発足したのが、アメリカン・アソシエーションです。参加したのは、セントルイス、シンシナティ、ルイビル、アルガーニー、アスレティック、そしてアトランティックで、その翌日にはリーグ会長としてH.D.マクナイトを選出しましたが、中心になっていたのはセントルイス・ブラウンズで、オーナーはクリス・フォン・ダール・アイという有名なビール醸造業者でした。1882年3月11日には、ナショナル・リーグから追放された選手の参加を、一定の審査を経たのちなら認めるという抜け穴を作り、ナショナル・リーグにて試合中の飲酒その他の理由によりブラックリストに載った選手たちを獲得、ナショナル・リーグの半分の25セントという入場料をとり、ナショナル・リーグでは禁止されたビール販売と日曜日の試合を認め、大いに盛り上がりました。

 このアメリカン・アソシエーションは、ナショナル・リーグを補完するという性格が強かったために、ナショナル・リーグとは友好的なライバル関係を保ち、共存共栄していきました。よって、1880年代はナショナル・リーグとこのアメリカン・アソシエーションの2大リーグが分立する時代になります。
 この2大リーグの関係を表す出来事は、たとえば1886年3月2日、アメリカン・アソシエーションが、それまでピッチャーには6ボールまで認められていたのを5ボールにまで制限し(現在のルールではもちろん3ボールですが)、*ピッチャーズボックスを1フィート(約30センチ)深くして、盗塁規定を認めるというルール改正を行いましたが、ナショナル・リーグもこれにならい、同年3月4日に同様のルール改正を行っています。ただし、ナショナル・リーグは7ボールから6ボールへの変更は拒否し、従来どおりの7ボールのままでしたが。

*ピッチャーズボックス

 現在はマウンド上にピッチャーズプレートがあって、ピッチャーはそこから投球を行うわけだが、当時はピッチャーズボックスという枠の中から投げていた。これは現在の感覚でいうバッターボックスのような、約1.8メートル四方の四角形の枠である。これを約2.1メートルの奥行きまで認めたのが1886年のルール改正。ちなみにこのとき、現在59フィート(約18メートル)の本塁までの距離は50フィート(約15メートル)しかなく、1858年当時の45フィート(約13.5メートル)よりは距離が伸びているが、ピッチャーが現在よりはもっとバッターに近いところから投げていた。なお、ピッチャーズボックスが廃止される代わりにピッチャーズプレートが登場したのは1893年からで、マウンドという呼称が使われるようになったのは1949年からである。

 また1883年9月にはユニオン・アソシエーションというリーグが発足し、ナショナル・リーグやアメリカン・アソシエーションの保留条項に対して不満を持つ選手の獲得を目指しました。参加したのは、リーグ会長のヘンリー・V・ルーカスがオーナーになっているセントルイス(・マルーンズ)、ミルウォーキー、シンシナティ(・アウトロー・レッズ)、ボルティモア、ボストン(・レッズ)、シカゴ/ピッツバーグ、ワシントン、フィラデルフィア、セントポール、アルトゥーナ、カンサスシティ、ウィルミントンでしたが、人気選手をほとんど獲得できなかった結果、ファンをほとんど球場に呼べなかったために、財政的に立ち行かなくなり、1884シーズン、8割3分2厘という圧倒的な勝率で優勝したセントルイスがナショナル・リーグへと逃げ出してしまった結果(マルーンズはのち2年で消滅)、翌1885年1月15日のミルウォーキーにおける会議にはミルウォーキーとカンサスシティの代表しか来ないという惨状に陥り、たった1年半で解散してしまいました。
 なお、この選手引き抜きの際には、ナショナル・リーグとアメリカン・アソシエーションが猛烈な反対運動を行ったといわれています。

 次回はこの続きで、1890年代から20世紀にかけてのメジャーリーグです。

 

【参考文献・Web】

 針ヶ谷 純吉著 『ベースボールの生い立ち』 2004年 アメリカ野球學曾日本支部発表資料

 Paul Dickson The New Dickson Baseball Dictionary 1989, 1999 edition Harcourt Brace

 公認野球規則1999年版

 Baseball Library Com.
> http://www.baseballlibrary.com/baseballlibrary/

 Union Association(UA) Statistics And Awards
> http://www.baseball-reference.com/leagues/UA_1884.shtml

 Historic Baseball Com.
> http://www.historicbaseball.com/

 

 

(21) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?5〜 MB Da Kidd

 

【その5:メジャーリーグ戦国時代 〜その3〜】

 

 さて、前回は岩隈問題を緊急に取り上げた関係上、オールドメジャーリーグの話ができませんでしたが、今回はその続きです。

 

 1880年代の回において、私がひとつ、書き忘れたことがあります。それは、アメリカ球史における、はじめてのワールドシリーズが行われたことです。

 前回私は、ナショナル・リーグとアメリカン・アソシエーションが友好的なライバル関係を保ちながら共存共栄していったことについては書きましたが、両者の間で選手権シリーズが行われたことについては書いておりません。したがってここに、これについて紹介しておきます。

 

 球史初のワールドシリーズが行われたのは1884年。プロヴィデンス・グレイズ(ナショナル・リーグ1位)とニューヨーク・メトロポリタンズ(アメリカン・アソシエーション1位)との間で行われ、グレイズが3連勝でメトロポリタンズを下しております。ただ、この当時のワールドシリーズはエキシビジョン的要素が強く、いわゆる日米野球やオープン戦のような、レギュラーシーズンの延長上とはかけ離れた、真剣勝負とは少々性格が異なるものであったようです。1903年以降に行われている近代ワールドシリーズに比べ、その運営方法はかなりルーズで、双方のチームのオーナー同士で試合数・球場・入場料の配分等を勝手に決めていて、たとえば1887年には、デトロイト・ウルヴァリンズ(ナショナル・リーグ1位)とセントルイス・ブラウンズ(アメリカン・アソシエーション1位)との間で15試合も行われていたり(結果はウルヴァリンズの10勝5敗)、あるいは決着がつかずに3勝3敗1引き分けといったシリーズ結果になった1885年(シカゴ・ホワイトストッキングズ[ナショナル・リーグ1位]対セントルイス・ブラウンズ[アメリカン・アソシエーション1位])や1890年(ブルックリン・ブリッジグルームズ[ナショナル・リーグ1位]対ルイヴィル・コロネルズ[アメリカン・アソシエーション1位])のワールドシリーズがあったりしました。

 

 が、1890年、突然この2大リーグ連立時代に変化が訪れます。プレーヤーズ・リーグの誕生です。プレーヤーズ・リーグは、年俸上限制度や罰金制度、ならびに保留条項といった2大リーグの運営のやり方に不満を持つ、*1ブラザーフッド・オヴ・ベースボール・プレーヤーズという球史初の選手組合のメンバーによって結成され、ボストン・レッズ、ブルックリン・ワンダーズ、ニューヨーク・ジャイアンツ、シカゴ・パイレーツ、フィラデルフィア・クエーカーズ、ピッツバーグ・バーガーズ、クリーヴランド・インファンツ、バッファロー・バイソンズが参加しました。

 しかし、このプレーヤーズ・リーグは資金が不足していたこと、組織がしっかりしていなかったこと、ならびに、2大リーグの妨害に遭ったことで、1891年の開幕を前に頓挫してしまいます。

 

*1 ブラザーフッド・オヴ・ベースボール・プレーヤーズ

 ジョン・モントゴメリー・ワード、ならびにニューヨーク・ジャイアンツのチームメイトたちによって1885年に結成された、球史初の選手組合。選手の権利の保護と向上を目指し、保留条項ならびに年俸上限の撤廃を目指した。プレーヤーズ・リーグ創設の動きはその運動の一環。

 

 そして、このプレーヤーズ・リーグ創設の動きは、思わぬ結果をもたらしました。アメリカン・アソシエーションの崩壊です。

 

 アメリカン・アソシエーションはナショナル・リーグの助言に従い、プレーヤーズ・リーグ創設の動きを妨害するため、リーグに参加するチームの数を1890年に12にまで増やしました。が、この急拡大がリーグを疲弊させ、運営を困難なものにしたのです。

 その結果、アメリカン・アソシエーションは、1891年のシーズン終了後、ナショナル・リーグに統合されました。

 

 次回は、アメリカン・リーグ創設とその台頭のお話です。

 

【参考資料】

 針ヶ谷 純吉著 『ベースボールの生い立ち』 2004年 アメリカ野球學曾日本支部発表資料

 針ヶ谷 純吉著 『メジャーリーグの昔を知ろう!!』 2004年 アメリカ野球學曾日本支部発表資料

 Paul Dickson The New Dickson Baseball Dictionary 1989, 1999 edition Harcourt Brace

 Baseball Library Com.

> http://www.baseballlibrary.com/baseballlibrary/

 Baseball Reference Com.

>http://www.baseball-reference.com/

 

 

(22) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?6〜 MB Da Kidd

 

 【その6:メジャーリーグ戦国時代 〜その4〜】

 

 さて前回は、プレーヤーズ・リーグの登場とそれの影響によるアメリカン・アソシエーションの崩壊の話をしましたが、今回は、その後に台頭してきた現アメリカン・リーグの話をしていきます。

 

 1891年、アメリカン・アソシエーションはナショナル・リーグに吸収され、アメリカでメジャーリーグと呼べるリーグは、ナショナル・リーグひとつだけになってしまいました。

 しかしながら、メジャーリーグと呼べるリーグはたとえひとつになっても、そのほかに、マイナーリーグと呼べるリーグは、いくつもありました。そのうちのいくつかは、鰻谷さんの連載でも紹介されている独立リーグとして残っているのもあれば、現メジャーリーグと契約を結んでいるマイナーチームが所属しているリーグがあったりしますが、このうちのひとつに、ウェスタン・リーグというものがありました。

 

 このウェスタン・リーグは1893年11月20日に設立されました。当時の参加チームはグランド・ラピッズ、ミルウォーキー、デトロイト、カンサスシティ、トレド、インディアナポリス、ミネアポリス、そしてシズ・シティで、1894年には、シカゴ・コマーシャル・ガゼット紙の記者であったバン・ジョンソンを会長に迎えました。

 同時にウェスタン・リーグは、シンシナティ・レッズ監督時代からジョンソンの盟友であり、低迷期のアメリカン・アソシエーションの1885年から1888年にかけ、4年連続でセントルイス・ブラウンズを4回優勝へと導いたチャールズ・コミスキーをも、シズ・シティのオーナーとして迎えています。コミスキーはシズ・シティを前オーナーのH.H.ドレイルから買収し、これを直ちにセントポールへと移しました。セントポール・セインツの誕生です。

 

 コミスキーは、陰に陽にジョンソンを助け、またミルウォーキーの経営陣にもコニー・マックが加わって活気いた結果、ウェスタン・リーグは急速に発展し、最強のマイナーリーグと呼ばれるようになりました。そこで1899年10月11日、ウェスタン・リーグはシカゴの会議にて、アメリカン・リーグへと改称します。またこれに伴い、1900年3月21日、センントポール・セインツはシカゴに移ることとなり、シカゴ・ホワイトストッキングと改称されることが決まります。そして1901年、アメリカン・リーグはついにメジャーリーグとして宣言をし、ナショナル・リーグの対抗馬として名乗りを挙げました。

 ジョンソンはナショナル・リーグの保留条項に挑戦し、2,400ドルに抑えられていた選手の年俸を引き上げ、サイ・ヤング、ジョン・マグロー、ウィリー・キーラー、ナポレオン・ラジョイ、エド・デラハンティ、ジェシー・バケットといったスター選手たちと次々に契約を成立させました。特にミルウォーキーから離れ、1901年からフィラデルフィア・アスレチックスのオーナーとなったコニー・マックは、年俸6,000ドルでナップ・ラジョイと契約し、ラジョイは打率.422、125打点、14本塁打というすばらしい成績を残し、アメリカン・リーグの三冠王に輝いています。

 

 次回はアメリカン・リーグとナショナル・リーグの和解と協調、そして、ワールドシリーズの開始と、20世紀初頭のメジャーリーグの話です。

 

【参考資料】

 針ヶ谷 純吉著 『ベースボールの生い立ち』 2004年 アメリカ野球學曾日本支部発表資料

 Baseball Library Com.

> http://www.baseballlibrary.com/baseballlibrary/

 Baseball Reference Com.

>http://www.baseball-reference.com/

 Chicago White Sox History

> http://www.mlb.com/NASApp/mlb/cws/history/significant_dates.jsp

 Ban Johnson And The Birth of American League

> http://www.athomeplate.com/alforms.shtml

 

 

(23) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?7〜 MB Da Kidd

 

 【その7:メジャーリーグ戦国時代 〜その5〜】

 

 前回の後半でも触れたとおり、アメリカン・リーグはナショナル・リーグの対抗馬として名乗りを上げた関係上、最初はナショナル・リーグと競争関係にありました。

 

 チャールズ・コミスキーが1901年、セントポール・セインツをシカゴに移してホワイトストッキングスを名乗らせたとき、シカゴにはナショナル・リーグの創設者、ウィリアム.A.ハルバートが1876年に創設したオルファンズがありました(1902年にカブスと改名)。つまりアメリカン・リーグは、ナショナル・リーグと競争するつもりで、オルファンズにホワイトストッキングスをぶつけてきたのです。

 そしてアメリカン・リーグは何もシカゴだけでなく、ほかのナショナル・リーグのフランチャイズにも対抗馬をぶつけてきました。同1901年、ボストンにおいてはビーニーターズ(のちのアトランタ・ブレーブス)に対してソーマーセッツ(のちのピルグリムス→レッドソックス)、フィラデルフィアにおいてはフィリーズに対してアスレチックス。1902年にはミルウォーキーにあったブリュワーズ(現ボルティモア・オリオールズ)をセントルイスに移し、カーディナルスにぶつけてきたのです。

 アメリカン・リーグはナショナル・リーグに対して、過去のどのライバルよりも組織として整っており、財政的基盤もしっかりしていて、指揮命令系統がちゃんとしていることを示そうとしたのでした。その結果、最初はアメリカン・リーグを格下扱いしていたナショナル・リーグもこれを認めざるを得なくなり、1902年には両リーグ会長を協議委員とするナショナル・コミッションが設立されます。そして1903年には両者のリーグチャンピオン間で9回戦制度のワールドシリーズが行われました。ちなみにこのときは、アメリカン・リーグのボストン・ピルグリムズがナショナル・リーグのピッツバーグ・パイレーツを5勝3敗で下しております。

 

 が、翌1904年のワールドシリーズは行われませんでした。というのも、ナショナル・リーグ優勝チーム、ニューヨーク・ジャイアンツ監督のジョン・マグローがこれを拒否したからです。マグローはアメリカン・リーグ会長のバン・ジョンソンとは不仲でした。

 2人の対立は1901年にさかのぼります。マグローは1900年、ナショナル・リーグにおけるボルティモア・オリオールズの消滅を受け、セントルイス・カーディナルスに移ることとなりましたが、ボルティモアの地にこだわったのか、『事前に通告なくチームが消滅した場合、選手は保留条項の対象とならない』というナショナル・リーグの保留条項の抜け穴を使って、アメリカン・リーグのボルティモア・オリオールズ(NYハイランダーズ→現NYヤンキース)へと移籍します。

 ところがマグローは、アメリカン・リーグでたびたび規律違反を起こして会長のバン・ジョンソンと対立した結果、1902年半ばにニューヨーク・ジャイアンツへと移籍し、このチームを1904年には106勝を挙げるほどの強豪へと変貌させたのでした。そしてこの1904年、このニューヨーク・ジャイアンツのオーナーに就任したばかりのバン・ジョンソンの仇敵、ジョン・T・ブラッシュとともに、ワールドシリーズ開催に応じることを拒否したのです。

 

 しかし1905年、1903年のワールドシリーズが好評だったことを受け、ナショナル・コミッションは正式にワールドシリーズの開催を決定し、7回戦制度も定めました。これが現ワールドシリーズで、1994年のストライキによる中止を除き、毎年開催されています。

 

 次回は1910年代半ば、このナショナル・リーグとアメリカン・リーグの2リーグ制に挑戦してきたリーグのお話です。

 

【参考図書・web】

・Major League Baseball Franchise History

> http://users.commkey.net/fussichen/dtl003.htm

・BaseballLibrary.com

> http://www.baseballlibrary.com/

・the Baseballpage.com(Chicago Cubs)

> http://www.thebaseballpage.com/present/fp/nl/chi.htm

・Chicago Cubs History(The Official Site of Chicago Cubs)

> http://chicago.cubs.mlb.com/NASApp/mlb/chc/history/

・Chicago White Sox History(The Official Site of Chicago White Sox)

> http://chicago.whitesox.mlb.com/NASApp/mlb/cws/history/

 

 

(24) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?8〜 MB Da Kidd

 

 

 【その8:メジャーリーグ戦国時代 〜その6〜】

 

 前回はナショナル・リーグがアメリカン・リーグの存在を自らと同等のものとして認め、いくつかのトラブルはあったものの、協調路線へと方向を転換し、20世紀におけるメジャーリーグ・ベースボール発展の基盤を着々と築きつつあったことの話は、しました。そして、ナショナル・コミッションの設立によって、両リーグが利害を一致させることになり、ワールドシリーズの正式開催までもっていったところまで説明しました。

 

 このように20世紀初期のアメリカでは、もともとルーツの異なる2つのリーグが協調路線をとることで今日の発展の礎を築いているわけですが、その象徴となったのが、上記にB_windさんがお取り上げになった、両リーグの会長制度の廃止です。

 

 日本のプロ野球の場合ですと、もともと1リーグだったものが50年ほど前に分裂し、分裂する際には新規参入球団をめぐって対立が起こった結果、新規参入に賛成組がパ・リーグに、反対組がセ・リーグにと分裂してしまった経緯が知られていますが、その後、以前にも紹介した昭和29年通達『職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について』↓

