もう「ひっかけ橋」とは呼ばせない―。82年ぶりに架け替えられた大阪・ミナミの戎橋で、地元商店主らがイメージアップ作戦に取り組んでいる。
周辺の4商店街が初めて合同防犯パトロールを始めたほか、情緒あふれる橋の歴史を伝える銘板の設置計画も進行中。ナンパ目的の若者や客引きがたむろし、女性にとって“怖い場”だっただけに、地元では「架け替えを機にイメージを一新し、誰もが気持ちよく楽しめる『名所』にしたい」と意気込む。
戎橋は1615(元和元)年の道頓堀川の開削とほぼ同時に完成したと伝えられる。前代の橋は鉄筋コンクリートのアーチ橋で大正14年に架け替えられた。当時は西洋文化の影響を受けたモダニズム文化の全盛期。戎橋周辺は最先端のカフェやデパートが並び、飲食店のイルミネーションで彩られていた。
戦後もグリコなどの巨大看板が並ぶ大阪を代表する観光名所だが、一方で昭和60年ごろから「カラス族」と呼ばれる黒服のホストや、キャバクラなどの店員が路上で通行人の女性に声をかける場所に。「ひっかけ橋」や「ナンパ橋」と呼ばれ、女性の間で「戎橋は怖い」というイメージも広がった。
そんな状況を改善しようと、地元商店主らはこれまでにも防犯パトロールを実施。平成17年に客引きや客待ちを全面禁止する条例が施行され、警察も取り締まりを強化した。「カラス族」は平成16年に261人いたが、今では20分の1にまで激減している。
そんな中、昨年11月に完成した新しい戎橋。観光客らに道頓堀川の風景をゆっくり眺めてもらおうと中央部を円形に広げたが、ここが再び「ナンパ場所」になるのでは―との懸念を抱く地元住民は少なくない。
実際、今も夜になると一般の通行人を装うなど手口を巧妙化させた客引きが女性に声をかけ、付きまとう姿もみられる。
このため橋を囲む4商店街の商店主らは「新しい橋を再び『ひっかけ橋』にしたくない」と、完成前の10月から合同パトロールを始めた。月に2度、毎回50人を超える商店主らが巡回。周囲の商店街で資金を出し合い、警備員の雇用も検討しているという。
心斎橋筋商店街振興組合の伊達徹理事長は「戎橋はミナミのシンボルだけに、ここの治安が悪いとミナミは怖いというイメージにつながりやすい。重点的にパトロールして安心、安全な町をアピールしたい」と力を込める。
一方、戎橋が情緒あふれた文化的な場所であったことを訪れた人に知ってもらおうと、橋の歴史を刻んだ銘板を設置をする計画も進んでいる。
戎橋筋商店街振興組合と大阪戎橋ライオンズクラブが寄贈し、今年度中に欄干に設置。橋の歴史や川柳を刻む予定で、モダニズムが華開いた大正期など橋がたどった歴史を紹介。川柳は大正〜昭和に大阪で活躍し、「道頓堀の雨に別れて以来なり」「戎橋白粉(おしろい)紙を散らす恋」などの作品を残した川柳作家、岸本水府(1892〜1965)の句が候補に挙がっているという。
同ライオンズクラブの津田祐司さん(71)は「橋の周辺を貸しボートが行き交っていたころが懐かしい。あの情緒を取り戻したい。江戸時代の戎橋は町衆が管理し守ってきた橋だった。これからも地元から盛り上げていきたい」と話している。
(2008/01/06 10:20)
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