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義経の坂 電車は登る 神戸電鉄有馬・粟生線

ぷらっと沿線紀行(34)

 12分で海と山の街、神戸を実感できる。神戸電鉄の起点・湊川駅は地下。普通電車は地上に出ると「ギュウン」と腹に響く音をたてて坂を上り始めた。

写真住宅が密集する坂を上っていく神戸電鉄の車両。薄暮の市街地の向こうに海を行き交う船影が見えた=神戸市長田区で
写真国の重要有形民俗文化財に指定されている下谷上の農村歌舞伎舞台。地元の歌舞伎グループに「白波五人男」のポーズを決めてもらった=神戸市北区の天彦根神社で
写真千メートル進むと50メートルの高度差が生じる50パーミルの急坂を上る神戸電鉄の車両=神戸市長田区で
写真有馬方面と三木方面の分岐点となる鈴蘭台駅。ホームでは多くの乗客が神戸方面行きの電車を待っていた=神戸市北区で
写真すでに撤去された菊水山駅の駅名板=米倉裕一郎さん提供
地図  

 有馬、粟生(あお)両線の全長約52キロの約84%が傾斜区間。1キロ進むと50メートルの高度差を生じる急坂が27.4%を占める。山肌に張り付く家並みの間を抜け、振り返ると神戸港は眼下にあった。

 鵯越(ひよどりごえ)駅のあたりは山が深い。源義経の軍勢が急斜面を駆け下りて平家を奇襲した「鵯越の逆落とし」の舞台とされる地は駅の北側。長いトンネルを抜けると再び住宅地が広がり、標高278メートルの鈴蘭台駅に着いた。

 有馬線の開業は1928(昭和3)年。10年後に現在の粟生線の三木まで開通する。山岳を貫く難工事は事故も多発した。

 金鳳斗、李命福、安龍達……。1936(昭和11)年11月に起きた藍那トンネル崩落事故を伝える大阪朝日新聞には、死亡した6人の朝鮮人の名が並ぶ。建設を担ったのは、千人を超える朝鮮人労働者だった。

 神戸学生青年センターの飛田(ひだ)雄一さん(57)は在日2、3世らと当時の新聞を調べ、27〜36年に5回の事故で計13人が死んだことを明らかにした。「発展の陰には過酷な労働があった歴史を見つめてほしい」

 鉄道の開通で、六甲山北側の農村は新興住宅地になった。古くからの住民と新住民。結びつけたのは歌舞伎舞台だった。

■イヨッ すずらん屋! 

 黄や青、紫などの色とりどりの衣装の「役者」が入ってくると、薄暗い舞台が、ぱあっと華やいだ。

 07年も押し迫った師走の日曜日、神戸市北区山田町下谷上の天彦根(あまつひこね)神社の境内に立つ歌舞伎舞台。「神戸すずらん歌舞伎」(竹内隆代表)と小学生の「甲緑(こうりょく)子たから歌舞伎」のメンバーが、「白浪(しらなみ)五人男」の「稲瀬川勢揃(せいぞろ)いの場」を演じてくれた。

 「雪の下から山越しに〜」。盗賊の一人、弁天小僧役の岡崎都さん(65)らが次々と「渡りぜりふ」を決め、捕り方役の子どもたちは十手に見立てた花の枝を振りかざした。

 「日常とはまったく違う世界に入り込めるのが歌舞伎の魅力」。演技指導をしている元歌舞伎役者の市川箱登羅(はことら)さん(77)が教えてくれた。

    ◇

 幕末の開港以来、「ハイカラ」といわれた神戸の沿岸部に比べ、六甲山系の北は昭和初期になっても昔ながらの農村のたたずまいを残していた。神戸電鉄は鉄道の開業と同時に鈴蘭台を避暑地として売り出す。別荘やダンスホールが並んだ。戦後は新興住宅地に。沿線の神戸市北区は、60年の3万7千人が73年に11万7千人、07年は22万7千人になり、地域の姿は大きく変わった。

 それでも、兵庫県は全国的に見ても農村舞台が多く残る。そのほとんどは神社にある。園田学園女子大教授の田辺眞人さん(60)は「ぜいたくを嫌うお上が禁じても、氏神への奉納なら切り抜けられた。タフな農村文化の象徴でもある」と話す。

 天彦根神社の舞台はかやぶき屋根に太い梁(はり)をもち、平らな花道を裏返すとアーチ橋が現れる大がかりな仕掛けまである。創建年は不明だが、1840(天保11)年に再建されたことが記録に残る。230年続く農家で、舞台の保存会理事長の田中庄二さん(78)は「先祖は他に娯楽がない農村で、厳しい生活を一時忘れて楽しんだのでしょう」と話す。

 戦後、舞台はほとんど使われなかった。60年代、田辺さんの恩師で郷土史家の故・名生(みょうじょう)昭雄さんの尽力で国の重要有形民俗文化財に指定されたが、地元住民の負担は重く、維持するだけで精いっぱいだった。

 そこに新しい「故郷」を見いだしたのが、ここ数十年の間に移り住んできた人々だった。

 「いまや故郷らしい故郷を持たない私たちが、地域のきずなを感じるのがこの舞台なんです」。98年に始まった「甲緑子たから歌舞伎」育成会会長の加藤直子さん(60)は話す。00年には「神戸すずらん歌舞伎」も発足。区役所の後押しもあって2団体は毎春、下谷上を含む区内4舞台のいずれかで上演会を開く。

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 神戸電鉄鉄道営業部の小原晴美さん(57)は01年、同社主催のハイキングコースに舞台を加えようと提案した。自らも1877年創建の舞台を持つ西区押部谷町の木津にある神社の氏子。「会社と地域、両方のためになる」。いま、毎春の上演会に合わせて開くハイキングはゴールが舞台。そのまま観劇できる。

 時代はうつろうが、故郷を求める心は変わらない。春、人々の喜怒哀楽をのせて輝く舞台をまた見たい。

鉄っちゃんの聞きかじり<旧菊水山駅>

 鵯越駅と鈴蘭台駅の間に、ホームが残る駅の跡がある。1940(昭和15)年に作られた旧菊水山駅だ。湊川駅から4.6キロ。菊水山(標高458.9メートル)へのハイキング客が主に利用した無人駅で、「都市にもっとも近い秘境駅」といわれたことも。05年に「利用者が増える見込みがない」と休止になった。

 「神戸電鉄六十年史」には「建設当時一番難航した区間」とあるが、駅がつくられた理由は書かれていない。鈴蘭台までの線路は、86〜94年にダム建設に伴い現在の場所に移った。

 菊水山はもともと「大角木(おおつぬぎ)」などと呼ばれたが、1935年の大楠公600年祭で楠木正成の紋所の菊水の形に松を植えたことから「菊水山」とよばれるようになった。田辺眞人・園田学園女子大教授は「昭和15年は紀元2600年。忠臣の象徴の大楠公を顕彰しようと山に登る人が増えて駅ができたのでは」と推測する。

探索コース 

 有馬線の箕谷駅を出発し、室町時代に建てられた現存する日本最古の民家である国重要文化財の箱木千年家(はこぎせんねんや)へ向かう。下谷上の舞台、無動寺、六條八幡宮など田園地帯の文化財をめぐる。北僧尾の舞台(県指定文化財)は1777年(安永6年)の建築だ。今年4月の歌舞伎上演会は下谷上の予定。問い合わせは神戸市北区役所(078・593・1111)。

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