> http://www.nta.go.jp/category/tutatu/kobetu/houzin/2027/01.htm

 の影響もあって、

1.球団を『広告宣伝物』として扱い、球団維持のための業務をすべて外にお願いしてしてしまったために、経営努力の余地をほとんどなくしてしまった親会社

 と、

2.球団を自企業の重要なコンテンツとして位置づけ、利益を稼ぎ出すためのマシンにしてしまった親会社

 との間で収入に格差が生じてしまったことにより、日本のプロ野球のオーナー会議は、そのままだと永遠に利害が一致しない、複雑なモザイク体制になってしまいました。

 その結果、『単なるカイシャの気まぐれな道楽』として位置づけられた日本のプロ野球はそれを今日まで引きずってしまい、2004年にはオーナー同士の利害が大きく対立して二進も三進もいかなくなった状況を何とか打開するために、『妥協の産物』としての1リーグ制度へと流れを傾けようとしたわけです。しかしながらこれは所詮、一部カイシャ側のエゴにすぎず、メディアを通じて大きく世の中に影響を与えるプロ野球の公共性を無視した暴挙であったことは、以前にも指摘しました。その結果は、読者のみなさまもよくご存知のとおりです。

 

 これに対し、メジャーリーグは逆に、フィールド上では2リーグに分かれて盛り上げる一方、両リーグのビジネス上の利害対立を極力なくし、次第に協調していく路線をとることで、両リーグ全体の利益の底上げを図ったわけです。まさに、『フィールド上は2リーグ、ビジネス上は1リーグ』体制の形成です。そして、こういう違いが生まれた大きな要因は、日米の税金のシステムの違いに起因するわけですが、これについてはいずれ、特別編にて読者のみなさまにも説明してまいりましょう。

 

 では、小難しい話が続いてしまって申し訳ありませんでしたが、20世紀初頭のアメリカのベースボール事情へと話を戻します。

 

 1905年にワールドシリーズがきちんとはじまってからは、ナショナル・リーグとアメリカン・リーグとの間には、特にこれといった大きな事件もなく、両者は平和裏に共存共栄していきました。

 が、1913年、突如、シカゴ出身の起業家、ジョン.T.パワーズが、同じ起業家仲間を集め、リーグ立ち上げを宣言します。フェデラル・リーグ、21世紀現在も『第3のメジャーリーグ』と呼ばれているリーグの誕生です。

 

 フェデラル・リーグはもともと、地方のリーグでのセミプロの選手やマイナーリーグの選手、あるいは、盛りをすぎたメジャーの選手によって構成されていたリーグでした。シカゴ、クリーヴランド、インディアナポリス、ピッツバーグ、セントルイス、ケンタッキー州コヴィントン(のちにミズーリ州カンザスシティ)の6都市をフランチャイズとし、これらのチームの監督は、クリーヴランドを率いていたサイ・ヤングをはじめ、いずれも元メジャーリーガーでしたが、1913年当時はパワーズの下、従来のナショナル・リーグならびにアメリカン・リーグとの選手の契約を尊重していたのです。

 しかし、1913シーズン後にチームがひとつ潰れると、危機感を持ったオーナーたちはパワーズの姿勢を弱腰だと突き上げ、この動きに懸念を表明したパワーズを会長から解任し、同じシカゴのチームのオーナーの一人だったジェイムス・ギルモアを会長に選びます。そして、翌年から1915年にかけては、シカゴ、インディアナのような中部から、ブルックリンやニューアークなどの東部にかけてフランチャイズを拡大、以下の8チームとなります。

 

●シカゴ・ホエールズ

●ボルティモア・テラピンズ

●バッファロー・ブルース

●ブルックリン・ティップトップス

●カンザスシティ・パッカーズ

●ピッツバーグ・レベルズ

●セントルイス・テリアズ

●インディアナ・フーズィアーズ(1914シーズンのみ)

●ニューアーク・ペパーズ(1915シーズンのみ)

*アメリカの地図はこちらをご参照ください↓

> http://www.withe.ne.jp/~taihaku/geography/map/map.html

 

 体面上フェデラル・リーグはナショナル・リーグやアメリカン・リーグと選手との契約を尊重していましたが、彼らの契約内容が次第にナ・リーグやア・リーグに拘束されるものになってくるにつれ、ナ・リーグやア・リーグとの対決姿勢が鮮明になってきます。ア・リーグならびにナ・リーグとフェデラル・リーグとの間には引き抜き合戦が起こり、フェデラル・リーグは接戦のペナントレースによる大量の観客動員という背景もあって、急速にその力を伸ばしていきます。

 

 次回は、このフェデラル・リーグがたどった運命、ならびに、その運命を決定づけた人物があの有名なブラックソックス事件にて果たした役割について説明し、メジャーリーグのシリーズに終止符を打ちたいと思います。

 

 

(25) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?9〜 MB Da Kidd

 

 

 【その9:メジャーリーグ戦国時代 〜その7〜】

 

 前回はフェデラル・リーグ誕生の経緯、ならびに、現メジャーリーグとの対立が勃発したところまで話を進めました。

 今回はこの続きで、前回のおさらいとこの対立の経緯について見ていくことにします。なお、今回でメジャーリーグシリーズ最終回と前回の最後に申し上げましたが、まだこれに続く事件その他が多々ありますので、もうすこしお話を続けさせていただくことをお許しください。

 

 ギルモア新会長の下、それまではマイナーリーグとしてのリーグ運営を行っていたフェデラル・リーグは、1914年からは8チームに拡大し、メジャーリーグとしてのリーグ運営を開始します。そして、これを契機に両者の間では選手の引き抜き合戦が起こり、ときとして、それは裁判沙汰にまで発展することがありました。

 

 象徴的なのは、”投げる蒸気機関車”といわれた横手投げのタフマンピッチャー、ウォルター・ジョンソンの契約をめぐる駆け引きです。生涯成績417勝のすべてをワシントン・セネターズで挙げ、この1915年当時は最多勝と最多奪三振のタイトルを連続でとっている最中で、まさにキャリアの絶頂にあったこの投手と、フェデラル・リーグのシカゴ・ホエールズは契約することに成功したのです。しかもジョンソンは、当時としては破格の6,000ドルを契約ボーナスとして受け取っていました。

 しかしセネタースのオーナー、クラーク・グリフィスは強硬措置に出て、この契約を破棄させ、年俸を上げ、契約ボーナスをホエールズに返却させる段取りまでつけました。そしてグリフィスは、大スターの流出を防ぎ、アメリカン・リーグの人気を守るのにはこの処置は絶対に必要だったということで、このときにかかったお金を、同会長のバン・ジョンソンに請求しようとしたのです。

 ところがバン・ジョンソンはこれを却下しました。そこでグリフィスは、シカゴ・ホワイトソックスのオーナー、チャールズ・コミスキーの説得に乗り出します。そして、最初はコミスキーもグリフィスの主張をうるさがっていたのですが、グリフィスが、ウォルター・ジョンソンが球場に呼ぶお客さんのことを考えれば、ウォルターがどれだけホワイトソックスの収益に貢献しているか考えてみろ、というとグウの音も出なくなり、渋々お金を出し、ウォルターはセネタース、ひいてはアメリカン・リーグに残ることになり、再び最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得したのでした。

 

 一方、接戦で盛り上がるフェデラル・リーグは、深刻な財政難に直面していました。アメリカン・リーグならびにナショナル・リーグから数多くの訴訟を起こされ、大抵のケースでは勝利をおさめたものの、訴訟のための費用が莫大な額に膨れ上がっていたのです。これは、アメリカン・リーグやナショナル・リーグが仕掛けた焦土作戦とでも言うべきものでした。つまり、訴訟によってリーグの財政を消耗させ、その支援者を撤退させることで、フェデラル・リーグを解散に追い込もうとしたのです。

 

 そこでフェデラル・リーグ側は賭けに出ます。1915年1月、アメリカン・リーグならびにナショナル・リーグの保留条項は独占禁止法違反である、という訴訟を起こし、独占に対して厳しい判決を出すことで知られ、”大岡越前”的にアメリカ国民の間で人気を博していたケネソー・マウンテン・ランディス判事のもとにこれを持ち込んだのです。フェデラル・リーグの狙いはひとつ。この結果出た判決を水戸黄門の印籠よろしく振りかざし、保留条項は無効だ、と主張することで、訴訟による焦土作戦をやめさせようというものでした。

 

 次回はこの判決、ならびに、その後のブラックソックス事件について触れていきます。

 

【参考web】

・BaseballLibrary.com

> http://www.baseballlibrary.com/baseballlibrary/ballplayers/F/Federal_League.stm

・Baseball's Third Major League : Federal League(1914-1915)

> http://www.toyou.com/fl/

 

 

(26) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?10〜 MB Da Kidd

 

 

 【その10:メジャーリーグ戦国時代 〜その8〜】

 

 読者のみなさまこんばんは。前回は、フェデラル・リーグが既存のナショナル・リーグやアメリカン・リーグ相手に訴訟を起こし、その中で保留条項は独占禁止法違反だ、と主張したこと、そして、その裁判を担当する判事が、独占に対して厳しい判決を出すことで知られ、”大岡越前”的にアメリカ国民の間で人気を博していたケネソー・マウンテン・ランディス判事であったことまで話を進めました。

 今回は、この裁判の結末と、この結果決まったフェデラル・リーグの運命、そしてケネソー・ランディス判事のその後についてです。

 

 保留条項とはフリーエージェント制度が日本に導入されるにあたって問題にもなったとおり、選手との契約を独占する権利のことです。これはその選手の全選手生命期間にわたり、その期間中、球団は選手を自由にトレードしたりすることができるわけです。この際、選手の意思その他は一切関係がありません。

 そして当時のアメリカ球界には、レフティ・オドウルやテッド・ウィリアムス、あるいはジョー・ディマジオを輩出したパシフィック・コースト・リーグ、トリ・ステート・リーグ、あるいはカリフォルニア・ステート・リーグのような有力なマイナーリーグがありましたが、これらのリーグはいずれもナショナル・リーグやアメリカン・リーグの保留条項を尊重し、公然と挑戦することはなかったのです。

 しかしフェデラル・リーグはこれに真っ向勝負を挑み、2005年現在となっては当たり前、当時としては新鮮だった選手契約の方法をとっています。契約金を支払い、年5%の定期昇給を定め、10年でフリーエージェントになるような制度をつくったのです。契約の権利を資産と定め、これを10年という期間で区切るやり方は、ビジネス的に極めて合理的で、のちの時代にも通じるコンセプトだったのでした。ちなみに契約が定まっていない選手について、フェデラル・リーグは、ナショナル・リーグやアメリカン・リーグの選手に手を出しておりません。契約期間の残っている選手に手を出すことは、自らのリーグ運営の契約ポリシーに反したからです。

 

 さて、そんな先進的な考え方でリーグ運営をしようとしていたフェデラル・リーグではありますが、選手契約における個々の訴訟にかかる費用がバカにならない額に膨れ上がり、リーグの運営は危機的状況に陥っていたのです。そこでフェデラル・リーグのオーナーたちはランディス判事のもとに、『現行のナショナル・リーグならびにアメリカン・リーグにおける保留条項は独占禁止法違反だ』という訴訟を持ち込んだのですが、彼らがわかっていなかったことがありました。

 ランディス判事は、熱狂的な現行メジャーリーグのファンだったのです。そして、裁判所におけるランディス判事の以下の発言は、彼らをひどく驚かせるものでした。

 

 『本法廷においては、ベースボールと名のつくいかなるものに対する挑戦も、国家制度に対する挑戦と同等と見なす。』

 

 確かに、ベースボール、つまり野球は、アメリカ庶民のタウンミーティングの中から生まれてきた遊びであり、スポーツであり、公共性の高い興行ではありました。したがって、そこに自由競争のコンセプトを持ち込み、選手が自らの野球の技術、あるいは人気を元手にして高い年俸を獲得し、それをどんどん吊り上げていく、というやり方は馴染みにくいものではありますし、その点、ナショナル・リーグが生まれたときに導入された保留条項は、年俸の無制限な暴騰を抑える、という意味では効果があったでしょう。現に、この判決が出た時期、フェデラル・リーグの挑戦によって、スター選手の年俸は、飛躍的に上昇しています。

 しかし、よりよいリーグの運営を考えたとき、リーグ同士の競争を廃することは、結果的に独占を招き、二進も三進もいかない状況をつくってしまうのは、読者のみなさんもよくご存知のとおりです。日本のプロ野球が過去に受けたリーグ挑戦で有名なのは国民リーグぐらいですし、これもすぐに頓挫してしまいましたし、それに加えて資本の競争、つまりオーナー会議の自由競争を極度に廃した結果、行き過ぎた民放・巨人依存体質になってしまい、渡邊恒雄主筆の無定見なチーム作りによる失敗のこともあり、巨人の崩壊・凋落とともに日本のプロ野球が大きな曲がり角を迎えてしまったということもあります。つまりフェデラル・リーグの挑戦は、こういう事態を防ぐためには避けて通れない運命でしたし、フェデラル・リーグのコンセプトやポリシー自体には、見るべきものが多々あったのです。ところがランディス判事は、これを否定してしまいました。

 このランディス判事の判決の結果、メジャーリーグ・ベースボールにフリーエージェントのコンセプトが持ち込まれるのは、50年以上も遅れてしまいました。50年!その間に、より選手自身の権利と保留権との相克を解決できる方法が確立されていたかもしれないし、また、挑戦者を受け入れ、どんな挑戦があってもそれを呑み込んで成長していくのが、アメリカという国の強さでもあるのですが、ランディスは結果的に、これを否定してしまった。実は、このランディスの判断こそが、アメリカという国の制度、あるいはこの国の社会の根本に対する重大な挑戦であり、背信行為ではなかったのでしょうか。

 したがって、これはあくまで私見ではありますが、ランディスは、自らの感情によって結果的に野球を私物化し、そのスポーツビジネスとしての発展の芽を、摘んでしまったのです。もしもこのとき、保留権のあり方が大幅に改善していれば、今日における、FA権がきっかけとなった選手の人件費問題もとっくに解決されていたし、時代はマネーボールに出ている球団経営のあり方よりもはるか先に進んでいたはずだった、と私は思っているのです。わざわざサラリーキャップなどという、市場原理に反した中途半端で場当たり的な方法を使わなくても、選手のサラリーの暴騰はおさえられたはずだった、ということです。現在のこの選手のサラリーのあり方の間違いは、ナショナル・アソシエーション創立のときから、何も変わっていません。130年以上も放置され、誰も解決できていない問題なのですが、もしもこのときにランディス判事が間違った判断を下さなければ...と思うと、私にはそのことが歯がゆくてならないのです。

 のちに、アメリカのほかのプロスポーツリーグのあり方についてこの連載の中で紹介していきますが、この判決が、いかにまずい結果を後世にもたらしてしまったか、ということを読者のみなさんにも理解できるようにしていくつもりではありますので、しばらくお待ちいただきたいと思います。

 

 さて、この判決ののちのことですが、これによってフェデラル・リーグはその存立基盤が犯され、観客数が激減し、リーグ運営が立ち行かなくなります。そしてこの年に解散します。また、ランディスはこのときの”活躍”がきっかけで、のちにメジャーリーグ初のコミッショナーとなり、ブラックソックス事件を裁くのですが、このブラックソックス事件の不合理については、次回に説明を回します。

 

【参考資料・web】

・BaseballLibrary.com

> http://www.baseballlibrary.com/baseballlibrary/ballplayers/F/Federal_League.stm

・Legal Bases - Baseball And The Law -

 Roger I. Abrams著 Temple University Press, 1998

 

 

(27) NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?11〜 MB Da Kidd

 

 

 【その11:メジャーリーグ戦国時代 〜その9〜】


 

 読者のみなさまこんばんは。前回は、ケネソー・マウンテン・ランディス判事の判決により、フェデラル・リーグが解散にまで追い込まれた経緯をお話しましたが、今回はその後のブラックソックス事件にて、ランディス判事が再び”活躍”する経緯についてお話いたしましょう。

 

 フェデラル・リーグの挑戦を退けたメジャーリーグは、ウォルター・ジョンソンやタイ・カッブ、”シューレス”・ジョー・ジャクソン、トリス・スピーカーなどの大スターを抱え、ますます盛り上がりを見せていました。しかしそういう状況がある一方で、各チームのオーナーたちの発言力がますます高まってきていました。オーナーたちは大金を投じ、スター選手を集め、チームを強くすることで、リーグの盛り上がりを大きく演出していたからです。そのひとつの表れが、ナショナル・リーグならびにアメリカン・リーグそれぞれのリーグ会長による協議機関、ナショナル・コミッションの弱体化です。

 

 また、オーナーの発言力の増大は、盟友であったアメリカン・リーグの会長のバン・ジョンソンと、シカゴ・ホワイトソックスのオーナーのチャールズ・コミスキーとの間に距離をつくり、次第にその対立を顕在化させていきます。当時のホワイトソックスはMLBの中でも一番儲かっているチームといわれており、”シューレス”・ジョー・ジャクソンというスターを抱え、人気は絶大だったこともあり、チャールズ・コミスキーは栄華を楽しんでいたのですが、リーグ会長だったバン・ジョンソンにはこのことが目障りでなりませんでした。こうして、バン・ジョンソンとチャールズ・コミスキーの権力争いがはじまったのです。

 

