フィクションと「科学的正確さ」

陰謀論のエントリーから↓
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1190083204Link
 
フィクション、特にサイエンス・フィクションを読む(あるいは書く)人にとって「科学的正確さ」というのは、気になる問題です。
といいつつ、実は僕はあまりそういうことが気にならないのだけど。「正確なつもりで書いてるだろうに、間違ってる」というのは気になりますが、「嘘をついてる」ことについてはあんまり気にならない。でも、気になる人には気になりますよね。
 
フィクションは「嘘をついて、なんぼ」ですから、必ず嘘がまじっているわけです。
「すべてが正確」なフィクションなどないので、結局、個々人が「ここは譲れない」というポイントをできるだけ正確に書くのでしょう。しかし、そのポイントは人によって違うので、ある人にとっと「科学的に正確」なものが、別の人にとっては「科学的に正しくない」ものになりうる。それは当然です。
かつて、瀬名秀明さんとちょっとした論争になったとき、結局、話が噛み合わないのはその「どこが譲れないか」のポイントが違うからだと感じました。そのポイントのずれは、論理的に説明できるものではなくて、「好きずき」なので、噛み合わないときは絶対に噛み合わない。
  
まあ、僕が好きなのはPhil DickとWilliam Gibsonですから、科学的正確さははなから期待してないわけですけど(^^。
「ブレードランナー the final cut」は素晴らしいです(^^

― posted by きくち at 11:46 am commentComment [100] pingTrackBack [1]

この記事に対するコメント[100件]

1. Jem — November 26, 2007 @20:31:51

私は単なる雑食性のSF(ファンタジーを含む)ファンなので、「上手く面白く騙してくれればなんでもオッケー」です。裏庭に捨て置いてあるじいちゃんの作った宇宙船を修理して、お弁当もって火星に出かけるのも可だし、竜に乗って時間を遡ってもまったく気になりません。
だから、kikulogをお気に入りにブックマークしてるのでした。これからもよろしく〜。

2. pooh Website — November 26, 2007 @21:55:48

表現はどんなものにせよ受け手にある種の感動なり感興なり認識の変容なりをもたらすためになされるものだと思います。で、そのためにいろんな手法が用いられるわけです。
例えばその手法として科学的事実なり科学的思弁なりを用いると、サイエンス・フィクションになるわけで。

で、結局「その手法が適切で、効果をあげているかどうか」が論点になるんだと思うんです。その表現において科学的正確さが効果をあげるために必要なら、もちろんその部分が問われるわけだし、科学的思弁の厳密さが必要ならそこが問われる。それもあくまで、効果の面で。

そういうことだと認識しているです。

Owner Comment きくち  November 27, 2007 @00:21:50

いや、それは当然なのだけど、ここでの問題は、それが「問われる」とは誰が問い、誰が問われるのか、ということです。
つまり、著者が「科学的正確さが効果をあげるために必要」と思う部分があったとして、その部分が必要であるという認識を読者も共有しないかぎり、意味がない。
言葉としてよくないけど「こだわりポイント」のずれを問題にしています。
 
実はそれが「ジャンル意識」と関係していて、だからSFは「ジャンル小説」だというのが僕の意見なのですが。

4. としぞう — November 26, 2007 @22:20:03

これは面白いテーマですね。
私はいつも、「歴史小説における時代考証」と「SFにおける科学考証」を比較したくなります。前者が正確であるべきとされる傾向はとても強いですが、後者は本当にばらばらで、星新一のショートショートみたいなものもSFと言われるということを考えると、SFと言えどもまあそんなに重要でなくてもいいわけです。
無論、きくちさんの「正確なつもりで書いてるだろうに、間違ってる」というのは気になる、というのはとてもよくわかるし、ポイントはその辺なのだろうとおもいますが、「歴史小説における時代考証」みたいに必須の要素だと見なされずに済んでいる、というのは、つまるところSFの題材として扱われている科学的内容について、多くの人は「科学的正確さ」を重視したくなるほどよく知らないから、ではないかとおもいます。

Up5. きむらかずし Website — November 27, 2007 @00:24:35

デジタル上映のファイナルカット、映像も音も、ほんとに素晴らしい!
もうすぐ劇場公開が終わるのが残念です。

約25年前、初めてブレードランナーを見たときのこと。
最初の近未来の夜景のシーンから、なかなかやるなと思いましたが、
吹き上がる炎に透けて見える光景が、炎の熱で揺らいでいないのが、
ちょっと特撮を手抜きしているな、と思ってしまった私です。
(まだ物語に引きずり込まれる前なので冷静に観察していたのでしょう。)
科学的には、炎の向こう側は、ゆらゆらとなるはずじゃないですか。

Owner Comment きくち  November 27, 2007 @09:09:24

DLPの設備がないと上映できないので、全国で2館というのが、とんでもなく惜しいです。
僕が見に行ったのは、平日夕方だったのですが、がらがらでした。2館というのは正しい判断なのかもしれませんが、「攻殻機動隊」や「マトリックス」の映像が好きな人には、その原点を見てもらいたいですね。物語としては圧倒的に上ですし、今回のデジタル・リマスターで映像的にも遜色ないものになりました。
ストーリーはディレクターズ・カットを踏襲しているので、デッカードはあれですね(^^

7. 富嶽百景 Website — November 27, 2007 @05:28:19

小学校入学直後、はじめて「ドラえもん」を読んで「四次元ポケット」に心ときめきました(興奮に近かったかな)。
親にねだった挙句、四次元ポケットはフィクションと知って「なーんだ」って。
と同時に、そこへのこだわりはどうでも良くって、再びドラえもんを楽しんだのでした。

小1の私にとって、ドラえもんも立派なSFだった瞬間がありました。

ずれましたね、すみません:E

8. 技術開発者 — November 27, 2007 @08:04:05

こんにちは、皆さん。

フィクションというと「好き勝手」に作れる訳だけど、なんらかの根拠とつなげないと「入っていけない」フィクションになってしまいますよね。火星人なんてのは好き勝手に想像して良いのだけど、やはり「重力は弱いから足は細い」とか「進化が進んでいるので脳が大きくなって頭がでかい」とか「頭を支えるのに細い足が沢山いる」とか適当な根拠付きでタコ入道型の火星人像ができている方が「ほうほう、ふむふむ」とその姿を火星人と見なしやすい訳です、つまり「入っていけるフィクション」になるわけです。

フィクションというのを考えていると「小説はうまい嘘を付くことだ」と言った半村良の「庄ノ内民話考」なんて思い出します。実在の鉄道の駅名をぽんぽんと並べる中に架空の駅名をポンと放り込んで、そこから架空の支線を出し、その支線の終点に「庄ノ内」がある、なんて始まる訳ですけどね。なんでもこの小説を出したら、「あの地方の民話には以前から興味がありまして」なんて言う人から連絡があつたなんて話も書いていますね。作者は「だから、題名で『しょうのない民話』といっているのに」なんて書いていましたけどね。

Owner Comment きくち  November 27, 2007 @09:05:24

「ベルサイユのばら」を読んで、どこからどこまでがフィクションかわからなかった人は多いはずです(^^

Up10. DICE — November 27, 2007 @11:33:47

話題の『恋空』は事実から事実に基づいたに変化したらしいですが…

11. ジルベルト下大利 — November 27, 2007 @13:08:58

ウィキペディアの「2001年宇宙の旅」の項で、科学考証の間違っている例の中に、
・ディスカバリー号に放熱板がない
・外部との通信のシーンで、お互い真正面を向いている
と言うのがあるんですが、これを間違っている例とするのは個人的には抵抗があります。

放熱板の場合はディスカバリー号が作られるほどに発達した未来には巨大な放熱板がなくても放熱するシステムが発明されるかもしれません。
もちろん小説版のように放熱板をつけるのは科学的に正しい考証で評価されるべきですが、なかったからと言って誤りだとは私は思いません。

通信シーンについても、複数のカメラで通話者を撮影してコンピュータで正面からの画像に合成するという方法は可能だと思います。面倒な方法ですが、コンピュータの性能が十分高いのであれば、お互いに向かい合っているように見せる方が違和感を感じなくて好まれるという理由付けは可能だと思います。

こういうのがこだわりポイントのずれなのでしょうか?

