増えるギャンブル依存症 シリーズ追跡
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借金漬け、判断狂わす

 パチンコや競馬などに日夜のめり込み、借金漬けで首が回らなくなる人が増えている。これはれっきとした病気だという。ギャンブル依存症。病的賭博とも呼ばれる。現代ニッポンの病理を示す現象の一つなのだろう。ごく普通の人が知らず知らずのうちに深みにはまってしまうのが怖い。「競輪場や競艇場が身近にあり、場外馬券売り場もある。ここはギャンブル天国ですよ」と県内の愛好家。ということは、香川にも悩める人々が大勢いるということか。七月二十一日、国内唯一の依存症者回復施設「ワンデーポート」(横浜市)が主催し、高松市で「ギャンブル依存症と多重債務問題」をテーマにしたフォーラムが開かれ、本人と家族ら約百二十人が熱心に耳を傾けた。ギャンブル依存症とはどんな病気で、どういった問題が起きているのか。立ち直るにはどうすればいいのか。専門家の話や実際の症例を通じて探ってみる。

ギャンブル依存症から立ち直るには、まず病気との自覚を持つことが重要だ=県内の公営ギャンブル施設(写真と本文は関係ありません)
ギャンブル依存症から立ち直るには、まず病気との自覚を持つことが重要だ=県内の公営ギャンブル施設(写真と本文は関係ありません)

怖い落とし穴=家族巻き込む悲劇 病気の自覚が回復への道

 ギャンブルで身を崩すのは、本人の意志が弱いせいだ―。こう考えるのが一般的だろう。
 しかし、「ギャンブル依存症」の著書がある北海道立精神保健福祉センター部長の田辺等氏は「自分をコントロールできないほどギャンブルにふけるのは、意志の問題ではなく病気」と強調する。
 ギャンブル依存症は、借金を重ねて仕事や家庭に大きな支障が出ても、なおギャンブルから抜け出せない症状。世界保健機関(WHO)も病気として認定している。
 田辺氏は「アルコール依存症や摂食障害も心理と行動との病的な障害という点では同じ」と説明する。だが、社会の認知度は違う。「体に害があれば認められやすいが、ギャンブルの場合は病気として受け入れてもらうのが難しい」。

犯罪の恐れ
 依存症者は借金をしてでもギャンブルに没頭する。ギャンブルの資金に充てようと借金を繰り返すため、依存症者のほとんどが多額の債務を抱えてしまう。
 ヤミ金融被害者らの支援に当たる「高松あすなろの会」(高松市)が、一月以降の相談者二百三十八人を調査したところ、借金の原因のうちギャンブルが13%を占めた。鍋谷健一事務局長は「これは氷山の一角にすぎない」と言う。
 借金苦から詐欺や横領などの犯罪を起こす場合もある。ギャンブル依存症者の回復施設「ワンデーポート」の中村努施設長は「依存症者は本人も分からないうちに道徳心がなくなり、犯罪に走ってしまう」と語る。
 家族も依存症者とともに何とか問題を解決しようと苦慮し、本人以上に深く悩む。結局、離婚など家庭が崩壊することも少なくない。
 依存症に詳しい三船病院(丸亀市)の内海剛聡医師は「悲しい結末を迎えるしかないのに、気付かず止まらないのが依存症の怖さ」と話す。
 田辺氏はバブル景気がはじけた後の一九九〇年代以降、ギャンブル依存症者が増えてきたと指摘する。消費者金融が利用しやすくなり、パチンコのギャンブル性が高まるなど社会環境が変化し、依存症を生み出す要因になっているという。
 なぜギャンブルにはまるのか。内海医師は「これまでみてきた依存症者は、抑圧された感情を普段は表に出しづらく、ギャンブルをしている時だけは忘れられるという人が多かった」と語る。

ギャンブルに関する10の質問

底つき体験
 自己破産で借金を整理しても、問題の解決にはならない。より高金利で非合法のヤミ金融に手を出す人もいる。
 ギャンブル依存症から回復するには、依存症者本人が「自分は病気」と自覚することが出発点になる。しかし、この自覚こそが依存症者には最も困難なことだ。
 中村施設長は「本人は病気だと認めないのが、この病気」と話す。依存症者は「いつでもやめられる」と思い込み、もう自力で抜け出せない状況に陥っているとは夢にも考えないという。
 「依存症者はどうにもならない現実を突き付けられることで、自分は病気だと受け入れるようになる」と中村施設長。こうした体験を「底つき」という。逆に言えば、どん底に落ちるまで病気と自覚するのは難しい。
 家族が借金の肩代わりをしたり、ギャンブルをやめるように誓わせたりするのは逆効果だ。
 「家族で尻ぬぐいしても同じ過ちを繰り返し、病気を進行させるだけ。むしろ突き放すことで、本人は自分の問題と認識できる」(中村施設長)
 田辺氏は「家族は専門家に介入してもらい、本人を早く病気と直面させてほしい。そうすれば、どん底に落ち込むまでに気が付く可能性もある」と説く。チェックリスト=表参照=で注意が必要な場合は早期治療を呼び掛けている。

