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2008.1.5









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(b1面)フロントランナー
世界を変えた動画投稿サイト
ユーチューブ創設者
スティーブ・チェンさん(29)

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ユーザー交流イベント参加のため来日。熱心なユーチューブファンが思い思いの装いで集結した=東京・南青山で

 動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」が生まれたのは05年2月。まだ3年たっていないというのが信じられない。06年11月にはグーグルが16億5000万ドル(約1980億円)で買収した。ウェブの世界の激動を象徴するこの企業を起こした一人が、当時26歳のこの人だった。

 ――いつユーチューブを思いついたのですか。

 05年1月、会社の同僚のチャド・ハーレーたちと、米国サンフランシスコの僕の家でパーティーを開きました。その時の写真や動画を仲間に見せたいと思ったんです。写真はメールで送れたけど、動画はファイル容量が大きすぎて無理だった。それがきっかけです。

 ――ウェブサイトづくりで心がけたことは?

 僕の母でも使えるものにすることです。当時も動画を見られるサイトはありましたが、「回線速度は64kbpsか、それ以上か?」などと聞かれる。「64kbps」なんて、母にはちんぷんかんぷんですよ。だからページを開けば、普通に見られるようにしました。

 次に形式の問題。写真はJPEG形式で事実上統一されていますが、動画は映像の形式が120種類、音声は220種類もあった。特定の形式でないと投稿できないのでは不便すぎる。形式を問わず投稿ができるようにするのも目標でした。

 ――わかりやすさ、使いやすさ、ということですね。

 デジタルカメラや携帯電話はどう使っていいのかわからない機能だらけですよね。わかりやすさや使いやすさが軽視されているように感じます。

 ――最初は自分で利用した?

 飼い猫を撮って載せました。あまり見られていないのですが(笑い)。チャドは子どもの動画を投稿しました。彼の両親は東海岸のフィラデルフィアに住んでいるので、動いている孫の姿をそれまでなかなか見られなかったんです。

 ――大ヒットしました。

 試験サービス開始が05年5月で、年末には閲覧数が1日300万になった。今は世界で1日に数十万本の投稿があり、閲覧数は数億回です。1分あたりに投稿される動画は7時間分。ユーチューブの動画を全部見ることは誰にもできません。

 ――売却先をグーグルにした理由は何ですか。

 ユーチューブのカルチャーに最も近いと思ったからです。一番心配だったのが、収益最優先にされること。すべてのページに広告を載せるとか、最初に動画広告を再生するなどと言われるのはごめんでした。グーグルと協議して、ユーザーが喜ぶことと投稿動画が増えることの2点を重視していることがわかったので、選びました。買収後も僕たちの独立性を守ったまま運営させてくれています。

 ――ユーチューブは今後、テレビに代わるという見方もあります。将来の予測は?

 難しい質問ですね。ユーチューブの特徴は、ユーザーが使い方をどんどん開発していくことです。自分が歌う動画を投稿した少女が、レコード会社の目に留まって契約した例もある。コミュニティー性や双方向性がポイントで、一方的に情報を伝える従来のメディアとは違う発達をするでしょう。

文・丹治吉順
写真・東川哲也




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「利用者のコミュニティーづくりが一番大切。もうけ優先の運営はしたくない」と静かに話す=東京・渋谷で

■米大統領選もネット主導に

 「自分が世界的に有名になるなんて想像もしなかった」と、率直に語る。物静かで飾らない青年だ。

 商社を経営する父に連れられて、8歳で家族とともに台湾から渡米した。成績優秀で、高校の時にはすでに大学レベルの数学を学んでいた。

 「ヤフー」のジェリー・ヤン(台湾)、「グーグル」のサーゲイ・ブリン(ロシア)、「イーベイ」のピエール・オミディア(両親がイラン人でフランス生まれ)。世界を席巻するウェブサービスの多くは、米国移民が創設にかかわっている。

 「僕の場合は、アジア人の勤勉さと、米国の何事にも前向きな風土がうまく結びついたのかもしれない」

■動画で質問

 パーティーのビデオを友人に見せたかったという、サイト設立のささやかなきっかけ。創設者たちが最初に投稿したのは、飼い猫や自分の子どもの動画だった。そんなサービスが、世界を大きく変えつつある。例えば米大統領選――

 昨年11月末、フロリダ州の公開討論会場。共和党の候補者全員が舞台に並ぶ。左手の大スクリーンにユーチューブのサイトが表示された。

 画面から、ケンタッキー州のアンドリュー・フィンクさんが「ジュリアーニ氏は銃の所持希望者は試験を受けるべきだと語った。家族を守る権利はどうなるのか」と質問した。

 CNNがユーチューブと提携した特別番組だ。候補者への質問を有権者が自分で撮影して投稿。約5000本の中から選ばれた約30本が再生された。ジュリアーニ氏は「ニューヨークでは年2000件の殺人事件が起きていたが、市長時代の銃規制などで67%減った。合理的な制限は加えられるはずだ」と答え、会場からブーイングを受けた。