話は変わりますが、科学的に誤りなのが確かなものでも宇宙戦での銃撃や爆発の音は消して欲しくないです。

Owner Comment きくち  November 29, 2007 @09:05:40

放熱板の問題は、原作(というべきかどうかわかりませんが)では放熱板がついているのに、映像効果を優先して映画では取り去ってしまった、という経緯がよく知られています。
wikipediaの記述もそれを踏まえているのでしょうが、「科学考証の誤り」とするのはアンフェアだと思います。
万が一、その経緯を知らずに書いているのだとすると、作品の背景についての充分な知識を持ち合わせていない人が書いた記事ということで、どのみちだめでしょう。

13. A-WING Website — November 27, 2007 @19:25:01

最近「スターゲイト」シリーズを観ているのですが、その中で、

地球人「そんなの物理的にはあり得ません」
エイリアン「それは科学の初期によくある、勘違いの一つです」

というやり取りがあって、最強の説明だと思いました。

14. YMN — November 27, 2007 @23:01:49

>放熱板の場合はディスカバリー号が作られるほどに発達した未来には巨大な放熱板がなくても放熱するシステムが発明されるかもしれません。
 
 大気中ならファンで強制空冷ということもありますが、真空中では放射による放熱しかありえず絶対的に面積が必要ということになるかと思います。
「放熱板に熱を集めれば小さな放熱板でも大きな放熱」ということになりますが、熱を集めるのにエネルギーが必要で、どうやっても無理ということになるでしょう。
あるいは小さな放射放熱機ができたら、永久機関が動くことになってしまうかもしれません。

Up15. pooh Website — November 27, 2007 @23:04:08

ジャンル小説、と云う言い回しはあんまりぴんと来ないんですけど、サイエンスフィクションに限ってのお話として。

なんと云うか、ある種サイエンスフィクション特有の感興、と云うのがあると思うんですよ。認識のパースペクティブがずれると云うか、いちどきに広がる感じ、と云うような。それも、その認識を獲得している視点と云うか立ち位置はそのままで、別の角度からの視野を一種暴力的に持ち込まれる、みたいな感じで。

で、その「新しい視野」が依って立つ場所が科学と云う物語の「外部」だったりもするんだろうな、と思います。その場合、その準拠する科学的事実が脆弱だと、持ち込まれる「新しい視野」も弱いものになってしまう。でもその強いとか弱いとか云う部分も、そもそもの物語、と云うか「文学」としての質によってどんなことを要求されているか、で評価が変わってくると思うんです。きっちりした科学的事実に基づかないと充分に視野を広げることができない場合もあり、そうでない場合もあり。

って、長々書いた割にはなんかよく分からないですね。すみません。

Owner Comment きくち Website  November 28, 2007 @16:25:02

「ジャンル小説」というのはつまり、「これはたしかに科学小説だが、SFではない」という言い方が存在するということです。
読み方について、作者と読者のあいだに暗黙の約束があるわけです。
実は、クライン・ユーベルシュタインが出てきたときにそういう問題が起きたのですが、あまり「ジャンル意識」という観点で語られなかったような気がします

17. さつき — November 28, 2007 @00:24:46

「こだわりポイント」のずれは確かに大きいですね。大きすぎて、多分この話題は収束しないと思います。

たとえば、これ
>科学的に誤りなのが確かなものでも宇宙戦での銃撃や爆発の音は消して欲しくないです。

私なんぞは、一度でいいから、銃撃や爆発の音のない、しかも派手な宇宙戦の映像を見てみたいと熱望しています。

それなのに、ソ連時代につくられた、『不思議惑星キンザザ』で登場する反重力船のようなものに、妙な愛着も感じたりします。

カートヴォネガットの『スローターハウス 5』も、ハヤカワSFから出ていますが、あちらでもSF扱いなんでしょうか? きくちさん、この映画は観ましたか?

Owner Comment きくち Website  November 28, 2007 @16:20:32

ヴォネガットは(特に、ジュニアが取れる前)好きで、「スローターハウス5」も愛読しましたし、映画はレーザーディスクで持っています。といっても、見たのは数回ですが。
SF扱だ思います。「タイタンの妖女」とか「猫のゆりかご」ほどではないですが、SFですよね。もっとも、このあたりになると、SFでもSFでなくてもいいんですけどね。
ジャンルSFとしては書かれていないけど、読者はSFと認定する、という感じではないでしょうか。

19. ヒスタミン — November 28, 2007 @01:02:02

『無限のリヴァイアス』というアニメの宇宙戦は、アニメとしては画期的でしたね。軌道計算をして邂逅の瞬間にどういうアクションをとるか作戦を組む、で戦闘自体はあっと言う間に終わってしまう。

海戦や空戦の延長線ではなく、宇宙空間という条件下であり得べきことを考えるとキリがないかも知れませんが、この程度のリアリティはあった方が、我々いまどきの庶民は楽しめる気がします。(そこがまさに人それぞれではあるのでしょうけど)

思うに娯楽を目的とした創作については、それまでのクリシェに何か「目新しいもっともらしさ」を一つでも付加していく事で発展していくのでしょう。『キンザザ』も私にとってはきわめて「目新しい」作品でした。「もっともらしさ」がどこかのメタレベルにあるのですね。

Up20. 多分役立たず(HNです) — November 28, 2007 @00:02:43

皆さん、こんばんは。横レスですが、

>>11.

>話は変わりますが、科学的に誤りなのが確かなものでも宇宙戦での銃撃や爆発の音は消して欲しくないです。

聞いた話では、「さよならジュピター」では、爆発に合わせて挿入曲のシンバルンの音を出すことで、観客には存在しない架空の爆発音を聞かせていたそうですから、工夫することで「科学的正確さ」と「銃撃や爆発の音」は両立すると思います。

もっとも、このことに対する批判をあまり聞かない、Wikipediaの同映画の項目にこの話が掲載されていないことを併せ考えるに、ほとんどの人はその問題は全く気にしていないのでは。

余談、

「科学的正確さ」を悪趣味に楽しむなら、「空想科学読本」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%83%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%AA%AD%E6%9C%ACLink

愛すべきものとして楽しむなら、「すごい科学で守ります!」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%A7%E5%AE%88%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%21Link

等という本がありますね。

21. あんね — November 28, 2007 @03:48:27

>話は変わりますが、科学的に誤りなのが確かなものでも宇宙戦での銃撃や爆発の音は消して欲しくないです。

歴史モノの、大砲の炸裂弾とか、石油系の煙とか、山の中で忽然と表れた芝生の上(ゴルフ場)での合戦とか、日本の戦国モノなのにどうみてもヨーロッパ風の甲冑とか、古代ギリシャ人なのに金髪碧眼とか、中世ウィーンが舞台なのに英語をしゃべっているとか、正確性を追求するとSFに限らず変な物ありまくりデス。

22. Noe — November 28, 2007 @09:06:34

YMNさん

>大気中ならファンで強制空冷ということもありますが、真空中では放射による放熱しかありえず絶対的に面積が必要ということになるかと思います。

「サンダイバー」という小説で、船体に浴びせられる大量の太陽熱をレーザーにして外に捨てるってのを読みました。こんなのはだめですか?