 そんな最中、突然起こったのが、ブラックソックス事件でした。

 当時のメジャーリーグは、急速に台頭してきた人気プロスポーツということもあり、常にその興行の影には、マフィアの影が絶えませんでした。八百長も、バレさえしなければいいのだと言わんばかりに日常的に行われていたのは、この時代のことについて描いたアメリカ映画をご覧のみなさまにはおなじみのことと思います。オーナー側としても、イメージダウンや規制によってせっかくの野球興行の盛り上がりに水を差すようなことはしたくなかったので、騒ぎが大きくならないように、臭いモノには蓋をしたがったのです。

 ブラックソックス事件は、そんな時代背景を反映した典型的な事件でありました。

 

 このときのことの経緯については、筆者が1998年末にCOOLTALKに書き込んだ以下の一連の投稿をご確認いただければと思いますが↓

> http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/fromCOOLTALK2/fromCOOLTALK2-2.htm#BlackSox

 このときチャールズ・コミスキーは、ジョー・ジャクソンをさんざん利用したくせに、ジョー・ジャクソンをスケープゴートにすべく、彼をハメて、八百長のためのお金をキープさせ、キープさせたことにつき言い訳のできない状況をつくっておいてから、彼をコミッショナーの手に委ね、永久追放処分に追いやったのです。

 この点が、いくら先輩選手等の人間関係があったからとはいえ、”自主的に”八百長のお金をキープしていた元西鉄ライオンズの池永投手と異なるところです。池永さんの場合は、その毅然とできなかったところが問題で、本人が悪いのだと指摘する人がいる一方、それはやむを得なかったから彼を責めるのはかわいそうだとする人がおり、当時の球界永久追放処分については賛否両論に分かれますが、ジョー・ジャクソンの場合は明らかに、チャールズ・コミスキーのやり方が悪辣だったという一言で片づけられる問題です。

 

 ちょっと脱線したので、話をバン・ジョンソンとチャールズ・コミスキーの権力争いへと戻しましょう。

 当時球界における権力を失いつつあったバン・ジョンソンは、この事件を自らの復権の好機だと見なしました。そこで、このブラックソックス事件の情報をリークして、大陪審の手をコミスキーに仕向け、権力の弱体化を図ったのです。

 ですがコミスキーは、コミッショナー職を創設し、これを両リーグの会長よりも上のポジションにつけ、これにすべてを委ねてこの状況を乗り切ることで、逆にバン・ジョンソンの権力を封じ込めようとしました。そして、そのコミスキーの期待に応えるべく登場したのが、ケネソー・マウンテン・ランディスだったのです。

 

 ランディスはコミスキーの期待どおりの働きをしました。コミスキーがスケープゴートへと仕立て上げたジョー・ジャクソンを、コミスキーの狙いどおり、以下の言葉とともに、球界永久追放処分としたのです。

 

 『陪審の評決とは関わりなく、八百長を行う選手、八百長を請け負い、また約束する選手、八百長の方法、手段を共謀、討議するところにいて、不正選手および賭博者との会合に同席しながら、そのことを球団に直ちに告げない選手は、以降プロ野球界から永久に追放する』

 

 ところが、この言葉には大きな問題点があります。陪審の評決に関わりなくと言い切ってしまっていることで、国の法律ならびに制度を軽視していることを明言してしまったのです。

 確かに、不正や賭博は法律違反でしょうし、それから距離を置くということは当然のことです。しかしながら、このように高圧的な態度で、『疑わしき者はすべて罰する』というやり方は、果たして適切なやり方といえるのでしょうか。ある意味、ヨーロッパ中世における魔女狩り裁判と同じ愚を犯していることにはならないでしょうか。

 

 また、このときの判断の後世への影響は、ある人物をいま現在になっても苦しめております。いうまでもなく、MLB史上最多のヒットを放ったピート・ローズ氏のことです。確かにピート・ローズ氏の球界永久追放処分後の復権を求める自らの行動は、正直言って見るに耐えない、潔くない部分が多々見受けられ、私としても見てて決して愉快ではありませんが、永久追放という処分のあり方が彼をこのような行為に走らせていることは、決して否定できません。つまり、この1920年にランディスコミッショナーが、のべつまくなしにホワイットソックスの8選手を高圧的に永久追放としたことで、この種類の不正に関わった人物の復権のチャンスが認められなかったり、あるいは、その人物の人生を破壊したりすることもあるのではないか、と私は言いたいわけです。

 

 罪というものは、その重大性に比例して、処分ならびに贖罪が行われなければなりません。確かに八百長というのは興行の根幹を揺るがす最大の裏切りではありますが、だからといって、その人物が興行に対して為してきた貢献を否定するのはいかがなものでしょうか。もっと責任が重大な、人の命を預かる医者、あるいは国民の命ならびに社会のあり方を預かる国家元首と異なり、たかだか興行の中における罪なのですから、処分ならびに贖罪は、もっと柔軟なものであってもいいはずではないかと私は思うのです。

 これはあくまで私見にすぎませんが、ランディスのこの判断の間違いは、その後にも八百長のうわさが絶えなかったり、あるいはマフィアの影がちらついていた時代が続いたメジャーリーグのその後のあり方を見ていると、何も意味がなかったどころか、むしろ、ジョー・ジャクソンという一人の選手の野球の才能の発揮場所を奪うことで、多くの人々の楽しみを奪ってしまったと私は思うわけです。また、初代コミッショナーがランディスでさえなければ、八百長の件についても、もっと柔軟で適切、かつ効果的な防止法と処分のあり方が確立していたのではないかと思うと、私にはそのことが、非常に残念でならないのです。

 

 これで、この連載におけるメジャーリーグのシリーズは終わりです。なお、次のシリーズはニグロリーグにしようかと考えておりますが、その前に、ICHILAUさんの上記の連載を私の連載の代わりに入れますので、私はしばらく連載をお休みし、編集ならびに校正という編集長職に専念しようと考えております。

 では、しばらく次のシリーズの開始をお待ちください。

 

 

(Special) NPBにおける受難の時代 〜小久保無償トレード事件〜 MB Da Kidd

 

 ちょっと今回は、見過ごせない事件が起きましたので、イタリア・セリエA事情考察は後回しにし、この件についてコメントしておきたいと思います。

 

 まず最初に、この事件の経緯についてご存じない方のためにざっと説明申し上げますと、これは、今年の日本シリーズで、阪神タイガースを4勝3敗で下し、日本のプロ野球12球団の頂点に立った福岡ダイエーホークスの4番打者として永らく貢献してきた小久保裕紀選手が、突然、読売ジャイアンツに、無償でトレードとなった事件です。

 

 ただ、この事件が起こる前には、今年のオープン戦で本塁に突っ込んだ際、右ひざを故障し、結局この2003シーズンを棒に振ることになったというのが第1点、第2点としては、小久保選手が球団指定の医療機関を使わなかったため、その際の治療費に1,000万円近くがかかっているわけですが、これを自費で払わなければならなかったという点、この2つの点が問題になっています。そして、日刊スポーツ11/3日号の記事によりますと、

 

> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031104-00000006-nks-spo

 

 「不信感はないが、経営する立場と、個人事業主としての選手の意見が交わることはない。そういうことは期待していない」

 

 と小久保選手は述べたそうですが、ちょっとこういった一言では到底済まされない事件です。

 

 この事件については、まず最初に、球団を経営する側としてのホークスに問題があります。報知新聞11月3日号によれば、

 

> http://www.yomiuri.co.jp/hochi/giants/nov/o20031103_10.htm

 

 「選手会長として球団と交渉する中で、僕自身、聞かなくてもいい話まで聞かなくてはいけなかった。成績がよければ褒められるし、悪ければ年俸にはね返ってくる、そういう純粋なところでやりたい」

 

 と小久保選手は述べたそうですが、そもそも契約交渉の場に『聞かなくてもいい話』が出ること自体がおかしいのです。ホークスの親会社たるダイエーが巨額の負債を抱え、返済する目処をつけるために手段を選ばず費用をカットしていく必要があるのは当然ですが、そのダイエーの事情は旧経営者たる中内功氏の経営判断の失敗によるものであり、中内氏が個人資産を全部投げ打って、その上でダイエーという企業が努力して会社を維持すればいいだけの話です。場合によっては、ダイエーという会社自体、オーナー職を下りても、選手、メディア、そしてお客様たるファンやスポンサー企業(この場合はホークスという球団を保有せずに、ホークスという球団を利用して広告宣伝活動をやっている中小〜大企業ということです。球団を保有しているダイエーとは異なります)には関係ありません。

 

 もちろん球団側としては、契約交渉をやっていく中で、チームのリーダーとしての立場があるからこそ、小久保選手に親会社の経営状況などを話しているわけですが、こういう話を労使交渉の場で出すのは、一般会社の正社員たる従業員に対してなら理解できますが、契約社員であり、一個人事業主たる野球選手には関係ないことなのです。

 

 それに加えて、普段からこういうケジメのないことをやっているからこそ、いざというときに年俸を下げることができないのです。毎日新聞11月13日号によれば、

 

> http://sports.yahoo.co.jp/headlines/20031113/20031113-00003068-mai-spo.html

 

 巨人側は当初、ホークス側に、「球団への移籍金1億円、小久保選手の年俸1億1千万円」の条件を提示していたそうですが、今年1年を怪我で棒に振り、活躍できなかった小久保選手が年俸2億1千万円を維持できないのは自明の理であり、巨人側の判断は極めて妥当なものであると私は考えています。ところがこれを、移籍金1億円を放棄し、小久保選手につけるという手段で『解決』した高塚球団社長のやり方は、自らの中途半端な情実経営の甘さとそれまでの治療云々の経緯における自らの説明不足を『カネ』で買収することによって収め、結果的に球界の契約金制度ないし保留制度、ならびにFA制度そのものの基礎をないがしろにしてしまいました。高塚球団社長は、ホークスの資産である『小久保選手との保留権』を、自らの保身のために、自らの勝手な判断で放棄してしまったのです。

 これは、ホークスに対してだけではなく、日本プロ野球という世界自体に対する重大な背信行為と言えるでしょう。

 

 また、これに続いておかしいのは、西日本新聞11月12日号の高塚球団社長へのインタビューによりますと、

 

> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031112-00000024-nnp-kyu

 

 「中内オーナーが、小久保選手に治療費の全額負担を約束したが、それはオーナーの勘違い。契約書には、国内の指定された医療機関で治療を受けること、それ以外の差額は本人負担と明記されている。」

 

 となっていることです。契約書の内容を熟読していない中内正オーナーにミスがあったことはもちろん問題ですが、それ以前に、

 

 『国内の指定された医療機関で治療を受けること、それ以外の差額は本人負担』

 

 という条項が契約書にあること自体がおかしい。野球選手という職業は特殊ですから、怪我の治療については、『国内の指定された医療機関』では完全に治療できないというケースも充分ありえます。したがってこの場合は、国内・国外を問わず、一定料率まで治療費を球団側が負担する、それと同時に、年俸の中から一定の保険料率をとって、選手会側が保険の仕組を分担するようにするべきなのです。

 高額の治療費を出すことは選手としても苦しいわけですから、これはシステム上の不備の問題です。したがってこのことにつき、高塚球団社長がその欠点を指摘できないのはおかしいわけで、ホークスという球団を経営している人間の一人として、本当に野球を理解しているのかという点で、この人の資質に疑問が残ります。

 

 今回の問題を考察するに、まず根本にあるのは、高塚球団社長という人物がいかにプロ野球興行に対する理解が足りないかということと、いかにビジネスのプロフェッショナルとしての姿勢が甘いかということです。

 しかし、こういう資質の足りない人物が球団社長職に居座っていられるのは、日本のプロ野球が、トップに野球を知らない人間を据えるというシステムが確立しているからでもあります。したがって今週のB_windさんによる指摘もあわせ、読者のみなさんも今回の私からの指摘について、真剣に考えてみていただければ幸いです。

 

 

(Special 2)NPBにおける受難の時代 〜パルマラット倒産事件〜 MB Da Kidd

 

 読者のみなさま、明けまして、おめでとうございます。今年は年初より、このワタクシが日本のスポーツビジネスの世界に導入しようとしてあちこちに働きかけている、『選手を資産として帳簿に載せる』というコンセプトの導入部から書こうかと考えていたのですが、突然、先週いったん解説を区切ったはずのイタリアサッカー、セリエAにおいて大事件が起こったので、今回はサッカービジネスとはすこし関連させながらも、ちょっと違った切り口で、読者のみなさまにこの事件についての解説をお届けしようと思います。

 この事件とは、いうまでもなく、中田英寿選手が所属していたパルマの親会社、パルマラットの倒産事件(2003.12.24.)です。

 

 今回のパルマラットの倒産事件は、日本版NEWSWEEK誌では欧州版*1エンロン事件とも呼ばれ、イタリア経済のあり方の問題点を浮き彫りにしたものになりました。

 

*1 エンロン事件

 アメリカで急成長してきたエネルギー会社のエンロンが、帳簿上に載っていない取引によって大きな損を出し、倒産した事件。

 この影響でヒューストン・アストロズの本拠地、エンロン・フィールドのネーミングライツの契約が空中分解し、その後ミニッツメイド・パークへと名称変更したのは、みなさんの記憶にも新しいところであろう。

 

 パルマラットの倒産の引き金になったのは、*2タックスヘイヴンとしてケイマン諸島に設けていた子会社のボンラットにおける会計粉飾です。ボンラットは、取引銀行であるバンク・オヴ・アメリカに約40億ユーロ(5,300億円)に上る現金や証券を預けているという報告書を会計監査を行っていた会計事務所に提出しましたが、会計事務所がこのことについて確認を取ったところ、バンク・オヴ・アメリカ側の指摘によってこれが粉飾であることが発覚したため、パルマラットは12月19日にこのことを発表した後、12月24日、パルマ市地裁に破産法の適用を申請し、倒産しました。

 なお、その後のイタリア司法当局の捜査により、粉飾額は合計で100億ユーロにも上ることがわかり、創業者のカリスト・タンツィ氏が12月27日に逮捕されたのです。

 

*2 タックスヘイヴン

 税金をとられるのを避けるために、税金がない土地に会社を作って、そこで利益が出たという帳簿を作ること。これによって、多くの利益を上げた大企業やミュージシャンは、たとえ自分の母国で多くの税金を取られてしまう可能性があっても、税金をとられなくて済むようになるので、大きな節税となる。一方、タックスヘイブンを設けている国や地域としては、多くの企業やカネが集まり、そこが有名になるというメリットがある。

 

 今回の粉飾事件から倒産に至る流れというのは、イタリア経済独自の問題があると日本版NEWSWEEKの記事では指摘しておりました。

 つまり、粉飾をしやすい土壌が、イタリア経済にはあるということです。

 

 イタリア経済は、大会社に同族企業が多いのが特徴です。ユヴェントスの親会社フィアット、ACミランの親会社メディアセット(ベルルスコーニ首相が会長になっている会社)、服飾メーカーのベネトンといったものは典型的なイタリア大企業ですが、これらはいずれも同族会社になっています。

 そして、その同族会社の下に、多くの中小企業があるのです。

 

 ちなみにこれらの中小企業の利益を代弁し、イタリアにおいてメディアセットという大企業グループを育て上げたベルルスコーニ首相は、イタリア経済活性化の象徴とも呼ばれるような存在で、そのためにイタリア国内では大きな支持を集めていますが、その彼がイタリア経済をさらに活性化させるために企業不正の取締りを緩和したため、それ以降パルマラットの粉飾決算はひどくなったと今回の不正事件の捜査資料には書いてあったそうです。

 

 会社は、大規模になればなるほど、世の中における責任が重くなります。そのために、規制が大きくなります。

 日本でいえば、会社の帳簿を調べるための監査のハードルが、会社の資本(元手)、あるいは負債(借金)が大きくなればなるほど、高くなります。

 ところがイタリアでは、大企業であっても同族会社である限り、中小企業と同じレベルの監査しかなされていないのです。具体的な内容については難しくなるので説明を割愛しますが、このために、非常に粉飾決算をやりやすくなってしまっています。

 

 したがってうがった見方かもしれませんが、カネの流れが不明である以上、その会社がサッカーチームのオーナーである限り、無制限のカネを選手獲得競争につぎ込み、選手の契約金と年俸を法外に吊り上げることも可能になります。

 近年のサッカーバブルの背景には、ルパート・マードックが仕掛けた放映権の吊り上げの問題だけでなく、こういう事情が多少なりとも影響しており、『金持ちの道楽』としてのサッカーチーム運営に大きな影を落としてきたことも、考慮に入れる必要があります。

 つまり、こういう大会社のオーナーのエゴによる選手の年俸・契約金の吊り上げが、中小のクラブの運営に大きな影響を及ぼし、移籍金を得るために選手を売却・放出するという結果になっていることを、一般のスポーツファンは理解する必要があるでしょう。

 

 さて、パルマ側としては、サンケイスポーツWeb版2003.12.25号によれば、独立採算を進めており、チームの運営に影響はないとネビオロGMが語っているそうですが、実のところはわかりません。なにしろパルマラットが90%の株式を持っているということですので、これからどんどん選手を売却し、親会社の倒産の際に出た欠損金の穴埋めに使うというのは、充分ありえることです。

 セリエAチームのオーナー会社は、日本のプロ野球の親会社よりも、はるかにゆるい規制の下にあります。したがって、今回の騒動やフィオレンティーナの破綻を見ていると、日本のプロ野球以上にセリエAは危うい環境の中にあるというのが私の個人的な見解ですが、同時に、普段から親会社を頼らずに独立経営をやっているのが、スポーツチームとしては健全な運営の仕方なのだなぁ、という感を強くした次第です。

 やはり、『いざとなると親会社』では、親会社が倒産した場合、チームごと吹っ飛ぶ可能性が非常に高いからです。

 

【参考資料・Web】

NEWSWEEK日本版1月14日号 P.39 『欧州版エンロン事件の闇』

シュテファン・タイル著

 

