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イランを読む:「反米」の深層/2 53年の政権転覆に遺恨

 ◇元副首相、アボルファズル・バザルガン氏(67)

 --イラン国民の対米不信の原点は53年にCIA(米中央情報局)が主導した政権転覆クーデターです。

 ◆当時のモサデク首相は、イランで英国が握っていた石油利権を取り戻そうとした。これに対し、米国は英国の権益を守る側に立ち、政権を葬った。

 --モサデクは「神話」になるほど国民に人気がありました。

 ◆モラルの高い政治家だった。報道の自由を認め、石油に頼らない構造に経済を立て直そうとした。そのまま政権の座にいたら、イランは今ごろ進歩した民主主義国家になっていた。だから米国への恨みは余計に深い。

 --当時は王政でしたが、首相の失脚で、国王、首相、国会の勢力均衡が崩れ、国王独裁につながります。

 ◆国王は米国の操り人形となり、大量の米国製兵器を購入して石油収入を浪費した。また、秘密警察を創設して国民を抑圧した。これらが革命(79年)の導火線になった。

 --イランにとってCIA主導のクーデターが反米のトラウマ(心的外傷)なら、米国にとっては79年の米大使館占拠人質事件が反イランのトラウマです。

 ◆クーデターは米国の国家的犯罪だが、大使館占拠は一部の学生によるものだ。イランが被った損失を考えれば、占拠事件だけでは釣り合わない。

 --革命の指導者ホメイニ師の反米主義が今に受け継がれているようです。

 ◆革命後、私たち(暫定内閣)は対米政策で何度も師に助言を仰いだ。「良くも、悪くもなく」という返答だった。師は米国との関係を断とうと思えば声明一つ出せばできた。だが、革命後も米大使館は閉鎖されず、占拠事件につながった。【テヘラン春日孝之】=つづく

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 ◇「守護者」の期待裏切られ

 CIAはモサデク政権を倒すため、大量の資金で反政府暴動を扇動し、メディアの大半を影響下に置いて政権を揺さぶった。これはCIA秘密工作の「成功例」として国際的に知れ渡った。

 イランが米国への恨みを深くしたのは、米国への期待が大きかったからでもある。

 イランは近代、「双頭」の脅威にさらされ続けた。ロシアと英国の干渉と支配だ。第二次大戦後、世界は冷戦時代に突入した。イラン人の多くは、ソ連の脅威に対して、当時イランに中立的だった米国との関係強化を望んだ。米国は、首尾よくソ連をイランから追い出した。イランは次いで、英国からの「守護者」の役割を米国に期待したが、かなわなかった。

 さらに、モサデク政権を「陰謀」で倒した米国が、革命に至る王政時代を通じ内政に干渉し続けたことが、イランで何か起きれば「米国のたくらみではないか」との疑念を想起させることになった。

 「私たちの苦しみはすべて米国に由来する」。米大使館占拠人質事件に共感し、大使館を囲んだ市民が掲げた垂れ幕にそんな言葉があった。

 バザルガン氏が証言した通り、当時のホメイニ師は反米一辺倒ではなかった。反ソ連でもあった。それが、占拠事件を機に「諸悪の根源」は米国に集約されていく。

 イラン人は誇り高く、大国意識が強い。それだけに外国勢力に踏み荒らされた歴史は、イラン人に疑心と被害者意識を植え付け、対米関係修復の障害にもなっている。

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 ■人物略歴

 ◇アボルファズル・バザルガン氏

 イスラム革命(79年)直後のバザルガン暫定内閣でおじのバザルガン首相を補佐、副首相などを歴任した。現在、53年のクーデターで失脚したモサデク元首相の流れをくむ反体制の穏健派政治組織「イラン自由運動」幹部。

毎日新聞 2008年1月3日 東京朝刊

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