23. さんちゃん — November 28, 2007 @11:47:06

私は、設定の矛盾とか、話の矛盾とかが気になりますが、科学的正確さはあまり気にしません。
有名なところで「キン肉マン」の「重い方が先に落下する」とかもスルーでしたし。
まあ、引っかかることは全くないわけではないですが・・・。

昔のアニメで超人的な能力を持った戦士がレーザービームをレーザーサーベルで弾くのですが、普通の弾丸は食らってしまうというのがありました。
絵的には弾丸は見えなくて、レーザービームは見えるので見た目はあっているんですが、内心は「逆だろ」と思ったことはありますね。

24. 亀@渋研X Website — November 28, 2007 @11:45:09

宇宙での戦闘シーンの爆発音で思い出しましたが、
アニメや映画での「ありえない描写」「矛盾」について、
演出効果ではなくすべて正しい描写であるという強引な前提のもと
「どうやって合理的な理由があると説明できるか」
という遊びがあったことを思い出しました。

ex. なぜ宇宙空間での爆発音や振動が、宇宙船のなかで体感できるか
   → レーダー上の輝点やビデオ映像などだけでは、
     乗員が迅速かつ的確に反応できないのではないか。
     そのため、わざわざ周囲の状況を解析して、
     即座に合成音や振動を作成・再生しているのだ
ex. なぜ宇宙船のなかでマントが風にひるがえるのか
  (キャプテン・ハーロックですな)
   → 大型扇風機が密かに備えられているに違いない。
     目的は、乗組員の士気を鼓舞するためとか、
     洗ったマントを着たまま乾かせるようにするためとか

もはやズレまくりのような気がしつつ。

Up25. ジルベルト下大利 — November 28, 2007 @12:53:29

>正確性を追求するとSFに限らず変な物ありまくりデス。

昔映画館にコナン・ザ・グレートを見に行った時、タルサ・ドゥームが黒人だったのを見た前に座っていた客が、
「この時代なら(黒人は)奴隷だろ。」なんて言ってたので、
「お前はコナンの時代を知ってるのか!」と心の中で突っ込んでやりました。

26. ROCKY 江藤 — November 28, 2007 @13:16:06

このスレッドの元になったスレッドのほうに書き込んでいながら、こちらでは話の進展に付いて行けなくて、いままで沈黙していた江藤ですが。

SF映画なんかの爆発やレーザーの音は、実際に音がしているという表現ではなくて、一種の効果音ではないかと思います。お化けが出るときのドロドロドロと似たようなものと言うか、映画的オノマトペ(なんじゃそりゃ)というか。

SFに限らず、映画一般にこのような実態と離れた効果音はあります。例えば主人公から少し離れた場所で爆発が起きても、画面では爆発とぴったりシンクロして爆発音が轟きます。
カメラが主人公に密着していて、(所謂主観映像ではないものの)主人公の視点と一体化した描写でも、爆発音が聞こえるまでの時間差を描がいた映像はまずない。
たとえ100mしか離れていなくても、0・3秒の感知できる時間差はあるわけなのですが。

効果音と言えば、むかしのSF映画の宇宙空間のシーンでは、必ずといって良いほどテルミンのびわーんみゅいーんてな効果音が入りました。
ラジオのお子様電話相談で、「なんで宇宙に行くとピコーンって音がしているのですか?」てな質問があって、回答者の天文学者が答に窮していたことを覚えています。
ところが映画「2001年 宇宙の旅」ではこの種の効果音を一切廃しています。
しかし宇宙のシーンを無音にもしなかった。
「2001年」のEVAのシーンでは、空電のようなしゃかしゃか言う音や、呼吸音や心臓の鼓動の音が重ねられています。 
これを宇宙飛行士が実際に聞いている音と解釈することも可能ですが、効果音としても秀逸だと思います。
やはりキューブリックは天才だ。

27. さくま — November 28, 2007 @17:13:02

>私なんぞは、一度でいいから、銃撃や爆発の音のない、しかも派手な宇宙戦の映像を見てみたいと熱望しています。

もう10年以上も前のことですが、たしか『ロボジョクス』というB級特撮映画の終わりの方で、対戦していた巨大ロボどうしがいきなり宇宙に飛び出しちゃったんですが、その瞬間まったくの無音になってしまいました。効果音もBGMも無しです。不良品ビデオかと思いました(笑)。そのシーンは一瞬でおわり、巨大ロボは地上に戻ってくるんですが、そうするとまた音が復活したので、そういう演出だとわかった次第ですが、他の考察がいい加減なのに、変なところだけ凝ってるなと思った記憶があります。

>「サンダイバー」という小説で、船体に浴びせられる大量の太陽熱をレーザーにして外に捨てるってのを読みました。こんなのはだめですか?

以前、NiftyのFSFだったかFSCIだったかで、この話題になったことがありますが、レーザーはエントロピーが極小なので、それを放出するということは、宇宙船側のエントロピーがそれ以上に増大してしまって、結局レーザーで熱は捨てられないという結論になったような記憶があります。

28. さんちゃん — November 28, 2007 @17:45:22

>私なんぞは、一度でいいから、銃撃や爆発の音のない、しかも派手な宇宙戦の映像を見てみたいと熱望しています。
アニメ「銀河英雄伝説」で宇宙戦艦同士の戦闘時にはBGM(クラシック)が流れていて爆発音等は一切ないです。
クラシックで壮大感が出ていて気にはならなかったです。

29. 富嶽百景 Website — November 28, 2007 @23:56:51

皆さんの発言を拝見していると、エントリーにあるように「どこが譲れないか」を感じられますね:)

私はリアルタイムでグレートマジンガーとグレンダイザーを観て、再放送でマジンガーZを観たのですが、自由に飛べるグレートマジンガーより、飛ぶために翼のユニットとタイミングを合わせて合体しようとするマジンガーZに「本物っぽさ」を感じ、大好きになったのでした。
ロケットパンチが戻ってこなくて「打ったっきり」っていう時も、すごく嬉しかったです。

なので、勇者ライディーンは、駄目でしたね。
ガッチャマンも「科学忍法火の鳥」が出ると、がっかりでした(うわー、「科学」ですね)。

次元が違ってすみません。

Up30. Momonga — November 29, 2007 @00:34:04

皆様こんばんは。

 フィクションで気になる部分というのは人それぞれ色々あるものですね。
 歴史考証に比べて科学考証が緩いのは、やはり一般的に言って、読者や視聴者の持っている知識の量に差があるためなのではないでしょうか。
 私などは科学的な部分より、舞台となる建物が気になります。江戸城が姫路城だったり、戦国の山城に天守があったりはざらですので。物語が良くできていたりすればするほど、そう言う点が気になってしまいます。

>ROCKY 江藤さん
 芝居などの幽霊登場の音ですが、元々人ならざる者(神霊、鬼神、妖怪等々)が現れる時に異常な音がするという信仰というか民俗知識があったそうです。所謂神鳴りの類です。
 そうすると、能などの乱声なども同じで、本来は本当にそういう異様な音がするという事だったのが、次第に決まり事・記号的な効果音としての表現になっていったのではないでしょうか。

Owner Comment きくち  November 29, 2007 @08:57:20

大昔、テレビの「水戸黄門」で弘前が舞台になったことがあるのですが、夕日が沈む方向に岩木山がないという、地元民には致命的な考証ミスがありました(^^
というか、現地で撮れよってことですが

32. thotc — November 29, 2007 @08:39:45

SFに導入される「科学」は、SFが今までに獲得した様々なガジェットと同程度のものだと考えています。物語を支える材料として、それらしく機能していればいいかと。

作者は対象読者を想定して、科学的正確さのポイントを設定するんでしょうが、どう読まれるかは読者次第なので、想定外のつっこみが入るのは仕方のない事でしょう。でも、それは作品の問題だとは思いません。

個人的は科学的にあいまいだったり、ぼろぼろだったり、そもそも科学じゃなくて魔法のようなものでも、描かれてる世界がイマジナティブなら大歓迎です。

33. 山本弘 — November 29, 2007 @09:51:12

 今、環境問題についての本を書いている関係で、マイクル・クライトンの『恐怖の存在』(早川書房)を読んだのですが、これって評価が難しいですよね。
 地球温暖化というのはウソっぱちで、環境団体が金儲けのためにでっち上げたもの。彼らは大衆の危機感を煽るために人工的な気象災害を起こそうと企んでいる……という設定なんですけど、例によってクライトンですから、実際の科学的データが多数引用されていて、どこからがフィクションなのか見分けがつきにくいんですよ。
 作中で社会学者のホフマン教授が語る「PLM(政治・法曹・メディア)複合体」という概念にしても、クライトン自身の信念を代弁してるのか、単なる設定上のウソにすぎないのか、よく分かりません。
 ベストセラー作家の小説だけに、科学者の書く本より影響力は大きい。『ダ・ヴィンチ・コード』もそうだったけど、フィクションとして書かれていても、事実だと思ってしまう読者がけっこういるんですよね。実際、amazonなどの『恐怖の存在』の書評を見ても、信じてしまってる人がけっこういます。
 僕も作中に事実とフィクションを織り交ぜる手法は使いますけど、地球温暖化問題という現実に存在する問題について、環境団体を悪の秘密結社のように描く書き方ってどうなんだろうと、悩んでしまいます。

34. さんちゃん — November 29, 2007 @12:11:05

>江戸城が姫路城だったり、
撮影に使えて見栄えのいい城ってここくらいで時代劇に出てくる城のほとんどは姫路城(たとえば「暴れん坊将軍」がいる城とか)ですが・・・。
江戸城を再現するわけにもいかないのでしょうがないのでは?