ディプロ2002-4 ベルルスコーニを生んだイタリア資本主義の再編
ピエール・ミュソ(レンヌ第二大学情報科学教授)著 安東里佳子訳

> http://www.diplo.jp/articles02/0204.html

 

サンケイスポーツweb12月25日記事 『パルマ中田の去就Xデーは12・30』

> http://www.sanspo.com/soccer/top/st200312/st2003122501.html

 

 

(Special 3)NPBにおける受難の時代 2004.3.30. MLB開幕戦特集 〜チケットの値段は適切か?〜

 

 先週から連載を開始したアフリカ野球友の会特集ですが、今月末よりいよいよアフリカ野球チームが始動しますので、この始動にあわせ、今月末以降にこの連載を移動させ、今回は、実際に私がある方の好意によって観戦してきた、先日3/30のMLB開幕戦のチケットの値段について書いておきたいと思います。

 

 この日の私は、私にチケットをプレゼントしてくださった方と現地で待ち合わせましたが、その席はバックネット裏の席で、定価では\25,000もするというシロモノでした。私の席の付近にはデイヴ・スペクターとロバート・ホワイティングのコンビ、あるいは中曽根康弘元首相といった面々がおり、真上のオーナー席には、渡邊恒雄読売新聞社社主、小泉純一郎首相、森喜朗元首相などがいるという『ちょっとセレブな』席だったのです。

 

 そもそもヤンキースの来日自体が1955年以来の50年ぶりということもありまして、この日はサッカーW杯の日本開催と同様、非常に稀少性のある、価値の高いイベントだったということが、いえます。

 したがって、バックネット裏の席にこれだけ高価な値段がつくのも仕方ないのかな、と思いつつ、高額と思われる他イベントのチケットの値段と比較してみますと、

 

【2004リコーMLB開幕シリーズ ニューヨーク・ヤンキース対タンパベイ・デヴィルレイズ】

指定席S \25,000 

指定席A\18,000 

指定席B\10,000 

指定席C\6,000 

外野席\5,000

 

【2002サッカーワールドカップ決勝戦】

カテゴリー1(スタンド中央付近) \84,000

カテゴリー2(ゴール斜め後方付近) \56,000

カテゴリー3(ゴール裏付近) \34,000

 

【PRIDE GRAND PRIX 2004開幕戦】

VIP(専用入場ゲート、グッズつき) \100,000

RRS(ロイヤルリングサイド) \30,000

スタンドS \17,000

スタンドA \7,000

 

【K-1 WORLD GRAND PRIX 2004 in NAGOYA】

SRS席 \25,000

RS席 \15,000

S席 \10,000

A席 \6,000

 

 となっており、稀少性の高いイベントにしては、決して割高ではないというのが私自身の感じたことでした。

 それに加え、入場者全員には読売新聞社より、この開幕シリーズ記念の、ヤンキースとデヴィルレイズのロゴ入りの時計が配られたこともあり、チケットの値段そのものは高いですが、ここまでもらえるのならば仕方ないか、とあきらめられるような値段でもありました。

 

 しかしながら私としては、どうも割り切れない思いがあったのです。というのも、希少性が高いという条件を除けば、野球観戦のチケットとして、果たして適切な値段なのか。そこに大きな疑問があったからです。

 ちなみに、高いといわれている東京ドームの巨人戦チケットの料金と、2003年度の日本シリーズの料金は以下のとおりです。

 

【2004年度の東京ドームにおける巨人戦】

指定席S \5,900

指定席A \5,200

指定席B \3,700

指定席C \2,300

指定席D \1,800

外野指定席 \1,700

(立見席と車椅子席は省略)

 

【2003年度日本シリーズ】

[阪神甲子園球場]

特別指定 \6,000

アルプス指定 \4,000

外野指定 \2,500

[福岡ドーム球場]

S指定 \8,000

A指定 \6,500

B指定 \4,500

外野指定 \2,500

(立見席とビッグライフ[スポーツバー]席は省略)

 

 このように、今回のMLB開幕戦のチケットの値段は巨人戦や日本シリーズに比べても、その3〜4倍の値段になっています。

 また、実際にヤンキースタジアム(ニューヨーク・ヤンキース)やトロピカーナ・フィールド(タンパベイ・デヴィルレイズ)での2004シーズンにおけるチケットの値段はどれだけになっているかを比較すると、

 

【ヤンキースタジアム】

フィールド・チャンピオンシップ席(S・A指定席下段) $85-95(約\9,000〜\10,000)

メイン・チャンピオンシップ席(A指定席上段) $70-80(約\7,410〜\8,470)

メイン・ボックスシート・MVP席(S・A指定席上段) $60-70(約6,350〜\7,410)

ボックスシート各種(B指定席) $40-55(約\4,234〜\5,821)

タイアーシート各種(C指定席) $18-45(約\1,905〜\4,763)

ブリーチャーズ(外野席) $8-10(約\847〜\1,058)

 

【トロピカーナ・フィールド】

ケインズ・クラブ席(バックネット裏、特等席) $175-225(約\18,522〜\23,814)

フィールド・ボックス席(S・A指定席下段) $70-95(約7,410〜\10,000)

下段クラブボックス席(S・A指定席中段) $40-60(約\4,234〜\6,350)

下段ボックス席(S・A指定席上段、B指定席) $23-38(約\2,434〜\4,022)

外野席 $10-20(約\1,058〜\2,117)

予約席(C指定席) $3-15(約\318〜\1,588)

 

(※いずれも2004.4.8東京マーケット終値の円・ドル為替レート、$1=\105.84で計算、分類で共通しないものは省略)

 

 となっていました。

 

 ちなみに今回のMLB開幕戦はタンパベイ・デヴィルレイズの持ちゲームとなっていたわけですが、トロピカーナ・フィールドのケインズクラブ席という特別な席を除けば、東京ドームの巨人戦のチケットでの最高値\5,900の1.7倍ほどの値段であるにせよ、MLBの公式戦だって、最高値\25,000という法外な値段はついていません。したがって、今回のMLB開幕戦のチケットの値段、果たして法外な値段なのか、それとも妥当な値段だったのか、私には判断がつきかねています。

 また、最も安い席の値段についても、いろいろと議論が分かれるところでありましょう。もちろん、フィールドにフェンスがあるかないかなどの問題もありますし、一概にどちらがどうとはいえないところがあるのですが、どうも私は、日本の野球ファンや松井ファンが、うまいことMLBの商売に利用されたのではないかという疑問と、居心地の悪さを覚えたのでした。

 

 みなさんはどう思われますでしょうか?ちなみに、4年前の2000年・am/pmMLB公式開幕戦、ニューヨーク・メッツ対シカゴ・カブスのチケットの値段は、以下のとおりでした。

 

【2000年 am/pmMLB公式開幕戦 ニューヨーク・メッツ対シカゴ・カブス】

S指定席 \12,000

A指定席 \10,000

B指定席 \6,000

C指定席 \4,500

外野指定席 \4,000

 

(MB Da Kidd)

 

【参考文献】

・YOMIURI ON-LINE '04リコーMLB開幕戦チケット情報

> http://www.yomiuri.co.jp/mlb/tickets/

・F&C チケット予約代行 サッカーワールドカップ電話予約

> http://www.f-and-c.com/worldcup.html

・PRIDE GRAND PRIX 2004開幕戦 チケット情報(公式サイト)

> http://www.so-net.ne.jp/pride/events/ticket/index.html

・e-plus K-1 WORLD GRAND PRIX チケット先行予約(公式サイトよりリンク)

> http://eee.eplus.co.jp/k-1official/k-1wgp_nagoya.html

・TOKYO Dome City 巨人戦チケット情報

> http://www.tokyo-dome.co.jp/dome/giants/ticket/index.htm

・同上HP 巨人戦情報・座席表

> http://www.tokyo-dome.co.jp/dome/giants/seat/

・F&C チケット予約代行 プロ野球日本シリーズ

> http://www.f-and-c.com/nipponseries.html

・New York Yankees Tickets:General Ticketing Information

> http://newyork.yankees.mlb.com/NASApp/mlb/nyy/ticketing/nyy_ticketing_info.jsp

・Devil Rays Ticket Information

> http://tampabay.devilrays.mlb.com/NASApp/mlb/tb/ticketing/tb_ticketing_info.jsp

 

 

(Special 4)NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編〜 バファローズとブルーウェーヴの合併

 

 【読売史観は適切か? 番外編 バファローズとブルーウェーヴの合併】

 

 私がこの事件を知ったのは6月13日、日曜日の朝のことでした。朝5時のNHKのニュースでこの一報が報じられたのです。

 

 晴天の霹靂でした。ですが、正直言うと、バファローズならこういうことをやりかねん、とも思いました。それは、B_windさんの上記の説明にもありますとおり、バファローズの親会社の近畿日本鉄道株式会社がバファローズの球団運営に関して、そのやり方を尽くオーナー会議にて否定されてきたからです。その内容の是非についてはともかく、バファローズが経営的にかなり追い詰められていたことは事実でしょう。ちなみに近畿日本鉄道は東京証券取引所第1部に上場している運輸会社ですから、その株価のチャートを10年分にわたって見てみますと(このページの右から短期・長期でチャートを確認できます)↓

> http://quote.yahoo.co.jp/q?s=9041&d=t

 1996年当時、野茂さんがアメリカに脱出した直後に比べると株価は750円程度から398円(6月15日現在)にまで下がり、しかも2003年には250円近辺にまで売られています。その上、2001年の年末の700万株以上という出来高をピークに、株式の取引量がこれ以降、平均で3倍以上に増えていることがわかります。

 これは、日本の経済状況が構造的な不況に入り、株式市場の低迷という問題があったにせよ、この近畿日本鉄道株式会社の会社運営に問題があったからだということが読み取れます。特に2001年末から2002年初にかけての出来高の異常な増加は、投資家が近鉄という会社の異常情報をキャッチしたからということに他なりません。そこでさらに、上記のページから企業情報ページを開いてみますと、


> 【特色】営業キロ数で最大私鉄。約250のグループ会社を擁する。拡大路線から地盤強化・事業整理へ


 と書いてありました。つまり、近鉄グループは、無謀な拡大路線がアダとなり、事業縮小を余儀なくされているのです。

 

 会社にとって事業拡大というのは、非常なリスクを伴います。これをきちんと計算できない限り、命取りにもなりかねないのです。

 リスクを犯してどれだけ利益を得られるか。これ抜きに事業拡大を行うのは無謀としか言いようがありません。

 

 そこで、これを踏まえて現在の日本のプロ野球事業というものを考えますと、リスクが計算しにくい上に、効果も計算しにくいのです。そして、それを如実に表すコメントを、ブルーウェーヴの親会社、オリックス株式会社の宮内義彦オーナーが6月15日付日本経済新聞朝刊第3面に寄せています。

 

 『オリックスの球団経営について言えば、オリックス本体の広告宣伝費ですよ、と言ってしまえば、あと10年ぐらいは務まる。赤字額の大きさが問題なのではなく、投資に見合うだけのメリットが得られ、会社全体にバックアップしてもらっているという確信があれば、お金を使うのは一向にかまわない。100億円、200億円規模を広告宣伝に使っている会社はいっぱいある。』

 

 では、このような状況にいま現在の日本のプロ野球がなっている原因は何でしょうか。もちろん、以前B_windさんの連載第24回の中でも指摘された、以下の問題があるでしょう。

> http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Baseballwind.htm#Baseballwind24

 

1.日本の球団は、自前で球場を所有(管理権を含む)していないため、売店収入も広告看板収入も球場の収入となっている

2.球団が親会社の名前を名乗り、親会社は球団の赤字分を広告宣伝費として償却できる仕組みになっているため、本来、プロ野球を利用したビジネスを行っているはずの親会社が、プロ野球のビジネスそのものを行っている点にある。つまり、球団の経営主体が、球団にはなく、親会社にあって、球団の所有と経営の分離が進んでいない

【「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」(昭和29年8月10日国税庁通達)】

> http://www.nta.go.jp/category/tutatu/kobetu/houzin/2027/01.htm

 

 しかし、最大の問題は、オーナー会議に自由競争が導入されておらず、財政的に問題があるダイエーや近鉄のような企業が、参入も退出もままならない状況で、チームを保有し続けていることにあります。つまり、親会社と運命共同体にならざるを得ない日本のプロ野球の世界にあって、球団が会社の都合に振り回され、球団を飼い殺しにしようと運営をめちゃくちゃにしようと、親会社の胸先三寸ですべて決まってしまい、しかも、スポーツビジネスのプロでない、ただのビジネスのプロが球団を運営しているために、競争原理が正常に働かず、問題企業は強者である企業からまるでサンドバッグのようにいたぶられるだけという構図があることこそが問題なのです。

 

 したがって、日本のプロ野球を救う方法はひとつしかありません。それは、野球協約第28条の改正(外資系企業参入規制の撤廃)ならびに第36条の6(球団譲渡の際にかかる30億円の支払)の即時撤廃を行い、将来の所有と経営の分離、地域フランチャイズ化の推進、そして私がかねてから主張している、アジアやオーストラリアをすべて巻き込んだパン・パシフィック・リーグの創設とその運営会社の設立を将来的に視野に入れた、自由競争をオーナー会議に導入することです。

 いま、日本のプロ野球は、これを呑まざるを得ない、極めて厳しい局面に来ています。1リーグ制の導入は、一時的にプロ野球を活性化させる可能性を残していますが、将来のプロ野球の人気低下、そして消滅という結果を確実に引き起こす愚行に他なりません。何としても2リーグ制だけは維持し、プロ野球の灯を守っていかなければならないのです。

 

 

 【読売史観は適切か? 番外編その2 〜日本プロ野球の民主主義〜】

 

 読者のみなさまこんにちは。件のバファローズとブルーウェーヴの合併問題はオーナー会議のエゴが噴出し、ライヴドアの堀江社長の球団買収への名乗りのこともあって、1リーグ制度を急速に進めようと躍起になっているライオンズの堤オーナーや巨人の渡邊オーナーをあわてさせているようですが、果たして彼らがムリにゴリ押ししようとしている1リーグ制にメリットはあるでしょうか?今回はまず、そのことから考えてみましょう。

 世間にはさまざまなスポーツがあります。たとえばいまの日本でボールを扱うスポーツの中で野球に次ぐ人気なのはサッカーですが、このプロフェッショナルリーグであるJリーグは1リーグで、J1を頂点とするピラミッド型のリーグを構成しています。これは欧州や南米のプロリーグでも同様の構成です。
 一方、いまアメリカで一番人気のあるスポーツたるアメリカンフットボールは、もともと1リーグだったものが、別の有力なリーグの力が強力になってきて、リーグ同士がさまざまな競争を経た結果、選手の引き抜き合戦等の対立による潰し合いではアメフトの発展はないだろうということで組織統合し、ドラフト制度を導入して2リーグでチャンピオンシップを争うという形式に落ち着きました。どちらのスポーツもいま非常に繁栄していますが、果たして野球はどうなのでしょうか?どちらの形式が合うのでしょうか?

 まずこの問題を考えるにあたっては、野球というスポーツをカテゴライズしたいと思います。こちらをご覧ください↓

> http://www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/4031/yakyu1.html

 これはB_windさんのサイトのコンテンツの一部ですが、このページの『第1章 比較論的アプローチ』の1、タイプ別比較のところの表をご覧ください。
 野球はクリケット・タイプに分類され、同じカテゴリの競技はクリケットということになっております。

 そこで、クリケットというスポーツにはどういう特徴があるのかと考えた私は、ダイスポさんの助力を得て、以下のサイトを紹介してもらいました↓

> http://www.ne.jp/asahi/pm4t/albion/pavilion_end/column/explain.htm

 クリケットのルールはここに詳しく載っているわけですが、ここの説明によれば、日単位で試合時間は決められているので、ここが野球とは大きく異なります。クリケットのプレイに10アウトの制限はありますが、空振りがアウトになってしまうということはあるにせよ、打ったら必ずバッツマン(野球でいうバッターにあたります)が走らなければならないということでもないので、2イニングス10アウトのルールでも、試合時間は非常に長くなり、1試合につき1〜5日かかりますし、場合によってはそれで終わらないこともあるので、日単位での試合時間を決めているわけです。
 したがってクリケットの場合、2リーグで継続的に興行をやっていくという形式は合いません。そもそも1〜5日も1試合につきかかるスポーツが、野球のように、毎日興行をやり、切磋琢磨していくということ自体がムリなのです。そんなことをしていたら、シーズンが冗長になってしまい、観客は退屈してしまうでしょう。

 では、野球についてはどうでしょうか。

 野球というスポーツは、試合進行のやり方によっては冗長になることがありますが、大体試合時間が3時間前後と計算できるスポーツです。しかも肉体的負担がサッカーやアメフトと異なるので、連日で試合をできるというメリットがあります。ピッチャーは登板間隔を空けたり、起用法に注意したりしなければなりませんが、バッターが連日でフルイニング出場することは可能です。

 したがって野球の場合、毎日興行を行い、積み重ねていくレギュラーシーズンがある一方、レギュラーシーズンの集大成としてのポストシーズン、つまりプレーオフやチャンピオンシップがあり、双方で盛り上がるようにしているわけです。

 すると野球は、この『毎日試合をやれる』という事情がクセモノになります。1リーグではレギュラーシーズンを楽しむことはできますが、ポストシーズンを充分に楽しむことはできません。仮にポストシーズンを行った場合、1リーグですと、どうしてもポストシーズンとレギュラーシーズンとで価値の対立が発生し、結果、ポストシーズンの価値が下がってしまいます。