 「歳出を削減する分野は?」「不法移民対策は?」……。鋭い質問が次々と流れる。7月には民主党候補に対する同様の番組が放送された。

 フランスでサルコジ大統領が誕生した時は、英国のブレア首相(当時)が祝福のメッセージをユーチューブに投稿した。英語版は約18万回、仏語版は約45万回再生された。

■自民も設置

 日本でも昨年12月、自民党が政党では初めての公式チャンネルをユーチューブに設置。補給支援特措法案のPRなどをスタートさせた。社民党も続いたが、ユーチューブを使って有権者と正面から向き合う米国には、まだ遠く及ばない。

 「なぜユーチューブなどを利用して、政見放送を選挙期間中いつでも見られるようにできないのか」とビデオジャーナリストの神田敏晶さんは言う。現在の選挙は参院選東京選挙区なら約1万4000カ所にポスターを掲示しなければならないなど、資金力と組織力が求められる。一方、ネット上の活動は著しく制限されている。「参入障壁が高すぎる。ネットを活用すれば、若者も参加しやすくなるのに」

 神田さんは米大統領選をネットで追い続け、驚嘆している。「ある候補が、演説のとき原稿に頼るのをやめたことまで分かる。明らかにユーチューブによって選挙が変わってきている」

 「大統領選にまで影響するなんて、2年前には思いもよりませんでした」とチェンさん。彼らが作ったのは、最高に使いやすくわかりやすいシステム。それだけだ。その「器」の上に、作り手の想像をはるかに超えた世界が今も拡大している。

■深夜もラーメンある東京が好き

 ――生活が一変したのではないですか?

 家も同じだし、実はあまり変わってないんです。ああ、車はだいぶスピードが出るのに変わりましたね(笑い)。

 ――日本についてどう思いますか。

 僕が住みたい街は、いま住んでいるサンフランシスコ、ニューヨーク、そして東京です。29歳でも日本語を覚えられるだろうか、と日本のスタッフに聞いて回りました。

 ――何がそんなに気に入ったのですか。

 ラーメン(爆笑)。僕はラーメンが大好きなんですよ。技術者なので、夜中まで仕事をすることが多いのですが、サンフランシスコは夜10時に店が全部閉まってしまう。でも(グーグルのオフィスがある)渋谷は夜中の3時でもラーメンが食べられる。こんなすばらしいところは世界中を探してもそんなにありません。

 ――日本では、「ニコニコ動画」という動画投稿サイトが人気を集めています。

 知っています。ユーザーが動画を再生しながら、コメントを書き込むと、それがその画面に反映されるというのは、コミュニティーをつくる上で楽しく有効なシステムですね。ユーチューブももっと活発化して、多くの人に楽しんでもらえるようにしたいので、まねをするというのではなく、学びたいと思っています。

 ――ニコニコ動画は、動画に関連したお勧め商品の広告をユーザーがページに張り、他のユーザーもそれを見て購入できるようになっています。

 それは知りませんでした。ユーザーが張れるのは、いいアイデアだ。広告で重要なのは、ユーザーに受け入れてもらえることですから。ぜひ確認したい。





◆ チェックポイント ◆

■「実直な天才技術者の典型」

 「大げさな身ぶりなどせず淡々と語る。天才的な中国系コンピューター技術者の典型」とチェンさんを評するのはデジタルハリウッドの杉山知之学長。マサチューセッツ工科大研究員だった80年代後半に出会った優秀な中国系学生たちの姿にだぶる。

 初めてチェンさんに会った時、思わず手を握りしめて「ありがとう」と語りかけたという。

 「普通の人が簡単に動画を撮って見られるようにするため、世界中の技術者が頑張ってきた。その成果をはっきり見せてくれたのがユーチューブ。そのことへの感謝の思いでした」

 8ミリフィルムの時代から半世紀以上。動画の山は家庭に埋もれていた。その膨大な記録が今、ユーチューブを通して息を吹き返し、世界中で共有されている。著作権侵害の映像が多数ある一方、人々の心を揺さぶる映像もあふれる。著しい正と負の面の同居は、サイトの急激な拡大を物語る。

 過去の映像だけではない。今は携帯電話で撮った動画をすぐに送信することもできる。過去の動画と、撮影されたばかりの動画、双方がひしめく。

 「プロでなくても生涯に一度の傑作を撮って、世界中を感動させることが、誰でもできるようになった。新しい時代が、もう始まっているのです」



 78年、台湾生まれ。8歳で家族とともに米国へ移住。イリノイ大からインターネット決済サービスのペイパルに入社。同僚のチャド・ハーレー、ジョード・カリム両氏と05年、ユーチューブを設立。現在、同社最高技術責任者。



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