などと思うけどこういうのが個人のこだわりなんでしょうねぇ。

Up35. stoner — November 29, 2007 @12:38:07

>江戸城を再現するわけにもいかないのでしょうがないのでは?

とはいうものの、そもそも吉宗の時代には江戸城天守はすでに無かった訳だから、「暴れん坊将軍」の江戸城はいわば完全な「ウソ」なんですよね(まあ「イメージ映像」と割り切ることもできるけど)。それをいったら時代劇は成り立たなくなるとはいえ、ドラマ自体がフィクションでも作中の時代考証はある程度は必要だと思います。
あと、現在の皇居にも伏見櫓(ニュースなどで二重橋のバックに移っている建物)や天守土台など江戸城の名残は残ってはいます。まずロケの許可は下りないでしょうが…。

36. Noe — November 29, 2007 @14:58:41

>stonerさん

江戸城天守って1657年に焼けちゃってるんですね。
知らなかった・・・

37. アルビレオ — November 29, 2007 @21:51:16

水戸黄門のロケなどでは、現地に行くとちょっと山奥でも電柱やガードレールのような「あってはいけないもの」が視界に入らないところを探すのがすごく大変だと聞いたことがあります。
どうしても見えてしまう部分は茂みなどで隠したり。
最近ならデジタル処理でごまかせるんでしょうけどね。

時代劇でごまかしようがない嘘には「馬」があるんじゃないでしょうか。
騎乗できるように調教された馬はほとんどがサラブレッドかアラブ種で、江戸時代の日本にいた馬に比べるとかなり大柄です。

>無限のリヴァイアス
たまたま見た回で重力を操る(操れるんかい!はスルー)敵に攻められて「このままではロシュの限界によって宇宙船が崩壊してしまう!」みたいなセリフが出てきたのは「やっちゃったなー」と思いました。
使う必要のない単語をわざわざ間違った状況で使わなくても…

38. YMN — November 29, 2007 @22:21:46

 映画で一番印象に残っている嘘としては、「ジュラシック・パーク」の「ティラノサウルスは動くものしか見えない」という蛙扱いです。
蛙扱いといえば、大昔の007シリーズで金粉を体に塗り、皮膚呼吸ができなくなって死亡するという話が登場しますが、ずっと本気にしていました(^^;。
 
 映画「パール・ハーバー」では今どきの映画らしからぬヘンテコな日本軍が登場しますが、爆弾に関しての嘘もありました。
飛行機から投下された爆弾の風車が回り、そして艦内に飛び込みゴロンと転がり(それまでに運動エネルギで半端でなく派手に暴れまわるはずですが)、しばらくしてその回転により起爆するというシーンがありました。
「何か変」ということで調べてみたら、実際は爆弾の風車は起爆装置ではなく安全装置を解除するためのものでした(つまり飛行機から投下され落下中に空中で解除される)。

39. YMN — November 29, 2007 @22:22:48

 火薬で弾丸を発射する銃であれば、撃っている宇宙船の船内はもちろん、真空中でも近くの別の宇宙船の船内で何らかの音が聴こえるかもしれません。
銃口から高速(最前面は音速よりずっと速いと思います)で広がる気体が近くの宇宙船の壁面に当たれば圧力変化を及ぼすことになります(「ボコッ」といった音でしょうか)。
宇宙船が大爆発しても気体が広がるのは同様ということになりますが、この場合は破片が飛んできて当たる音が聴こえなどと暢気なことは言っていられなくなります。
 
 宇宙戦争で曳光弾などという原始的な照準方式が使われるかどうか疑問ですが、ここはやはり映画の映像上の都合で譲れないところでしょう(宇宙戦争で定番の《真空中で見えるとは思えない》ビーム光線に見えるのは、ものすごく速い曳光弾という解釈が成立します)。
恒星の近くでない漆黒の闇の中の宇宙戦争となると、極力光は出さず、砲弾発射とかで光を出したらさっさとその場(あるいは等速直線運動)から退避ということで、映像的には面白くないものになりそうです。

Up40. moonlight — November 29, 2007 @22:58:06

ガミラス少年少女合唱団というギャグを思い出して笑ってしまいました。

SFって啓蒙小説では?古典も星新一も筒井もレムも、もちろんラッカーも。
ここ十年ではハイペリオンが一番な私ですけど。

何を語るのか?で,そこに必要なガジェットについては・・・ね。
って言う感じではないでしょうか。

41. えふべー — November 29, 2007 @23:02:33

初めまして。こういうネタには堪えきれず・・

>映画で一番印象に残っている嘘としては、「ジュラシック・パーク」の「ティラノサウルスは動くものしか見えない」という蛙扱いです。

原作者のマイケル・クライトンは、この映画の恐竜の描写がよっぽど気にいらなかったらしく、続編に当たる小説(ジュラシック・パーク2)の中で、前作の映画を裏切る描写ばっかり書いてます。
主人公のライバルに当たる恐竜学者が、ティラノの目前で(止まってりゃ見えまいと踏んで)「だるまさんが転んだ」をして、ぱっくり食われちゃったりとか。
森に入ってみると低所の草木ばっかりが食われている、なぜなら首長竜は直立できないから高所の葉っぱは食えない(映画に最初に生きた恐竜が登場する場面である、ディプロドクスがこずえの葉っぱをついばむ場面への皮肉?)、とか。

42. さとしゅ — November 30, 2007 @10:49:48

趣味で同人SF小説をたまに書くのですが
「設定や情況はいくらでも風呂敷を広げてもいいが
物理法則はできる限り人に突っ込まれない」をモットーにしています。

地上での戦闘シーンはまぁいろいろ超兵器のネタがあるのですが
宇宙戦闘だけは地味になっちゃうので避けてます。

相対速度をベースとした無重力下での戦闘だと、ヘッドオンでの接敵は
パチンコ玉ばら撒き、同ベクトル移動での戦闘はそもそも戦術的に
あり得ないしあったとしても止まってるのと同じで
腰を据えての打ち合い、一旦離れたらそう簡単にはめぐり合えない、
とかになってしまい、どうしてもハデにできません。

人体の加速度に対する弱さと、宇宙空間の広さにいつも頭を悩ませています。

遠くの敵にミサイルは届かない、ビームは当たらない、
近寄って来てもくれない、もし近寄っても射程内に存在するのは0.1秒
とかどうにもこうにも扱いにくい素材です。

やっぱりフィクションは「嘘」が肝心ってのはよく感じますw

43. トド — November 30, 2007 @12:05:53

>映画で一番印象に残っている嘘としては、「ジュラシック・パーク」の「ティラノサウルスは動くものしか見えない」という蛙扱いです。

原作でだったか、映画でだったかは忘れてしまいましたが、T-REXのDNAを全て復元出来ず、足らない部分を蛙のDNAで補完したために動くものしか見えない(反応しない)、という説明(複線)が有った様に記憶しています。

44. 雪兎 Website — November 30, 2007 @15:01:35

「鉄」にとっては、鉄道のいい加減な扱いというのは非常に気になりますね。蒸気機関車が大抵「C11227」というのはまあ許せるとして(大井川鉄道でロケをやっているので)、列車が接近してくるシーンで、塗装が同じだけの別形式に変身したり(笑)。

http://www.jr-odekake.net/train/category/lo.htmlLink
↑にある「475系」が、突然「419系」に化けたりとか。