 また1リーグにしますと、チーム数が少なくなると試合カードがマンネリ化してしまいますし、多くなりますとシーズン展開によっては消化試合が多くなり、これもマンネリ化してしまいます。

 

 ここで、アメリカのオールドメジャーリーグやニグロリーグについては本編にてその説明を譲るとして、のちの連載内容と被ることになるのですが、日本のプロ野球が2リーグ分裂に至ったプロセスについて簡単に説明しておきましょう。

 日本のプロ野球は、戦後混乱期に至るまでは1リーグでした。しかし、当時にはポストシーズンゲームはなく、レギュラーシーズンで優勝したチームが優勝していました。したがって、優勝争いをしているチームが直接闘って決着をつけるというシステムが存在しておらず、シーズンの盛り上がりをそのまま興行成績に結びつけることができていませんでした。また、昭和22年のシーズンでは阪神タイガースが2位の中日ドラゴンズに12.5ゲームという大差をつけて優勝したのですが、ポストシーズンゲームが存在しないということもあり、シーズン後半になると、甲子園に客が入らなくなりました。消化試合が多くなってしまったために、客の入りが悪くなったのです。

 一方、当時の日本のプロ野球は正に発展前の胎動期にあり、観客の年齢層は若く、スタンドは子供ファンであふれかえっていました。蛇足ですが、昭和21年に阪神タイガースにカムバックした若林忠志が少年タイガースの会を設立したのも、この動きを受けてのものでした。つまり、当時の日本のプロ野球は、いま現在のJリーグがプロ野球人気よりも上を行こうとしているように、当時一番人気を誇っていた六大学野球の人気の受け皿となる準備を整えている、気鋭のスポーツ興行だったのです。

 そこで、これに目をつけたGHQのマーカット少将が、当時、戦前の民族国家社会主義による権威主義と官主主義にウンザリしていた日本社会に民主主義を植えつけようとする一方、アメリカ式の民主主義と対立していた共産主義から注意をそらすことを意図して、昭和24年2月23日、丸の内の工業クラブの一室にてかつて読売新聞社主であった正力松太郎を初代コミッショナーに据え、以下のように述べました。

 『日本もやがて、アメリカのように2大リーグを創って、野球を通じて民主主義を発展させなければならない。』

 これが2リーグ制度のスタートのきっかけです。現場レベルでは前述の若林忠志やレフティ・オドウルたちが話し合っていたように、ポストシーズンというケジメのないいまの日本のプロ野球では発展しない、特に2つの拮抗した勢力が相戦うというワールドシリーズのような形式が望ましいといわれてはいたわけですが、このようにGHQによる肝いりがあり、また、正力松太郎という抜群のアメリカ式バランスを備えた人材を配置して、2リーグ制度への動きは本格的にスタートしました。

 一方、一時的に共産勢力の大きなプロパガンダ機関となってしまったことで大きく部数を落ち込ませていた読売新聞は、共産党色を廃し、巨人軍のチケット作戦を使って大きく部数巻き返しに出ていました。加えて、当時は紙の統制令があり、新聞の発行部数に制限があったのですが、これが早晩自由化されるのが目に見えていたので、この勢いでいくと、他社が読売新聞に置いていかれるのは目に見えていたのです。
 そこで、販売を伸ばすための何か強力なウリを必要としていた毎日新聞がプロ野球の世界に参入しようとしており、また戦前にプロ野球チームを持っていた西鉄、関西随一の大手私鉄である近鉄が、プロ野球の世界への参入を希望しておりました。そして、毎日新聞が昭和24年9月21日に参入への名乗りをあげると、近鉄、西日本新聞、大洋漁業、星野組、広島クラブが名乗りをあげ、西鉄はプロ野球参入への意欲を見せ続けました。

 すると従来の8球団、読売ジャイアンツ・阪神タイガース・中日ドラゴンズ・大陽ロビンス・阪急ブレーブス・南海ホークス・東急フライヤーズ・大映スターズで構成されている日本野球連盟では喧々諤々の議論となり、結局連盟は2つに割れ、リーグも2つに分裂します。
 これがセントラル・リーグとパシフィック・リーグの誕生です。

 その後、さまざまな紆余曲折があり、リーグがスタートするときにはそれぞれセントラルの8、パシフィックの7となり、セ・パの優劣関係も決まっていくのですが、これは今回の本題ではないので、いずれこの連載の中で日本のプロ野球を取り上げる中で述べることにします。

 なお最後に、なぜGHQが野球を通じて民主主義を日本社会に植えつけようとしたのかということについて簡単に述べておきます。

 

 もともと先月の連載でも述べたとおり、野球はラウンダーズを基本にクリケットの一部を取り入れた競技である、タウンボールを源流としております。そして、そのタウンボールの名前の由来は、町の集会場にて行政について話し合うという地方自治の1形態であったタウンミーティング(ここ数年日本でもはやっている言葉ですが)の前後に行われたイベントであったり大人が政治論議に華を咲かせている間に子供たちが興じる遊びであったりしたことから来たものなのです。ということで野球は、アメリカの民主主義の土台となる、そのタウンミーティングとともに発展してきた歴史があるわけです。

 したがってアメリカからすると、野球は民主主義の象徴だったのです。そして、この民主主義推進のために導入された2リーグ制、ならびにパシフィック・リーグの誕生は、日本の民主主義が育つための道具とされてきたところがあります。ただ、当時のGHQも読めなかったのは、2リーグ制度もパ・リーグもカイシャシステムの欠陥である地位と年功による権威主義とコネ主義と無縁ではなかったということで、そこからさらなるホンモノの自由を求め、野茂英雄をはじめとする選手たちがアメリカへと巣立っていく事態になったということでした。つまり象徴的な言葉を使えば、借り物の民主主義の中から、ホンモノの民主主義の旗手がどんどん誕生し、彼らがさらに進化を続けていったということです。野茂英雄にしても松井秀喜にしても、彼らは日本のプロ野球やアマ野球という出自に誇りを持ち、その文化を背景にアメリカでプレーしております。

 

 さて、今回の合併騒動、パ・リーグを潰して1リーグにしようという動きはある意味、アメリカという国が日本と深く関わってきた歴史から逆戻りするというところがあると思いますが、それは、戦後の歴史を否定するということでもあります。しかし、パ・リーグは誕生以来50年余、その独自の歴史を歩んでおり、その歴史は日本の文化の一部になっております。これを否定することはイコール、日本の文化を抹殺するということに他なりません。

 したがっていまやらなければならないのは、日本の文化や戦後民主主義の象徴であったパ・リーグを抹殺することではなく、人権や年俸による高評価という甘い汁を選手に見せておきながら、いざとなれば選手の口を封じ、お客様たるファンの意思を置き去りにして権威主義を守り通そうとする、日本プロ野球界という年功序列社会のチャンピオンである一部権力高齢者の不貞な意図を挫くことです。つまり、アメリカからの借り物であったベースボールの民主主義を日本野球オリジナルの民主主義にするため、戦前のプロ野球から引きずってきた権威主義を捨て去ることです。新庄剛志選手が大リーグから戻ってきたときに記者会見の席で行った、

 『これからの時代はセ・リーグでもメジャーでもありません。パ・リーグです』

 という高らかな宣言は、野球という民主主義から発生したスポーツを権威主義から解放し、日本独自の民主主義の象徴へと変えて行こう、自分が受けたような不当な扱いをあとの世代に残してはならないという日本の球界、ならびに日本の社会に対するメッセージでした。こういう彼のような人間の努力を無駄にしてはいけません。そのためにも1リーグ制度を実現させるよりも前に、まずオーナー会議の解放、つまり自由競争から粛々と実行し、権威主義にすがるすべての抵抗勢力の力を封じ、未来への橋渡しをしていかなければならないのです。

 

【参考資料】

セ・パ分裂 プロ野球を変えた男たち 鈴木明著 新潮文庫

野球とクジラ 〜カートライト・万次郎・ベースボール〜

                    佐山和夫著 河出書房新社

 

 

【読売史観は適切か? 番外編その3 渡邊恒雄ならびに堤義明両オーナーの会見について】

 

 読者のみなさまこんばんは。今回はオールドメジャーリーグの話をお送りしようかと思っていましたが、昨日7/7のオーナー会議における西武ライオンズの堤オーナー、ならびに読売ジャイアンツの渡邊オーナーの会見があまりにも杜撰な内容であったために、今回、この連載にて緊急に取り上げることにいたしました。非常に大切な内容であるため稠密に検証してまいりますので、細かくなってしまうことにつき、ご寛恕のほどをお願いしたいと思います。

 

 まずは、堤オーナー、ならびに渡邊オーナーの会見内容をご確認ください↓

> http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/04season/column/200407/at00001311.html

> http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/04season/column/200407/at00001309.html

 

 この会見のポイントをかいつまんでご説明いたしますと、

 

・3軍制度を敷き、3軍は社会人と同等のレベルに保つ

・2軍はいままでどおり1軍選手の調整の場、リザーヴの場として維持する。企業の冠名は外さない

・3軍は地域密着型で、地元企業と提携して運営していく案が出ている

・3軍と社会人チームやクラブチームとともに独立リーグを立ち上げ、野球の底辺拡大を狙う

・プロ野球を頂点とした野球機構を新たに設立し、アマチュア野球と学生野球をその傘下におさめる

・パ・リーグのチームはすべて赤字である

・バファローズとブルーウェーヴ以外にもう2チーム合併し、10チームで1リーグ体制を敷く

・東地区と西地区に分け、オールスターならびに東西地区同士の優勝チームで日本シリーズを行うという案が出ている

 

 さて、これは一見口当たりのいい案に見えますが、果たして有効な改革案といえるのでしょうか?また、日本プロ野球選手会が主張している雇用確保の問題については?

 

1.3軍制度について

 

 これは現状の2リーグ制度下でも行えることであり、目新しいものは何もありません。また、2軍についても、このままでは単なる企業にとっての負担になるだけです。そのために地域密着路線やチーム名のネーミングライツのような手段を採っているケースがいまの体制でもあるわけで、2軍をスピンオフし、1軍との契約制にすることで1軍のオーナー企業の負担を減らせるわけですから、このような形式の3軍制度は財力のある読売ジャイアンツのようなチームの選手確保に役立つだけで、財政的に苦しい球団の切捨てを意味するわけです。

 

2.新しい野球機構の設立と野球の底辺拡大について

 

 プロがアマを吸収し、最終的には組織の頂点に立つということは、アマチュア野球機構の解散ならびに形骸化、そして、オーナー会議がアマチュア野球を含めた球界すべてをその支配下に置くということを意味します。

 しかしこれについてはどうでしょうか?まず第一にアマチュア側が納得できないし、現プロ野球のオーナー会議の連中による野球の徹底利用ということになりますから、結局はスポーツが、オーナー会議に参加している旧式の日本企業のいいように利用されるということになってしまいます。これでは、野球がオーナー会議に参加している企業に食いつぶされるだけになるだけでしょう。

 

3.パ・リーグの球団は赤字である

 

 これについてはB_windさんの連載や私自身の連載にもたびたび引用させていただいている、「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」という昭和29年8月10日に発布された国税庁による通達の問題がすべてです。

> http://www.nta.go.jp/category/tutatu/kobetu/houzin/2027/01.htm

 

 つまり、球団の赤字はオーナー企業の広告宣伝費として全額認められるということですが、これにより、自社の業績が好調なときはどんどんスター選手を獲得し、破壊的な高額年俸呈示競争によって人件費バブルが発生してしまったことに加え、球団の経営効率が著しく落ちました。またこれに補足すると、球団の所有と経営の分離がなされていないことと球場と球団の一体化がなされていないがために、野球についてはよく理解していない素人経営者が球団経営のトップに立つ事態になってしまい、しかも、球団の収入の途が極めて限定されてしまうという悪循環に陥ってしまっています。

 そしてさらに、現在盛んに言われている放映権の問題があります。野球の試合はリーグ戦興行体という形式であるにもかかわらず、チームの放映権を各チームが管理している状況になっているので、メディア露出度によって人気の価値が決まってしまい、その格差がそのまま球団の財政にハネ返る状況になってしまっているのです。少なくとも全国放送の放映権収入は各チームではなく、機構の管理下で分割されているのが世界のメジャーなスポーツの常識ですが、日本のプロ野球だけはその常識が通用しません。それは、企業スポーツから派生してきたという歴史的経緯と、上記の通達の問題がそうさせているようです。

 そもそもこれを管理すべき日本のコミッショナーは昭和24年にGHQの肝いりで押しつけられた制度で、日本の球界ならびにオーナー会議から発生した制度ではありませんので、名前だけで権限がなきに等しいところがありますし、また、初代コミッショナーたる正力松太郎についても当時は戦犯扱いだったので、コミッショナーとしての名称や立場などが政治的事情によってころころと変わり、コミッショナーの地位を曖昧にしてしまったところがあります。したがって日本のコミッショナーはアメリカ・メジャーリーグのコミッショナーのような強権を発動できないのです。

 

4.1リーグ制度と東西地区制度について

 

 一見妙案に見えますが、前回合併特別第2号にて私が指摘した、

 『1リーグではレギュラーシーズンを楽しむことはできますが、ポストシーズンを充分に楽しむことはできません。仮にポストシーズンを行った場合、1リーグですと、どうしてもポストシーズンとレギュラーシーズンとで価値の対立が発生し、結果、ポストシーズンの価値が下がってしまいます。』

 『試合カードがマンネリ化してしまいますし、多くなりますとシーズン展開によっては消化試合が多くなり、これもマンネリ化してしまいます。』

 この問題が出てきます。なお、インターリーグと1リーグとで違いは出てこないのではないかという指摘もあるでしょうが、それについては、インターリーグでは自由に交流戦の組み合わせを変えることができるが、1リーグでは一律に試合数が均等に配分されるだけで、新鮮味が薄れてしまうという説明をしておかなければなりません。

 

 昨日のオーナー会議の最大のポイントは、日本のプロ野球の最大の問題点である『オーナー会議の自由競争否定』を温存したまま、日本のプロ野球の改革に走っていることであり、一部オーナー連中による密室政治と利益の独占なのです。これにより、オーナー会議以外の人々の利益がまったく議題に上らないまま、オーナー会議の独走により日本のプロ野球のすべての物事が決定されているわけです。ちなみにコミッショナーとオーナー会議の関係については、先述した歴史的経緯のこともありますが、日本プロフェッショナル野球協約第21条にこう述べてあります。


 『第21条(オーナー会議)

 オーナーは、オーナー会議を組織し、この協約第17条(註:これにはコミッショナーの選任の問題も含まれる)の定めるところによりオーナー会議の承認を必要とする事項を審議決定する。

 コミッショナー、コミッショナー顧問および連盟会長は、オーナー会議に出席して意見を述べることができる。』

 つまり、退出も参入もままならない上に経営的に問題のある企業の集まりにもなりかけているオーナー会議がすべて日本のプロ野球の権力を握っているわけですから、当然のごとく社利に走ることが予想されているこれらの企業からオーナーとして派遣されている連中の暴走を止めることは、まずできないということです。

 ちなみに近鉄グループの問題点については合併特別第1号でも指摘しましたが、ホークスの親会社のダイエーが大きな負債を背負っている問題企業であることは読者のみなさんもよくご存知でしょうし、またこの夕刊フジの記事によれば、

> http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20040708&a=20040708-00000021-ykf-spo

 西武鉄道はゴルフ場やホテルなどレジャー部門の不振で16年3月期は85億円の連結最終赤字、西武鉄道の筆頭株主でライオンズにも100%出資するなどグループを統括する立場のコクド(株式非公開)も15年3月期の売上高は915億円、消費低迷の中、減収傾向が続き、営業赤字とみられ、また堤オーナーは西武鉄道の総会屋への利益供与事件への責任を取り、会長を辞任し、財界活動からも退くという事態に発展しております。

 果たしてこんな問題企業だらけのオーナー会議に参加しているメンバーに、野球を任せることはできるのでしょうか?プロだけならともかく、アマまでを彼らの手にゆだねることは到底できません。私としては、読売巨人軍の渡邊オーナーが仰るところの『将来的に全面的かつ有意義な改正』には大賛成ですが、その際には必ず、コミッショナー権限の強化とオーナー会議の自由競争、ならびにオーナー会議の権限の後退と選手会のリーグ運営への関与を行わない限り、日本のプロ野球はニグロリーグと同じ運命をたどると確信しております。野球とカイシャを運命共同体にしてしまってはいけません。野球の将来の発展を図るには、野球のカイシャからの自立は避けて通れない命題であり、カイシャの利益追求とスポーツの発展を切り離して考えなければならないのです。

 

 

【NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編4〜 カイシャフランチャイズのキモ

 

 読者のみなさまこんばんは。いよいよ9/8のオーナー会議までのカウントダウンが始まりましたが、球団の合併をめぐって、近鉄の親会社・近畿日本鉄道の株主2人が、「統合すれば、試合数の減少による収入減などで、親会社に多大な経済的負担を負わせる可能性が高い」として、辻井昭雄会長や山口昌紀社長ら経営陣4人を相手取り、統合差し止めを求める仮処分を26日、大阪地裁に申し立てたり、あるいは日本プロ野球選手会がストの可能性を示唆しており、予断を許さない状況になっております。

 そしてそんな中、私は盟友のShinorarさんの誘いを受け、以前にこの第4週でサイコロ野球についての連載をされていたMAKIさんやクールジャイアンツを連載中の慈恩美さんらとともに、「田原総一朗の熱論90分スペシャル−ライブフォーラム−プロ野球が元気になれば、ニッポンが元気になる!?」にオーディエンスの一人として乗り込みました。目的は、竹中金融財政担当大臣と議論し、ある法令の改正を求めるためです。

 

 その法令とは、以前にB_windさんがベースボール・ビジネス第24回『NPBモデル』↓

> http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Baseballwind.htm#Baseballwind24