自分を理解
 ギャンブル依存症の回復に有効とされるのが、GA(ギャンブラーズ・アノニマス)と呼ばれる自助グループに参加し、同じ体験や悩みを持つ人と話し合うことだ。
 何度も継続的に仲間と話すことで、自分の病気を理解し、自分を見つめ直す機会になる。
 ワンデーポートはギャンブル依存症を対象にした回復施設。参加者には三カ月間、毎日二回のミーティングの出席を義務付ける。寮も運営し、地方からの入所も受け入れている。実は中村施設長も依存症に苦しんだ過去がある。
 「回復の場は病院にはない」と内海医師。県内に専門のGAはないが、同様の活動をするアルコール依存症の自助グループでもまず参加することが大事という。
 離婚や自己破産を機にギャンブルをやめただけでは回復とはいえない。中村施設長は「一、二年は止まっても、病気の自覚がないと少しのきっかけで再発してしまう」と言い切る。「本当の回復とは新しい価値観や生き方を見つけること」。
 田辺氏は「依存対象を引っぱがすだけでは空虚感が生まれ、すぐまたやりたくなる。何かに依存しなくても済む心理状態をつくる必要がある」と指摘している。

ある依存者=勝った快感忘れられない 16社から800万円借り入れ

ギャンブル依存症と多重債務問題について考えるフォーラム=県社会福祉総合センター
ギャンブル依存症と多重債務問題について考えるフォーラム=県社会福祉総合センター

 県内在住の三十歳代の男性会社員。家族は妻と子供三人

 <高校卒業後、近畿圏の会社に就職。すぐにギャンブルを始めた>
 住んでいた寮の隣がパチンコ店だった。友達もおらず、暇つぶしに行ってみようというのがきっかけ。夕方に仕事が終わると、台の前に座るのが習慣になった。毎日、ごはんを食べるような感覚かな。
 最初のうちは負けるより勝つことの方が多かった。小遣い程度の金になるので、次々とギャンブルをしてみたいという気になり、誘われてマージャンもやった。
 こつこつ仕事をしても月二十万、三十万円にしかならないのが、ギャンブルで勝てば五万、十万円が手に入る。こんなに簡単に金ができるのかと思い、金銭感覚がまひしてきた。
 <やがてギャンブルのとりこになっていく>
 主にパチンコ、パチスロ。ほかにマージャンと競艇も。なぜギャンブルを続けるのかというと、勝った時の快感だけが頭に残っているから。
 負けず嫌いの性格で、やり始めたらとことんやる。負けたらイライラして、絶対あす取り返してやろうと浅はかな考えで賭け続けた。初めは負けても月五万、六万円くらいで止めていたのが、賭ける金額がだんだん上がっていった。大勝ちするか、大負けするか。
 当時、ギャンブル依存症という言葉を知らなかったし、病気という意識もなかった。趣味の一環というか遊び感覚。他に趣味はなく、時間さえあればギャンブル、ギャンブルという感じ。
 <家庭の事情で、数年後に香川の実家に帰って来た>
 一、二年は新しい仕事を覚えるのに忙しく、ギャンブルをしなかった。しかし、実家では生活費がいらず、月二十万から二十五万円の収入がすべて自分の小遣いになるので、時間ができるようになるとまた始めた。
 二十七歳で結婚した時も、自立して生活しなければと、半年くらいはギャンブルが止まった。でも、悪いことだと思っていないため、やめてしまおうという気は全くなかった。
 <間もなく、借金をしてでもギャンブルをするように>
 初めは信販会社のカードで借りた。それが返せなくなると、結局はサラ金から借りるようになった。ばれたらまずい、早く返さなければという意識が強かったので、返すためにまた新たに借りる悪循環に陥った。借金の返済に月十五万円くらい充てる生活になった。ヤミ金融にも借りたことがあるが、これはやばいなと思い、すぐに別で借りて返した。
 借入先は最終的に銀行二社と信販三社、サラ金十一社の計十六社。借金は総額八百万円近くに膨らみ、とても返せなくなった。そこまできてようやくギャンブルをしなくなった。ギャンブル依存症についても知った。
 <家族にも影響が及んだ>
 自宅に借金の督促状が来るし、悪いという意識はあった。商売で失敗したならともかく、金をドブに捨てたようなものなのだから。
 当然、親も悩んだと思う。妻はあきれていた。銀行二社からの借金は親に助けてもらって返した。
 <現在、自己破産の手続きを進めている>
 住宅や車のローンなどを合わせて三千数百万円の借金があり、それしか方法がないと思った。ギャンブルをやめるには、裸一貫から始めた方がいいと。今は昼も夜も仕事をして、ギャンブルをする時間がないようにしている。
 早めに手を打っておけば、これほど大きい借金をつくることはなかっただろう。ただ、経験から言うと、ギャンブルに熱中している人はおそらく何を言われても聞く耳を持たない。とことん追い詰められないとやめようとしないはず。
 ギャンブルで勝っても金はまず残らない。仲間同士で勝った者が飲み食いに連れて行き、すぐに消えていった。そういった仲間はしょせん金だけのつながりだったと思う。

 福岡茂樹、谷本昌憲が担当しました。

(2003年8月3日四国新聞掲載)

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