「ALWAYS 続三丁目の夕日」で、日本航空のDC-6が出てくるのですが、映像はCGで作れるとしても、音は、DC-6は四発レシプロ機ということで、ボンバルディアDHC-8のような現役のターボプロップ機の音で代用するわけにはいかない、と、数分のシーンのためにスタッフがアラスカまで飛んで、貨物機として飛んでいる本物のDC-6の音を録音していました。

Up45. あんね — November 30, 2007 @15:36:17

えふべーさん、首長竜は、水生爬虫類です。陸上じゃない。。。

46. stoner — November 30, 2007 @16:12:01

ディプロドクスやブラキオサウルスなどの分類は正しくは「雷竜(竜脚類)」ですね。「雷竜」だとブロントサウルス(アパトサウルス)一種のみをさす場合もありますが。

47. stoner — November 30, 2007 @16:27:18

ちなみに「雷竜(ブロントサウルス)」という名の由来は確かアメリカ先住民に伝わる「雷馬」という想像上の生物で、竜脚類の化石を見た古代人が巨大な馬をイメージしたものだったと思います。

48. さんちゃん — November 30, 2007 @17:12:01

恐竜の話で行くとジュラ紀と白亜紀の恐竜が一緒にいるとかありえない共演がよくあるとか・・・。
(私は詳しくないのでスルーだが)

Owner Comment きくち  December 4, 2007 @15:18:53

恐竜と人が共存している映画もあるので、その程度は誤差のうち

Up50. Jem — November 30, 2007 @21:06:22

え〜、ここまで来てナニですが、最初のコメントを訂正させてください・・・
やっぱり考証は大切です。(昔々、ガッチャマンを見てて、G2号のエンジン音が「これはレシプロエンジンの音だ〜!」と不平を言ってたのを思い出しました・・・)

51. Momonga — November 30, 2007 @22:03:22

皆様こんばんは。

遅ればせながら
>江戸城天守...

 そうなんですよね。江戸時代を通して天守が存在した期間は限られているのですが、あまり考慮されていない場合が多いようです。
 建物は実際に映像化するのが難しいので、形などの問題は許容できるのですが、やはり無かったものが出てきてしまうと……。
 城郭=天守の構図は根強いものがあって、現実世界の再建天守にも厳密に考証すると色々問題があるものが多いです。

>きくちさん
 地元の人なら間違える筈のない岩木山などは、考証とか正確さ以前に、想像力が欠けているという、どこかで見た問題と同質のような気もします。

52. 半日庵 Website — December 1, 2007 @00:33:37

譲れないポイントが人によってい違うというのは、仕方がないでしょうね。作品の楽しみ方も違うのが普通でしょうし、作品の解釈が違うこともあります。それらが違う人と議論するのも作品の楽しみ方だと思います。

歴史小説の時代考証方がSF小説の科学考証より正確さを求められるというのも疑問です。このあたりもそれぞれのポイントの違いのうちだと思います。

テレビの時代劇の話がだいぶ出ているようですが、私なんかはわらじを履いていない馬が出てくる段階で、そちらの方はこだわらないのね。となり、当時は海だったはずが江戸の地名として登場した段階で、そこに突っ込んではダメねとまあ、いろいろと自分なりのポイントを調整してしまいます。他にも、江戸時代でも存在したはずの指揮系統の無視なんかも気になります。その組織は殿様の命令は聞いても、家老では動かせないとかね。

馬がわらじを履いていないのは、私なんかはかなり基本で宇宙空間で爆音がするのと同じくらい違和感があります。どちらも実際に経験がなく知識だけで判断しているという点も似ていますしね。

53. 半日庵 Website — December 1, 2007 @00:37:05

単なる突込みなので別発言にしました。
2001年のディスカバリー号の放熱板ですが、熱を一時的に船体内に蓄えて、小さい放熱板で時間をかけて廃熱するというのは論理的には可能だと思います。確かエンジンを動かしている時間は止めている時間に比べて大変短かったと記憶しています。
そこまでして見た目にこだわった設計をするのは合理的にはないですけど、放熱板がないことが間違いとは言えないことになります。

54. えふべー — December 1, 2007 @01:11:01

あんね様、stoner様、ご指摘のとおり首長竜はヨッパライの勘違いでございました。
あと、クライトンの続編の書名も正確には THE LOST WORLD でございます。大変失礼いたしました・・・

Up55. ようちゃん — December 2, 2007 @11:45:39

質問です。
地球温暖化がさけばれてますが、温暖化すれば海水面は本当に上昇するんでしょうか?
北極の氷が解けても上昇しないのはわかります。
つまり海の上の氷は海水面上昇に影響を与えないんですよね。
しかし、大陸の氷が解けた場合、上昇すると考えられるんですが、それ程の影響はあるんでしょうか?
北半球に大陸は67%あり氷を蓄える大陸は北半球は南半球より地図を見るかぎり圧倒的に多いと思います。
現在でも夏と冬があり、北半球が夏の場合、北半球の大陸の氷が解けて海に流れます。
逆に冬の場合、北半球に氷が蓄えられるはずです。
しかし、北半球が夏の場合に海水面上昇が見られ、冬に海水面低下するという話は聞いた事がないのですが、
どうなんでしょう?

56. kurita — December 2, 2007 @12:41:40

> 温暖化すれば海水面は本当に上昇するんでしょうか?

海水の温度が上がれば海水は膨張しますから、海水面は確実に上昇します。 しかも21世紀中に起こるであろうと考えられている海水面の上昇に一番寄与するのはこの海水の熱膨張だと考えられているようです。

57. ようちゃん — December 2, 2007 @14:02:22

僕もそう思います。
私が知りたいのは北半球が夏の場合と冬の場合とで海水面の水位に差があるのかって事なんです。

58. kurita — December 2, 2007 @14:40:36

すみません。 質問の意図がよくわからないのですが...

温暖化によって地上にある氷が解けていくとしたらその影響は毎年加算されていきます。 「温暖化問題」と言った場合には、数十年、あるいは数百年にわたって蓄積された影響について考えているわけです。 たとえ一年間の「季節による変化」が観測できるほど大きくなかったとしても、そのことから温暖化問題に与える影響の大小を言うことはできないと思いますが。 (そもそも一年の間の変化量と年ごとに累積していく量は別のものでは?)

> 北半球が夏の場合に海水面上昇が見られ、冬に海水面低下するという話は聞いた事がない

ちょっと調べればすぐわかることですが、日本近海では夏から秋にかけて潮位が高くなります。 (でもその大きな理由はやはり熱膨張だと思われます)

Owner Comment きくち  December 5, 2007 @16:19:34

僕もようちゃんさんの問題設定がよくわかりません。
夏冬の差が小さいとして、それが温暖化による海面上昇の影響を考えることに使えるのかどうかわかりません。
 
熱膨張による海面上昇より大きな寄与があるか、という問題設定だとすると、熱膨張が主だと考えられているのではないでしょうか。

Up60. 野尻抱介 Website — December 3, 2007 @05:30:29

 ディスカバリーの放熱板問題ですけど――推進剤タンクの欠如はスルーですか?というのはおいといて――こういうことは作り手の意図を汲むのが一番ですよね。
 受け手(観客)には以下のようなレベルがあって、
(1)惑星間宇宙船に翼があっても疑問に思わない。
(2)翼の不要は知っているが放熱板の必要は知らない。
(3)翼と放熱板の両方を理解している。
 キューブリックはレベル(2)の観客に対応したまでのこと。物理の教科書は科学的正確さが命でしょうけど、フィクションは受け手の評価を最大化するほうがしばしば優先されます。作り手側の理解が(3)に満たないのは論外ですけど。
 #33の『恐怖の存在』についても、著者の意図を汲むしかないのでは。
 私の信じるところでは、SFはただ奇想を楽しむことに奉じられるべきであって、それ以外の意図が混入するものは不健全です。『恐怖の存在』は未読ですが、山本さんのような読者が困惑するようならこの意味で不健全なのか、あるいは「嘘ですよサイン」が不明瞭なんでしょうね。しかし後者でしくじるほどクライトンは小説が下手じゃないし、近年の彼の言動からすると、前者の線が濃いような気がしますけど。
 なんか言わずもがなの話になっちゃったので、最後に有用なことを。現在発売中のSFマガジン1月号にテッド・チャンの「科学と魔法はどう違うか」という胸のすくようなエッセイが載っています。ぜひご一読あれ。

61. Seagul-X — December 3, 2007 @14:20:53

>ディスカバリーの放熱板問題ですけど――推進剤タンクの欠如はスルーですか?