 にて紹介された、「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」という昭和29年8月10日に発布された国税庁通達です。

> http://www.nta.go.jp/category/tutatu/kobetu/houzin/2027/01.htm

 これについては、今週の火曜日に日経ビジネス誌記者の方から私が取材を受けた際、Jリーグにも通達があるという指摘を受けたこと、ならびに、日本プロ野球選手会に掲載されていた谷沢健一さんの指摘に基づき↓

> http://jpbpa.net/baseball/03/06.htm

 国税庁の法人関係の通達を確認したところ、何もプロ野球だけでなく、Jリーグにも適用されていることがわかりました。つまりこの通達は、日本のチームプロスポーツ全体に適用されている通達なのです。

 

 さて、この通達では一体、どの部分が問題になるのでしょうか。この通達そのものは、企業の社会奉仕にカネを出すことを促すということで非常に意味があるではないか、という指摘をされる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この通達は、以下の引用にあるような日本のプロスポーツ黎明期の発想に基づき、創られた通達なのです。

『小林(一三)は、1935(昭和10)年の「改造」新年号に、「職業野球団の創設」という短い文章を書いている。

(中略)

 小林には、日本でいきなりアメリカのプロ・リーグを実現するのは難しいという判断があった。したがって、過渡的な形態をとらざるをえない。たとえば、選手の身分である。一定の実力をそなえた選手を集めるには、学生野球からリクルートする以外にない。学生野球出身選手のレベルアップをはかるには、鉄道会社が選手を職員の身分で雇用し、育成するのがよいだろう。このようにすれば、経営上の困難をやわらげることが可能だ。』

(『南海ホークスがあったころ 〜野球ファンとパ・リーグの文化史〜』 永井良和・橋爪紳也著 紀伊国屋書店 2003年 P.30)

 したがって、この通達の第2条は以下のとおりになっております。

 『ニ  親会社が、球団の当該事業年度において生じた欠損金(野球事業から生じた欠損金に限る。以下同じ。)を補てんするため支出した金銭は、球団の当該事業年度において生じた欠損金を限度として、当分のうち特に弊害のない限り、一の「広告宣伝費の性質を有するもの」として取り扱うものとすること。
 右の「球団の当該年度において生じた欠損金」とは、球団が親会社から交付を受けた金銭の額および各事業年度の費用として支出した金額で、税務計算上損金に算入されなかつた金額を益金に算入しないで計算した欠損金をいうものとすること。 』

 つまりこれは、球団の赤字額についてはすべて広告宣伝費として認められるということで、会社から国税としてとれる額を確保しつつも、会社の安定した財政の下でスポーツに対する振興を促す効果を狙ったという、国の事情と会社の事情を両立させる、非常に深遠な知恵が隠された通達だったのです。

 

 ところがこの通達は、思わぬ効果をもたらしました。それは、球団が親会社の一部門として親会社と一体化し、親会社の都合で球団経営が振り回され、独立した主体としての意思決定ができなくなってしまったということです。

 その結果、

1.経営効率を考えずとも親会社の財政事情に甘えることが可能になったため、球団の財政が恒常的に赤字化した

2.親会社の事業の性質によって、球団に投下できる資金ならびに経営資源が異なってくるため、各球団の資金事情や人材事情に大きな較差がつくのみならず、スポーツビジネスのプロが育たず、現場経験者の球団経営への参画が制限された

3.球団が親会社と一体化することにより、球団は親会社の付属物と見なされるようになり、親会社の事情に振り回されやすくなると同時に、選手は会社の従業員と見なされ、独立した個人事業主であるにもかかわらず、親会社の上下関係にしばられることになった

 以上3つの問題が出てきました。それに加え、日本のプロ野球は、リーグを統一する日本プロフェッショナル野球機構がオーナー会議よりも力が弱い、という伝統を2リーグ分裂時代以前より持っているので、Jリーグとはこの点が大きく異なっており、リーグ戦興行体という意識が薄い。したがって、パ・リーグの各球団が巨人戦からもたらされる利益を求め、平気で合併を繰り返そうとしているという事態が起こっているのです。

 

 つまりこの通達は、すでに時代から遅れているので、現在のようにビッグビジネス化したスポーツビジネス事情とは合わなくなっています。

 

 現在の状況を変えるには、この第2条を、以下のように変更しなくてはなりません。

 『ニ  プロチームスポーツに出資している法人が、当該チームに対し、当該事業年度において支払った金銭は、一の「広告宣伝費の性質を有するもの」として取り扱うものとすること。』

 一見無定見なスポーツへの資金の投入を企業に認め、現在の巨人一極集中ならびに特定球団の財政を潤すだけのように見えますが、これによって、赤字額を親会社で丸抱えする必要がなくなるので、球団の合併・解散を促進するのではなく、球団の所有と経営の分離が促進されて、球団のスムースな売却、ならびにオーナーシップの自由競争を促進する下地ができますし、現在のJリーグの地域フランチャイズを基本にしたチームプロスポーツのあり方とも合致し、プロスポーツ全体に対して企業が出資しやすくなる。そして、球団の経営効率を見直すきっかけにもなります。つまり、いままでメディア対策を含め経営努力をしていないとたびたび指摘されてきた球団にカツを入れ、戦略的に球団を使うチャンスを増やす効果があるのです。

 

 しかし、この所有と経営の分離、ならびにオーナーシップの自由競争を促進するためには、さらに、野球協約の第36条の5(新参加球団に対する加盟料60億円)ならびに第36条の6(既存球団の譲り受けまたは実際の球団保有者変更に伴う参加料30億円)を撤廃する一方、第33条(合併)を強化して、

 『合併にあたっては、当該球団へ出資する者ならびにオーナーは、60億円を日本プロフェッショナル野球機構に支払わなければならない。』

 という一文を追加すると同時に、第34条(破産)についても、

 『ある球団が裁判所によって破産の宣告を受けた場合、日本プロフェッショナル機構は直ちに当該球団のオーナーのオーナー資格を停止し、新たなオーナーを探す責務を負う。』

 と変更しなければなりません。というのも、オーナーシップを獲得した企業が、かつての日拓ホームズのときのように、直ちに球団経営を放棄するようでは困るからです。

 

 私は日経ビジネスの記者さんにも申し上げましたが、日本のプロ野球は、現在のままでは、球団経営をやっていけるのかいけないのかということを論じる環境すら整っていないと断定せざるを得ません。というのも、経営効率とか企業努力を論じる以前の問題で、全球団が同じスタートラインに立って、お互いが自由競争によって切磋琢磨する努力をできる環境になっていないからです。

 カイシャフランチャイズムが前提としていまの日本のプロスポーツにある以上、スポーツは所詮、たとえ広告宣伝費といえども、大半は会社の福利厚生部門の延長にすぎないのです。

 

 プロスポーツは、社会の公共物です。出資しているのは民間の企業かもしれませんが、その企業は社会から公共物をお預かりしているのであって、お預かりすることによって莫大な経済効果を享受しているのです(例:近鉄バファローズの赤字40億円に対する経済効果360億円-永井前球団社長コメント-2004年2月)。

 それであるがゆえに、自由競争とリーグ戦興行体としての協調性を同時に達成しなくてはなりません。渡邊恒雄前読売ジャイアンツオーナーがたびたび口にしていた『(選手獲得のための)自由競争』ではなく、オーナーシップの自由競争が促進されなければならないし、また、一極集中的な特定球団による利益独占が許されるものでもないのです。過度の利益独占は徹底的に排除し、プロスポーツのマーケット自体が共存共栄で大きくなっていくべきなのです。

 

 さて、9/5(日)21:00より放送予定の「田原総一朗の熱論90分スペシャル−ライブフォーラム−プロ野球が元気になれば、ニッポンが元気になる!?」の様子については来月第2週に配信予定のクールジャイアンツにて慈恩美さんが報告してくださる予定ですが、あのときに私が竹中大臣に渡したメモが、政府にてこの通達に対する議論を行うきっかけになってくれればいいなと願いつつ、私は9/8のオーナー会議にて出される結論を見守ると同時に、根来コミッショナーがくさらず、ファンのみなさんと選手会、ならびに球団のフロントのみなさんのために健腕を振るうことを期待しております。

 

 

【NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編5〜 プロ野球選手の労働者性とNPB選手会の労働組合性】

 

 さて、昨日17日、プロ野球選手会は史上初のストライキを決行することになりました。しかしこのストライキをめぐっては、5日に横浜ベイスターズ峰岸球団社長がこんな発言をしております↓

『横浜・峰岸進球団社長(62)が5日、労組・日本プロ野球選手会に異議を唱えた。選手会が決行濃厚なストライキについて「損害賠償をする、しないは別にして、できると思っている。(決行が11、12日なら、横浜が)阪神戦を開催した場合の得られる利益を要求することができるはず」との考えを明かした。また、球団首脳として初めて、選手会が労組ではないという見方を示し「選手会は団体交渉を認められたことをとらえ、労組として認められたとしているが、それは違う。労働者性が認められたわけではない。選手は税法上の優遇をとるのか、労働者としての利益をとるのか。二者択一すべき。個人主義でないとするなら消費税5%を返却要求できる。選手は権利ばかり要求せず、義務を果たすべきだ」と強く訴えた。』(2004.9.6.サンケイスポーツwebより)

> http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200409/bt2004090604.html

 果たしてこの主張には正当性があるのでしょうか。

 

1.プロ野球選手の労働者性

 

 プロ野球選手に果たして、労働者性はあるのでしょうか。これについては、『昭和49(行ツ)112 不当労働行為救済申立棄却命令取消請求』という、ある民間放送会社とその放送管弦楽団員との間に、雇用契約ではなく、放送出演契約が締結されていた場合でも、実質的に見て、労組法3条にいう「労働者」にあたる、とした判例がこれに似た事例として、あります↓

> http://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf/VM2/F0C8511032BB170E49256A85003120B3?OPENDOCUMENT

 

 この最高裁判決の要旨は以下のとおりです↓

『民間放送会社とその放送管弦楽団員との間に締結された放送出演契約において、楽団員が、会社以外の放送等に出演することが自由とされ、また、会社からの出演発注に応じなくても当然には契約違反の責任を問われないこととされている場合であつても、会社が必要とするときは随時その一方的に指定するところによつて楽団員に出演を求めることができ、楽団員は原則としてこれに応ずべき義務を負うという基本的関係が存在し、かつ、楽団員の受ける出演報酬が、演奏によつてもたらされる芸術的価値を評価したものというよりは、むしろ演奏自体の対価とみられるものであるなど判示のような事情があるときは、楽団員は、労働組合法の適用を受ける労働者にあたる。』

 

 では、これについて、選手がサインする統一契約書↓(42ページから)の条文と照らし合わせて、考えてみましょう。

> http://jpbpa.net/convention/11.pdf

 

 まず第一に、プロ野球選手に労働者性を認めない場合、

 

『契約において、プロ野球選手が、所属球団ならびに日本プロフェッショナル野球機構が行う以外のエンターテインメントへの参加ならびにメディア露出が自由とされ、また、球団からの要請に応じなくても当然には契約違反の責任を問われない』

 

 ことが前提条件となります。そこで、これにあたることが書いてある統一契約書の条文を挙げてみますと、まず第16条(写真と出演)の後段には、以下の記述があります↓

 

 『選手は球団の承諾なく、公衆の面前に出演し、ラジオ・テレビジョンのプログラムに参加し、写真の撮影を認め、新聞雑誌の記事を書き、これを後援し、また商品の広告に関与しないことを承諾する。』

 

 続いて第19条(試合参稼制限)には、以下の記述があります↓

 

 『選手は本契約期間中、球団以外のいかなる個人または団体のためにも野球試合に参稼しないことを承諾する。』

 

 また同第20条(他種のスポーツ)にもこんな記述があります↓

 

 『選手は相撲、柔道、拳闘、レスリングその他のプロフェッショナル・スポーツと稼動について契約しないことを承諾し、また球団が同意しない限り、蹴球(サッカー)、籠球(バスケットボール)、ホッケー、軟式野球その他のスポーツのいかなる試合にも出場しないことを承諾する。』

 

 したがって、この前提条件は成立しておりません。ちなみに労働組合法第3条は以下のとおりになっており、プロ野球選手のみなさんはこの条文にいうところの「労働者」にあたります。

 

 『第3条 この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者をいう。』

 

 続いて税の問題ですが、峰岸社長が主張している『税法上の優遇』とは、いわゆる税の捕捉率の話だと思われます。これはいわゆるクロヨン(サラリーマン9割、事業所得者6割、農家4割の所得捕捉率)、トーゴーサン(サラリーマン10割、事業所得者5割、農家3割の所得捕捉率)のことで、個人事業主である野球選手は6割の所得捕捉率でいくらでも節税が可能であるから、9割の捕捉率のサラリーマンよりも恵まれてるじゃないか、と一般で言われている話のことです。

 

 しかし上記の統一契約書第16条、19条、20条にもあるとおり、野球選手の収入の途は限られている上に副収入は極めて制限されており、しかも球団の許可が必要なのです。したがって、一般的に言われている税法上の優遇というのは、プロ野球選手の場合は非常に考えにくいですし、また、収入によって一律に給与所得控除額が決まっているサラリーマンよりも、場合によっては、税法上厳しく税をとられることすらあるのです。ですから、峰岸社長の主張は最初から破綻しているというわけです。また、消費税や地方税の支払については、選手自身が確定申告の作業の中で済ませなければならないことあって、返却請求をしても意味がありません。結局は球団側が選手の代わりに、政府に支払うことになるだけです。

 

2.プロ野球選手会の労働組合性

 

 労働組合とは何でしょうか。これについては、労働組合法第2条前段に、以下の記述があります。

 『この法律で「労働組合」とは、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体またはその連合団体をいう。』

 したがってこれについては、東京都地方労働委員会のこの説明にもありますとおり↓

> http://www.toroui.metro.tokyo.jp/ROUKUMI.HTM

 自主的かつ民主的に運営されており、かつ、資格審査を経ている団体であれば、労働組合法上の救済を受けることができるわけですが、日本プロ野球選手会はその東京都地方労働委員会による資格認定を1985年に受けております。
 したがって、峰岸社長の↓

 『峰岸球団社長は「団体交渉権は労組でなくとも認められる」と指摘。「個人事業主」として選手が税制上の優遇措置を受ける以上、労働組合には当たらず「するしないは別にして、損害賠償請求はできる。請求額は試合を開催していれば球団が得ていたであろう利益になる」と話した。』(デイリーベイスターズ 2004.9.6.)

> http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04090602.html

 という主張は単なる願望であって、現実とは異なります。資格審査を経ていない労働組合にも団体交渉権が認められているからといって、東京都地方労働委員会で認められた労働組合に対して損害賠償ができるわけではありませんし、結局は労働組合法の第8条(損害賠償)にあたるだけなのです。

 ただ、問題は、日本プロ野球選手会がスト撤回の条件として求めている、

> http://jpbpa.net/jpbpa_f.htm?/news/release/news20040917_1.htm

 (1)球団削減により多くの移籍、解雇が出る可能性のある選手の労働条件

 (2)バファローズとブルーウェーヴの合併凍結、ならびに、球団統合による球団数減少を元に戻すための新規参入の促進

 (3)さらなる球団削減を防ぐための制度作り(ドラフト改革、収益分配)

 の3条件にどこまで妥当性があるかということになります。というのも、(1)についてはさておき、(2)ならびに(3)については、経営者側の問題であり、いくらプロ野球の将来に関わることとはいえ、選手会の主張すべきことではないと考えられるからです。そして、日本プロフェッショナル野球機構側(以下NPB機構)も、このように訴えております↓

> http://www.npb.or.jp/news20040917/index.html?id=00402

 『選手会が労働組合であったとしても、球団統合及び球団の新規参入自体は、経営事項であり、義務的団体交渉事項ではなく、これを理由にストライキを行うというのは、違法かつ極めて不当なものであるとも考えております。』

 

 ところが、NPB機構が忘れているのは、上記のB_windさんの主張にもありますとおり、

 『そもそも、特殊技能者であるプロ野球選手の雇用は、一般の雇用とは意味が異なります。特殊技能者の雇用は、その特殊技能を発揮する場の雇用でなければ意味を持ちません。特殊技能を発揮できなければ、特殊技能の対価としての報酬を得ることができません。選手会側が主張しているのは、特殊技能を発揮できる場の確保なのです。球団数が減れば、1軍で試合ができる選手は、その分減ることになります。「1球団の保有選手を増やし、全選手を雇用しましたよ」といっても意味がないのです。』

 こういうプロ野球産業の特殊性なのです。したがって、日本プロ野球選手会は球団の経営問題に関わるべきではないどころか、関わる義務があり、これを主張しなくてはならないのです。もしも主張しない場合、日本プロ野球選手会は労働組合法第1条第1項に掲げられている労働組合の目的を放棄することになり、存在意義がなくなります。そして、経営者側がこれについての話し合いを拒否した場合、労働組合法第7条(不当労働行為)の第2条にあたるのです↓

 『使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと。』

 

 ただ、NPB機構所属球団の親会社は、会社の広告宣伝媒体ならびに営業の手段として野球興行をやっているわけで、野球興行、ならびにこれを通じて広告宣伝効果を売って自活している球団に出資しているわけではありません。そこで彼らは上記のプロ野球産業の特性を無視し、球団経営の判断の問題はあくまで経営側の問題であり、特段選手会のみなさんやファンのみなさんに対して説明する必要はないと主張しているわけで、これが日本プロ野球選手会との見解を違えている原因となっているのです。

