最近は、どこに行っても、仕事となればPCを使う。もちろん、家に帰れば自宅でもPCを使う。
仕事で使うPCは、その中にある情報の「継続性」が重要視される。例えば不測の事故でPCの利用者本人が仕事ができない状態になったときは、そのPCにある情報で新たな担当者が仕事を継続することになる。そのため、PCの中にある情報は仕事机のようなもので、しっかりとすべての情報が整理されていることが望ましい。 しかし、個人のPCとなると話は別かもしれない。あなたの個人の情報が入っているプライベートなPC。そこにはどんな情報が入っているのだろうか? 過去にオーマイニュースに投稿した記事や写真なんてのはまだいい。家族には見せられないファイル、なんてものも大量にある、ということもあるかもしれない。 あなたが不測の事故でこの世からいなくなったり、あるいは半身不随や植物状態になったりしたとき、家族や親族の人たちは、きっとあなたのPCにアクセスするだろう。そういった場合に、あなたの見せられない情報が詰まったPCを、「整理」をしてくれるソフトウエアがある。 その名も「ぼくが死んだら」 この「ぼくが死んだら」というソフトウエアは、あなたの死後、残された家族などがあなたのPCにアクセスしたときに動作する。そして、あらかじめ入れておいたあなたの「遺言」を画面に表示してくれる。同時に、その裏側で、あなたが家族にさえ見せられない情報が入ったファイルを削除してくれる。また、削除後に「ファイル復活ソフト」などでファイルの復活をしようとしてもできないようにする、という設定もできる。実際に使ってみたところ、なかなかうまく動作する。 私は友人に「こんなソフトウエアがあるよ」と教えてもらったが、私がほかの友人にこのソフトウエアを紹介したら、数日後に「もしものときに使っています」と返事が返ってきた。 私自身は、どんなに恥ずかしいと思うことが表に出ても、結局はそれが自分が生きてきた「証し」である以上、それが他人に受け入れられようと、受け入れられまいと、自分のことは自分で引き受ける、ということがやはり大切なことなんじゃないかと思っている。 だから、きっとよほどのことがなければこういうソフトウエアは使わないだろう。人間というはそういうものでしかない、というあきらめのようなものがある。表面をいくら繕ってもよほどの聖人君子でない限り、出てくるボロは誰にでもある。それが人間というものではないかと思うからだ。 ところで、このソフトがあることをわかっている家族がいたら、このソフトは起動されない。つまり、ソフトウエアがあっても意味がない。「遺言」などと書かれたアイコンをクリックすると動作する、という仕組みだからだ。あなたの死後、あなたの家族がそのアイコンを無視すれば、いくらこのソフトウエアがあっても意味がないという危険性もある。 このソフトウエアはシェアウエアとして、「窓の杜」などに1980円という値をつけておいてある。この値段、果たして高いのか? 安いのか? ◇ また、ほかにも似たような機能を持つソフトウエアがある。 「死後の世界」(ベクターのダウンロードページ)(窓の杜のダウンロードページ) 「誉」(窓の杜のダウンロードページ)
総合1点(計13人)
※評価結果は定期的に反映されます。
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