空になったから捨てたんじゃないですか?というのは半分冗談ですが(半分は本気だけど、そういう設定はないし減速用の分がまだ残ってるはずですもんね)

私があの映画で一番気になったのはペンが踊ってるところでしたね。こじつければ、空調の関係で複雑な気流が発生している云々、とかいえるのかもしれませんが、不自然で、演出としても映画全体の雰囲気から考えるとちょっとあざと過ぎる感じです。

あと、昔、間違いだと誤解してたのは TMA-1 に向かうムーンバスの中に重力があること。軌道速度で飛んでるのかと思ってました。噴射しっ放しってのは無駄だよなぁ、って考えてたもんですから。

62. kurita — December 3, 2007 @14:52:10

> 『恐怖の存在』

私もその本は未読なのでうかつなことは言えませんが、Skeptical Inquirer その他、私が健全だと思える人たちによる批判のされかたなどを見ると、フィクションとしても色んな意味で不健全なのではないかという気がします。
たとえばちょっと古いですが: http://www.csicop.org/doubtandabout/crichton/Link

クライトンは「温暖化懐疑論者」ではなくて「温暖化否定論者」であり、その立場で書かれた小説なのではないでしょうか。 (まあ最近目につく“自称懐疑論者”は大抵“否定論者”ですけど)

63. YMN — December 3, 2007 @23:09:24

>SFに限らず、映画一般にこのような実態と離れた効果音はあります。例えば主人公から少し離れた場所で爆発が起きても、画面では爆発とぴったりシンクロして爆発音が轟きます。
 
http://www.youtube.com/watch?v=vj-15O-BTDw&feature=relatedLink
 
 (一時現役復帰していた時の)戦艦ミズーリの主砲発射を別の艦から撮った映像で、閃光に遅れて音と同時にカメラが揺れます。
これをそのまま映画にすると、やはり大多数の人は違和感を感じてしまうことでしょう。
フィクションの映像ではカメラは神出鬼没の黒子的な存在なので、マイクがカメラと別の所にあって映像にシンクロした「今」を録音するようなことがあっても、それはそれでありという気がします。
それにしても、音声無しの昔の記録映像に音をつけるときは、あまり安易に効果音をつけるのはどうかと思います(極端なことを言えば記録の歪曲になります)。
 
 大和に似ているということで(上の映像はそのベスト・アングルかもしれません)、1950年代初めに大和役でのミズーリの映画出演の話がまとまりかけたことがあり、艦首に菊の紋章つけることを切り出したら激怒されてしまい、流れてしまったそうです。

64. さんちゃん — December 4, 2007 @17:57:36

フィクションではないが、ニュースを見ていて思い出したので・・・。
「ど根性野菜」で盛り上がっていたころに「親子ど根性大根」というのがありましてコンクリートに大根が2本生えているというものでした。
寄り添っているイメージからつけた名称なんでしょうが、最初に思ったのは「大根は一年草だから親子はありえないだろ」でした。
せめて兄弟とかだったら気にならなかったのに・・・。

それにしてもどうでもいいところで引っかかる俺って・・・。

Up65. ジルベルト下大利 — December 4, 2007 @18:07:33

映画「さよならジュピター」での無重力セ〇クスの描写は映画館で見ていておかしいんじゃないか?と思っていました。
科学的正しい描写を行なおうとするとかなり面倒なことになるみたいです。

http://www.spaceref.co.jp/news/2Tues/2006_07_26son.htmlLink

Owner Comment きくち  December 5, 2007 @15:01:50

まあ、どうしてもいれたかったシーンなのでしょう。
視覚効果を科学より重視したわけで、映画としてはオッケー・・・いや、あの映画をオッケーといっていいかというと(^^;

67. のぎ — December 5, 2007 @00:04:14

>SFに限らず、映画一般にこのような実態と離れた効果音はあります。例えば主人公から少し離れた場所で爆発が起きても、画面では爆発とぴったりシンクロして爆発音が轟きます。

春にやってた「華麗なる一族」で、かなり距離のある場面ですが爆発音が遅延する描写がありました。
キムタク扮する鉄平さんが、六甲山系中腹にある屋敷の庭から神戸港(?)に建設中の高炉を眺めた後、神戸の夜景に背を向け屋敷に向かった瞬間に高炉が爆発事故を起こすというシーン。
このシーンでは満足げな表情で歩くキムタクの肩越しに高炉の爆発が映り、数秒おくれて抑えた爆発音が届き振り向いたキムタクが事故に気付くという演出でした。

>これをそのまま映画にすると、やはり大多数の人は違和感を感じてしまうことでしょう。
違和感というより既視感が。テレビに向かって私は「キムタク〜後ろ!後ろ!」と叫びましたよ。
冗談抜きでもお笑いシーンのように感じたのは受手側の世代の問題でしょうね。
まあ「将軍」という鯉のパペット目的に視てた視聴者の戯言なんですが。登場シーンが昔の東宝怪獣映画みたいでよかったんですよ。

68. it — December 5, 2007 @01:18:10

> 恐竜と人が共存している映画もあるので
恐竜百万年を思い出しました。
突っ込みどころは満載ですが、面白い映画でした。

Owner Comment きくち  December 5, 2007 @14:59:55

はい、僕が念頭においたのも、当然(^^)、それです。

Up70. かも ひろやす — December 5, 2007 @15:05:18

恐竜と人間の共存でしたら、「タイムトンネル」第24話はいかがでしょう?

71. トンデモブラウ — December 5, 2007 @15:08:30

そういえば、レイ・ハリーハウゼンのDVDボックスが出ますね。
シンドバッドのサイクロプスちゃんがちょっと可愛らしい。

72. YMN — December 5, 2007 @21:10:45

>私があの映画で一番気になったのはペンが踊ってるところでしたね。
 
 「ペン」に勝手に「チ」をつけて「ペンチ」というわけでもありませんが(^^;、下のページに無重力状態における「ペンチの回転運動」の動画があり(上から5番目)、興味深い動きをしています。
ナレーションでは「ペンチの形が複雑なため」と言っていますが、(空力の関与が必須というわけではなく)けっきょくは3軸回りの慣性モーメントの関係に帰着させて、質点系と剛体の力学で説明のつく現象のようです。
 
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/d-etu1/d-muj1/d-mrj1/IPA-etu130.htmLink

73. 後悔と懺悔 — December 5, 2007 @22:23:08

>#63:YMNさん
> (一時現役復帰していた時の)戦艦ミズーリの主砲発射を別の艦から撮った映像で、閃光に遅れて音と同時にカメラが揺れます。
>これをそのまま映画にすると、やはり大多数の人は違和感を感じてしまうことでしょう。
 
野球観戦が趣味の私は、不思議と違和感はまったくなかった気がします。広い球場のスタンドから野球を見るという経験は大多数の人にはないでしょうから、YMNさんの紹介された映像をそのまま映画にすると、大多数の人が違和感を覚えるというのは、そうだろうなぁ……とは思います。でも、大多数の人は「雷」の体験はあるはずなんですよね。
ぜんぜん関係ないんですけど、月探査機「かぐや」の撮ったハイビジョン映像が公開されていますよね。あの映像に関して、「あんまり“リアル”すぎて、なんだかCG観てるみたい」という感想を何度か聞きました。なんというか、人間の感覚というか、感性というか、とっても面白いなぁ……と思います。

74. Seagul-X — December 6, 2007 @12:21:31

>下のページに無重力状態における「ペンチの回転運動」の動画があり(上から5番目)、興味深い動きをしています。

興味深い映像のご紹介、ありがとうございます。
まぁでも、これは想定の範囲内というか、重心を中心に回転しているのがはっきりわかるので、(回転のしかたは不思議ですけど)とくにおかしいとは思わないんですよね。ああいうかたちなら重心が物体の外にあるのも普通だし。
重心自体はゆっくりと直線的な運動をしているのが見てとれますよね。