 この状況を変えるには、私が『カイシャフランチャイズのキモ』でも説明したとおり、一刻でも早く昭和29年通達の文言を変更し、球団の所有と経営の分離を進めなければならないのです。ところが、私が先日の番組にて竹中金融財政担当大臣と話したとき、竹中大臣は『規制のことを言う前に球団の自助努力が必要だ』という主張を繰り返すのみで、議論が成立しませんでした。果たして竹中さんは、球団の経営に携わってるみなさんが野球興行の発展というモチベーションを持てないままに球団経営をせざるを得ない、という事情を理解しておられるのでしょうか。あるいは、そんな状態にあって球団経営側からいい加減な対応ばかりされて憤懣やる方ない選手会のみなさんの苦労がわかっておられるのでしょうか。そして何と言っても、ストはいやだけど、合併や1リーグは絶対いやだからこれを受け入れざるを得ないという大きな犠牲を強いられているファンのみなさんの想いがわかっておられるのでしょうか。

 またそれは、オーナーのみなさんや根来コミッショナーも同じです。彼らは所詮、机上の論理でしか物事を考えていないように見えるし、人の気持ちがわかっているとはとても思えないのが、私には気に入らないのです。もしも本当に野球が好きだったら、彼らに机上の論理のみでしか考えていないようなことはできるのでしょうか?私はそれを彼らに問うてみたい。そしてそれは、選手会のみなさんも同じ気持ちなのではないでしょうか。それであるがゆえに、私は今回のストライキを全面的に支持しますし、選手会のみなさんはそれをやる義務があると考えているのです。

【参考サイト】

Blog de 司法試験 2004.9.6.15:34 wolfgang_a著

> http://wolfgang.exblog.jp/198575

 

 

【NPBにおける受難の時代 〜読売史観は適切か?番外編6〜 オリックスによる岩隈投手プロテクト問題について】

 

 読者のみなさまこんばんは。ここ数日間、また、オリックスという会社は、悪夢たる球団合併騒動の仕掛けに続き、とんでもないことをやらかしてくれました。みなさまもよくご存知のとおり、岩隈投手プロテクト問題です。

 この問題については、最初『プロテクト名簿に載せる、載せないについては選手側の要望を聞く』と明言していたオリックス側が、岩隈投手にだけは態度を違え、彼を勝手にプロテクト名簿に載せただけでなく、プロ野球選手がプロ野球の世界に入る際、トレードに応じるとの項目がある統一契約書にサインしていることを根拠に、プロテクト名簿に名前を載せるというのは岩隈投手を野球協約に則り大阪近鉄バファローズからトレードにより獲得したのと同じことだ、だから岩隈投手には契約を守ってもらう、これを守るのは一社会人として当然のことだ、と一方的に発表したことがそもそものトラブルの始まりです。

 スポーツ報知のweb(12/6)
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041206-00000027-sph-spo

 サンケイスポーツのweb(12/6)
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041206-00000015-sks-spo

 

 そこで私は、オリックス側が強硬に主張する野球協約、ならびに統一契約書上の根拠にあたる箇所を確認したところ、以下の条文がありました↓

 

★ 野球協約

 

 第33条(合併)


 『この組織に参加する球団が他の球団と合併するときは、あらかじめ実行委員会およびオーナー会議の承認を得なければならない。この場合、合併される球団に属する選手に関しては、必要により第57条(連盟の応急措置)および第57条の2(選手の救済措置)の条項が準用される。』

 

 第36条の2(連盟の保有)


 『この組織に属する連盟の構成球団は参加資格を喪失した場合、決定の通告を送達した日から、地域権および選手契約権、ならびにその保留権を喪失する。なおこれらの権利は応急措置としてその球団が所属した連盟が保有し、第57条(連盟の応急措置)および第57条の2(選手の救済措置)の条項を準用する。』

 

 第57条(連盟の応急措置)


 『ある球団の事情により、その球団の選手・監督・コーチの全員が、この協約の拘束力の外におかれるおそれがある場合、この組織の秩序維持のため、応急措置として所属連盟がこれ等の選手、監督ならびにコーチの全員を一時保有することができる。
 このような事態が年度連盟選手権試合シーズン中に発生した場合には、シーズン終了の日から、またシーズン終了後に発生した場合にはその発生の日から30日間を超えて、前項の措置を継続してはならない。連盟が保有する期間における選手、監督、コーチならびにその他必要な範囲の職員の参稼報酬、手当および給料は連盟が負担する。
 第1項の場合連盟会長は、前項の期間内に新しく球団保有者になろうとする者をさがし、その球団保有予定者と前記選手、監督、コーチならびに必要な範囲の職員との契約および雇傭につき斡旋を行わなければならない。
 前項の斡旋が失敗した場合、連盟会長は監督、コーチならびに職員を契約解除し、選手については第115条(ウェイバーの公示)の規定を準用して、ウェイバーの対象としなければならない。
 なお、選手はこの措置に服従しなければならない。』

 

 第57条の2(選手の救済措置)


 『球団の合併、破産等もっぱら球団の事情によりその球団の支配下選手が一斉に契約を解除された場合、または前条による連盟会長の斡旋が失敗し同様の事態となった場合、もしくは斡旋が不調に終わるおそれが大きい場合には、実行委員会ならびにオーナー会議の決議により、他の球団の支配下選手の数は前記議決で決められた期間80名以内に拡大され、契約解除された選手を可能な限り救済できるものとする。』

 

★ 統一契約書

 

 第21条(契約の譲渡)


 『選手は球団が選手契約による球団の権利義務譲渡のため、日本プロフェッショナル野球協約に従い本契約を参稼期間中および契約保留期間中、日本プロフェッショナル野球組織に属するいずれかの球団へ譲渡できることを契約する。』

 

 しかしこれらは、オリックス側が強硬な主張を行う明確な根拠にはなっておりません。そこで私が日本プロフェッショナル機構のwebで確認したところ、以下のようなニュースがありました↓

> http://www.npb.or.jp/CGI/System/news_view.cgi?id=00406

 

 9月23日付のこのニュースによれば、以下の合意が日本プロフェッショナル機構と日本プロ野球選手会との間になされております。

 『6.新規参入が決まった場合、分配ドラフトへの新規参入球団の参加を認め、統合球団のプロテクト選手(2巡目、3巡目の指名選手を含む)を除いて柔軟に対応する。また、既存球団は、新規参入球団と既存球団との戦力均衡を図るため、新規参入球団に協力する。』

 

 つまり、一度プロテクト名簿に選手の名前を載せれば、オリックスは合併新球団で優先的にその選手を保留することができる可能性があるという、玉虫色の文言になっております。したがってオリックス側としては、これを根拠に、自らの立場を一方的に主張しているものと思われます。

 

 ところが、このように玉虫色の文言になっている場合、判断基準は、法の優先順位によるのが自然ですし、また、コミッショナー裁定、ならびに連盟会長裁定も、これに従って行われなければなりません。ちなみに一般組織内における法の優劣関係は、以下のとおりになっております。

 

 『憲法→法令→労働協約→就業規則→労働契約→業務命令』

 

 これに即して考えると、上記のニュースによる合意というのは、あくまで契約による合意成立か、あるいは、業務命令範囲内における合意であると考えるのが相当ということになります。したがって、合意内容よりも法的に上位にある上記協約条文にのっとって、まず考えなくてはなりません。そこで協約第57条第3項以下の部分を準用します。

 

 『第1項の場合連盟会長は、前項の期間内に新しく球団保有者になろうとする者をさがし、その球団保有予定者と前記選手、監督、コーチならびに必要な範囲の職員との契約および雇傭につき斡旋を行わなければならない。
 前項の斡旋が失敗した場合、連盟会長は監督、コーチならびに職員を契約解除し、選手については第115条(ウェイバーの公示)の規定を準用して、ウェイバーの対象としなければならない。
 なお、選手はこの措置に服従しなければならない。』

 

 つまり、プロテクト名簿に選手の名前を載せる手続というのが上記の『連盟会長による斡旋』に準ずる扱いということになるわけですが、オリックス側はこの際にトラブルを起こし、明らかに失敗しているので、岩隈投手は当然ながらプロテクト名簿から除外され、ウェーバーの対象、つまり、拡張ドラフトの対象となり、また、拡張ドラフトに参加しているのは、オリックス・バファローズと楽天イーグルスなので、オリックス・バファローズに行けなくなった岩隈投手が行くのは、楽天イーグルス以外にはないということになります。

 したがって、協約にのっとって考えた場合、万が一連盟会長ならびにコミッショナーによる明らかに不合理な裁定が下らない限り、岩隈投手の所属先は、楽天イーグルス以外ありえない、ということになります。

 

 続いては、協約よりも上位に来る法について考えてみましょう。これは法令、つまり民法や労働法、ならびに商法などの一般法ということになります。

 まず今回の合併についてですが、これは、商法でいうところの営業譲渡にあたります。つまり、オリックス株式会社が、近畿日本鉄道株式会社から、その一部門である、大阪近鉄バファローズ球団を買い取ったということになります。

 したがって、譲渡会社の財産が譲受会社に承継されるかどうかは当事者間の契約によって決まるため、譲渡会社と労働者との間に存在していた法律関係も原則として譲渡契約内容によって決められますし、労働者の譲受会社への引継ぎには本人の同意が必要とされています。労務者の権利義務の一身専属性を定めた民法第625条第1項が適用されるのです。

 日本のプロ野球選手は、日本プロ野球選手会という労働組織に所属する労働者です。個人事業主ではあっても、それはあくまで契約社員としての地位を表すに過ぎず、経営側に比べて圧倒的に弱い立場にあるのは、以前にも説明したとおりです↓

> http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/KiddBusiness.htm#NPBJyunanLaborUnion

 したがって、今回の件についても、オリックス側は、協約の表面だけを曲解して一方的に岩隈投手を拘束することは、法的に許されないのです。

 

 最後に社会通念上の話ですが、以前にオリックス側は、『選手の希望を尊重する』とメディアを通じ、社会一般に対して明確にアナウンスしているので、選手の希望を踏みにじり、一方的にプロテクト名簿に載せるのは、社会の模範たるプロ野球のあり方に反します。一般的には選手の側のエゴの問題だけが大きくピックアップされることが多いですが、権力を握っている組織の側のエゴも、同様か、それ以上にピックアップされなければならないのは当然のことでありますし、また、双方のエゴを何が何でも阻止することが、社会的公共財としての役割を担う、ロールモデルとしてのプロ野球の使命となるのです。

 これだけ世の中に広くアナウンス効果を持つプロ野球に携わる人間が、法的違反を犯し、それを社会に認めさせようというのは、法の形骸化と無秩序を招き、世の中に混乱を与えると同時に、感情的要素の強いプロスポーツのあり方を台無しにし、多くの人々に反感と心の傷を与えます。したがって、今回オリックスがやったことは、かつて水俣病やイタイイタイ病のような公害を撒き散らした企業のエゴならびに無責任な行為と同じか、それ以上のインパクトを与えているのだということに、そろそろプロ野球に携わる方々も気づかなければなりません。彼らも、オリックスは、いわゆる物質的公害ではないが、精神的公害を大いに社会にもたらしたのだ、という厳しい現実を、粛々と謙虚に見つめ、これを許してしまったことを猛省しなければならないのです。

 日本のプロ野球が進化するには、このようなビジネスと法の曖昧さを排除し、企業エゴを前面的に押し出した強引さを一切認めず、馴れ合いを断じて許さず、純粋に野球の発展のために動く組織風土を培っていく必要があります。過去70年の日本のプロ野球の矛盾、ならびに恥の歴史の原因は、すべてここにあるのです。そのためには、ファンや現役選手だけでなく、OBのみなさんも、私欲を捨て、何が公の利益たりうるのかを真剣に考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか。そしてその先に、さらなる日本プロ野球の発展と栄光があるのです。今回の問題を、近年の一部自分勝手なプロ野球選手の態度と勝手に混同し、一選手のワガママと断定してお茶を濁せば、理念が協約に明記されていても誰もこれを誠実に守らず、何が正しくて何が間違っているか明確な指針を示せない、ズブズブでケジメのない日本のプロ野球は、ますます痩せ衰え、21世紀のニグロリーグになってしまうことは明らかです。私はそれを何よりも危惧しているのです。

 

≪参考web≫


・日本プロフェッショナル野球協約・統一契約書様式(日本プロ野球選手会)

> http://jpbpa.net/convention/11.pdf

・紙上「新しい労働組合運動セミナー」第2回

> http://www02.so-net.ne.jp/~min-irou/970711.html

・日本労働研究機構ホームページ『営業譲渡と労働契約関係の承継』

> http://www.jil.go.jp/jil/kikaku-qa/jirei/18-Q02B2.htm

・わーくわくネットひろしま 『企業合併・営業譲渡で労働契約はどうなるか』

> http://www.work2.pref.hiroshima.jp/docs/1441/C1441.html

 

 

 『最後に残された「旧日本の象徴」』 (2004年6月29日 Japan Mail Media)

 

 日本のプロ野球は、日本の世相の象徴とされてきました。戦後の混沌とした時代の中での野球人気の高まりとリーグ分裂、複数球団の誕生と合併、ならびに国民リーグの誕生と1年での解散は、混乱の中、新しい資本家たちの誕生と興亡が起こっていた戦後経済の状況を反映しているし、V9巨人は高度経済成長と日本経済の快進撃を象徴してきましたし、江川・元木選手をはじめとするドラフト制度への反逆や野茂選手を契機とする有名選手のアメリカ・メジャーリーグへの亡命は、行き詰った日本の官僚システムとカイシャシステムへの能力ある個人のそこからの脱出傾向を反映しております。

 ですが、日本プロ野球というものが安泰(いい意味においても悪い意味においても)であったのは、ひとえに自由競争を廃してきたからだともいえます。
 ここで私がいう自由競争とは、オーナーシップの自由競争です。読売巨人軍のオーナーである渡邊恒雄氏が常々唱えている、極めて曖昧な意味での『自由競争』ではありません。

 日本プロ野球リーグ全体の定款ともいうべき日本プロフェッショナル野球協約には以下の規定があります。

・第28条(株主構成の届出と日本人以外の特殊)
 『この組織に所属する球団は、毎年4月1日までに、その年の2月1日現在の自球団の発行済み株式数、および株主すべての名称、住所、株式保有の割合をコミッショナーに届けなければならない。(中略)
 この協約により要求される発行済み資本の内、日本に国籍を有しないものの持株総計は資本総額の49パーセントを超えてはならない。』

・第36条の5(新参加球団に対する加盟料)
 『新たにこの組織の参加資格を取得した球団は、参加する連盟選手権年度の1月末日までに加盟料を支払うものとする。支払方法については実行委員会の議決により延納あるいは、分割による支払いも可能とする。
 新参加球団の加盟料の金額は60億円とし、日本野球機構および同機構に既に属している全球団に分配され、各球団への分配金額は均等とする。』

・第36条の6(既存球団の譲り受けまたは実際の球団保有者変更にともなう参加料)
 『この組織に加盟している球団の株式の過半数を有する株主、または過半数に達していなくても事実上支配権を有するとみなされる株主から経営権を譲り受けた法人あるいは個人は、参加する連盟選手権年度の1月末日までに加盟料を支払うものとする。支払方法については実行委員会の議決により延納あるいは、分割による支払いも可能とする。
 その参加料の金額は30億円とし、日本野球機構および同機構に既に属している全球団に分配され、各球団への分配金額は均等とする。』

 つまり、オーナー会議に参加するには、新しく参加するときに場代として60億円払わなければならず、プレーヤー交代でも30億円払わなければならず、しかも外国資本の参入は制限されております。加えて、第22条の2にもあるとおり、オーナー会議の決定事項は、12人のオーナーのうちの9人以上出席、出席者全員の4分の3以上の同意が必要とされます。
 したがって、日本プロ野球のオーナー会議というのは、極めて資格を限定・審査している、超VIPのみが参加できる会員限定制のクラブであり、参入どころか、オーナーシップを保有している会社が球団の解散を決めるか、あるいはその会社自身が倒産でもしない限り、退出すらままならない状況になっているのです。

 もうひとつ、この会員限定制クラブの特徴について示すものがあります。それは、昭和29年に国税庁が出した『職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取り扱いについて』という通達です。

> http://www.nta.go.jp/category/tutatu/kobetu/houzin/2027/01.htm

 これによれば、球団がどんなに赤字を出しても、その赤字はオーナーシップを持つ親会社の広告宣伝費として認められるので、球団の自助努力なしに、親会社の状況によって、際限なく球団に資金をつぎ込むことが可能になります。
 したがって、この親会社の状況に応じて、球団の資金の格差がつくということになってしまい、しかも、所有と経営はがっちりと結び付けられてしまう。独立採算でやっている広島カープのような球団は、厳しい経営のために規模を縮小せざるを得なくなり、たとえいまは黒字であっても巨人戦による収入がすこしでも減るとたちまち赤字に追い込まれ、球団存続の危機へとすぐに追い込まれてしまうのです。

 この件については、ブルーウェーヴの親会社、オリックス株式会社の宮内義彦オーナーが6月15日付日本経済新聞朝刊第3面にこんなコメントを寄せています。

 『オリックスの球団経営について言えば、オリックス本体の広告宣伝費ですよ、と言ってしまえば、あと10年ぐらいは務まる。赤字額の大きさが問題なのではなく、投資に見合うだけのメリットが得られ、会社全体にバックアップしてもらっているという確信があれば、お金を使うのは一向にかまわない。100億円、200億円規模を広告宣伝に使っている会社はいっぱいある。』

