記者の目

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記者の目:見捨てられる「多重困難家庭」=野沢和弘

 高級ホテルやブランド店が続々オープンしている都心を見ていると不思議な気がしてくる。この国の底辺層で信じられないことが起きているのをどれだけの人が知っているだろうか。

 障害のある娘と暮らしている母親が認知症になり、心配した相談機関が調べてみると、家の中から10年以上も引きこもっていた別の娘2人が栄養失調の状態で見つかった。近隣の人々は2人の存在を知らなかったのである。

 また、ある中学生が不登校になり先生が自宅を訪問したが会えない。どうもおかしい。相談機関が調べると、家庭という密室の中で、借金苦、介護疲れ、引きこもり、虐待などが複合して家族をむしばんでいた。

 「多重困難家庭」とも言うべき人々が地域の中で見捨てられている。そんな現実が人知れず広がっている。が、暗い話ばかりでは気がめいるので、ここでは救済する試みを紹介したい。窮地にこそ新しい可能性が隠れているはずだ。

 実は、先の例はいずれも千葉県中核地域生活支援センターが救済にあたったものである。

 05年、千葉県は14カ所の福祉圏域に一つずつ中核センターを開設した。子ども・障害者・お年寄りに関するあらゆる相談を24時間365日受ける。丸投げ、たらい回しはしない。権利侵害事例は弁護士や警察に協力を求めて取り組む。福祉資源が足りなければ行政や地域住民らにはたらきかけて作り出す--というのが中核センターの運営指針。これを1カ所4~5人の職員でやれというのだから無謀ではある。

 似た相談機関としては、改正介護保険法で導入された地域包括支援センターがある。中学校区(人口約2万人)に1カ所設置されることになっているが、日常業務に忙殺され、肝心の高齢者虐待などにはあまり機能していない。

 中核センターには人口60万人以上、11市町村にまたがる圏域を担っているところもあるが、「多重困難家庭」やほかの深刻な事例の発掘に精力的な活動をしている。14カ所のいずれもがである。

 なぜか--。千葉県は福祉では遅れていた。01年に堂本暁子知事が就任してから政策立案に民間の知恵を大胆に導入するようになった。国や他の自治体にも審議会や検討会はあるが、平日の昼間に開催し、生活に困っていない有識者や業界団体の代表などが名を連ねるのが常である。

 そこで、千葉県では平日の夜、現役世代の福祉の当事者(利用者・事業者)を県庁会議室に集め、今すぐに必要な政策を議論してもらった。その中から中核センターが提案された。

 児童相談所や福祉事務所や保健所のほか、いろいろな相談機関が地域にはあるが、複合的に負の要因が絡まり合っている家族は、そうした既存機関だけでは救えない。現場の切実な声が政策作りに直接反映された。中核センターの活動理念や運営指針も当事者が中心になって作った。

 中核センターを受託する事業所は公募した。14圏域ごとに複数の法人が手を挙げた。民間委員が半数を占めた審査会では、名の通った法人でも制度の理念が理解できていなければ「×」を付けた。地域医療を担っている医師が障害者支援をしているNPOと事業体を作って応募してきた。この事業をやりたくて勤務していた法人を退職した若い職員もいた。彼に賛同した地元の不動産会社はまだ受託が決まってないのに活動拠点の事務所を提供した。

 現在は民間委員で組織した評価委員会が毎年末に聞き取り調査しているが、どこも相談が殺到しており、母体法人の職員を動員して赤字を出しながら運営しているセンターが複数ある。

 やっぱり、官僚やブレーンよりも当事者こそが切実なニーズを持っている。これまでは「利害の絡む当事者に公共の政策づくりはできない」と行政は相手にせず、民の側も「行政には当事者の気持ちなどわかるわけがない」と思い込んでいたのではないか。相互不信と自己保身である。

 どこまで中核センターの緊張感や使命感が持続するかわからないが、忍耐強く政策立案のプロセスを共有することで官と民に信頼が生まれ、当事者による自律した公益活動の可能性を開いたのではないだろうか。

 年金のデタラメぶりは官の怠慢や傲慢(ごうまん)を白日の下にさらし、コムスンの不正や相次ぐ食品偽装は営利企業の倫理の欠如を露呈した。絶望的な現実を救えるのは公共哲学や倫理を身に着けた当事者かもしれない。(夕刊編集部)

毎日新聞 2008年1月9日 0時02分

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