あのペンの動きはそんなんじゃなくて、重心そのものが複雑な軌道を描いているようにみえるので。実は画面外にもう一本ペンがあって、見えないくらい細い糸でつながれていた、とかならそういうこともあるかも、とか思っちゃうかもしれませんが。(あのシチュエーションで、なんでそんなおかしなことをしてるんだ、というのはおいといて)

Up75. nakanishi — December 6, 2007 @16:40:07

多分、ペンチの回転運動が不思議な気がするのは、上下の反転の周期と縦の軸の周りの回転の軸の周りの回転の周期がずれているからだと思います。

もちろんニュートン力学で説明がつくはずのものですが、剛体の回転運動には、このように直感的に不思議な感じがするものがたくさんありますね。

この場合の理由の一つは、ペンチの運動を見て見えるのは、もちろん回転運動ですが、力学的に保存している(一定である)のは回転ではなく、角運動量であることから来るようです。
開いたペンチのように非対称なものの場合、回転軸と角運動量の向きが異なるために、見た目に変な回転に見えるようです。

このビデオを見て、回転ではなく、角運動量ベクトルが見えるようになったら、当たり前に思えるかもしれませんが、、、

76. atheist — December 6, 2007 @17:21:36

>#73:後悔と懺悔さん

>ぜんぜん関係ないんですけど、月探査機「かぐや」の撮ったハイビジョン映像が公開されていますよね。あの映像に関して、「あんまり“リアル”すぎて、なんだかCG観てるみたい」という感想を何度か聞きました。なんというか、人間の感覚というか、感性というか、とっても面白いなぁ……と思います。

関係ないこともないような気がします。
メディアを通してものを認識する場合、フィルムやビデオのざらつき等のメディアの質によって無意識にリアリティーのレベルが設定されるので、「かぐや」の映像のようにS/N比が良すぎると、メディアが透明になってしまい、リアリティーのレベルが設定できなくなって違和感を持ってしまうのではないでしょうか。
同様に、ハリウッドの超大作のCGを見るときと、ハリーハウゼンの映画を見るときとでは、無意識の内に作品に求めるレベルが調節されているために、一方の映画では不自然に思われる内容や描写でも、もう一方の映画では自然に感じられるということになるのではないかと思います。

77. YMN — December 6, 2007 @22:39:51

>、剛体の回転運動には、このように直感的に不思議な感じがするものがたくさんありますね。
 
 何か不思議に感じることがあると「裏があるに違いない」と陰謀論に走ってしまう人がいて、剛体の回転でさえということで、世の中不思議がいっぱいということになります。
 
> この場合の理由の一つは、ペンチの運動を見て見えるのは、もちろん回転運動ですが、力学的に保存している(一定である)のは回転ではなく、角運動量であることから来るようです。
 
○A

 
 

○B
 
 角運動量を持っている状態を「回る」と言い、角度が変わることも「回る」と言います。
無重力状態の空中で頭を紙面上にしたAの静止状態から、手足を動かしてBの静止状態に持っていけるわけですが(角度保存則などありません)、「回らないけど回る」ということになり、これも誤解の壺のようです。

78. zz59 — December 11, 2007 @03:36:10

いつも楽しませていただいています

「科学的な正確さ」とは少し違うかも知れませんが....
私はアニメの制作に従事していまして、科学的にウソと知りつつ必ずやるのが「高速回転物のフリッカー」です。
「フリッカー」というのは、蛍光灯の下で扇風機の羽根が止まって見えたり、フィルム上でプロペラが逆回転して見える現象のことです。
太陽光(ストロボ光源ではない)の下で肉眼で見た場合には起こらない現象で、アニメでは目に見えるとおりに描くことも出来るのですがフリッカーを起こしたように描いた方が「リアル」に感じられるので、「ウソなんだよなぁ」と思いつつやっています。
多分、回転するプロペラを直に肉眼で見る機会よりフィルムやビデオを介して見る機会(フリッカーを起こしている)の方がはるかに多いため、「ウソ」の方が「リアル」に感じてしまうのでしょうね。

79. kurita — December 11, 2007 @06:01:07

そのアニメ自体をフィルムやビデオを介して見ているのだから、それが「リアル」に感じられるのは正しいんじゃないですか? (^^)  (私はそれよりもわざとらしすぎるレンズフレアが気になる時がなきにしもあらずです)

Up80. zz59 — December 12, 2007 @02:18:54

レンズフレア、確かにやりますね。でもこれは肉眼でも睫毛等での乱反射でフレアのように見えるので、イメージとしては全くのウソでもないようにも思います。

フリッカーで思い出しました。
井伏鱒二の小説で、映画を観ていた主人公がプロペラが逆回転するのを見て「高速回転する物体は時間を逆行する」ことに気づき、その原理で過去に行くというもので、なかなか大胆な(素朴な)「科学的正確さ」を超越したタイムスリップSFでした。

81. corvo Website — December 13, 2007 @00:02:52

先日、仕事をしながら「機動戦士ガンダム”めぐりあい宇宙編”」を見ていたのですが、浴槽に湯をはって入浴するというのは、無重力の状況で実現するのは凄い技術だなあ、とつまんないところでひっかかってしまいました。

82. 野尻抱介 Website — December 13, 2007 @03:24:24

 映像のお約束といえば、双眼鏡の視野が「∞」になるやつ。こんなに光軸のずれた双眼鏡を使った人なんてまずいないと思うのですが、なぜか受け入れられていますね。

83. stoner — December 13, 2007 @13:50:28

>双眼鏡の視野が「∞」になるやつ。
「トンデモ本の世界R」で、とある宇宙人本のUFO写真に、ふちがそうした「双眼鏡をのぞいたときのイメージ映像」のような「∞」になっているのを「実際に双眼鏡にカメラを付けたってこんな写真にはならない」と突っ込みを入れていましたね。実際に双眼鏡を使ったことがあるなら、あれが「嘘」であることはすぐにわかりそうなものですが…。

84. YMN — December 14, 2007 @22:43:36

>双眼鏡の視野が「∞」になるやつ。
 
 内容は殆ど覚えていなくて昆虫が人を襲うといった映画だったと思います。
(モザイクではなくて)小さな沢山の同じ画像からなる昆虫の見た世界という表現がありました。

Up85. YMN — December 14, 2007 @22:44:43

 「西部戦線異状なし」という映画で、飛んでくる砲弾の音に怯えて伏せる新兵に、古参兵が大きい音で飛んでくる砲弾は自分の所に飛んでこないと教えるシーンがありました。
「沈黙の戦艦」という映画では、悪者たちが乗った潜水艦に戦艦が砲撃し、潜水艦の中で「ヒュルルル」と砲弾の飛んでくる音が聴こえてから命中というシーンがありました(音がするかだけでなく、潜水艦の中で外の音が聴こえるかというのも疑問です)。
 
 砲弾は超音速なので、原則として自分の所に落ちてくる時は音は何も聴こえないことになるでしょう。
もっとも、空気抵抗で音速以下にまで落ちることもあるのかもしれません。
また、2点を通る2時曲線の2つの解といった所で、浅い角度の直射と大きく上に向けて撃つ曲射の2通りがあり、後者だと自分の所に落ちてくる砲弾の音が先に聞こえることもありえることでしょう(どういう音か良く分かりませんが)。
 
 物が落ちるとき下さがりの「ヒュ〜ゥ」という音が定番になっていますが、増速するわけで、実際は音は上がっていくのではないかと思います(そしてある所で重力と空気抵抗がバランスして一定速度になる)。
爆弾を落とす側と、落とされる側ではドップラー効果が逆に利いてくることになりますが、後者は録音している余裕などあるはずがなく、爆弾の落下音とされている殆どは前者ということになるでしょう。