 これは、このような自由競争を否定している歪んだ会員限定制のマーケットの中で、費用対効果が極めて見えにくくなっている状況を表しているわけです。

 果たして、このような閉塞状況にあるプロ野球に、未来はあるのでしょうか。自由競争を認めなかった共産主義の国々が尽く崩壊したのは読者のみなさんのご記憶に新しいことと思いますが、このプチ共産主義、あるいは日本という官僚制資本主義、つまり資本共産主義のミニチュア版ともいえるオーナー会議と、私が1998年に命名したところのカイシャフランチャイズシステムが岐路に立っていることは明らかです。6月24日付日本経済新聞朝刊のスポーツ欄には1リーグ8球団なら採算がとれるという阪神タイガースの久万オーナーのコメントが載っておりましたが、これは戦後間もない頃の混沌期の状態に日本のプロ野球が後退したということにほかなりません。
 ということで、村上JMM編集長の『今回の合併劇は、何かを象徴しているのでしょうか』という問いかけに対する私の回答は、『このまま行ったら国家が縮小均衡・破産にいくと巷で言われている日本型官僚資本主義、あるいは資本共産主義の象徴』となります。

 プロ野球ビジネスは、リーグ戦興行体と呼ばれるような社会主義的側面を持つビジネスです。たとえ巨人がいくら強くても、相手がいなければ興行は成り立ちません。したがって、利益についても通常のビジネスと異なり、放映権や入場料収入に至るまで、何だかのカタチで分配が行われるのが自然なパターンです。たとえばアメリカのメジャーリーグは、これを実行しております。
 またドラフト制度も、極端な自由競争の結果行われる有望選手・有名選手の寡占・独占を防ぐための戦力均等化のためのシステムです(ただしこれについては、選手の保留権と個人の人権との相克の問題から、フリーエージェントのシステムができております)。
 ですが、日本のプロ野球のように、利益分配も認めていないのにもかかわらず、昭和29年の通達と協約が結びついているのにオーナー会議の自由競争を最初から否定している興行形態は、極めて特殊です。アメリカのメジャーリーグにも先述の協約のような加盟料の問題はあるにはあるのですが、所有と経営の分離はいちおう存在します。また、最近ラテン系オーナーとしてアナハイム・エンゼルスのオーナーに就任したアルトゥーロ・モレノ氏のような例もありますし、いうまでもなく、イチロー選手のいるシアトル・マリナーズのオーナーシップを持っているのは日本企業の任天堂の山内溥氏で、オーナー権を行使しているのはニンテンドー・アメリカの荒川尭氏です。メジャーリーグのオーナー会議もホワイト・アングロサクソン系のリッチマンたちの牙城となっているところがありますが、少なくとも日本のプロ野球のオーナー会議よりも閉鎖的で特殊、というわけではありません。

 私は普通の同年代の日本人のみなさんとは違い、幼い頃はブラジルにいて、ズィッコ現日本代表監督やソクラテスが自分にとっての王貞治であり、原辰則でした。高校生までは本気で野球が好きだったわけじゃありませんし、部活でも野球ではなく、サッカーをやっていました。いまでもブラジル代表が自分にとってのホームチームですし、中田選手のようなマイペース人間には非常に共感するし、彼のことが大好きです。
 そんな私がなぜ野球について詳しくなったのかといえば、それは紆余曲折を経て、日本の文化や世相が極めて日本のプロ野球と連動しているということを理解し、これを日本人のアイデンティティとして受け入れる気になったからです。それであるがゆえに、どうしても私は一人の日本人として、日本のプロ野球に対して苦言を呈さないわけにはいきません。別にこんなことウダウダ言わずに、黙って他スポーツにハマるなり、日本を出てどこか別の国に行って、ワインでも呑みながらサッカーを地元ファンと優雅に楽しんだり(サポーターのみなさんと一緒に踊ったりするのは体力がいりますので、私はやりません)、アメリカの球場で向こうのおっちゃんたちとビール呑みながらやかましく野球談義していた方が楽しいのでしょうが、日本にもいっぱいこだわり派のコアな野球ファンがいるし、おもしろい人もいるので、彼らの悲しい顔を見たくないから、こういうことを彼らの代わりに言ってるわけです。また、アメリカ人やオーストラリア人の野球ファンにも日本のプロ野球の熱烈なファンがいるので、彼らと話すときに失望の声を聞きたくない、ということもあります。

 スポーツに国境はありません。私は最近、浜田山のグラウンドにてアフリカ野球友の会の活動に携わっていますが(朝日新聞6月25日付朝刊37面をご覧ください)、アフリカ人であろうと日本人であろうとアメリカ人であろうと、同じ野球というスポーツを通じてこれだけ楽しく交流が図れるということが楽しくて仕方ありません。それだけに、オーナー会議に携わっている反自由競争主義者たちによる勝手な言い分を聞いていると、ああ、日本のプロ野球ってバカバカしいことをやってるな、としか思えてならないのです。別に近鉄がバファローズから撤退すること自体はかまわないのですが、もっと自由に撤退できたらこれほどの騒ぎにはならなかっただけの話ですから。

 

 

 アフリカ野球友の会特集 第1回 野球は日本の文化か?

 

 前回でイタリア・セリエA事情特集を一旦終了し、今回から、プロ野球選手を人的資産として考え、これを財務諸表に載せるという私の開発したアイデアを紹介し、日本のプロ野球だけでなく、ヨーロッパサッカーやアメリカ・メジャーリーグベースボールなどにも通用する新しいスポーツビジネスの手法を提案させていただこうかとも考えていたのですが、先にこのアフリカ野球友の会の件についてみなさまに紹介し、この鋭気あふれる会のみなさんの情熱をお伝えすることにいたしました。

 今日のイントロダクションを含め、読者のみなさんにはこれから数回にわたって、この会の運営スタッフのみなさんへのインタビューを含めた特集をお届けいたします。

 

 先日の日曜日、私は数年来の盟友であるリトルナポレオンさんに誘われ、同じく盟友の野球好きメタルマン、Nikki松本さんとともにこのアフリカ野球友の会の第1回会員総会に行ってまいりました。リトルナポレオンさんは野球界国際化計画↓

> http://www31.ocn.ne.jp/~yokohamacity/index.html

 Nikki松本さんはRock'n Baseball↓

> http://www.jc-i.jp/baseball.htm

 の主宰であり、両者とも日本にいながらにして、日本人以外の友人が多いのは私と同じ。そして、いずれも、メジャーリーグ・ベースボールを中心に長年野球を見てきていて、野球の国際化に非常に関心があります。

 

 ですが、2/5にNPO法人として認定されたばかりのアフリカ野球友の会のスタッフのみなさんの情熱は、我々の上を行きます。代表の友成晋也さんは、自らがJICA↓

> http://www.jica.go.jp/Index-j.html

 の職員時代、まだ野球がほとんど普及していない頃から、伊藤忠商事から同じくガーナに派遣された社領さんとともに、地道に野球をガーナ国内で普及させてきました。

 もともとチームが、職業訓練のための交換留学でキューバに派遣された人たちを中心にひとつだけしかなかったのを、アクラ職業訓練学校を皮切りに、どんどんアマチュアスポーツとして、広めていったのです。

 この挑戦については、代表の友成さんの書かれたこの本に詳しく載っていますが、

> http://www.catchball.net/book.html

 私は急いでこの本を読む中で、自分の個人的な体験を思い出しました。

 

 私が子供の頃、伊藤忠商事に在籍していた父の仕事の関係でブラジルに行き、そこで体験した草サッカーの話は、以前にこのぼーる通信のサッカー特集でも書きましたが、実は、当時の私にとっての『日本』の象徴であり、『日本』の香りがするスポーツといえば、野球だったのです。

 昔は私も、同年代の子供たちと同じく、王現福岡ダイエーホークス監督のファンで、部屋には王監督が756号のホームランを打った瞬間の写真のパネルが飾られていました。そして、黄色い子供用の木のバット、大人用と子供用の2つのグラヴを持っていました。

 

 大人用と子供用のグラヴを持っていたのは父とキャッチボールをするためでしたが、仕事に忙しく、夜にならないと家に帰ってこない父とキャッチボールをすることは、滅多にありませんでした。

 そこで私は、同じマンションに住む白人の同い年の友人と、黒人の友人の兄弟に、野球を教えてあげることにしました。

 

 ところが、実際に球場に行ったことがなく、テレビで試合を見たこともない私が野球を教えることは、とてもできませんでした。

 私は、小学館の小学生向け雑誌、『小学1年生』や『小学2年生』の特集に出ていた福本豊さんの記事や、王監督のバッティングフォームから想像して、キャッチボールとバッティングをやるしかなかったのです。

 

 しかし、友人たちは嬉々として球とたわむれていました。とにかく、白球をバットに当てること自体が楽しいらしいのです。もちろん、ちゃんとしたバッティングフォームなんてできないし、ボールを投げれば、あさっての方向へとボールは飛んで行きます。お互い、ボールを追いかけて走り回って、メチャクチャなフォームでバットに球を当てて(大半は空振りして)いただけですが、サッカーばかりやっているこの国で白球を追いかけるということ自体を楽しく感じたのは、事実です。

 

 この、友成さんが書かれた『アフリカと白球』には、上記の『白球を追いかける楽しみ』とともに、ブラジルと同様、サッカーが一番のメジャースポーツである国で野球を普及させていく苦労のプロセスが、非常にリズムよく書かれています。

 日本のプロ野球の世界で名を残した高橋慶彦さんとのやりとり、チームキャプテンのアルバート・ケイ・フリンポン(ケイケイ)さんとの2人3脚など、他人とホンネでガンガンぶつかっていって、その中で得られる宝物のような人生経験。異文化との遭遇と衝突だけではなく、日本国内での一般サラリーマンと個人事業主たるプロ野球選手との出会いと衝突までもがきちんと描かれていることに、私は非常に感銘を受けました。

 この本の帯にある、『体験!アンビリバボー』(フジテレビ)で取り上げられたこの活動に対するビートたけしさんの『渇いているヤツはこれを読め!』のコメントは、非常にしっくりと来ます。他人とホンネでガンガンぶつかっていって、そこから学ぶことは非常に大きいのです。

 

 では、次回からは、その貴重な体験をされた方々や、これをサポートされる方々へのインタビューを行い、この活動についてさらに読者のみなさんに紹介していきたいと思います。

 なお、アフリカ野球友の会のホームページは、こちらになります↓

> http://www.catchball.net/index.html

 

【備考】『アフリカと白球』(友成晋也著・文芸社、税抜\1,200)の売上金は、すべてアフリカ野球友の会の活動資金に充てられます。志ある方は、よろしければこちらからの購入をお願い申し上げます↓

> http://www.catchball.net/book.html

 

 

 アフリカ野球友の会特集 第2回 国際交流?

 

 読者のみなさまこんばんは。いま私は、今日、4/29(木)の練習から帰り、ひととおり落ち着いてからこれを書いております。

 

 本日の練習は2回目でした。何かと仕事で忙しいアフリカ人のみなさん、なかなか集まっていただくのは難しいのですが、今日はとりあえず2名。そして、ミャンマーから来られた方やアメリカのハイスクールで野球をやっていた人も来て、ちょっとした国際交流の舞台となったのでした。

 そもそも代表の友成さんが国際交流のお手伝いをしてくださるJICAにお勤めなのですから、こうなるのが自然だったのでしょうか。

 

 場所は井の頭線浜田山駅付近にあります、三井記念グラウンドというなかなかいいグラウンドです。オフのときに野茂さんが使用したこともあり、そのときの写真が飾ってありました。

 

 ちなみに今日も、先日の4/17(日)の練習も、私が野球文化學曾の席で知り合った山内一弘さんにお願いし、おいでいただいたのですが、さすがは元日本一の打撃コーチ。一度打撃の話になると止まりません。具体的な動作を交えながら、『こうや。こうするやろ。そうしたらこうするんや』と実際の動作を交えながら、真っ直ぐにバットを振り出して説明すると、そこには人の輪ができ、また、かつての現役時代の山内さんを知っている方々は熱心にその様子をご覧になっている始末。私なぞは野球を観始めたのが高校生からですから、実は1980年代半ば、ドラゴンズ時代の山内監督も知らず、記憶にあるのは王→藤田政権の巨人のバッティングコーチとしての山内さんだけですから、ひたすらへー、はー、と眺めているだけなのでありました。

 

 詳しい様子はアフリカ野球友の会の『週刊アフ友!』のページ、4/17ならびに後日UPされるであろう4/29の分をご覧ください↓

> http://www4.rocketbbs.com/645/afutomo.html


 
 しかも昨日の場合、特別に少年野球チームにも参加していただいたことから、山内さんの打撃指導にはますます熱が入り、まさに水を得た魚のようだったのでした。アフリカ人2人だけではなく、少年野球チームという教える対象が目の前にある。ここで山内さんの打撃への情熱と親切心が動かぬわけはない。木陰でアフリカ人のエリックさんをつかまえ、Nikki松本さんや私を通訳に滔々と打撃論を展開したあと、アフリカ人の2人の練習が終わってからさらに小1時間、少年野球チームのみなさんに、熱心に打撃論を身振り手振り交えて教え込んでいたのでした。

 球界の伝説の方に教えていただいたのですから、きっとアフリカ人のみなさんにだけでなく、少年たちにとっても記憶に残る一日となったことでしょう。

 

 さて話はアフリカ人のみなさんを中心とした練習へと戻るのですが、こちらは非常に楽しい練習となりました。少年たちがバックで守り、アフリカ人やミャンマー人が打席に立つ。そして、塁に出た彼らを、アメリカ人スラッガー、ニック・パトリックが返す。そんな中でアフリカ人やミャンマー人は自然にルールを覚えて行き、次第に野球の感覚が身についていくのです。

 また私自身も本メールマガジンで配信しているトニー・グウィンの『バッティングの芸術』を翻訳した経験を活かし、彼らに山内さんの言葉を通訳していく中で、日本語だけでなく、英語で打撃論を語るための感覚が、実践的に身についていくのでした。こちらとしても学ぶことは非常に多く、実に実りある一日となりました。

 

 最後におまけ。私は山内さんが少年たちに野球を教えている傍らで、ニックに打撃指導を受けましたが、感覚的な話が大分よくわかりました。たとえばいままで野球中継の解説で各解説者がしゃべっていた身体のバランスの話は、サッカー畑出身である私の感覚ではうまく理解できないものだったのですが、ニックの話は非常にわかりやすかった。それはなぜなのか?今後この活動の中で答を見つけていきたい。そう思っております。

 

 ちょっとした国際交流が楽しい4/29だったのでした。

 

 

 アフリカ野球友の会特集 第3回 esogie

 

 アフリカ野球友の会は、ウガンダから野球少年少女を呼ぶ企画、ウガンダ・プロジェクト↓(朝日新聞6/25付夕刊社会面より)

> http://www.catchball.net/ugnewspaper.html

 を成功裏に終わらせたあと(7月、千葉マリンスタジアムにて募金してくださった方々、ありがとうございました)、練習を2回連続、雨で流してしまいました。そこで今回は、このアフリカン・オールスターチームの話はしないで、その一員である、ラッキー・イソウェさんがマスターをやっているバー、エソギエの話をしたいと思います。

 

 エソギエは、地下鉄の新宿三丁目駅近くにあります。こちらのマップではそれが書いていないのですが↓

> http://www4.point.ne.jp/~esogie/map.html

 ビッグス側出口より地上に出て、横断歩道を渡り、歩いて2分の小さなビルの3階に、これはあります。

 

 ラッキーさんは日本語が非常に達者で、私個人の感想からいえば、ナイジェリア人であるにもかかわらず、英語よりも日本語の方がうまいじゃないかと思えるぐらいの実力があります。奥さんはまだ若い日本人です。人柄が非常によくて、穏やかな、アフリカ人のみなさんに共通したところをお持ちですが、なかなか芯が強い、しっかりした方でもあります。

 

 私は新宿まで夜中にぶらっと行くことが多いので、そのときには必ず、このエソギエに寄ります。夜の7時から朝の4時までやっているので、歌舞伎町のオスローというバッティングセンターに真夜中に行った帰り、そちらに寄っても、まだ開いているのです。そして、いつもグアバジュースを注文し、テイクアウトでスヤというナイジェリア家庭料理を持ち帰ります。

 

 スヤというのは、羊肉を焼いたものに独特のスパイスをまぶし、ナマの赤たまねぎを混ぜ合わせたものです。ガスで焼いた羊肉の旨味とスパイスが心地よく溶け合い、羊肉の熱でナマだった赤タマネギが生煮えになる。すると適度に柔らかくなって、イヤミのないコリコリ感が出てくるのです。先週、私の大学時代のロックバンド仲間をエソギエに連れて行ったら、口を揃えておいしいと言っておりました。

 

 そのほかにも、ナイジェリアの家庭料理を中心に、いろいろな料理を出してくれます。料理のリストはこちら↓

> http://www4.point.ne.jp/~esogie/menu.html

 私が個人的に食べたいなといつも思いながら、テイクアウトできないためにあきらめているのがプランテーンとオクラのフィッシュシチューで、これは、ブラジルのカルルーという料理によく似ています。ブラジルの料理、特に、私がいた古都サルヴァドールの料理は、アフリカから黒人奴隷をつれてきたときの玄関口になっていたこともあり、アフリカをルーツにしたものがたくさんあって、カルルーのようなサルヴァドール料理もそのひとつなのです。

 

 お酒についても、ギネスビアーの強烈なやつがあったり、各種カクテル等も充実したりしています。毎週日曜日はお休みですが、最終の日曜日だけは、アフリカの同胞のみなさんのためだけに店を開けるそうです。

 

 店内は、アフリカン・ハイ・ライフというビートのかかったサウンドに満ち溢れており、ちょっとした異国情緒を味わうには最高の店です。もともとラッキーさんのいるバーだからということで尋ねたエソギエですが、いまは私自身、すっかり気に入ってしまいました。

> http://www4.point.ne.jp/~esogie/index.htm

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