◇ジャーナリスト、イサ・サハルヒズ氏(53)
--イランの体制は反米だが、国民は親米的とも言われます。
◆その通りだが、政権がメディアを握り、国民が自由に意思表示できない。米国を標的にした同時多発テロ(01年)に際し、中東では多くの人が歓喜したが、イランでは各地で市民がろうそくをともし犠牲者を悼んだ。
--イランでは時折、反米デモがあります。
◆大半は儀式的だ。以前は毎日のように星条旗を燃やしたが、(改革派の)ハタミ前大統領(97~05年)は「米国民の心が傷つく」と禁止した。
--保守穏健派のラフサンジャニ元大統領(89~97年)が昨年3月に出版した回顧録に、革命指導者ホメイニ師が革命5年後の84年、「米国に死を」のスローガンをやめることを容認していたとの記述があり、一部強硬派が反発しました。
◆ラフサンジャニ時代の終わりごろから、「街の美化」を名目に建物の壁に書かれた「米国に死を」の文字をペンキで消し始めた。ラフサンジャニ氏は米国と経済関係を構築して政治的和解に進もうと試みたが、米国の経済制裁で失敗した。
--イランの現政権も対米関係修復を志向しているようです。
◆強硬派も国民の希望を知っており、関係構築を目指す人たちがいる。ただ国民の多数が単に親米かと言えば、厳密には違う。イランには「狂犬病の犬をけるな」ということわざがある。「国益を考えれば、余計なことをして狂犬(米国)にかみつかれないよう、反米でない方がいい」との考えも少なくない。問題は米国が常に敵を求めていることだ。米国は自らが「善」であるために、過激な人物や国家を必要としている。【テヘラン春日孝之】=つづく
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◇現実主義の似たもの同士
「イラン人はもともと米国的なものが大好きだ」。サハルヒズ氏の言葉を借りずとも、イランにいればそう実感できる。
人々は黙認されている衛星放送でハリウッド映画や西洋音楽を視聴する。若者の親たちはミニスカートや飲酒が許された革命(79年)以前を知る世代だ。「昔は自由だった」と懐かしむ人が少なくない。
米文化へのあこがれは、イスラム規範という制約の中で生活する現状への不満の裏返しでもある。
米文化の象徴、マクドナルド。90年前後にテヘランに開店したが、強硬派の反発ですぐに閉店に追い込まれた。革命の余韻が残っていた時代でもある。
もう一つの象徴、コカ・コーラ。ハタミ前政権時代の約10年前、宗教法人による販売が容認され、自由・改革路線のシンボルとなった。今や都会では国産のザムザム・コーラをしのぐ。
今、市内のあちこちにイラン系ハンバーガー店があるが、店内装飾から商品まで米系チェーンを模した店がほとんどだ。その一つ「アバチ」は、店のキャラクターに米国の先住民アパッチ族を使っている。政府は米国を連想させる人名、店名、商品名を禁じており、当初「アパッチ」という店名は退けられ、ペルシャ語で「姉妹」という意味の「アバチ」で認可された。だが、お客は店を「アパッチ」と呼ぶ。
イランでも米国でも、人々は信仰心を根底に持ちながらも、物質主義であり、享楽的だ。つまり現実主義という点で似通っている。似たもの同士なのだ。
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■人物略歴
保守派大統領時代の82~97年、国営イラン通信に勤務、国連(ニューヨーク)支局長などの要職を歴任した。99年以降、改革派系の総合月刊誌や経済紙などを相次ぎ発刊するが、国家反逆罪ですべて発禁に。現在はフリージャーナリスト。
毎日新聞 2008年1月4日 東京朝刊