86. 石田剛 Website — December 15, 2007 @06:10:25

> 双眼鏡の視野が「∞」になるやつ。
石田は子供のとき、家にあった双眼鏡はこう見ないので、もっと高価なプロ用の双眼鏡は「∞」に見えるんだと思ってました。
石田の家にある双眼鏡が、高価なプロ用だと気付いたのはもうちょっと大きくなってからでした。

フィクションのなかで受け入れられているウソとしては、石田は汽車が分岐点でどっちに行くか、汽車の側(機関士や運転士含む)が決めることができるってところですね。
「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」では、ちゅうちゅうが分岐点でどっちに行くか、自分で決めてる様子が描かれます。
石田は子供のころ、汽車(電車)が分岐点でどっちに行くかは、機関士(運転士)が決めているのだと誤解していました。

「きかんしゃトーマス」は、このウソを使ってないようですね。
# けど、「ソドー鉄道」はたぶん世界で一番事故の多い鉄道だ。
# にもかかわらず、決してけが人は出ない、安全な鉄道だ。

87. 石田剛 Website — December 15, 2007 @06:18:54

すいません訂正です。
誤:ウソとしては、石田は汽車が
正:ウソとして石田が気になるのは、汽車が

88. すがぬま — December 16, 2007 @00:26:23

> corvo さん

> 浴槽に湯をはって入浴

 ホワイトベースにはいちおう遠心力を使った人工重力ブロックと称する区画があります。翼の側の、お皿の円周の部分です。ウソがどうとかよりも居住区画を盾にしているように見えるのがなんですが。

89. corvo Website — December 16, 2007 @00:54:50

>すがぬまさん
おお、そうだったのですか。
でも、あのお皿の中心はメガ粒子砲の砲台だったような気がするのですが。

Up90. えふべー — December 16, 2007 @00:47:02

>「機動戦士ガンダム”めぐりあい宇宙編”」を見ていたのですが、浴槽に湯をはって入浴するというのは、無重力の状況で実現するのは凄い技術だなあ、と

あ、あれれ?ガンヲタからツッコミの嵐かと思っていたのですが。ホワイトベースはディスカバリーと同じくドラム型の擬似重力を発生する居住区を持ってます。
クラークの宇宙のランデブーでコリオリの力で螺旋状になる滝の描写を読んで、「ガンダム第一話でザクが真っ直ぐ降下する描写は間違いだったんだ〜」と思いましたが、今日放送のガンダム00ではちゃんとその描写がされてました。ちょっと感動〜

91. corvo Website — December 16, 2007 @01:34:40

>えふべーさん
ガンダム好きなのですが、お恥ずかしい限りです。
ディスカバリーとは、「2001年宇宙の旅」の宇宙船のことですよね?現在ある技術で宇宙空間に、疑似重力を発生する装置を作ることは可能なのでしょうか?

92. ROCKY 江藤 — December 16, 2007 @02:28:26

>現在ある技術で宇宙空間に、疑似重力を発生する装置を作ることは可能なのでしょうか?
どのていどの規模を考えていらっしゃるのか分からないのですが、セントリフュージと言う計画がありました。
http://iss.jaxa.jp/iss/contribution/issjpdoc3_2.htmlLink
日本が製作していたのですが、国際宇宙ステーション計画の規模縮小で計画打ち切りとなってしまいました。

ただディスカヴァーリーのような人工重力施設は、中の人がコリオリの力で気分が悪くなるだろうとの話もあり、回転速度を毎分1回転以下に抑えなければならない(地上並みの加速度を実現したいのならば半径をよほどおおきくしなければならない)とも言われています。

93. YMN — December 17, 2007 @20:44:37

>ただディスカヴァーリーのような人工重力施設は、中の人がコリオリの力で気分が悪くなるだろうとの話もあり、回転速度を毎分1回転以下に抑えなければならない(地上並みの加速度を実現したいのならば半径をよほどおおきくしなければならない)とも言われています。
 
 毎分1回転で1Gを発生させる半径を求めました。
角速度 ω、半径 r として遠心力の公式より
 
9.8=rω^2
r=9.8/ω^2
r=9.8/(2π/60)^2
r=9.8/(3.14*2/60)^2
r=895
 
 半径895m、直径だと1790mということになります。
 
○―――――――――○
 
もっとも巨大と言っても、簡便な方法として上図のように○の両端の移住空間のカプセルをワイヤで繋ぐだけという形も考えられます。
この長さになるとワイヤにかかる張力に加算されることになるワイヤの質量が無視できなくなりそうです(均一な太さではなく中央が一番太い形にすると軽量化が図れることになります)。

94. guicheng — December 17, 2007 @20:50:49

>ウソがどうとかよりも居住区画を盾にしているように見えるのがなんですが。
 
Zガンダムのアーガマは長いアームの先に居住区がくっついているという構造でして、非戦闘時はそれをぐるぐる回して人工重力を得ています。
オープニングアニメにその描写がありますね。
 
んで。
小説版によると、戦闘時にはアームを折りたたんで、居住区を盾にして船体を守るそうです。

Up95. 村田 — December 29, 2007 @07:50:31

誰も知らないでしょうけど、以前、SFっぽいテレビドラマで、大音響の音をスピーカーで作って、それを電話で送って、受けた相手を破壊するってのありました。でも、いくら大音響を作っても、電話線を通過できる電気エネルギー量は限られているだろうから、相手を破壊することは無理でしょうね。この番組見た人いますかね。

それから、しばらく前までは、テレビドラマに天才的ハッカーってのが出てきて、病院のシステムでも何でも入り込んでデータを盗み出しちゃうんだけど、基本的にオフラインシステムだと、リモートで盗み出すのは無理でしょう。最近は、知識が普及してきたから、そういうのはないみたいですね。

96. たけうち — December 29, 2007 @10:49:35

魔王カーンデジファー様のモンスターなら、電話線だろうが電灯線だろうがパサルートで一括り。自由自在に入り込むので無問題です>それは電光超人グリッドマン

97. 村田 — December 30, 2007 @07:04:55

たけうちさん

グリッドマンって見たことないので、よくわからないんですが、ぼくが、見たのは、山本寛斎の娘と、それと結婚した、なんとかっていう俳優が出てたドラマで、その俳優が主役だったんですが、わりとリアルな感じのSFドラマだったんです。そこで、電話で音を送って相手を殺害なんてプロットがあったんで、それは無理だろと思ったんです。

98. さくま — December 30, 2007 @08:09:56

電話で殺人のドラマは、これのことだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/BLACK_OUTLink

わたしは、『怪奇大作戦』の「恐怖の電話」を思い出したんですが、『BLACK_OUT』は『怪奇大作戦』の影響を受けているそうなので、あながちハズレでもなかったようです。

99. ガ — December 30, 2007 @15:59:50

電話で音を送って殺害とかは、共鳴を使えれば伝送容量が少なくても良いし、少ないエネルギーでも生理的な悪影響は与えられるんじゃないかな。(アルファ波と同じ周波数の低周波音が体に悪いとか聞いたことがある)

Up100. ぶりぶり Website — January 8, 2008 @19:38:00

また、本来、「オカルト」等に分類すべき対象を疑似科学に分類すべきではない。迷信やオカルトは、それが科学であると誤解されるような要因を持ち合わせない。
サイエンス・フィクション(SF)は科学風の表現を多用する非科学的な言説である。その内容がオカルト等と同じく科学的と誤解されることがなければ疑似科学ではないのだが、
少年や青年の一部にSF作品中の理論づけなどをてっきり本物の科学的な説明だと誤解する者がごく稀に存在することもあるため、疑似科学に分類される。

コメントをどうぞ。 名前(ペンネーム)は必須で、ウェブサイトURLはオプションです。

ウェブサイト (U):

タグは使えません。http://・・・ は自動的にリンク表示となります

:) :D 8-) ;-) :P :E :o :( (TT) ):T (--) (++!) ?;w) (-o-) (**!) ;v) f(--; :B l_P~ (QQ)

     

[Top ↑]

<< 2007.11 >>
SMTWTFS
    123
456789 10
11121314 151617
18192021 222324
2526 27282930 
 
T:13208 Y:14211 Total:6921779 Online:18590
Created in 1.0408 sec.